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2.迫害

『モモ。あなたもいつかお母さんみたいに、きっと素敵な相手を見つけるのよ。大丈夫、モモならきっとすぐだわ──だって私のモモは、こんなに、世界でいっちばん可愛いんだもの!』



「……おかあさん……」


 ぴぃ、と泣くような自分の声に目が覚めて、しぱしぱと目を瞬く。少しだけ穴のあいた大きな葉っぱの布団を押し除けて、枯葉や小さな木の枝でできた寝床からモモはもぞりと這い出した。

 陽の光に目を細めながら顔を出せば、眼下で大きなどんぐりを抱えたリスが素早く横切っていって、随分豪華なごはんを見つけたのねと少し羨ましくなる。


 この間コトリ族の群れがこの森へ移動して、次々と仲間たちが居心地のいい寝床を定めていく間に、なんとか確保した小さな木のうろ。低い位置は外敵に狙われやすくて危ないけれど、他にないのだから仕方がない。

 木のうろから出て、小さな体と羽をうんと伸ばして。それから水たまりを探して覗き込むと、ふわふわと好き勝手に広がる桃色の髪をくるりと丸めた。耳のうしろあたりにふたつ、ちいさな手には余る毛量を根気良くまとめていく。頭の上でくるんと飛び跳ねた髪は、どうにも頑固なのでモモはもう諦めていた。


 薔薇色に染まる柔らかな頬に、陶器のように滑らかな肌。大きなルビー色の瞳は本当の宝石のよう。うん、わたしったら今日も可愛いじゃない、と自画自賛して、それから背中の小さな桃色の羽にそっと目を伏せた。


「──モ、おいモモーーー!! なにやってんだい、早く川の方へ来な! こないだの雨で洗濯物が溜まってんだ、今日は大仕事だよ!!」


「っあ……、い、今行くわーー!!」


 老婆のがなり声に慌てて叫ぶように返事をして踵を返せば、水たまりの泥がばちゃりと跳ねた。



 コトリ族の群れの大量の洗濯物を、泡の実を使って片端から小さな手で一生懸命に洗っていく。川の水はとても冷たく、もう随分前から手の感覚はなかった。いつか母に綺麗な手ね、と褒めてもらったそれは、あかぎれだらけでぼろぼろで、時折滲んだ血が水の中に溶けていく。

 それでも、働かざる者食うべからず。群れに貢献できないものはそのうち共同生活から追い出され、危険な天敵がたくさんいる森の外へ放り出されてしまうのだ。そうならないために、モモは朝から晩まで必死になって働いていた。


 洗濯物が終わって、少しの木の実と果物の種を口にしたら、群れの雄たちが獲ってきた食材の下ごしらえに加わる。

 森の中、調理をしている開けた場所から少し離れた岩の上に腰掛け、横にかごを置いて一心不乱に果物の皮を剥いていると、食材を置きに来たらしい群れの雄二人が遠くからこちらを見てひそひそと何か話し始めた。声は潜められてはいたけれど、生憎モモは耳がいい。


「あいつなぁ……まだ成鳥になれないんだろ? 流行り病で亡くなった母親は凄く綺麗な白い翼だったのに、あの妙な色はどこから来たのかね……」


「本当かは知らねえが、父親に遠い国の血が混ざってたとかなんとか……でもあの毛色じゃ相手は見つからねえだろ。桃色の羽なんて見たことないし、正直気味が悪いよ」


「間違いないね」


 けらけらと笑って去っていく二人の雄の背には、立派な白い翼。それを遠目にぼんやりと眺めてから、ふと唇を噛み締めて、モモは手の中の果物をぎゅうと握りしめた。


「……見る目のないやつらだわ、わたしは世界一可愛いんだから……」


 ぽつりと呟いてみるも、その声は自分でも分かるほどに覇気がない。成鳥と比べたらとても小さな桃色の羽を、隠すようにそっと縮こまらせた。


 狩りの事故で亡くなってしまったらしい父の記憶は、ほとんどモモにはない。それでも、母が折りに触れて愛おしそうに語ってくれた断片を集めるうちに、何となく人となりが心の中で形作られて慕わしく想うようになった。

 だから、どれほどこの特異な桃色の羽のせいで苦労しようと、父を恨めしく思ったりはしない。


 ──でも、思わず零れ落ちた掠れた声もまた、どうしようもない本心だった。


「……もし、お母さんみたいにきれいな白い翼だったら……わたしも相手が見つかって、今頃成鳥になれていたのかしら」


 本当は群れのためにたくさん子供を産まないといけないのに、もうこの歳で成鳥になれていないのはわたしだけなのに。陰で噂されるのも、馬鹿にしたような視線だって気になんかしていないけれど、それでも。


