第10話 救世主にならなかった罪
最初は、失望だった。
「……何もしてくれない」
「答えを持っていない?」
ディアナが戻ってから数日。
人々は、彼女を遠巻きに見ながら、
同じ言葉を繰り返していた。
救世主であってほしかった。
断罪の代わりに、
「正しい答え」を与えてほしかった。
だが彼女は、
何も示さない。
裁かない。
赦さない。
導かない。
「じゃあ、何のために戻ってきたんだ?」
その疑問が、
少しずつ形を変える。
「逃げただけじゃないのか?」
「荒行? ただの自己満足だろ」
「結局、責任は誰も取ってない」
言葉が、鋭くなる。
断罪があった頃、
人々は怒りを
“決められた対象”に投げつけられた。
今は違う。
投げ先を、自分で決めなければならない。
それは、
人々にとって想像以上に苦しい。
市場で、小さな事件が起きる。
露店の主人が、
客に殴られた。
理由は単純だ。
「お前は、あの女を擁護した」
擁護?
ただ「静かに見守ろう」と言っただけだ。
だが、
それで十分だった。
「何も裁かれない世界では」
「態度を取らないことが、罪になる」
誰かがそう呟き、
周囲が頷く。
断罪は消えた。
だが、断罪欲は残っている。
その矛先は、
やがて一つに定まっていく。
「全部、あの女のせいだ」
最初に言ったのは、
誰だったか分からない。
だがその言葉は、
あまりにも都合がよかった。
・断罪が消えた
・正義が曖昧になった
・不安が続いている
それらを、
一人に押し付けられる。
「救世主になるべきだった」
「答えを持つべきだった」
「何もしないなら、
戻ってくるな」
期待が、
そのまま呪詛へ変わる。
夜。
王宮の裏門に、
石が投げられた。
次は、罵声。
「出てこい!」
「責任を取れ!」
誰も「殺せ」とは言わない。
だが、
言わなくても分かる。
これは、
新しい断罪の準備だ。
王子は、
窓の内側からその光景を見ていた。
かつてなら、
彼は壇上に立ち、
この怒りを“儀式”に変えただろう。
だが今は、
それができない。
王も、
命令を出さない。
兵は、
守るが、裁かない。
その曖昧さが、
民衆をさらに苛立たせる。
「ほら見ろ!」
「やっぱり、守られてる!」
「特別扱いだ!」
敵意は、
理屈を必要としない。
ディアナは、
その夜も部屋を出なかった。
恐れているのではない。
覚悟しているのでもない。
ただ、
知っているのだ。
救世主にならなかった者は、
いずれ――
敵になる。
断罪が消えた世界では、
人々は新しい断罪を作る。
制度ではなく、
感情で。
「……来るべきものが、
来ただけですね」
小さな独白。
彼女は、
自分が再び
“悪役”の位置に置かれつつあることを、
静かに受け止めていた。
だが今回は、
違う。
彼女は、
裁かれるために
そこに立たされているのではない。
人々が、自分たちの不安を
誰かに押し付けるために
選ばれただけだ。
そしてそれを、
王も、王子も、
止める言葉を持たない。
なぜなら、
止めるためには――
再び「裁き」を
持ち出さなければならないから。
期待が完全に敵意へ変わったとき、
この国は初めて知る。
断罪を失った世界で、
最も危険なのは――
救世主を求める心そのものだということを。




