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10.食事

 白いテーブルクロスが掛けられた大きな長テーブルに、いくつも並べられたビロードのチェア。ガラスのシャンデリアはきらきらと繊細に輝き、バルコニーに続く大きな窓からは庭園の絶景が一望できる。

 そうして装花と彫刻が添えられた壁際の大きな鏡の中、ひとりちょこんとチェアに腰掛ける桃色の小さな人影は、見るからにかちこちに固まっていた。


「あー、主食は果物や野菜で……苦手なものはないってんで……とりあえず、こっちの世界の小鳥族に合わせた、胃に優しい食事にしましたがね……ま、食えないもんがあったらおっしゃってね」


 モモ様のお口に合えばね、何よりですけど、とぼそぼそと呟いてぺこりと頭を下げたのは、白いコックコートに身を包んだ二メートル以上は背丈がありそうな巨漢だった。

 目元は焦茶のくせ毛に隠れて伺えず、同色のあご髭で顔の輪郭も覆われている。そのくせ毛に紛れてしまいそうな、小さなクマの耳がぴこぴこと動いているのだけが、唯一感情を計り知れそうな部分だった。


「あ、ありがとう……えっと、……」


「……あぁ、あたしはマークといいます。いちおう料理長やらせていただいてますが、ま、覚えなくたって結構ですよ……お料理出すだけなんでね……」


 そう言ってのしのしと去っていくマークを、モモは半端に手を浮かせたまま見送った。実際モモは三人衆から聞いていてマークのことは把握していたので、聞きたかったのは名前ではない。

 ──目の前に並べられた、ひどく豪勢な食事について尋ねたかったのだ。


 モモの前には、いくつもの大皿が所狭しと並べられていた。色とりどりの果物や野菜を中心に、すべてが花や動物を模して美しく飾り切られ、配色にこだわり抜いて配置されている。

 好きなものを好きなだけ食べられるように、様々な種類が小分けに並べられたそれは、正直食事というよりも芸術品の域に見えた。


 星のかたちの野菜が浮いたスープのいい香りがふわりと漂って、くぅとお腹を鳴らしたモモは途方に暮れた。モモの群れの十年に一度の祭祀の時ですら、こんなごちそうにはお目にかかったことがない。


 ──この中のどれが、わたしが口をつけていいぶんなのかしら。というか、本当にわたしも食べていいものなの?


 きっとモモの群れの祭祀のように、一人ずつ順番に食べるものなのだろう。モモの群れでは長が一番最初に自分の分を食べて、それから下位に下げ渡していくものだったけれど、異世界だとまた勝手が違うのかもしれない。


 ──すごくすごくおいしそうだけれど……あんまり沢山取ったら、後から食べる人たちに欲深いと思われてしまうかもしれないわ! ただでさえマナーも何も分からないのに……!


 うんうん悩んでから、モモはようやく意を決すると震える指先を伸ばし、そっと大皿の端のちいさな果物を摘んだ。薄い実を巻いて花の形にしたそれは赤くつやつやとしていて、見るからに新鮮で思わずため息をついてしまう。


 おそるおそる口にして、咀嚼したとたんにモモは思わず頬を押さえた。香りがよくて、みずみずしくて、酸味のある甘さがたまらない。今まで食べたものの中で一番おいしい。じーん、と感動に打ち震えつつ、本当に口にしてよかったのかモモは改めて不安になった。

 怒られないか心配しつつ、それでも少しずつ少しずつ大事についばんで、名残惜しくも最後の一口を飲み下したところで、ギィと食堂の重厚な扉が開かれる。ぱっとそちらに目を向ければ、相変わらずの黒いローブを羽織った人物が後ろ手に扉を閉めるところだった。


「あ、か、カゲ……」


「……あァ」


 咄嗟にまた名前を呼んでしまって、モモは思わず口元を押さえたけれど、微かに目を見開いたカゲが応えた声が存外優しく響いてどきりとする。どうやら本当に呼び捨てを咎める気はないらしい。

 相変わらず上から下まで黒を身に纏っているのを見て、屋敷の外観といい黒が好きなのかしら、と思っていれば、モモの席から一つ挟んだチェアにカゲが無造作に腰掛けた。


「……こっちの世界の食いモンはどうだよ」


「そ、その……なかなかね! 貴方も食事に来たのよね?」


 いや、オレは、と口を開きかけたカゲが、モモの前に並べられた皿を見て微かに眉を顰める。その表情を見て、モモはぴぃと内心で悲鳴を上げた。もしかしたらモモの選んだ花型の果実は、食べてはいけないものだったのかもしれない。

