【短編版】聖女、君子じゃございません!
「お迎えに上がりました、聖女様」
国の郊外に人目を避けるようにして建てられた一軒家にローランはいた。
中から出てきたのは、シルバーピンクの髪色にペリドットのような瞳をした、妖精と見まごうほどに可憐で美しい少女だ。身に纏う神聖なオーラやその美しさから、少女が神に愛されていることは一目瞭然だった。
「聖女? 誰のことですか、それ。この家にはわたし一人しか住んでないんですケド」
けれど、どこか気の抜けた声と砕けた口調で少女はそう答えた。可憐な見た目とのギャップがあまりにも激しい――そうローランは感じた。
「いや、あなたが聖女様だとお見受けしますが」
「わたしが? まっさか〜、そんなことあるわけナイじゃありませんか」
少女はクスクス笑いながらローランを見上げる。
(一体どういうことだ?)
騎士であるローランは神託に基づき、国王からこの場所へ来るよう命じられた。聖女もまた、己が聖女となったことを自覚していると聞いていた。それなのに、目の前の少女は『自分は聖女ではない』と主張する。
ローランはもう一度少女へと向き直った。
「ここはプルフォンス領で、あなたはアーシュラ・ファニング様でいらっしゃいますね?」
「はい、アーシュラですっ」
「でしたら、やはりあなたが聖女です」
神託書を読み返しながら、ローランはきっぱりと言う。
「えー?」
「えーじゃありません。聖女アーシュラ様、国王陛下があなたを王宮へお呼びです。至急ご準備ください」
ローランは言うが、アーシュラは唇を尖らせつつ仁王立ちで彼を睨みつける。ローランも負けじと睨み返す。
しばらくして、本気で動く気のないらしいアーシュラを見かねて、ローランは小さく咳払いをした。すると、アーシュラはガッツポーズを浮かべて「勝った!」と瞳を輝かせる。
(いや、何にだよ)
黙っていれば美少女、というのはアーシュラのような女性をいうのだろう。アーシュラの表情は愉悦と底意地の悪さに溢れていた。
「勝った、じゃありません。至急ご準備を。しばらくこの家には戻ってこれませんので、旅の間に必要なものは持っていくようにしてください」
「ふぇ〜〜? それってすっごくメンドーですね!」
アーシュラの返事に、ローランはついつい苛立ってしまう。
なんとかアーシュラの説得を終え、ローランは王都へ出発した。けれど、道中は『無駄なこと』のオンパレードだった。
アーシュラはやれ疲れたと言っては近くの町へ立ち寄り、食事や買い物に付き合わせたし、ローランが少し目を離した隙に逃亡して湖のほとりや花畑で昼寝をし、起きるまで待つこともあった。
天真爛漫。マイペースな上、ものすごい気まぐれ。
アーシュラのせいで、二日で済むはずの道のりに一週間以上を費やしたのだった。
「ローラン様、わたしから解放されて嬉しいでしょう?」
「――聖女は君子じゃなかったのか?」
ローランは思わずつぶやいてしまう。
「だから最初から言っているじゃありませんか。そもそも、わたしなんかが聖女なはずないでしょう?」
アーシュラはジェラートを片手に、天使のような愛らしい顔で悪魔のようにケラケラと笑う。
(神様はどうしてこんな女性を聖女に選んだんだろう?)
ローランは密かにため息をついた。
***
王宮に着くと、アーシュラはこれまでとは打って変わって礼儀正しく丁寧な、それこそ聖女のように振る舞いはじめた。
国王から聖女の証を授けられるアーシュラを見つめつつ、ローランはムッと唇を尖らせる。虹色に光るヘッドティカを着けたアーシュラは、どこからどうみても神聖な聖女だ。
(俺へのあの態度はなんだったんだ?)
