注射器
注射器が落ちている。
ここは・・・どこだろう・・・・・。
気がつけばぼくは白い部屋にいた。
思い出せ・・・ぼくが今まで何をしていたかを。
そうだ。ぼくは科学者だったっけ。
幼い頃から成績優秀だと、よく先生にほめられていた。
特に、理科が好きだった。
だから、科学者になったのだ。
そういえば、妻がいたんだっけ。
ぼくと同じ科学者で、研究熱心な妻。ぼくと彼女は、口を開けばいつも
仕事の話をしていたんだ。
・・・そういえば、最近妻は、仕事が煮詰まっているといっていた。
大丈夫だろうか。
ああ、そうだ。ぼくの仕事も煮詰まっていたんだっけ。
はやく、ここからでて研究しなければ。
はやく、はやく、多くの人たちがぼくを待っているんだった。
ああ、でもなんか、体がだるいな。風邪でもひいたのだろうか。
えーと、たしか今、大変な世の中なんだっけ。
非常に猛威を振るう新種のウィルスが人に感染してしまって。
それでぼくらは急に忙しくなったんだ。
なんてったって、そのウィルスは人には感染力が強いけど、ほかの動物には
まるでダメなんだ。
実験にモルモットが使えないから、ウィルスの抗薬を試したりできないんだ。
あ・・・・。
・・・・・そうか。そうだった。
全部思い出した所で、白い部屋のドアがあいた。
厳重装備をした妻が、「ごめんなさい」と呟いた。
手には注射器。
ぼくは「いいよ」といいながら腕をさしだした。
腕には既に、小さな赤い点がある。
「気にしないでよね。これでやっと、実験が出来るようになるんだから。」
ぼくはどうやら、骨の髄まで科学者のようだった。