8.部屋
「アラアラ、お待ちしておりましたワワワ!」
「ご用意はすっかり整っておりますのヨヨヨ」
「けれど随分時間がかかりましたのネネネ?」
全く同じ角度で首を傾げた三人は、憮然とした顔で球体に収められたままのモモを見ると、得心したようにぴったりタイミングを合わせて頷いた。
いたたまれなくて目を逸らすと、ふわ、と鱗が剥がれるように上から結界が薄らいでいき、漸く自分の足で立つことを許される。横にいる男をじろりと睨み上げてみても、どこ吹く風といった様子なのが憎らしい。
周囲を見てみれば、美しい絵画や品のいい花瓶が飾られた通路に、精緻な装飾の施されたダークグリーンの扉が並んでいる。その扉の前で待ってくれていたらしい三人は、恭しい仕草でぴったり同じ高さで頭を下げた。
みっつのふわふわの赤い頭とキツネの耳が、まるで花束のように並ぶ。
「さァさ、どうぞお入りくださいませ! こちらがモモ様のお部屋にございますワワワ」
「わ、わたしの……?」
想定では使用人部屋の一画か、悪ければ厩や倉庫の隅も覚悟していたというのに、まさか一室与えられるというのだろうか。戸惑うモモを尻目に、カゲはモモを追い越すとさっさとドアノブに手を掛け、がちゃりと開け放ってしまった。
目線だけでこちらを振り返ると、その表情に呆れの色が浮かぶ。
「……オイ、何してンだ、入れ」
「え、ええ……」
ご主人ったらせっかちだワワワ、悪い癖ヨヨヨ、根っからアアなのよネネネ、という三人衆のひそひそ声を背に、モモは促されるままそろりと部屋へ足を踏み入れた。
──結論から言えば、一室与えられるどころの騒ぎではなかった。少し見回すだけでも、その広さと豪華さに目眩がして、何かの間違いなんじゃないかと思う。
王城のものにも全く引けをとらない大きな天蓋付きのベッドに、その傍に配置された、引き出しのひとつひとつに丁寧に美しい絵画が描かれたチェスト。
大きく装飾的な暖炉は煌々とした灯りを放ち、その前に配置された艶やかな布質のソファを暖かな色に染めている。
扉に花が描かれた白いクローゼットは見上げる程に大きく、中央の丸机には繊細なレースの敷物の上、瑞々しい生花が飾られていて、上品な香りを漂わせていた。
何よりも──部屋の印象が、なんというか、可愛らしい。城館の外観は真っ黒で、内装はそこまでではないにしろ落ち着いていて上品だったのに比べ、この部屋は桃色や白色で統一されていて、よく見ればベッドにはフリルのついたクッションや、大きくてふわふわなぬいぐるみがいくつも添えてあった。
「……気に入らねェなら言え。どうせ急拵えだ、オマエの好きなように変えればいい」
モモの反応をじっと見つめてから、何でもないようにそう言ってのけたカゲに、口をぽかんと開けることしかできないでいたモモは弾かれたように顔を上げた。
「な、何言ってるのよ! 気に入らないも何も、こんな豪華な部屋……本当にわたしに使わせるつもりなの? わたし一人に? ま、間違えて、貴方の……奥さんの、部屋とかに案内していない?」
「、……」
アラ、と三人衆が口元を抑えて、カゲがその黒曜石の瞳をすっと細める。その視線に射抜かれて、モモはどきりと身体を硬くした。失言に気がついても、一度放った言葉は取り返せない。驚いて口を滑らせただけで、まさか本当に間違えたと思っているわけではないのに。
怒らせてしまった、と胸元で震える手を握り込んだモモに、けれどカゲはそっと目を逸らすと、いやに静かな声で呟いた。
「──間違えてねェよ。残念なことにな」
想像と異なる返答にモモが目を瞬かせると、ちなみにご主人はまだ未婚でございますワワワ、と背後から注釈が入って、モモは度肝を抜かれた。
見目も整っているし、こんな大きいお屋敷に住んでいてとても地位の高い役職のようだから、群れと同じように支える伴侶がいるものだとすっかり思い込んでいたのだ。
