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12.デート?

 ぱた、とおそるおそる桃色の小さな羽を動かしてみてから、モモは明るい声を上げた。


「うん、もう痛くないわ……!」


 まだ大きく動かしてはいけないと言われているから飛ぶことはできないけれど、包帯は取れたし、普通にしている分には痛みもなくなった。本当にこちらの世界の薬はよく効くらしい。


 ──あの日、この世界とカゲのことを知りたいと強く思った日から、モモは本をひたすら読み漁る生活を送っていた。

 療養の間退屈しないよう、部屋には他にも玩具やカード、ボードゲームや手工芸品など沢山の娯楽が用意されていたし、本の虫になってしまったモモを心配してか三人衆はしきりにそちらを勧めてくれた。


 けれどモモの意思が固いと分かってからはとうとう諦めたようで、そのうち沢山本を選んでは書斎から持ってきてくれるようになった。

 相変わらず妙に字が大きくて内容が易しいけれど、歴史や文化に関する本、色鮮やかな図鑑はモモの心を躍らせて、散歩の時間以外ほとんど朝から晩までかじりついているうち、気が付けば随分怪我も癒えてきて今に至る。


 本で見ただけだとしても、この世界の成り立ちや地理、文化や歴史などに対して随分理解が深まったような気がして、モモは少しだけこの世界でやっていく自信がついた。成果は上々だ。

 けれど、もう一つの「カゲのことについてもっと知る」という目標に関しては、正直全く捗っているとは言えなかった。


 折悪く最近は忙しいのか、カゲは王城に足を向けることが増えて顔を合わせる時間が減ったし、食事の時間に少し話でも、と思っても向こうが水すら口にしないとなるとそれも難しい。

 まさか隣の寝室に突撃するわけにもいかず、たまたま顔を合わせても体調と怪我の具合と、それから不自由がないかの確認ばかりで、あれからまともに話をする機会もないままに今日まで来てしまった。モモは相変わらず、カゲが何を考えているのかなんてさっぱりだ。


 これは時間をかけるしかないのかしら、と肩を落としたのは記憶に新しい。けれど今日こそは一歩進展が望めるはず、とモモは朝から張り切っていた。それはもう、三人衆が起こしに来る前に目が覚めて、自分で身支度を全て整えてしまうほどには。

 今日、忙しくしていた業務に少し余裕ができたのか、カゲは一日屋敷にいるらしいと昨夜三人衆が教えてくれた。まずは少し話がしたいわと声をかけて、よく効く薬のおかげで随分良くなったのよと、今度こそちゃんとお礼を伝えて、それから。


「……わたしはこれから、このお屋敷で何をしたらいいのかちゃんと聞かないと……」


 モモはこの屋敷に来てから、ずっと自分の立ち位置をはかりかねていた。厄介な監視対象という扱いを覚悟して来てみれば、使用人達はいくら固辞してもモモのことを様付けで呼ぶし、豪華な部屋を丸々与えられ、食事に本に娯楽に世話にと至れり尽くせり。

 まるで賓客のような厚遇に、そんな扱いをされる覚えが全くないモモは、日々何もしていない罪悪感と疑念を募らせていた。


 ──もしかして、怪我人だから見送っていただけで、わたしに何かしてほしいことがあるんじゃないかしら。全く想像がつかないけれど、それが難しかったり苦しいことだから先にご機嫌をとっている、とか……?


 働かざるもの食うべからず、上手い話には裏がある。モモの心に刻み込まれているその教訓に従うのなら、これが一番現実味があった。してほしいことがあったとして、それは何なのだろうと色々なことを予想してみるけれど、結局聞いてみなければ分からない。


 どんな裏があったとしても、モモはこの世界に喚ばれたことで命を救われ、親切にしてもらったことを感謝していた。返せるものがあるのなら、少しくらい辛くて苦しいことだってきっと耐えてみせる。

