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1.召喚

 カツカツカツ、と廊下を横切っていく苛立たしげな足音に、王城の使用人たちがぎょっとしたように振り向いて──それから青褪めた表情で即座に目を逸らす。メイド達の頭にある三角の耳はぺたりと伏せられ、侍従の尻尾は震えながら足の間へ巻き込まれた。

 暖かな陽気に包まれていたはずの王城の空気は、途端冬の女神の息吹が吹き込んだように凍り付いたけれど、それを呼び込んだ張本人は気にする様子もない。


 靡くローブに刻まれたトカゲを模る紋章は男の高貴な身分を示しているはずで、けれど申し訳程度に肩に引っ掛かっているだけで今にも落ちてしまいそうだった。

 その肌にいくつか浮かんでいるのと同じ、灰色の鱗に包まれた長く太い尾が苛立たしげにぶおんと揺れ、威嚇するかのように二股に分かれた舌がしゅるりと出入りする。


「あンの……酒カス……」


 唸る声は地獄から這い出てきたかのように低く、あちこちからヒィと悲鳴が上がった。

 無造作に短く切り揃えられた髪からその瞳、靴の先に至るまで黒を身に纏ったその男は、顔立ちこそ端正なもののいかんせん人相が悪く、そこらで何人か食べてきたところだと言われても違和感がない。


 恐れをなした人々が避けたことで自然とできた道を躊躇いのない足取りで過ぎれば、やがて大広間を抜けた先に荘厳な白い扉が見えてくる。

 精緻な装飾の施されたその扉の前に立つ青い隊服の騎士を男がぎろりと睨みつければ、鋭い視線で射竦められた憐れな騎士は栗色の癖毛と揃いの耳をピンと立てた。

 ボンと尻尾の毛が逆立ち、まるい緑色の瞳が限界まで見開かれる。


「は……!? こ、公爵閣下!? 何故ここに……陛下から視察を命じられているはずでは……っ」


「あァそうだな、オレが張った結界の端が臭うだのなんだの宣って、『お前が風呂に入ってないせいに違いない、責任取って見てこい』とかいうフザケた理由でな。オレが肥溜めにでも飛び込んだら革命が起こせるわけだ? 誰が行くかアホ」


「ア、アル陛下……!! あの酔っ払いなんて雑な嘘を……!!」


 男は青ざめた表情で頭を抱える騎士を冷ややかな目で見やり、それから苛立たしげに床を尾で打った。重い音と共にぴしりとヒビが入ったが気にする様子もない。


「悪いがオマエと話してる時間はない。そこを退けヌイヌ」


「そ、それは……っええっと、その、陛下は精霊族の王として、こちらの礼拝堂で現在重要な祭祀にあたっておられます。何人たりとも立ち入らせるなと厳命されておりますので……」


「へぇ? アイツ、先週大地の女神像につまみ盛り付けて酒盛りして、向こう一年礼拝堂出禁になってたよな。今年の耕作量が減るかもしれないと爺さん方が深刻な顔で話してたぞ」


「ああもうあの飲んだくれ……ッ!!」


 頭を掻き毟るヌイヌと呼ばれた騎士を睥睨して、男は地獄から這い出てきたような声で恫喝した。


「もう一度言う、今すぐそこを退け。……言っておくがこれは忠告じゃない、命令だ。これ以上煩わせるのなら身の保証はしない」


 ごくり、とヌイヌの喉が鳴る。その言葉がはったりでないことは、男の身分が何よりも克明に表していた。

 魔物から王都を守る結界を一手に引き受け、有事には掃討の統括も担う傑物。血筋ではなくその功績から、最年少で王族にも肩を並べるほどの権力と名誉ある称号を与えられた──通称、『墻壁の公爵』。


 その口から鋭い牙が覗き、しゅる、と二股に分かれた舌が出入りするのを見たときには、無意識にヌイヌはふらりと身体を退けていた。そうしなければ命が危ういと、本能が訴えかけていたのだ。


 それに目をやるでもなく、間髪容れずに男は硬い鱗に包まれた尾を振りかぶると、目にも留まらぬ速さで重厚な扉へと振り下ろす。

 ぶおん、という空気を切り裂く音の後、咄嗟に身をかがめ頭を庇ったヌイヌのすぐ横で、どかん、というくらくらする程の衝撃音と共にがらがらと煙の中で破片が崩れ落ちていった。

