自他共に認める美貌の令嬢ですが、王太子殿下に唐辛子ワインを噴射してしまいまして
私が美しいというのは、別に自惚れでも何でもない。
両親も乳母も家庭教師も、すれ違う行商人も、社交界に出入りする貴族の方々も、皆口を揃えて「エラ嬢は本当にお美しい」とおっしゃる。
それだけ多数の人間が同一の評価を下しているのなら、それはもはや個人の主観ではなく、社会的に確立された事実というものである。
だから、私が美しいことを認めるのは、空が青いと認めるのと同じくらい、当たり前のことなのだ。
——というのが偽らざる内心であるのだが、これを口に出すと角が立つので、社交の場では「とんでもございません」と謙遜することにしている。
それにしても、舞踏会という催しは退屈である。
会場の中央では、王太子殿下が次々と令嬢たちを指名し、ワルツを踊っておられた。
その周りには、未だ指名を頂戴できぬ令嬢たちが扇を片手にひしめき合い、いつ自分の番が回ってくるかと胸を高鳴らせている。
何しろ今宵は——王太子殿下の、花嫁選びの舞踏会なのだ。
王国中の年頃の貴族令嬢が招待され、各々が華美に着飾り、殿下のご指名を競っている。
そんな中、なぜか私が最有力候補と噂されている。
私としてはまったく心当たりがない。殿下とは挨拶を交わした程度の面識しかなく、特別なお言葉を頂戴した記憶もない。
にもかかわらず、社交界の口さがない方々は「美貌という一点だけで言えばエラ嬢に勝る令嬢はいない」「殿下も殿下である以上、最も美しい娘を選ばれるに決まっている」などと勝手に盛り上がり、私を勝手に祭り上げ、勝手に嫉妬しているのだ。
なんとも迷惑な話である。
我が両親に至っては、「王国一の美女であるお前が選ばれぬはずがない」と得意げな顔で送り出してきた。
だが、未来の王妃を顔で選ぶような男なんぞ、普通に嫌だ。
そういうわけで、私は会場の隅、給仕が立つ長卓のかたわらに陣取り、片手にワイングラス、もう片手には軽食というスタイルで、ひっそりと時間を潰していた。
幸いなことに、順番待ちで手持ち無沙汰になっている令嬢は私の他にも大勢いて、卓の周りで小腹を満たしている娘たちもちらほら見える。これなら目立つまい。
殿下、どうかこのまま私を見つけずにお過ごしください。
私はそう祈りつつ、鴨のパテのカナッペを、そっと口に運んだ。
美味しい。さすが王宮の料理人。我が家では決して口にできない贅沢な味わいである。
「あら、エラ様。こんなところにいらしたのね」
声をかけられたのは、私が三品目を物色していた最中のことだった。
振り向けば、令嬢が三人。扇の影で、ふふ、と意味ありげに笑っていた。
——見つかった。
私は内心で舌打ちし、表情だけは淑女のものを保った。
「まあ、皆様。ご機嫌よう」
「ご機嫌よう、エラ様。ずいぶんと食欲旺盛でいらっしゃること」
「このような席で、軽食ばかりお召し上がりとは。お労しいですわ」
「ご家門の財政事情がおよろしくないと伺っておりますから、こうした席でしっかりお召し上がりになっておくしかないのね」
ニヤニヤと扇の影で笑い合う三人の令嬢たち。
我が家の財政事情がよろしくないのは事実だし、軽食を堪能しているのも事実だ。
だが、それは別に空腹を満たすためではなく、純粋に美味しいから食べているだけだ。実に心外である。
しかし、いちいち反論するのも面倒なので、私は「あら、お褒めいただき光栄でございますわ」と微笑むに留めた。
褒めてないわよ、と扇の向こうで令嬢が舌打ちした。
「では、わたくしたちはこれで。お楽しみのところ、お邪魔いたしましたわね」
三人の令嬢たちは、扇の影で含み笑いを交わしながら、そそくさと私から離れていった。
去り際、そのうちの一人が、私の手にしたグラスの口元を扇でかすめていった気もしたが——まあ、たまたまだろう。
私はそれ以上気にも留めなかった。
ああ、もうやってられない。
早く屋敷に戻って、ばあやが作り置いてくれている胡椒のきいたベーコンのリエットを、固く焼いたパンに塗ってつまみながら、エールを一杯やりたい。
慣れないハイヒールは痛いし、コルセットは苦しいし、王宮料理は確かに美味しいけれど、こうして嫌味を浴びせられるくらいなら、屋敷の食堂でだらだらとつまみを食べて怒られている方が、よほど気楽である。
私は苛立ちを飲み込むため、手にしていたワイングラスをろくに匂いも確かめず、一気に呷った——
その瞬間。
口の中が、燃えた。
「っ……!?」
これはワインなどというものではない。液状の業火である。