 ──モモ。あなたもいつかお母さんみたいに、きっと素敵な相手を見つけるのよ──


 身一つでモモを育ててくれた、優しくて大好きな母。特異な色の羽を持って産まれたモモを、心の底から愛してくれた。世界一可愛いと、素敵な人と出会えると信じてくれた母の想いを裏切りたくない。

 両親のように心から想い合える人を見つけて、そうして母の言ったことは本当だったんだって、あの人の娘にはそれだけの価値があるんだって、証明したいのに。


 じわ、と涙が滲みそうになって、モモは必死に頭を振った。泣き虫ね、と頭を撫でてくれる柔らかい手はもうないのだから、こんなことでぴいぴい情けなく泣くわけにはいかない。

 そうだ、白くて綺麗な羽なんてなくても、モモをありのまま愛してくれる人だって、きっとどこかにいるはずだ。


 コトリ族は時々、他の群れと合流して情報や物資の交換をする。その時に、他の群れに加わることを選ぶ者も稀にいた。次の移動はまだ先だけれど、この群れではもう相手は見つかりそうにないし、検討してみてもいいかもしれない。

 生まれた時からいて見知っているこの群れとは違い、特異な色の羽をしたモモを受け入れてくれるかは分からないけれど、このままここに居てもきっとモモの願いは叶わないだろう。

 母の記憶の残るこの群れには未練があるけれど、それでも。


 そう決意して果物を握り直したところで──


 ピィーーーーーーーーーーッッ!!!


「……ッ!?」


 甲高い警笛の音に、モモは思わず果物を取り落とした。ざわ、と広場に緊張が走り、騒めきはそう経たないうちに怒号と悲鳴に変わっていく。

 誰かが一際大きな声で叫んだ言葉を皮切りに、肌がぴりぴりするような恐怖を伴って非日常が襲いかかってきた。


「ッ逃げろ、トカゲだ!! トカゲ族が来たぞーーーー!!!!」


 トカゲ族。その言葉だけでぞわりと背筋が粟立って、モモは指先を震わせた。コトリ族の天敵であり、その狡猾さと残忍さを知らぬ者などいない──彼らに捕まったが最後、いったいどんな目に遭うのかも。


 荷物も拠点も捨てていけ、早く逃げろと叫ぶ声の中、同族が次々と大きな翼を広げて飛び立っていく。逃げなければ、とモモも転がるようにして立ち上がった。モモの小さな翼では、ひとりで長時間安定して飛ぶことはできない。誰かの足なり腕なりに掴まって、補助してもらう必要がある。


 群れは個を顧みたりしない。このままだと置いていかれてしまうと焦燥に駆られ周囲を見回して、同族の雄の後ろ姿に目を留めた。体格もいいし、モモ一人くらいどうってことないはずだ。


「ッねぇそこの貴方、お願い、どこかに掴まらせて! わたしは小柄で軽いわ、邪魔にはならないから」


「ああ?」


 振り返ったその顔を見上げて、モモは息を呑んだ。後ろ姿では分からなかったけれど、モモの羽を気味が悪いと言って笑っていた雄だ。言葉に詰まったモモを見下ろすなり、雄は鬱陶しそうに追い縋った小さな手を振り払った。


「他を当たってくれ、お前みたいな色のやつ連れて飛んでたら目立っちまう! 道連れはごめんだね」


 そんな、と震える声を置き去りにして、雄は見せつけるようにして白く大きな翼を広げると、はばたき一つで高く飛び上がってしまった。風圧に思わず腕で顔を庇って、それでも耐え切れず後ろに転んでしまったモモに構わずぐんぐんとその高度を上げていく。


「痛っ……」


 慌てて立ち上がれば、羽の根元に鋭い痛みが走り、モモは絶望的な気持ちになった。転んだ先にあった石で切ってしまったのだ。少し動かすだけでも痛む有様で、これでは補助があっても飛べるか分からない。

 身体が震え、必死に堪えていた涙がじわりと滲む。──母が慈しみ、繋いでくれた命を、こんなところで終わらせるわけにはいかないのに。


「ッだ、誰か、おねがい、わたしも……!」


 痛みに掠れた声は恐怖と混乱の中で顧みられることなく、眩しいほどに白い翼が次々と空に飛び立っていく。慌てて駆け寄り腕を伸ばして、けれど同族の腕の中、大切に抱えられた子供を見て言葉が途切れてしまった。


 皆、自分と、それから家族が一番大切で。──……モモは独りぼっちだから、誰にも必要とされていないから、助けてもらえない。


 そう気がついてしまったら、声が喉につかえて、どうしても出てきてくれなくて。


 舞い上がる羽根の隙間で、白い翼の群れが青空を背景にどんどん小さくなっていく。調理途中の食材や散乱し踏み荒らされた荷物の中で、独り置いていかれたモモは呆然と立ち竦んだ。