そんなことを思うけれど、ローランの役割はアーシュラを王宮へと送り届けることで終わっている。今後アーシュラと関わることはないだろう。
「アーシュラ様にはこれから、この王宮で生活していただきましょう。僕がお部屋にご案内しますよ」
と、式典に出席していた王太子が言う。
どうやら彼はアーシュラを自分の結婚相手に考えているらしい。恭しく手を握りながらアーシュラを見つめている。聖女という肩書も去ることながら、見た目だけはいいので、そう考えるのも無理はないとローランは思う。
「お心遣い、痛み入ります。なれど、わたくしは今しばらく王宮の外で暮らしたいと思っております」
すると、アーシュラが思いがけないことを言いはじめた。式典会場がにわかにざわつく。
「なぜですか? 最高の待遇を約束しますよ。侍女やドレス、宝石など、あなたの希望どおりに用意させましょう」
「いえいえ、そんなもの、わたくしには必要ありません」
アーシュラはそう言ってクルリと踵を返すと、ローランに向かって邪悪な笑みを浮かべる。ゲッと思ったその瞬間、アーシュラは勢いよくローランの腕を掴んだ。
「わたくしは今しばらく、この者と一緒に国内を旅したいのです」
「…………は?」
ローランは驚きのあまり、素っ頓狂な声を上げた。
「わたくしは常々、一部の人間だけが恩恵を受けることに疑問を抱いておりました。聖女の力があれば病を癒せますし飢えを満たせます。土地を浄化することも、大地を動かすことも意のままにできるのです。けれど、わたくしが王都にとどまれば、聖女の力を遠方の方に届けることができません。わたくしは神に力を分け与えられた者として、できる限り多くの方に神を感じる機会、救済の機会を得ていただきたいのです」
アーシュラはスラスラとそう説明する。わがままでグータラなアーシュラが聖女っぽいことを口にしている――唖然とするローランを尻目に、アーシュラはこう続けた。
「ですから、わたくしはしばらく国内を旅して回りたいのです。そして、沢山の人々と出会い、その苦しみに寄り添いたいと思っています」
「ふぅむ」
国王や神官が唸る。式典会場は皆『アーシュラが正しいかもしれない』という雰囲気に変わっていた。
けれど、アーシュラの本性を知るローランは不安で仕方がない。
(旅をするのはいいとして、本当にきちんと聖女としての仕事をするつもりなんだろうか?)
そのとき、アーシュラがチラリとローランを見上げた。アーシュラの美しい瞳は綺麗な半月型に歪められ、口元には下卑た笑みを浮かべている。
「アーシュラ様! あなた……!」
「ローランよ、頼む」
けれど、ローランが抗議をするまもなく、国王がローランに命令する。
かくしてローランは、トンデモ聖女のおもりを継続することが決定したのだった。
***
それから数日後、ローランとアーシュラは王都から出発した。
王太子からは『もう数日出発を遅らせるように』と何度も言われたが、アーシュラはきっぱりとそれを断った。アーシュラは城や王族というものがあまり好きではないのだという。
「でもでも、ローラン様のことは好きですよ。一緒にいると、なんだか落ち着くし」
「王族だと名乗った覚えはありませんけど? それに、血の繋がりがあるというだけで、俺は公爵家の人間ですし」
「うん。わたしもローラン様はローラン様だって思ってます!」
アーシュラはそんなことを言ってニコリと微笑んだ。
「聖女のわたしよりも余程聖女らしい――いわば聖人君子みたいな人ですしねぇ」
「聖人君子、ねぇ」
アーシュラと出会ってから調子を崩されっぱなしの自分が、とローランは鼻で笑う。
王都を発った翌日のこと、ローランはよりその思いを強くした。
「アーシュラ様、おはようございます」
「うーーん」
「……早く準備を始めてください」
「うーーーーん」
宿のアーシュラの部屋の外で、ローランは声を潜めて呼びかける。
けれど、待てど暮らせどアーシュラは部屋から出てこない。それどころか、準備の物音さえ聞こえなかった。
(さすがに今日はお疲れなのだろうか)
アーシュラの要望でわざわざ徒歩で移動をしたし、少しぐらいの寝坊は大目に見るべきなのかもしれない……はじめはそう思ったローランだったが、あっという間に昼を知らせる鐘が鳴った。
「――アーシュラ様、そろそろ起きてください。もうお昼ですよ?」
「うーーん? ローラン様? おはよー……」
「ですから、もうお昼です」
アーシュラの声はあまりにも小さく、ローランは扉に耳を押し当てながら必死に会話を続ける。
「準備が整うまで、俺は自分の部屋にいます。終わったら声をかけてください」
「えーー? それじゃ起きれる気がしないです。中に入って起こしてください」
「……はぁ?」
結婚前の女性がなにを言うのか――ローランは眉間にシワを寄せる。
「無理です。ご自分で起きてください」
当然、そう返事をした。
けれど次の瞬間、アーシュラの部屋の扉が唐突に開くとともに、ローランは見えない力に背中を押される。
「なんだこれは!?」
ローランは驚いた。無理やり部屋に入れられたことよりなにより、アーシュラの部屋が悲惨な有様だったからだ。
