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6.檻の中へ

「──帰りてェのか」


「え……」


「聞かなくたって粗方想像がつく。こき使われて傷付けられて、挙句売っぱらわれるような、クソみてェな世界だったんだろ」


 ぐちゃぐちゃに煮凝ったような、得体の知れない色を宿した視線が、包帯が巻かれた羽と、それからあかぎれだらけのひび割れた指をなぞって、モモは指先を握り込むと戸惑いに瞳を揺らした。


「未練があンのか。……ここに喚ばれた時、親を呼んでいたな」


 静かな声に、モモはか、と顔が赤くなるのを感じた。いくら特殊な状況で恐慌に陥っていたとはいえ、この歳で泣いて母親を呼ぶなんて恥ずかしくて仕方ない。思わず噛みついた声には、けれどあまり覇気がなかった。


「う、うるさいわね、貴方の気のせいじゃないの……! 両親はもう随分前に亡くなったのよ、今更縋ったりしないんだから」


「……、随分前?」


「そ、そうよ。……その、それからは、群れだけがわたしの寄る辺だったけど……」


 一瞬怪訝な表情を浮かべたカゲに気が付かず、話のとっかかりを見つけたモモはそのまま簡潔に自分の身の上を語った。

 自分の世界では種族間の争いが絶えなかったこと、身を守るための共同体を追い出されない為に必死になって働いていたこと。

 けれど結局は置いていかれ、果ては敵対するトカゲ族によってモモのいた群れは滅ぼされてしまったこと。そうしてあわやというところで、この世界に召喚されたこと──


 一通り語り終えてから、モモはそろりと目の前の男の顔色を伺った。別に同情を買うつもりで話したわけではなかったけれど、分かりやすく痛ましげな表情を浮かべるアルやにゃあと眉を下げるネココに対して、この男の瞳に浮かぶ澱のような感情はそんな単純なものではないように思えた。

 間近で見上げると、その肌に浮かぶ鱗と長く大きい尾に、違う種族だと説明されてもやはりどうしても身構えてしまう。


「……その、貴方は本当に、わたしの知るトカゲ族じゃないのよね? い、一応言っておくけど、コトリ族は食べたっておいしくなんかないんだから……」


「あァ? ……はっ、誰が食うかよ、オマエみたいな食い出のないチビ」


「な、なんですって!? 何よ、レディに向かってチビって……っ」


「あーこらこら喧嘩するんじゃない、酒の醸成教育に悪いだろう! ──お嬢さん、つまり身寄りはないし、帰ったとして生きていけるあてもないってことでいいんだな?」


 アルに尋ねられて、モモは目を瞬くと逡巡し、それから躊躇いがちに頷いた。


「……そうよ。わたしの帰りを待つひとはいないし、わたしも……帰りたいとは思わないわ。群れを失って、独りで生きていけるような場所じゃなかったもの」


 その言葉に瞳をきらりと輝かせ、それなら、と切り出そうとしたアルを遮って、モモは勢い込んで顔を上げた。


「っねぇ、こんなにわたしの世界に似た種族がたくさんいるなら、わたしの種族に近い存在もいるんじゃないの?」


「ん? ああ〜……まあ南方に、小鳥族というそっくりな種族が……いることにはいるが……」


「! それなら……その種族の群れに入れてもらえないかしら」


 勿論そこでも一生懸命に働くから、と必死で言い募るモモに、けれどアルの浮かべた表情は渋いものだった。どうしてだか黙ったままのカゲの方をちらちらと見やり、取り繕った笑みを浮かべる。


「……あー、その、見た目がまったく同じだからって馴染めるとも限らないし、そう結論を急ぐことは──」


「……まったく同じ? もしかしてこの世界のコトリ族では、桃色の翼は珍しくないの?」


 しまった、というような顔を浮かべたアルの向かいで、ネココがのんびりと尻尾をくねらせた。


「むか〜し一回見かけたことがあるけど、桃色どころか随分カラフルだったにゃ〜」


「ほ、本当……?」


 珍しい翼の色のせいでずっと蔑まれてきたモモにとって、それは信じられないほどに大きな希望だった。馴染めるか分からないとアルは言うけれど、見た目が同じということがどれほどに大切か、モモは誰よりも知っている。

 もう陰でひそひそと何か言われたり、普通よりずっと多い仕事を押し付けられることもなくなるかもしれない。母が可愛いと心から言ってくれた桃色の翼を、嫌いにならなくて済むかもしれないのだ。