舌が、喉が、鼻の奥までもが、燃えるような激痛と灼熱に襲われ、私は反射的に口に含んだ液体を吹き出してしまった。
私の淑女らしからぬ行いに、先ほど絡んできた令嬢たちがほくそ笑んでいるのが、視界の端に映り込んだ。が、それどころではない。
盛大にワインを吹き出した先に、人がいたのだ。
「失礼。少しお話を——」
紳士的に声をかけながら、ちょうど私の目の前まで歩み寄ってきていた、そのお方の顔面に。
ワインが、直撃しようとしている。
「あ」
時が止まった。
気付いた時には、私の口から勢いよく飛び散った赤い飛沫が、その方の——金色の前髪に、整った鼻梁に、何より澄み渡った青い瞳に、見事に着弾していた。
私がワインをぶちまけた相手は、ほかでもない、王太子殿下その人であった。
「っ、ぐ、ぅ……目が、目がぁ……っ!」
殿下が両手で顔を覆い、よろめかれた。
当然である。何しろこの私自身、たかだか数秒口に含んだだけで、舌が燃え上がるような激痛に襲われたのだ。
それを直接眼球に浴びるなど、もはや拷問のようなものだろう。
会場の令嬢たちが悲鳴を上げた。給仕が駆け寄った。嫌味令嬢三人組が顔面蒼白で後退りした。
そして私は——
逃げた。
考えるより先に、足が動いてしまったのだ。
ヒールの音を盛大に響かせて舞踏会場の床を蹴り、誰の制止も振り切って、夜の庭園へと飛び出した。
途中でヒールの片方が脱げて転がっていったが、拾う余裕などあるはずもない。
私は今、たぶん、王国の歴史上類を見ない不敬を犯した。
王太子殿下の眼球に、何やら強烈な刺激物を含んだワインを、直接ぶち込んだのだ。
もう、おしまいだ。
◇◇◇
それから三日が経った。
我が家には、なぜか何の使者も来なかった。
王宮の兵が踏み込んできて私を捕縛し、不敬罪で処刑台送りにする——という最悪の展開を覚悟して震えていた私は、三日経っても何も起きないことに、かえって不気味さを感じていた。
ちなみに一晩寝て頭を冷やしてみれば、あの夜の口の中の燃えるような感触は、おそらく粉末状の唐辛子か何かを混ぜ込まれたものだったのだろう、という結論に落ち着いていた。
状況からして、犯人があの三人組の令嬢のいずれかであることは、まあ、考えるまでもない。なんと小賢しい所業。今すぐ私の代わりに天に召されて欲しい。
そして四日目の朝、街の噂として、信じがたい話が耳に入った。
「王太子殿下が、舞踏会の夜に庭園で見つけた“片方のヒール”の持ち主を、お探しになっているらしいわよ」
——は?
「美しい方で、夜の庭園に向けて駆けていく姿が幻のようだったとか」
「殿下はその方に一目惚れなさって、何としてもお会いしたいと仰せだそうよ」
「ヒールの主を見つけ出して、結婚のお申し込みをなさるご予定だとか」
街の井戸端会議はたいそう盛り上がっていたそうだが、私は、全身から血の気が引いた。
つまり、こういうことか。
殿下は唐辛子で目をやられた直後で、私の顔をはっきりとは記憶しておられない。
だから“片方のヒール”を頼りに、犯人を炙り出そうとなさっているのだ。
なんと巧妙な手口。
『美しい令嬢に結婚を申し込む』などと甘い餌をぶら下げれば、欲のある令嬢たちが『私こそがそのヒールの持ち主!』と我先に名乗り出てくる。
その中に、本当にあの夜庭園を駆け抜けた下手人が混じっていれば、しめたものだ。
甘い餌につられてノコノコ自ら出頭してきたバカな女を、合法的に処刑できるという算段である。
なんと陰湿。恐ろしき王族の処世術だ。
私は震える手で、寝室のクローゼットを開けた。
そこには、舞踏会の夜に履いていたヒールのもう片方が、しれっと収まっていた。
……これさえ処分してしまえば、私は安全だ。
ヒールの片割れがなければ、殿下の調査は決して私には辿り着かない。
私ほどではないにしても、社交界に「美しい」と評される令嬢などいくらでもいる。
私である必要は、ない。
私は慌ててヒールを掴んで部屋の暖炉に投げ込むと、火力を強めて灰になるまで焼き尽くした。
火かき棒で執拗につつき回して、完全に証拠を隠滅できたことを確認したところで、ようやく肩の力を抜くことができた。
これで、一安心である。
今頃王宮には、欲をかいた令嬢たちが『私こそが運命のお相手!』と、こぞって名乗りを上げているはずだ。
なに、心配は要らない。彼女たちは犯人ではないのだから、適当にあしらわれて返されるだけのこと。
私の身代わりに処刑される者など、出るはずもない。
ヒールの片割れは消えた。私の身元は永久に割れない。
私はこれからも、平穏な人生を送るのだ。
◇◇◇
しかし、そう上手くいかないのが人生というものらしい。