昨日着ていた服が無造作にソファに脱ぎ捨てられ、食べ物や飲み物のゴミ、使用済みの手ぬぐいなどがそのままの状態で置かれている。本や小物類が部屋の至る所に散らかっていて、足の踏み場に困るほどだ。
「な……な…………」
「ローラン様ぁ、お腹が空きました。でも、すっごく眠い……」
アーシュラはベッドの上に腰掛けて、こくりこくりと舟を漕いでいる。同時に、ぐーーと大きくお腹の音が鳴った。
「今日の朝ごはんはなににしましょう? この辺でおすすめの店は……」
「寝言は寝て言ってください!」
ローランはアーシュラの掛け布団をバサッと剥ぎ取ったが、彼女は夢見心地な表情で微笑む。
「大体なんなんですか、この部屋の惨状は! まだたった一日しか滞在してないでしょう?どうやったらこんなに散らかせるんですか?」
「えーー? このぐらい普通じゃないの?」
「普通じゃありません。断じて普通じゃありません!」
散らかった荷物を片付けながら、ローランがきっぱりと言い放つ。
「だから侍女をお連れくださいと申し上げたんです」
「だって、人に気を遣うのは嫌なんだもの。わたしは自分のタイミングで着替えたりゴロゴロしたいし、気が向いたときに片付けをするタイプで」
「気が向くのはどのぐらいの頻度なんです?」
「だっ……大体一週間に一回ぐらい」
(絶対嘘だ)
ローランは内心そう思いつつ、アーシュラを睨みつける。
すると、なにを思ったのか、アーシュラは突然服を脱ぎはじめた。
「なにをしてるんですか!」
「なにって……着替えだけど。ご飯食べに行くんでしょう? それに、ちゃんとお仕事しないとローラン様からチクられちゃいますし」
「そんなことを言ってるんじゃありません! 着替えは俺が部屋を出てからにしてください! 俺をなんだと思ってるんですか?」
「なにって? せいじんくんしぃーー」
アーシュラはニカッと歯を見せて笑いつつ、寝間着を勢いよく脱ぎ捨てた。下着は別に着ているものの、普段は隠れている肌がチラリと見え、ローランの喉がゴクリと鳴る。
「天真爛漫なのは結構ですが、あまり俺を信用し過ぎないでください」
ローランはため息をつきながらアーシュラの部屋を出た。
けれど、いざ聖女としての仕事をはじめたら、アーシュラは驚くほど真面目に働き出した。町の人々に祈りを捧げたり、病人の治癒をしたり、炊き出しをしてみたり(真緑色のドロドロした液体だが味は良かった)霊の鎮魂すら引き受けてしまう。自分の体力の限界――いや、それ以上に力を使い、倒れてしまうこともあるほどで。
「今日はもう、お部屋にお戻りください」
あるとき、アーシュラのあまりの疲れっぷりに、ローランは仕事を切り上げるよう提案した。
アーシュラは貧しい人や困っている人が多い場所を探し当てるのがとても得意で、連日働き詰めになっている。野生の勘――いや、それも聖女の力なのだろうか? 相変わらず、朝はダラダラしてローランを困らせているが……。
「うーーん、そうだね……それがいいかなぁ」
自分で歩くのもしんどいらしく、アーシュラはローランにもたれかかって移動する。
けれどそのとき、路地裏に倒れた子どもを見つけ、アーシュラは一目散に走り出した。
「大丈夫? しっかりして!」
子どもは骨と皮のようにやせ細り、肌や唇がカサカサに乾いている。着ている服はズタズタに擦り切れ、肌はところどころ露出していた。
アーシュラは枯れ枝のような子どもの手を必死で握った。まず子どもに水分を送り込むのだという。アーシュラが聖女の力を使うと、まばゆい光が空に向かって舞い上がっていく。とても美しい光景だった。
けれど、子どもの生気が戻るのとは反対に、アーシュラの顔色はみるみる悪くなっていく。
「アーシュラ様、いったん休憩を。このままではあなたのほうが倒れてしまいます」
「いらない。今、それどころじゃない」
アーシュラの瞳は真剣だった。一心不乱に、目の前の子どもを助けることだけを考えている。自分も倒れそうになっているくせに。それでも、アーシュラは決して治癒を止めなかった。
(アーシュラ様は本当に聖女だったんだな)
ローランはアーシュラを支えながら、涙をぐっと堪えた。
***
「今日でこの街ともお別れですねぇ」
アーシュラが笑う。
旅をはじめてから一年ほどが経ち、二人は一度王都に戻ることにした。王都にも困っている人がいる――という建前を使ったが、ローランにはもう一つ目的があった。
(アーシュラ様に結婚を申し込む)
初めはトンデモない女性だと思った。わがままで天真爛漫、迷惑ばかりかけられていると。けれど、聖女としてのアーシュラを知ったこと、それから彼女が本性を見せたり甘えたりするのは自分だけだと自覚したことで、ローランはアーシュラを愛しく思うようになっていた。
「ねえ、王都に帰ってもローラン様はわたしと一緒にいてくれますよね? 離れたりしませんよね?」
アーシュラはそう言うと、ローランの手をギュッと握る。上目遣いで見つめられ、ローランの胸がドキッと跳ねた。
神々しい聖女――かと思えば、こういった小悪魔的なことを言う。
(アーシュラ様は俺のことをどう思っているんだろう?)