 それに──そうやってはっきりと役割が与えられるのなら、ずっと胸に巣食っている、追い出される恐怖も和らぐかもしれない。


 ──そうしてそれなりの覚悟を決めていったモモに対して、カゲの返答は予想外かつ、にべも無いものだった。



「別に、好きに過ごしたらいい」





「〜〜〜っっ……信じられない! もう、貴方達のご主人様ってほんとうに何を考えているの!?」


 頬を上気させ、ぷりぷりと怒りを露にするモモに、ほとんど眠たげに落ちた瞼に隠れた深緑の穏やかな瞳がゆっくりと向けられる。

 帽子を目深に被り、擦り切れた作業着を身に纏ったその老爺は、驚くべきことにざんばらに切られた髪や、重ねた年月相応の皺が刻まれた肌まで、のっぺりと塗りつぶしたような深い緑色をしていた。

 作業着の下から出た同色の長い尾がくるりと丸まって、器用に鋏を操っている。ぱちり、と矯められた枝が、水を含んで柔らかくなった土の上へと落ちた。


 メレオ爺と呼ばれるこの庭師は、周囲の景色と同化する特性のある種族らしい。初めて薔薇園で会った時は全身が真っ赤で悲鳴を上げてしまったけれど、今ではすっかり慣れてしまった。

 ある程度怪我が治ってから庭園の散歩の許可が下りて、そこで紹介されたこの口数が少なくて穏やかな庭師は今ではすっかりいい話し相手だ。


 そうは言っても、ほとんどはモモが一方的に話してメレオ爺は時折相槌を打つだけだったけれど、その静けさがモモには心地よかった。


「もう怪我もほとんど良くなったのよ。……ようやく、わたしにも役割が与えられると思ったのに……」


 零れた声は、想像よりもずっと弱々しく響いた。メレオ爺がそっと渡してくれた小さな白い花を受け取ると、その甘い香りに少しだけささくれだった心が癒される。


「……ありがとうメレオ爺、いい香りね」


 微かに笑みを浮かべて、けれどそれも数分後には重いため息に変わってしまう。好きに過ごせと言われても、モモにはどうしたらいいか分からない。異世界人として血を取られたり研究対象にされたりした方がまだ気楽だったかもしれない。

 鬱々とするモモにメレオ爺が気遣わしげな視線を向けて、それがまた申し訳なくて、モモはもう屋敷に戻ろうと木製のベンチから立ち上がった。話して心が軽くなるのは嫌な気持ちを相手にも持たせているからで、渡しすぎるのは良くないことだとモモは知っている。


「それじゃあメレオ爺、また──」


 別れの挨拶をしようとしたところで、その声は耳に飛び込んできた。


「あ〜〜! モモっぴ、こんなところにいたにゃ? 探しちゃったにゃー」


「え……ね、ネココ?」


 紫紺の耳と尾に、満月のような色の瞳は見間違えようがない。タン、と地面を足で蹴って、紫のローブを翻して高く宙返りしてから、モモの目の前にスタンと見事着地したネココは、ひょいと立ち上がると久しぶりだにゃ〜、と相変わらずどこか気怠そうな声で片手を上げた。よく見れば、身体のあちこちに小さな葉っぱや枝が絡んでいる。

 唖然とするモモをよそに、ネココはメレオ爺も久しぶりだにゃ〜、と挨拶をしながらぴるるると身体を揺らしてそれを全部跳ね落としてしまった。


「ひ、久しぶり。急にどうしたのよ、あのひとに用事なら……」


「おししょーとはさっき話したにゃ、それでネココはキミを呼びにきたんだにゃ〜」


「……わたしを?」


 首を傾げたモモに、ネココは紫紺の尻尾をくねりと揺らした。満月の色の瞳が悪戯げに細められてキラリと光る。


「聞いたにゃモモっぴ! 連れてこられた日から、まだこのお屋敷の敷地から出たことないんだってにゃ?」


「え、そ、そうだけど……だって勝手に外に出ようとするなって、皆から口すっぱく言われてるもの」


 そんな勝手なことわたしがするわけないじゃない、まったく心外だわ、と唇を尖らせるモモに、ネココは笑みを深くすると胸を張った。


「じゃじゃーん、朗報だにゃ! なんと今日は〜……これからおししょーとネココとモモっぴの三人で、デートなんだにゃ〜」


「……えっ」


 ネココが高らかに、しかしのんびりと言い放った言葉の衝撃に、思わずモモは持っていた花を取り落とした。メレオ爺が尾で見事キャッチしてくれたことにも気が付かず、ついでにモモっぴという妙なあだ名に言及しようとしていたこともすっかり吹き飛んでしまった。


 ──ネココと……カゲと、デート?


