第13話 ディアナの選択 ――彼女が初めて語る
王子が語ってしまった夜から、三日が過ぎていた。
民は沈黙をやめ、王は沈黙を続け、城は言葉の残骸で満ちていた。
誰もが待っていた。
次は、ディアナが何を語るのかを。
だが彼女は、語らなかった。
祈堂の裏、石畳の中庭で、彼女はいつものように箒を持ち、井戸水で床を洗っていた。
かつて“断罪されるはずだった女”の姿は、どこにもない。
あるのは、淡々とした呼吸と、擦り切れた手袋だけだった。
集まっていた民の一人が、堪えきれずに叫んだ。
「救世主なんだろう!
断罪を壊した女なんだろう!
なら、言ってくれ!
これから、どうすればいい!」
ざわめきが膨らむ。
期待と恐怖が、同じ色で揺れた。
ディアナは、箒を止めた。
顔を上げるまでに、少しだけ時間がかかった。
そして――
初めて、彼女は“自分の意志で”口を開いた。
「……救世主ではありません」
その一言で、空気が裂けた。
「私は、裁きを壊しに来たわけでもない」
「正義を教えに来たわけでもない」
「王に代わる制度を、持ってきたわけでもない」
民衆の中に、怒りが走る。
裏切りだ、という声が上がりかけた、その瞬間。
ディアナは続けた。
「私は――裁かれる役を、降りただけです」
言葉は静かだった。
だが、それは剣より鋭かった。
「断罪は、誰かが悪であると決める儀式でした」
「私は、その“役”を期待され、押し付けられ、
それに従うことを拒んだだけです」
「裁きが無いと、不安ですか?」
民の誰も答えられない。
「正しさを示してほしいですか?」
「罰を見せてほしいですか?」
「誰かが血を流せば、安心できますか?」
彼女は、問いを投げた。
答えを求めるためではない。
問いを、民の手に戻すために。
「私は、語りません」
「誰を裁くべきかも、どう生きるべきかも」
少しだけ、声が揺れた。
「だって、それを語る瞬間、
私はまた“裁く側”になってしまうから」
沈黙が落ちた。
それは、王の沈黙とは違った。
逃げではなく、放棄でもなく――委ねる沈黙だった。
ディアナは、最後にこう言った。
「裁きの無い日常は、楽ではありません」
「正解が無いから」
「守ってくれる儀式も、免罪符も無いから」
「それでも――」
彼女は、箒を持ち直した。
「それを生きるかどうかを、
選ぶのは、あなたたちです」
彼女は去らなかった。
逃げもしなかった。
ただ、そこに在り続けた。
民衆は気づく。
救世主を待つ物語は、もう終わっている。
これは――自分たちが語らねばならない世界なのだと。
そして、誰もが知った。
この瞬間、断罪は完全に死んだ。
誰かに殺されたのではない。
引き継がれなかったことで、終わったのだ。