ローランは悶々としながら「そうですね」と返事をした。
とそのとき、二人は広場のあたりが騒がしいことに気づく。人がたくさん集まり、垣根上になっていて見えないが、風に乗って鉄の匂いがした。
「怪我人ですか!?」
アーシュラが急いで中へ割って入る。見れば、人垣の中央に一人の男性が横たわっていた。血が大量に流れている。重症のようだ。
「ウルスラ様っ!」
すると、倒れた男性の傍らにいた男性が、アーシュラに向かってそう叫んだ。反対側に控えていた男性もアーシュラを「ウルスラ様」と呼ぶと、拝むようにして手を握る。けれど、アーシュラは表情を強張らせて後退りした。
「――その名で呼ぶのはお止めください」
アーシュラは言いながら、怪我人の側に屈んで顔を見る。すると、アーシュラの美しい顔が大きく歪んだ。
アーシュラはなにかを堪えるような表情でしばらく深呼吸を繰り返したあと、怪我人に向かって手をかざす。眩い光が男性を包み込み、男性の傷口が塞がっていく。
「では、わたしはこれで」
「待ってくれ、ウルスラ!」
そう叫んだのは、先程まで重傷を追っていた男性だった。男性は勢いよく起き上がると、アーシュラの手を強く掴む。
「わたくしはウルスラではありません」
「なにを言う! 俺がおまえを見間違えるわけがないだろう」
男性が言い募るが、アーシュラは手を振り払ってローランの後ろに回り込む。ローランは困惑しつつ、男性へと向き直った。
「我が国の聖女であるアーシュラ様に対して失礼な態度を取るのはお止めください」
「失礼なのは貴様だろう? なにも知らない愚かな騎士め。その女はこの国の聖女ではない。我が国――アスべナガルの聖女、ウルスラだ。そして、王太子であるこの俺の婚約者でもある」
男はそう言って尊大にふんぞり返る。
(アーシュラ様が……?)
