3.出会い
「……、は?」
ふわ、と羽根が舞い、中空に柔らかな桃色の髪が広がる。
同色のワンピースの裾が揺れて、ひらりと宙にたなびいた。陶器のように白い肌に、薔薇色の頬と艷やかな唇。伏せられた睫毛は影が落ちるほどに長く、その可憐さと儚さをいっそう引き立てる。
弾けた魔法陣から現れた人物は、文句の付け所がないほどに整った容姿をしていて──けれどアルが間の抜けた声を上げたのは、当然そのあまりの可憐さに惚けたからではなかった。
伸び切らない肢体に、丸みを帯びた頬。決して逞しい方ではないアルですら、容易に片手で抱えられるだろう小さな身体。
つまりはどこからどう見ても──……
「おいおい冗談だろ、子供……?」
「……」
「しかもあの翼……小鳥族じゃないか!? カゲ、お前のツガイは異世界にいるって話だったはずだろう? めちゃくちゃうちの世界の種族じゃないか」
まさか我、めっちゃ格好つけたのに失敗しちゃった? 魔法陣にうっかりエールぶち撒けたせい? と動揺に意味なく王冠を着けたり外したりしていたアルは、ふわふわと宙に浮かんだままの少女の背からぽたりと赤い雫が滴ったのを見て、王冠を打ち捨てると息を呑んだ。
「……いや、流石に酔いも醒めるな、この子怪我をしているじゃないか。すぐに手当を……」
「──触るな」
宙に浮かぶ少女を受け止めようと伸ばされたアルの手が、ぴたりと止まる。それはその唸るような声に込められた激情と澱のような執着を、そして今にも喉元に喰らいつかれそうな殺意を感じ取ったからだ。
まさか、と振り向いた視線とすれ違うように、カツカツと歩み出たカゲはローブを脱いで両腕に掛けると、それを掲げるようにして持ち上げ、酷く恭しい仕草で少女の小さな肢体を受け止めた。
形を保ったままに落ちる花のように、黒い影に抱き留められた桃色が、そのまま腕の檻の中に丁寧に閉じ込められる。
前髪に隠れて男の表情を窺い知ることは叶わず、けれどぽつりと一滴だけ、雫が落ちて消えていった。
「──く……かっ、た」
掠れ、震える声で落とされた言葉は、アルの耳に届くことはなく。けれど、長い付き合いの中で一度も見たことがないほどに丁寧な仕草と、震えるその指先を見ただけで自ずと答えは知れた。
青い瞳が見開かれ、問いかける声には自然と驚愕の色が滲む。
「……カゲ……まさか──本当に、その子がお前の、ツガイなのか……?」
嘘だろ、それに小鳥族といえば──と続いた言葉は、んん、という声と共にカゲの腕の中で少女が身を捩ったことで遮られた。
「!」
息を呑んだ男二人の視線を一身に浴びながら、長い睫毛に彩られた瞼が震え──そうして、ゆっくりと持ち上げられる。
最高級の紅玉にも負けないほどに美しい赤い瞳が覗き、焦点の合わないぼんやりとしたそれがふらりと彷徨って──自分を抱え上げる男、ひいては、その肌に浮かぶ鱗と大きく長い尾が視界に入って。
……瞬時に脳裏に浮かんだのは、次々と墜ちていく同族達に、己へと伸ばされる汚らしい手、それから。
『へへ……チビ、おまえは生捕りだ、暴れるなよ。傷が少ない方が高く売れるんでなあ……』
ぴ、と引き攣った悲鳴を上げて固まったモモを、抱え上げている男が窺うように上から覗き込む。
その黒曜石のような瞳にどろりと焦げ付くような色を見つけて、それがあの汚らしいトカゲ族のものと重なって。
途端恐慌に陥ったモモは、ぶわりと涙を零すと強く男の胸を押した。男の目が見開かれて、その視線すら恐ろしく、ピィーーー!! と甲高い威嚇音を上げると力の限りに暴れて身を捩る。
「ッッい、いゃ、いやぁあーーーっっ!!! はな、はなしてっ!!!」
「ッ、おい、」
「いや、いやなの、売られるなんていや……ッッ!! わ、わたしはまだ……!! いやぁっ、やだ、」
おかあさん、という涙混じりの叫び声に動揺したように、微かに男の腕の力が緩む。その隙に転げ落ちるようにして腕から飛び出したモモは、無意識に広げた翼から走った激痛に呻き声を上げた。
「う"ぅっ……」
勢いを殺す事が出来ずにべしゃりと床に落ちて、翼の傷から散った鮮血が礼拝堂の白い床を汚す。カゲが目の色を変えて、真っ青になったアルが動揺を隠せないまま膝をついた。
「お、おいお嬢さん、落ち着け! 怖いことは何も……」
「いやぁっ! ち、近付かないで!! 噛むわよ……ッ!! い、痛いんだからね、食い千切ってやるんだから!!!」
後退りしたモモの身体が並べられた椅子にぶつかって、落ちた酒瓶ががしゃんと音を立てて割れた。完全にパニックに陥ったモモはそれに気が付くことなく、飛び散った破片にずりずりと小さな身体が近付いていく。
それに気が付いたアルが慌てて声を上げるよりも、舌打ちしたカゲが動く方が早かった。ヒュ、と長い尾が目にも留まらぬ速さで動き、それがするりとモモの小さな身体に巻き付いて引き寄せる。
「きゃっ……!?」
ひんやりと冷たい鱗に包まれたそれは、決して背の傷に触れないよう、痛みを与えないように細心の注意が払われていたけれど、当然モモはそんなことは知る由もない。必死になって尾に小さな爪を立ててみても、硬い鱗はびくともしなかった。
ぼろぼろと涙が零れる赤い瞳で、ぎっと身体の自由を奪った黒を纏うトカゲの男を睨みつける。
何を考えているのか分からない硬い表情を浮かべているくせに、その黒曜石の瞳だけは相変わらず得体の知れない熱を孕んでいて、今のモモにはそれが酷く恐ろしく感じられた。
「嫌っ、はなして……っ!! さもないと、」
「──噛めよ」
「……え、」
何を言われたのか理解できず目を見開いたモモに、男は淡々と言葉を続けた。まるで、この世の摂理を説くような声色で。
「指でも鼻でも耳でも、噛むなり食い千切るなり、オマエの好きにしたらいい。……何をされようと、何があろうと──この世でオレだけは、オマエを絶対に傷付けない」
焦げつきそうな熱を宿した美しい瞳が、真っ直ぐにモモの瞳を射抜く。その視線に、声に。どく、と恐怖とは違う何かに小さな胸が高鳴って、モモは勢いをなくした戸惑いきった声を上げた。
「な……なに、何を……そんな、」
モモの動揺に構うことなく、男は視線を隣に流してアル、と呼びかける。はいはい、と困ったような声と共に金髪の男が立ち上がった。
「……お嬢さん、ちょっと失礼」
近付いてきた金髪の男の指先が額の前にかざされ、青い目が伏せられると、不思議と聞き入ってしまう声で歌うようにその口から呪文が紡がれる。
「金色の翅の御元にて、夜露の祝福を賜らん──……」
複雑な紋章が刻まれた幾つもの指輪が、ふわりと淡く青い光を放つ。温かなそれに目を奪われているうちに、ふと視界がくらりと揺らぎ、そのまま手を引かれるようにして、モモの意識はゆっくりと暗闇へと沈んでいった。
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