好きだった歌が聞けなくなった
好きな歌があった。
かつて一時期流行った何の変哲もないポップソング。
その当時には結構な勢いで盛り上がり、世代ならば誰でも知ってるくらいの有名曲。
今でも時々、あの頃のメガヒットみたいな扱いで出てくるのも珍しくないような。
いつも毎日ではないけど思い出すたびに聞いたり口ずさんだりしていた。
だけどある時それが、とある拉致監禁殺害事件の被害者にとって特別なものだったと知った。
つけっぱなしのTVから勝手に流れてきた、過去の凶悪事件を特集する番組。
被害者である彼女は拷問されるたび、朦朧としながらその歌を口にしていたらしかった。
極限状態における唯一の心の支えだったのでしょうと画面の中の誰かが言った。
息絶える寸前までとぎれとぎれに口にしていたのを聞いたという、犯人の証言が紹介された。
それから自分はその歌を聞けなくなってしまった。
あれだけ好きだったのにその事件と被害者のことが思い浮かび純粋に没入できなくなったみたいだった。
何気なく聞こうとしたり歌ってみたりするたびに、モヤモヤとやるせない陰鬱が湧き上がってくるようだった。
別に確固とした正義感の元、憤慨するとか痛ましさで落ち込むとかそう極端なものがあるわけじゃない。
そんな明確な問題意識、道義心とかによるものじゃなかった。
ただぼんやりと不安でいたたまれないような気持ちになってしまうだけ。
そのメロディーを、歌詞を意識するたびに、暴力と抑圧と恐怖で縮こまって死んだ被害者のことが、その最期が脳裏に浮かんでしまうという。
彼女が遭遇した悲惨に比べたら取るに足らない、もしかしたら傲慢とすら言えるほどのただの感傷に過ぎないのだろうとは思ってはいるのだけれど。
いちいち自分みたいな人間が、さも何がしかの関係者であるかのように心を痛めてみることすら、もしかしたらおこがましいことなのかもしれない。
ただ、確実にその事件が巻き起こした一つの因果の帰結ではあるのだとも思っているのである。
あまたある副次的被害の最果てのような、酷く迂遠で朧ながらも確かに自分もまた被害者の一人なんだろうと。
とても些末で微々たる、存在しないのと大して変わらないくらいの小さな犠牲。
その歌を聞くことも歌うこともなくなってしばらく経った。