アスべナガルというのは国境――今いる街のすぐ隣に位置する国だ。
武力を重んじる国柄で喧嘩っ早く、文化や商業を重んじるこの国とは反りが合わない。
ここ最近は干ばつや水害、地震といった天災が相次いでいるとの話だったが――。
「探したぞ、ウルスラ。さあ、国に帰ろう。父上も母上も、皆がおまえを待っている。早く我が国を元のように――」
「馬鹿なことをおっしゃらないでください」
アーシュラは隣国の王太子に向かってそう言い放った。声が少し震えている。ローランはアーシュラから伸ばされた手を強く握り返した。
「探したですって? わたくしを国から追放したのはあなたじゃありませんか。偽物聖女の汚名を着せ、あなたの恋人を苛めたなんて謂れのない罪を背負わせたこと、忘れたとは言わせませんよ」
冷静な口調だが、アーシュラの怒りが伝わってくる。
「俺は勘違いをしていたんだ! おまえが俺の恋人ジェシーに嫉妬をしていると。まあ、ウルスラがジェシーを悲しませたことは紛れもない事実だし、こんな辺鄙な国で一年も過ごしたんだ。もう十分罰は受けただろう! なあ、おまえだって本当は国に帰りたいと思っていただろう? 帰って俺の妃になりたいと、そう思っていたんだろう?」
「そんなまさか。わたくしは一度だって、あなたの妃になりたいと思ったことはありません」
アーシュラはそう言って、ニコリと満面の笑みを浮かべる。隣国の王太子は目を吊り上げ「なんだと?」と眉間にシワを寄せた。
「殿下は聖女――聖人君子を気取った偽善者にはなんの価値もないと吐き捨て、わたくしの言葉に耳を傾けてくださいませんでした。国の惨状に目を向けることも、戦争に苦しむ民を救おうとすることもなさいませんでした。わたくしはあんなひどい国の王太子妃になんてなりたくなかった。聖女でなんていたくなかった。だけど、この国に来てわたくしは――わたしは知りました」
アーシュラはそこで言葉を区切ると、ローランをそっと見上げる。
「ローラン様が教えてくれたんです。ローラン様はわたしの突拍子もない話を聞いてくれた。ダメダメな部分でも真っ直ぐに受け止めて、支えてくれた。どうしたらいいか一緒に考えてくれたんです。本当に、嬉しかった」
繋がれた手に力がこもる。ローランは目頭が熱くなった。
(アーシュラ様……あなたはずっと、苦しんでいたんですね)
自分は聖女でないと否定したことも、王家を嫌う理由も、王宮に留まらずに旅をすると決めたことも。
どこか間の抜けた口調や暮らしぶりも――これは素を出せるようになっただけかもしれないが――きっと祖国で抑圧された反動だ。
隣国の王太子たちはアーシュラの説得が無理だと悟ったのだろう。しかし、彼らはなんとしてもアーシュラを連れ帰らなければならない。隣国の天災はアーシュラが追放された頃にはじまったもの――神が怒っているのである。
(許さない)
隣国の騎士がアーシュラに向かって襲いかかる。その瞬間、ローランはアーシュラを間合いから押し出し、斬撃をかいくぐって鳩尾に一撃を食らわせた。続いて別の騎士の首元に手刀を落とし、肘鉄をお見舞いすると、今度は王太子へと対峙する。
隣国の王太子はローランに向かって大きく剣を振り下ろした。
「ローラン様っ!」
「大丈夫、こんな攻撃当たりません」
ローランは王太子の腕を捻り上げ、あっという間に組み伏せた。
アーシュラはどこからともなく光の輪っかを作り上げると、瞳を輝かせながら三人を捕縛する。
「やりましたね、ローラン様! さて、こいつらこれから一体どうしてやりましょう?」
悪役さながらのセリフをノリノリで口にし、清々しいほどに下卑た笑みを浮かべるアーシュラに、ローランは苦笑いを堪えきれない。
ローランたちは隣国の王太子を王都へ連れ帰った。
「アーシュラよ、この男を如何したい? 君の元婚約者で、隣国の王太子――いや、廃嫡され今は『元』王太子という話だが……」
事情を聞いた国王は、アーシュラに向かってそう尋ねる。
「わたくしは、この男を生きたままアスべナガルに返したいと思っています」
「アーシュラ様! この男はあなたを襲おうとしたのです。お咎めなしというわけにはいきません」
アーシュラの返答を聞き、ローランは思わず口を挟んだ。
「お咎めなしだなんてとんでもない。わたくしはこの男に生き地獄を味わっていただこうと思っているんです」
アーシュラはそう言ってニコリと微笑む。なにか良からぬことを考えているときに浮かべる邪悪な笑みだ。アーシュラのそういった表情に馴染みのない周囲の反応をよそに、彼女はこう続けた。
「アスベナガルは今、わたくしがいなくなったことにより、数々の天災に見舞われております。けれど、国民にはなんの罪もない――ですからわたくしは、アスベナガルの天災を治めに行きたいと思っています」