そうだったの、独身なのね、と何故だかそわそわする心のうちで呟いてから、無遠慮な話題を出してしまった気まずさを誤魔化すように視線を巡らせていれば、ふと入り口とは違う場所、部屋の西側に面した扉があることに気がついた。
「あ、あの……そこの扉はどこに通じているの?」
モモの指し示す方向に目をやって、ああ、と応えたカゲは事もなげに言い放った。
「そっちはオレの寝室だ」
「………えっ」
カチン、と固まったモモに、カゲはンだよ、と言いながら怪訝そうに眉を顰める。三人衆にも驚いた様子はなかったけれど、当然そうなのねと流せるわけがなかった。
ぼん、と遅れて顔が真っ赤に染まり、わなわなとその唇が震えだす。
「な、なななななっ……──なんで貴方が隣なのよーーっっ!!? し、しかも部屋同士が通じてるなんて……っ信じられない、ふしだらだわ、わたし三人と同じところで寝る!! ダメなら倉庫か厩でもいいわ」
「あ"ァ?」
耳の先まで染めたままぶんぶんと首を横に振るモモに、三人衆はぱちぱちと目を瞬いてから、顔を見合わせると微笑ましそうな表情でクスクスと笑う。まるでませた子供でも見るかのような反応に、モモは尚更ムキになった。
「と、とにかく……! いくら部屋が可愛くて素敵だからって、わたしはぜったい貴方の隣なんて……っ」
「……オマエ、何で自分がオレに引き取られたのか忘れたのかよ」
え、と戸惑いに声を途切らせたモモを見下ろして、カゲの鱗に包まれた長く大きい尾が苛立ったようにばしばしと床を叩く。
どうしてこの男に引き取られたのか、なんてそんなの───
『……見た目がどうだろうが話が通じようが、ンな面倒な存在野放しにする訳にはいかねェんだよ』
「あ……」
微かに目を見開いたモモに、カゲは腕を組んで淡々と続けた。
「俺はオマエの目付け役でもある、何があってもすぐ対処できる場所にいねェと意味ねェだろ」
「っそ、それは……、そうかもしれない、けど」
でも、と飲み下しきれず視線を彷徨わせるモモに、カゲはぱしん、と一際強く床を尾で打つと目を細めた。
「……オレだって暇じゃねェんだ。妙な心配しなくても、緊急事態以外は立ち入らねェよ。オマエが叫んで暴れまわるってンなら話は別だがな」
「なっ、するわけないでしょ! わたしは怪獣じゃないのよ!」
「じゃあ問題ねェな」
あ、と口を押さえたモモを他所に、これ以上話すつもりがないらしいカゲはワヨネ、と三人衆を振り返り声をかけた。ですから略すのはおヤメくださいと! とぶつくさ文句を言いながらも、歩み寄ってきた三人がたじろぐモモを囲んで微笑み掛ける。
「さァさ、もう今日はお疲れでしょうから、お休みの準備を致しましょう。すぐにお食事もお運びいたしますワワワ」
「お身体をお拭き致しましょう。お召し物と、包帯もお取り換えいたしますわヨヨヨ」
「モモ様が眠れるまで、寝物語を聞かせて差し上げますわネネネ」
「えっ、いやあの、わたし自分で……っ」
「……オレは隣にいる。何かあったら呼べ」
流されるまま三人にもみくちゃにされるモモを尻目に、カゲはそう言うと背を向けてしまった。あ、ともふもふのキツネの尻尾とメイド服の隙間から小さな手を伸ばしたものの、気付かれることなく黒いローブの影が去っていく。
「ま、待……っ!」
「アラヤダーッモモ様ったら本当にお肌がお綺麗ですのね! 髪も指通りが良くって……将来が楽しみだワワワ!」
「アアッ、何てイタイタしい傷……グスン、もうこんな苦しい思いはしなくていいんですのヨヨヨ!」
「さァさ、気になる御本はございますかしら? 何でもネネネが読み聞かせて差し上げますからネネネ!」
「……────!!」
自分でやるから、という悲痛な声は届くことなく、有無を言わさない手際で世話を焼かれ暫く。