私が証拠隠滅をした翌日、我が家の正面玄関に、王家の紋章を掲げた馬車が止まった。
「お、お嬢様! 王太子殿下が、王太子殿下が直々に……っ!」
血相を変えた執事が部屋に駆け込んできた時、私は紅茶を一滴もこぼさずにソーサーへ戻したが、それは令嬢としての修練の賜物であって、内心は縄張り争い中のイモムシも真っ青なほど震えあがっていた。
なぜ。
なぜここに来る。
ヒールは処分したのに。私の身元は割れていないはず——
いや、待てよ。
あの場には、顔見知りのご令嬢も大勢いた。そんなところで、よりにもよって王太子殿下に向かってワインを噴出したのだ。
普通にヒールなど関係なく、最初から身元は割れていたのではないだろうか。
私はガックリと肩を落として、トボトボと応接間へと足を運んだ。
「ご機嫌よう、エラ嬢」
我が家のやや貧相な応接間に、場違いなほどキラキラした王太子殿下が座っておられる。
目元には、まだ少し赤みが残っていらした。
私は弾かれたように背筋を伸ばすと、人生で最も気合の入ったカーテシーをきめた。
表情筋を総動員して、淑女の微笑みを保つ。心の中では恐怖のあまりのたうち回っているが、外面は完璧だ。
「殿下、ようこそお越しくださいました。本日は、どのようなご用件でございましょうか」
声が震えなかったのは、奇跡である。
殿下は柔らかく微笑まれた。
「先日の夜のことでね。少し、君と話がしたかった」
——終わった。
私の脳みそは、死後見られて困るものが部屋にないだろうかと勝手に考え始めた。
来た。来てしまった。
復讐の使者が、麗しい笑みを浮かべて私の屋敷の応接間に座っている。
「先日は……まことに、申し訳ございませんでした」
私はすかさず謝罪した。命だけは、命だけはお助けいただきたい。
「申し訳ない?」
殿下が首をかしげられた。きょとんとしたお顔だった。
「いや、被害者の君が謝ることなど何もないだろう。むしろ私は、君に礼を言いに来たのだよ」
——礼?
王太子の眼球に強烈な刺激物を浴びせた女に、礼?
これは、罠だ。
油断させて、心を許させて、そののち地獄に突き落とすつもりだ。
間違いない。これが王族の処世術なのか。なんと恐ろしい。
「あの夜、君が騒ぎを起こしてくれたおかげで、私は早々にあの茶番から退場することができた。正直なところ、花嫁選びなどというものに、私はまったく乗り気ではなくてね」
殿下は静かに、しみじみと続けられた。
「だから、君には感謝している。それと——」
殿下は紅茶のカップを置き、まっすぐに私を見つめられた。目元はまだ赤かった。
「実はあの騒ぎの前から、君を見ていたんだ。三人の令嬢に囲まれて、それでも一歩も引かなかった君の横顔を——とても、好ましく思った」
——ん?
「で、できれば、もう一度ゆっくり、君と話がしたい。今後、私の方から、君の屋敷に通わせていただいても構わないだろうか」
殿下が、頬をほんのり染めて、そうおっしゃった。
これは、つまり。
求愛、というやつではないか?
私の頭の中は、真っ白になった。
冷静な私が叫んだ。「違う、これは復讐だ、油断するな」と。
が、もう一人の私が叫び返す。「いや、本気で好意を示されている。どうしよう、こいつは被虐趣味の変態だ」と。
するとすかさず、第三の私が叫んだ。「もしこの方の機嫌を損ねたら、私は灼熱の鋼で誂えた靴を履かされて、宮廷の床が血で染まるまで踊り狂わされて死ぬのだ」と。
第三の私は、なぜそんなに具体的に想像してしまったのか、自分でもわからない。前世で継子いじめでもしたのか。
しかし、その光景があまりにも鮮明に、脳裏に焼き付いた。
——舞踏会場の煌びやかな床。私の足元から立ち昇る白煙。焼ける皮膚。それでも踊り続けることしか許されぬ、永遠の宴。
あまりの恐怖に、次の瞬間、私は叫んでしまった。
「お、お断りさせていただきますっ!」
応接間に、私の絶叫が響き渡る。
殿下が、目を見開かれた。
しかし、私は止まらなかった。
「殿下、わ、わたくしは! 灼熱の鋼の靴を履かされて踊り続けるくらいなら、いっそ今この場で処刑された方がっ! でも、唐辛子ならもう一度くらい吹きかけて差し上げますからっ! どうか、どうか、わたくしの命だけはっ!」
殿下は口元を引き攣らせたまま、刺激物の名残を感じさせる青い瞳で私を凝視している。
私のそばで、執事が紅茶のポットを取り落とし、陶器の砕ける音が応接間に虚しく響いた。
え、なにこの地獄の空気。
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