 そんなの言われなきゃ分からないわよ! と内心で叫んで、モモは慌てて椅子から飛び降りるように立ち上がった。


「ま、待ってちょうだい、今退くから……」


「あァ? ンでだよ」


「な、何でって……わたし、もう食べ終わったもの」


「……」


 カゲの眉間の皺がどんどん深くなっていき、それに比例してモモは泣きそうな気持ちになった。何かを間違えたことだけは分かるのに、何を間違えたのか分からない。半泣きで固まるモモに、カゲは待ってろ、と言い付けると席を立った。

 固まったまま立ち尽くしていれば、すぐにカゲが戻ってくる。しかし何故か傍には、青ざめたマークを引き連れていた。

 クマの耳はしょんぼりとへたれ、背が丸まっているせいでさっきよりもずっと小さく感じられる。困惑するモモを見下ろして、カゲは開口一番真顔で言い放った。


「何が気に食わなかった、素材か調理か、もしくは身体に合わねェもんがあったか。全て作り直させる、とっとと言え」


「……えっ」


「……お口に合わなかったようで……すいませんね……まだ職は失いたくないんで、挽回の機会をもらえるとね、助かるんですけど……」


 しょんもりと背を丸めながら、最初よりもずっと小さな声で呟くマークに、モモは泡を食って叫んだ。


「な、何でそんな話になるのよ!? おいしいって言ったじゃないっ」


「言ってねェし、そもそもオマエ口も付けてねェだろうが」


 カゲはちら、と殆ど全ての食事が残された皿を見て微かに息を吐き、モモに視線を戻すとゆっくりと目を細めた。


「昨夜も水しか口にしなかったらしいな。……ッハ、必要なのは毒味か? まァ、確かにオマエの仇にそっくりの、得体の知れないヤツが用意させたモンなんか食えたもんじゃねェよな」


 瞳を翳らせ自嘲気味に嗤うカゲに、混乱の連続で言葉が出なかったモモは息を呑んだ。何が何だか分からないけれど、せっかくほんの少しだけ、このひとのことを知れたと思ったのに──このままじゃ、ずっとずっと遠ざかってしまう。

 咄嗟にそれは嫌だと強く思って、モモはやけになったように大皿を指差すと声を張り上げた。


「〜〜〜〜っもう、だから食べたって言ってるじゃない!! そこの、お花の形に切られた果物……!! すっごく美味しかったわよ、今まで食べた中でいっちばん!! あとは他の人のぶんなんじゃないの!?」


 ──ぜぇはあ、と息を切らせるモモとは対照的に、は、とカゲが息を漏らしたきりその場に重い沈黙が落ちる。マークがおろおろとモモと皿を見比べて、それから黙ったままのカゲに助けを求めるような視線を向けた。

 そこで漸く、カゲは事情を飲み込めたのか──頭痛を堪えるようにして、そっとこめかみを手で押さえると地の底まで届きそうなため息を吐いた。


「………………、よく聞け。そこの食いモンは全部オマエのだ、チビモモ。──ンで、オマエが食ったのは果物の皮でできた飾りだ、飾り。食う部分じゃない」


「──えっ」



 その時モモが上げた驚きの声ときたら、この世界に来てから一番大きなものだったかもしれない。


 分かったら全部食え、と凄まれても頷けるはずもなく、顔を赤くしたり青くしたりしながらぶんぶんと首を横に振るモモに、カゲの眉間の皺も深まっていく。

 けれどただの監視対象で厄介者のモモが、こんなご馳走をもらう訳にはいかない。こんな待遇に慣れてしまったら──いつか追い出された時、きっととても辛くなってしまう。

 最初から持たないよりも、持っているものを奪われる方がずっと苦しいことをモモは知っていた。


 ……更に言えばもうひとつ、モモには絶対に頷くわけにはいかない理由があった。 


 オロオロと狼狽えるマークが見守る中言い合いが続き、とうとう苛立ったように床を叩いていたカゲの尾がチェアを破壊しそうになったところで、不毛な押し問答に漸く終止符が打たれる。


「〜〜〜っもう、本当に木の実とか果物の種が少しあれば十分なのよ!! コトリ族の雌は食べすぎると、ものによっては……っか、身体に、すっごく良くないの!! 大変なことになるんだからねーー!!」


 このやけになったような叫び声に、カゲは驚くほどあっさりと引き下がった。そうして次からモモが望んだ通りの食事にする約束を取り付け、胸を撫で下ろしたのも束の間。

 まるで尋問のように執拗に現在の体調を確認され、モモはすぐに軽率な発言を後悔することになる。


 ──別に、嘘をついたわけではなかった。コトリ族の雌、特に幼鳥は野菜くずや木の実、果物の種なんかを少し食べるだけでも問題なく生きていける。

 ……問題なく生きていけるのに、おいしいものを沢山食べたらどうなるか。そう、大変なことになってしまう。


 つまりはコトリ族の雌……モモは、とても、とっても──太りやすいのだった。

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