 どういうことなの、と聞き返す前に、ネココにいつかのようにひょいと抱え上げられ、出かけた言葉は短い悲鳴に変わってしまう。メレオ爺、そのお花はモモっぴの部屋に飾ってあげてにゃ〜、と言い残すと、ネココは液体のように柔軟な動きで障害物をひょいひょい躱しながら猛スピードで駆け出した。

 手の代わりに先の丸まった尻尾を振って送り出すメレオ爺の姿がどんどんと遠ざかり、びゅんびゅんと周囲の景色が流れておちおち口も開けやしない。


 必死でネココのパーカーのついた紫のローブにしがみつき、小さな羽と身体を縮こまらせていれば、やがてキキーッという音と砂埃を立ててネココが止まった。おそるおそる顔を上げれば、目の前には真っ黒な一台の馬車。そこに刻まれた紋章は、カゲのローブに刻まれているのと同じトカゲを模したものだ。

 御者が恭しく扉を開けば、既に中にいたカゲがこちらに一瞥を寄越す。ネココに抱え上げられたモモがあまりにわけがわからないという表情を浮かべていたからか、カゲは鱗に包まれた尻尾を窮屈そうに揺らすと呆れた顔をした。


「……オイどら猫、オマエろくに説明してねェだろ」


「そんなものあとでいいにゃ〜。それよりおししょー、奢りの約束忘れないでにゃ!」


 言いながらどっこいしょとネココが乗り込み、モモはその膝の上に抱えられ。あれよあれよという間に動き始めた馬車は、遠く聳える王城の方向へと走り出したようだった。あまりの急展開に呆然としていたモモは、そこでようやっと我に帰ると慌てて声を上げた。


「ち、ちょっと、何なのよ急に!」


「ん? 言ったとおりだにゃ、楽しみにしておくといいにゃ〜」


 それだけ言うと、走ったから眠くなっちゃったにゃ、とネココはとろとろと瞼を下ろし始めた。湯たんぽ代わりにモモを引き寄せる腕に困惑しながら縋るようにカゲに目を向ければ、一連の流れを真横で見ていたカゲはため息をつく。


「……これから王都の大市に行く」


「え……お、大市って」


「祝祭を口実に行商人や周辺ギルドがこぞって参加する大規模な市だ。大抵の品は揃ってるし、楽師やら旅芸人やらもわんさか来る」


 淡々とそう言われて、モモは困惑した。この世界のことをもっと知りたいと思っていたのだから、賑やかな市場を想像すれば勿論心は躍るけれど、どうしてわざわざモモを連れていくのか分からない。戸惑うモモを横目に見やって、カゲはぽつりと呟いた。


「……ずっと屋敷の中に居て、退屈してたんだろ。これから何をしたらいいだのなんだの、妙なこと聞いてきたじゃねェか」


「、あ……」


 思わず、目を見開く。モモの不安から出た言葉を、カゲは退屈からだと勘違いしたらしい。慌てて違うわ、それは、と言いかけて、けれどカゲの憮然とした表情を見てふと口を噤んだ。……もしかして、それで外に連れ出してくれたのだろうか。

 ネココはモモが屋敷から出ていないことを気にかけてくれていたようだから、ネココに言われてのことかもしれないけれど、それでも。何だかじわじわと胸が温かくなって、モモはきゅうとちいさな手を握りしめた。


「その、退屈してたわけじゃないのよ。でも……驚いたけれど、大市、とっても楽しみだわ。ありがとう、カゲ」


 辿々しくお礼を伝えれば、カゲがふと目を細める。別に、という無愛想で小さな返答とは裏腹に、その声は酷く優しく響いた。

 窓の外に目をやれば、遠くに聳えていた王城が大きくなっていて、賑やかで色鮮やかな天幕の群れがここからでも見え始めてきている。

 ぷにゃ、というネココの寝言を聞きながら、モモは未知の品物たちと……何よりも、カゲのことをもっと知れるかもしれないという期待に、胸を弾ませていた。




 ──けれど、その期待も虚しく。


「チッ、……あの酒カス……」


 低いその呟きと、苛立ったように地面をばしばしと叩くその尾に、困惑するモモと尻尾を揺らすネココは顔を見合わせていた。


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