 成鳥にもなれないまま、群れからひとり逸れてしまった──それが何を示すのか、どれほどの絶望なのかは、きっと同族にしか分からない。

 ぼろぼろと堪えきれずに溢れた熱い涙が頬を伝って、ぴぃと惨めにモモはしゃくりあげた。


 ──好きで桃色の羽に生まれたわけじゃない。父を恨んだりはしないけれど、それでも叶うなら、本当は皆と同じがよかった。

 そうしたら今頃は成鳥の姿で、自分もあの群れの中にいられたはずなのに──と、滲んだ視界で空を見上げて。


「……え、」


 ルビーの色の瞳が、大きく見開かれる。見間違いかと目を瞬いて、けれど滲んだ視界が鮮明になっても、その現実とは思えない光景は変わらなかった。


 先に羽ばたいて逃げていったはずの同族が──塗りたくったような青空を背景に、ひとり、またひとりと何かに射抜かれたように次々と墜ちていく。異常に気がついて旋回しようとした者も、より高度を上げようとしたものも、例外なく。

 微かに届いた悲鳴と共に、モモをあしらったあの同族の雄らしき姿が垂直に落下していくのを見て、モモは震える手で口元を押さえた。


 一体、何が。よろけるように近くの岩に縋って、その裏にふらふらと座り込む。隠れているとすら言えない有様だけれど、もう震える手足は言うことを聞いてくれない。

 仕組みは分からない。けれど、誰の仕業かは明白だった。逃げていくだけの相手にあれほどに残虐非道なことができるのなんて──……


「──おお? ハハッ、まだこんなところに残ってる間抜けがいたとはなあ!! しかも色違いときたもんだ、こいつは運がいい」


「ぴっ……」


 がさ、と近くで音がして肩を跳ね上げた時にはもう、そのでっぷりと太った男はモモのすぐ傍に立っていた。

 黄ばんだ汚らしい目がぎょろりと動いてこちらを見下ろし、二股に分かれた舌がすえた臭いを放つ口からしゅるりと出入りする。見える限りの肌に点在する茶色の鱗、何よりも上機嫌に揺れる大きな尾が、絶望をより鮮明なものにしていた。


「……い、いや……っ」


 震える声を漏らして後ずさろうとして、岩に背を阻まれる。怪我を負った羽がずきりと痛んで、モモのルビーのような瞳からぼろぼろと涙が零れた。

 その小さな姿に何倍も大きな男の影がかかって、逆光の中でギラついた目だけが悪夢みたいに鮮明に映る。


「へへ……チビ、おまえは生捕りだ、暴れるなよ。傷が少ない方が高く売れるんでなあ……。お仲間がどうなったのか見たか? あれは崇高なトカゲ族サマが編み出した最新兵器なんだよ。おまえらの軽いおつむじゃ仕組みなんざ聞いても理解できないだろうがなあ」


 同じように実験台になりたくなきゃ大人しくしてなあ、という下卑た声と共に、鱗ともじゃもじゃした体毛に包まれ脂にまみれた腕が伸ばされる。とても現実とは思えない絶望と恐怖に、モモは身体を固くしたまま呆然とそれを見つめていた。


 ──このままどこか遠く、おかしな趣味の人に売り飛ばされて。一生鳥籠の中、青空を見ることすら叶わずに終わってしまうなんて。


 怖い。怖い、そんなの嫌。奇異の目で見られても、悪意をぶつけられても、母が愛してくれた記憶だけを抱きしめて、誰より自分で自分を肯定して、今日まで必死に生きてきたのに。

 まだ両親のように、想い合える素敵な相手も見つけられていないのに──結局誰に選ばれることもなく、成鳥になる夢すらも叶わないままだなんて。


 無遠慮に伸ばされた汚らしい手が肌を掠めて、ぞわりと背筋が粟立つ。どこか現実味のなかった恐怖と嫌悪感が濁流のように押し寄せてきて、恐慌に陥ったモモは背後の岩肌に取り縋った。

 ぎゅうと目を瞑って、ぼろぼろと大粒の涙を零しながら喉が張り裂けそうな叫び声を上げる。


「っっいやーーーーーーーッッ!!!!!」


 ──ボンッ、と。


 まるでその声に応えるかのように、何かが破裂するような音と衝撃がその場に広がり、ぶわ、と強い風が巻き起こる。

 その隙間を縫うように、ぎゃああ、という男の苦痛の声が届いて、それもどこか膜を一枚隔てたかのように遠くて。


 次いで襲ってきたのは、瞼を下ろしていても分かる程の閃光と、宙に投げ出されたかのような浮遊感。

 訳も分からず、きつく身体を縮こめて──


 ……そうして、目を開いた時には。


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