──それではおやすみなさいませ、と何度も名残惜しげに振り返りながら部屋を去っていった三人を見送って、漸く一人になることを許されたモモはぐったりとベッドに腰掛けていた。
ベッドサイドの仄かな灯りに照らされて、とても肌触りがいいひらひらした白色のネグリジェの裾が広がり、解かれた桃色の髪がふわりと揺れる。三人の手腕は確かなもので、肌も髪も見違えるように艶を取り戻したけれど、モモの表情はどんよりとしたものだった。
「ひ、酷い目にあったわ……」
母が亡くなってから、ずっと自分のことは自分でしてきたモモにとって、人に世話を焼かれるというのは酷く気疲れすることだった。
色々ありすぎて食欲がないから水だけでいい、寝物語も大丈夫だからどうかひとりにしてほしい、と伝えて納得してもらうまでもとても大変で、半ば強引に送り出した時の三人のしょんぼりした顔とへたれた耳を思い出すと少しばかり胸が痛む。
──せっかくの厚意に、悪いことをしてしまったかしら。せめて、もっとちゃんとお礼を伝えるべきだったわ。
けれどこの屋敷の人たちにとって、モモは突然やってきた厄介者のはずだ。群れでそう扱われたように、最低限の寝床だけ与えて放っておいたっていいはずなのに、どうしてあんなに親切なのだろう。
この広い部屋だって、監視が必要だからあのひとの隣室というところまでは理解できても、こんなに豪華に内装を誂える必要はないはずなのに──理由の分からない親切や厚意には、どうしても警戒してしまう。
「……この屋敷の主人はあのひとなんだから、きっとあのひとの指示、ってことなのよね……? でも意地悪だし口は悪いし……本当に、何を考えているのか全然分からないわ」
呟いてから、そういえば隣にいるんだった、と慌てて口を押さえて隣室に続く扉をそろりと見る。けれど返ってきたのは本当に向こうに人がいるのか疑ってしまうほどの静寂で、モモは大きく息を吐くとぼふりと勢いよくベッドに倒れ込んだ。
そのまま底まで沈み込んでしまいそうなほど柔らかくて大きい布団に、ぽつんと埋まった小さな身体がきゅうと丸まる。
あまりに目まぐるしい一日にそれどころではなかったけれど、ひとりになると途端に心細さが湧き上がってきて、じわりと滲んだ視界にモモはぴぃと小さく鳴き声を上げた。
──全く知らない世界に、知らない人達。わたし、これから本当にここでやっていけるのかしら。
そう思った時、母が亡くなって独り途方に暮れていた時の記憶が蘇ってきて、モモはぶんぶんと首を横に振るとぎゅうと強く目を瞑った。
余計なことを考えるくらいなら、早く眠ってしまったほうがいい。そう思っても、疲れ切っているはずなのに一向に眠気がやってこなくて、モモは八つ当たりのように手近なクッションをぎゅうと抱きしめた。
慣れない場所だということを差し引いても、広い部屋、広いベッドに一人というのはどうしても落ち着かない。コトリ族は本来、狭く暗いところで身を隠しながら休息を取るのだ。
かといって、眠気が勝るまで何かしていようにも、物音で隣室のカゲに気が付かれては困る。
脳内でいくらヒツジ族を数えても訪れない眠気に途方に暮れ、どうしよう、と身体を起こしきょろきょろと室内を見回したところで──ふと、白くて大きいクローゼットが目に留まった。
いやいや、と慌てて首を振って、けれどどうしても視線が吸い寄せられる。……モモが寝床にしていた木のうろよりずっと大きいけれど、それでも中は狭く暗く、きっと快適に違いない。
「……べ、別に、荒らしたり汚したりするわけじゃないもの……す、少しくらい、いいわよね……?」
自分に対して必死にそう言い訳をしてから、モモは意味もなくきょろきょろと周囲を見回し、それからそろりとベッドから降りたのだった。




