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『そう、全てを我らは得た』
淡々とした口調ながら、その声にはどこか疲れたような響きが感じられた。
『我らは渇望というものを失ったのだ』
渇望?
どういう事か、と眉を潜めるものが続出する。
『空腹を感じる、それを自覚する前に満たされる』
『他も同じだ』
『何かを欲する、それを認識する前に我らはその飢えを満たされる……』
どこが悪い事なのだろうか?
そう思った者も多いはずだ。
事実、今の地球では今も尚飢えは発生している。
奪い合い、時には殺し合い。不老不死とて同じ事、古来よりそれを望んだ権力者は枚挙に暇がなく、死を怖れて不死の妙薬と信じて水銀を飲み却って命を縮めた者とて歴史には残る。
『何故それが悪いのか、そう思う者もあろう』
『だが、満たされるという事は求めぬ事でもある』
『我らがそれに気づいたは停止が起こるようになってからの事であった』
停止?
どういう意味だろうか?
しかし、どうやらそこに自分達が神々の試練とやらに巻き込まれた意味合いがありそうだと理解する。
『そう、我らは思考を放棄したのだよ』
けれどそんな言葉が理解出来なくて……。
『常に満たされる、そのような中で考える事に何の意味があるのだね?』
『思考とは何故を問うものであり、何かを求めるものだ』
『愛する事、子孫を残さずとも滅びる事がないのに何故それが必要だ?』
『宇宙の真理、解明されたのに何故改めてそれを探らねばならぬ?』
『辛い事、苦しい事、困る事……全ては浮かんだ瞬間に消える泡沫の如きものとなりはてた』
『ならば、考える必要はあるのかね?』
困惑が漂っていた。
新約聖書のマタイ伝に有名な言葉がある。「求めよ、されば与えられん」、正確な意味合いでは「神に祈りなさい、そうすれば神は正しい信仰を与えてくださるだろう」という意味合いだが、転じて「何かを得たいのならば、ただじっと待っているのではなく自ら動く姿勢が大事」という意味合いでも用いられる。
では、逆に「求めずとも与えられる」時はどうなのだろうか?
「分からんが……何か違う気がする」
それを呟いたのは誰だったのか。
一人ではなかったが、何故かそれは全員に聞こえた。おそらくは神々が中継したのだろう。
そして、何故そんな事をしたのかは……。
『そう、そう感じたのが我らであった』
肯定によって意味を示された。
『おそらく我らにはまだ人の心、その欠片が他の者よりは多く残っていたのだろう』
『故に我らもまた感じた。何か求めたものとは違う、そのような気がすると』
『そしてそれ故に、我らは汝らに、いや我らの知覚の及ぶ空間と次元に【オーガニック】と悪魔と汝らが呼ぶものを撒いたのだ』
種明かし中……