 キャイン、という憐れな悲鳴を置き去りに、ローブを靡かせた男は煙を尾で掻き分け、躊躇いなく扉の向こうへと押し入っていく。


 短い通路を抜けた先、重厚な白い壁と半球状の天井に囲われた礼拝堂は、爆音や闖入者など気にした様子もなく荘厳な空気に包まれ、祭壇奥の四体の女神像は変わらず穏やかな表情を浮かべていた。……否、大地の女神像だけ眉が吊り上がっている気がしなくもない。

 建国神話が刻まれた色とりどりのステンドグラスから降り注ぐ光を受けて、祭壇の前に立つ男の後ろで束ねられた金髪と、羽を模した王冠がきらきらと反射する。


 王家の紋章が刺繍された紫のマントを翻して男が振り返り、闖入者を視界に入れると、その宝石のような青い瞳がふと悪戯げに細められた。


「──おっと、思ったより早かったな、カゲ。やはりヌイヌでは番犬には不足だったか」


「ふざけんな……アル、テメェ……何考えてやがる」


「それはもちろん、我が親愛なる友、カゲのことだとも──あとはさっき、何故か飲んだらなくなってしまったエールのことかな……切なくてたまらない、これは恋かもしれない」


 見惚れるほどに美しい笑みを浮かべたアルと呼ばれた男が、顔色ひとつ変えずにひっく、と喉を引き攣らせる。戯言に付き合うことなく、カゲは素早く室内に目を走らせた。信者のような体で椅子に置かれた空の酒瓶はいつものことなので構うことはしない。

 アルの身体をぐいと押しのければ、ああん、と気色の悪い声が上がったがそれも無視して背後の祭壇に目を落とす。──王家の紋様を中心に複雑に編み上げられた魔法陣が、淡く青い光を放って幾重にも重なり、くるくると回転していた。


「クソ……ッ」


 ギリ、と奥歯を噛み締め尾を振りかぶりかけたが、これは既に発動している。例え礼拝堂を、この広大な王城を破壊し尽くしたとしても止まることはないだろう。

 これは精霊族、ひいては王家の血筋に伝わる古代の召喚魔術──それも本の中にだけ登場するような数多の伝説の素材と、幾らかの寿命を捧げて初めて組み上げられる強力なものだ。


「オイ、アル、話は後だ。これを止めろ、オレは何一つ了承してねェだろうが」


「まあ、そういうこともあるよな」


 にっこりと笑みを浮かべ、腕の中の酒瓶に甘い声で話しかけるアルの頬を躊躇いなく尾で引っ叩けば、吹っ飛んだ酒瓶が空の女神像の顔にぶつかって派手に割れる。像の眉が吊り上がった気がしなくもないが、生憎この場に信心などというものは存在しなかった。

 いやん、と気色の悪い声をあげる王の胸ぐらを掴みあげて睨みつけるが、常人であれば泡を吹いて倒れかねないその眼光も、凪いだ青い瞳で受け止められるだけだ。


「オマエいい加減に……ッ」


「──憎まれたとしても、全て我のせいにしたらいい。お前がいつまでも父親の呪いに縛られ、怯え躊躇い、その責務……そして命までもを捨てようというのなら、友として黙っているわけにはいかない」


 それは我のせいでもあるからな、と目を伏せる姿と悔恨の滲んだ声に、カゲは微かに目を見開いた。胸ぐらを掴んでいた腕から迷うように力が抜け、尾がだらりと垂れる。

 拳を白むほどに強く握っても、唇を噛み締めても、胸のうちに響くのは振り払えない憎悪の声。


『オレには分かる。オマエはオレと同じだ──いつか、同じ結末を辿るだろう』



「……オレは……」


 言いかけた言葉は、祭壇の上の魔法陣がキュルキュルと高い音を立てて回転を速め、礼拝堂の白い壁が青く染まるほどの光を放ち始めたことで遮られた。

 はっとカゲが弾かれたように顔を上げれば、ぶわりと強い風と共に陣が大きく広がり、礼拝堂の中空に複雑な紋様が刻まれていく。その陣の中心に強い光が集まり、繭のような、卵のような楕円を形作り始めていた。


「ほら、見ていろ。……今に現れるぞ──お前のツガイが」


 その声と共に、ぱん、と丸い形の光が弾ける。あまりの眩しさに目を瞑って、強い風に腕で顔を庇って。


 ──そうして、目を開いた時には。

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