国王はアーシュラの話を黙って聞いている。隣国の元王太子は思い切り顔をしかめた。
「けれど、見返りとして二つ約束をさせようと思うのです。一つ目は二度と戦争を起こさないこと。二つ目は二度とわたくしに関わらないこと。その二つの約束を守らなければアスベナガルはまた災難に見舞われてしまう――アスベナガルに対して盛大に恩を売りつけたうえで、国民には元凶が誰なのか、すべての事実を明るみにしてやりたいのです」
広間にアーシュラの声が響く。集まった人々は一様に困惑し、奇妙な沈黙が横たわっていた。『聖女とは、慈悲深い君子ではなかったのか?』――そんな心の声が聞こえてくるかのようだ。
(アーシュラ様らしいな)
ローランは思わずクスリと笑う。
アーシュラはずっと、祖国の国民を苦しめていることを気に病んでいたのだろう。そういえば彼女はいつも西の方角――アスベナガルに向かって祈りを捧げていた。国外追放のせいで二度と祖国の地を踏めなくとも、国民のことを思っていたのだ。
隣国の元王太子は顔面蒼白で震えていた。アーシュラ追放の真実を知ったアスベナガル国民の反発は大きいだろう。それに、アーシュラを連れ戻すため、彼はよその国に対して喧嘩を売ったのだ。責任を問われることは間違いない。果たして無事でいられるか――この国で処罰を受けるより余程厳しい未来が彼を待ち受けているだろう。
「ウ、ウルスラ! もう一度だけ聞く。俺と一緒に国に帰る気はないか? 聖女に……俺の妃に戻ってくれないか?」
隣国の元王太子は真剣な表情でそう尋ねた。どうやらアーシュラに未練があると本気で思っているらしい。
「絶対に無理ですっ。だって、わたしが帰る場所はローラン様のいるこの国ですもの! 元王太子のあなたより、ローラン様のほうが何倍も何十倍も素敵ですっ! わたしの自慢の護衛騎士――未来の旦那様なんですから!」
アーシュラはそう言って、力いっぱいローランを抱きしめる。ニカッという意地の悪い笑みには『逃がしませんよ』とハッキリ書かれていた。
(敵わないな)
ローランが困ったように笑う。
と同時に、隣国の元王太子はフラフラとバランスを崩し、そのまま地面に突っ伏したのだった。
***
「ローラン様! 早く! 早く来てくださいっ!」
色とりどりの放た咲き乱れる丘の上で、アーシュラがローランを呼ぶ。
「そんなに走ると転びますよ?」
「大丈夫ですっ! 怪我をしても自分で治せますもの」
アーシュラはそう言って満面の笑みを浮かべた。
ここは隣国アスベナガル――つい先程まで草すら生えない荒れ果てた地だったというのに、今や緑あふれるオアシスへと変貌を遂げている。
アーシュラを中心として、みるみるうちに草花が広がっていくその様子はあまりにも神々しく美しい。キラキラとアーシュラに向かって降り注ぐ太陽の光はまるで、神の祝福のようにローランには見えた。
「聖女というのは本当にすごい存在ですね」
「えへへ……そうでしょう? だからこそ、ローラン様の役割はとっても重要なんですよっ」
アーシュラはそう言ってローランの手をギュッと握る。
「一説によると、聖女は幸せであればあるほどその力を発揮できるし、信じられないような奇跡を起こせるんですって! つまり、ローラン様がわたしを幸せにしてくれたら、みーんなハッピーになれるって寸法なんです!」
「それは……本当に責任重大ですね」
返事をしながらローランはアーシュラの左手薬指に唇を重ねる。そこには鮮やかなブルーダイヤのエンゲージリングが光り輝いていた。
「必ず、幸せにします」
「今も、めちゃくちゃ幸せですよっ! でもでも、やりたいことが色々あって。困った人が無条件で助けてもらう場所を作りたいし、わたし自身も聖女として頑張りたいし。だけど、ゆっくりと子育てする時間もほしいなぁなんて……」
ローランが目を丸くすると、アーシュラは照れくさそうに笑った。
「本当に……聖女が君子じゃないなんて、一体誰が言ったんでしょうね?」
過去の自分の発言を皮肉りながら、ローランが苦笑する。
アーシュラは紛れもなく聖女だ。そして、聖人君子という言葉のよく似合う、素晴らしい女性だとローランは思う。
「なにを言っているんですかっ。わたし程利己的な人間は他にいませんよっ。現に今、わたしはローラン様とイチャイチャしたいとか思ってますし……」
ローランがアーシュラの唇を塞ぐ。すると、アーシュラは嬉しそうに目を細め、もっともっととキスを強請った。
(本当に、欲張りな人だ)
けれど、そんなアーシュラが好きだとローランは思う。
「全部、一緒に叶えましょう」
聖女としての夢も、普通の女の子としての夢も諦める必要なんてない。全部自分と一緒に叶えていけばいいと笑い、ローランはアーシュラを抱きしめる。アーシュラは満面の笑みを浮かべ「はい!」と返事をするのだった。




