第9話 裁かなかった者と、裁けなかった者
王宮の回廊は、夜になると静まり返る。
儀礼も、視線もない時間。
ディアナが歩いていると、
向こうから一人の青年が現れた。
王子アルグレイト。
護衛はいない。
王子としての装いも、最低限だった。
互いに、足を止める。
気まずさはない。
だが、近づく理由もない。
先に口を開いたのは、王子だった。
「……無事で、よかった」
それは、
断罪の宣言でも、
糾弾でもない。
ただの、
個人的な言葉だった。
「はい」
ディアナも、
それ以上は言わない。
沈黙。
二人は知っている。
本来なら、この再会は
“断罪イベントの最終盤”で起きるはずだった。
王子が立ち、
彼女が跪き、
正義が語られる。
だが、
その舞台は消えた。
「……君を、裁くはずだった」
王子の言葉は、
過去形だった。
「そうですね」
否定もしない。
王子は、拳を握る。
「裁く覚悟は、
あったと思っていた」
「だが――」
言葉が途切れる。
ディアナは、
静かに続けた。
「実際に向き合ってみて、
違った」
王子は、
苦く笑った。
「……そうだ」
彼は、
自分が“裁けなかった”ことを、
誰よりも理解している。
「君が荒行に入ったと聞いたとき」
「私は、安堵してしまった」
ディアナは、
驚かなかった。
「断罪をしなくて済む理由が、
できたからだ」
王子の声は、
弱かった。
「王子として、
最低だと思う」
ディアナは、
少し考えてから言う。
「いいえ」
その否定は、
優しさではない。
「それは、
人としての反応です」
王子は、
顔を上げる。
「……君は、私を許すのか」
その問いは、
最も彼が恐れていたものだった。
許し。
それは、
断罪と同じくらい、
重い。
ディアナは、
首を横に振る。
「わたくしは、
殿下を許す立場にいません」
王子の表情が、
わずかに歪む。
拒絶かと思った瞬間、
彼女は続けた。
「殿下は、
わたくしの物語の登場人物ではありません」
「同じ世界を生きている、
一人の人です」
王子は、
息を呑む。
それは、
裁きでも、
赦しでもない。
役割の解体だった。
「……では、私は」
王子は、
自分の肩書きを探すように呟く。
「何者でいればいい」
ディアナは、
即答しない。
「わたくしも、
同じ問いを持っています」
二人は、
並んで窓の外を見る。
王都の灯り。
裁きのない街。
「殿下」
ディアナが言う。
「わたくしは、
あなたに期待しません」
その言葉に、
王子は驚く。
「期待されない王子など、
前例がない」
「だからです」
静かな声。
「期待は、
人を役割に閉じ込めます」
王子は、
長く息を吐いた。
「……楽だな、それは」
初めて、
心からの笑みだった。
「君と話すと、
王子であることを
少し忘れられる」
「それは、
良いことですか」
「少なくとも」
「正義を演じるよりは」
二人は、
それ以上言葉を交わさなかった。
だが、
この再会で一つだけ、
確かなことがあった。
断罪が消えた世界で、
彼らは初めて――
互いを“裁く役”から解放したのだ。
別れ際、
王子は言った。
「……君が戻ってきてくれて、
よかった」
それは、
国のためではない。
物語のためでもない。
ただ、
同じ重さを知る者が、
ここにいるという事実への言葉だった。
ディアナは、
小さく頷いた。
裁かなかった者と、
裁けなかった者。
その再会は、
何も解決しない。
だが――
これ以上、誰も裁かない未来への
確かな一歩だった。