 群れに一人の仲間として受け入れられて、普通の暮らしを送る。それはかつてモモにとって、どれほどに憧れても手の届かないものだった。──何よりも、もしかしたら。

 この世界に来たばかりで考えることではないかもしれないけれど、それは母の遺志でもあり、モモにとって生きる希望と言えるほどに重要なことだった。


「っわたし、その群れに入りたい──そうしたら……もしかしたら」


 元の世界では叶わなかったけれど、今度こそかつて思い描いたように、母が望んだように。


「……想い合える素敵な相手を探して、自分の家族を──……」


 口にした自覚もないほど小さな、けれど確かに本心から零れ落ちた呟き。それが途切れたのは、ガシャン、という荒々しい大きな音が部屋に響き渡ったからだった。

 驚きにぴ、と悲鳴を上げて目を見開けば、視界の端で紫紺の尻尾をまるまると膨らませたネココと、両手で拳を作って顎の下に当てているアルが、身を寄せ合ってネコ型の結界らしきものの中で縮こまっている。


 その理由はすぐに分かった──二人が体重を預けていた重厚なテーブルが見るも無惨に砕け散り、がらがらと残骸となって床に崩れ落ちていたからだ。

 そしてそれを行なったのが誰なのかは、ぶぉんと重い音を立てて揺れる灰色の鱗に包まれた凶悪な尾が明白に表していた。


 黒曜石のような瞳が、逆光の中で煮滾る激情を宿してぎらぎらと光りこちらを見下ろしている。そのあまりの視線の熱に燃やし尽くされてしまいそうで、モモは訳も分からずに身体を強張らせた。

 静まり返った部屋に落とされたその声は淡々としていて、けれど昂る感情を無理に押さえ込んだようなそれが却って恐ろしい。


「──あァ……チビでもオマエは確かに小鳥族らしいな、すぐに連中に馴染めるだろうよ。だがそれは、奴らの群れに入れたらの話だ」


「な……なに、どういう……」


「ハッ……異世界から召喚された得体の知れない異分子を、そう易々と遠方の種族に預けられるわけねェだろうが。見た目がどうだろうが話が通じようが、ンな面倒な存在野放しにする訳にはいかねェんだよ」


 嘲るように細められた黒曜石の瞳に、モモの瞳が見開かれる。そんな、と呟いた声は酷く滲み、抑えられない涙が視界を歪ませた。

 無知なモモが分不相応な希望を抱いたから、この男はこれほどに激昂したというのだろうか。


 ──なによ、じゃあこんな問答に最初から意味なんてなかったんじゃない。勝手に召喚して、妙に優しくしたり希望を見せたり、なんて残酷なの。

 ……結局わたしは独り、あの冷たくて恐ろしい世界に返されて──……



「──オマエの処遇は最初から決まっている。言っておくが元の世界でも、ましてや小鳥族の群れでもない……残念だったな、拒否権はねェぞ」


 その言葉の意味が咄嗟に理解できず、え、と呆然と呟いたモモが目を瞬く。その拍子に雫が頬を転がり落ちて、鮮明になった視界の端で、おししょーは本当に素直じゃないにゃ、とネココが呆れた表情を浮かべていた。

 どっこらしょと言いながら立ち上がったアルが、困ったような表情でがしがしと頭を掻いてからモモに向き直る。


「お前なあ……あー、本当はこんなに急いで先の話をするつもりではなかったんだが……とりあえず結論を話すとだな……」


 いやほんと酔ってても言いにくいんだけど、と気まずげに彷徨った視線が、結局はカゲの元へと着地する。ネココの視線もじとりとそちらへ向けられて、しかし場の注目を一身に受ける男は気にした様子もない。

 困惑するモモに、何を言うでもなく男は目を伏せると──長身を屈め、そのままゆっくりと膝を着いた。


「……え、」


 思わず見開かれたモモのルビーのような瞳と同じ高さで、得体の知れない感情を宿した黒曜石の瞳が、真っ直ぐに小さな身体を射抜く。……まるで、その心までも暴き立てようとするかのように。

 その瞬間に、どく、と小さな胸が音を鳴らして、何故だか鼓動が酷く逸った。


 ──脳裏に浮かぶのは、大きな鳥籠。黒く頑丈な鉄でできたそれに放り込まれて、扉の向こうにはこの男がいる。涙を零すモモを無表情に見下ろして、けれど決して目を逸らすことはしない。

 そうだ、どうして忘れていたのだろう。……それは、狩りの時に獲物を逃さないための鉄則。


「……よく聞け、モモ」


 そうして、初めてその声で名前を呼ばれた時──モモは確かに、その扉に鍵がかけられる重い音を聞いた気がした。



「──これから先、オマエの身柄、衣食住、そして生殺与奪の全て。……その一切を、オレが預かる」



 黒曜石のような瞳を、ぎらりと輝かせて。そう宣言した男は、心に刻んでおけよ、とゆるりと口角をあげたのだった。

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