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9.泥棒?

 ──ガタ、ガサ、バタン、と、どこかで酷く乱暴な物音がする。壁一枚隔てたように遠いその音に引き上げられるように、モモの意識はゆっくりと覚醒した。

 横になったままぱちぱちと目を瞬いて、それでも暗い視界に、モモは漸く昨日のことを思い出す。夢じゃなかったのね、と嘆息してから、小さな手でこしこしと瞼を擦った。


 随分ぐっすりと眠っていたようで、気分はすっきりしているけれど、そうなると今度は物音の正体が気になって仕方がない。

 あの三人が起こしに来てくれたのかしら、と考えて、けれどそれにしては随分乱暴な物音だった。ガシャン、と何かが落ちるような音を聞いて、びくりと体を縮こめる。


 ──ま、まさか、……泥棒……!?


 異世界生活二日目にして、そんな最悪なことがあるだろうか。青ざめながら両手で口を押さえ、必死に耳を澄ませていれば、部屋を荒らしている人物の鋭い舌打ちが聞こえてきてモモは息を詰めた。

 これが本当に不審者なんだとしたら、親切にしてくれたあの三人は、……カゲは、今どうなって──



「──モモ……ッッ!!!」


「、え……」


 恐ろしい想像に今にも泣きそうになったところで、聞き覚えのある声で名前を呼ばれ、モモは思わず声を漏らしてしまった。けれどその声の主に確信が持てなかったのは、その声があまりに恐慌と焦燥に塗れたものだったからだ。

 けれど向こうの方は、モモが微かに漏らした声を拾ったらしい。一瞬だけ音が止まり、それから迷わずこちらへと足音が向かってくる。しまった、どうしよう、と意味もなく居住まいを正して、けれど不思議とさっきほどの恐怖は覚えなかった。


 ガチャ、と躊躇いなく扉が開かれ、桃色の羽根がふわりと舞う。そうして陽の光を背に現れたのはモモが想像していた通りの人物で、けれどその表情は見慣れないものだった。

 短い黒髪は乱れ、ずっと涼しげだった灰色の鱗の浮かぶ肌には幾筋も汗が伝っている。何よりも、その昏く翳った瞳が──まるで、帰る場所を失った子供のように、酷く揺れていて。


 それに目を奪われて二の句が告げないでいれば、モモの姿を視認して上から下まで素早く確かめていたカゲが、深く深く息を吐いた。そのまま片手でぐしゃりと黒髪を乱すと、ずるずると座り込む。

 大きな尾がばしりと床を叩いて、絞り出された声はまるで呻くようだった。


「何で……ンなとこに隠れてやがる」


「……か、隠れてたわけじゃないわ。いつも木のうろで寝ていたから、広いベッドが落ち着かなかったのよ……」


「……なら声かけろ、アホ」


 誰がアホですって、とモモが怒り出さなかったのは、疲れ切った様子のカゲと、それこそ本当に強盗に入られでもしたかのように荒れ果てた部屋の様子を目にしたからだった。

 布団は一枚残らず剥ぎ取られて散乱し、家具もあちこちひっくり返されている。ガシャン、という音は花瓶が落ちた音だったらしく、床は酷い有様になっていた。


「……わ、わたしを探していたの?」


「……」


 クローゼットから這い出しながらモモがおそるおそる尋ねると、カゲは答えることなく目を逸らした。けれど、モモの名前を呼ぶ焦燥に駆られた声は、今も耳の奥に焼き付いている。……今まで、あんな風に名前を呼ばれたことなんてなかった。

 何故だかざわざわする胸のうちに、モモははっと我に返ると慌てて首を横に振った。この男は監視対象が逃げたと思って焦っただけに違いない。


「その、わたし、ここを追い出されたら行くあてなんてないのよ。こんな風に必死に探さなくても、逃げたりしないわ」


「……ッは、どうだかな」


 そう言って自嘲的な笑みを浮かべると、カゲはそのまま億劫そうに立ち上がった。そうしてその指先が無造作に宙へと翳されたと思えば、キン、という音が響き、割れた花瓶や散乱した家具が次々と見覚えのある結界に覆われていく。

 驚いて目を瞬いていれば、使用人を呼ぶから動くな、とだけ呟いて、カゲはそのまま背を向けてしまった。そうして足早に部屋を出て行こうとする背中と、ぶおんと揺れる大きな尻尾を見て──どうしてだか焦燥に駆られたモモは、咄嗟に声を上げた。


「あ、っか、カゲ……っ」


「、────」


 ……さま、と辿々しく敬称を後付ければ、足を止めたカゲが弾かれたように振り返る。その黒曜石の瞳が見開かれているのを見て、そういえばこのひとの名前を呼んだのは初めてだったわ、とモモは気がついた。何だか気まずくて、視線が彷徨い落ちていく。


「あの……ごめんなさい、次は声をかけるわ」


 小さな声は、けれど二人しかいない部屋ではよく響いた。監視対象が逃げたと思ったから焦ったのだとしても、……あの時、モモを見つけて無事を確認した時、確かにその瞳に大きな安堵が浮かんでいた。

 もしかしたら、ほんの少し、小指の先くらいは──モモ自身のことを心配してくれたのかもしれないと、馬鹿なことを考えてしまうほどには。


 落ちた沈黙に、モモは床を見つめながらちいさな手を握りしめた。聞こえてない筈はないけれど、まさかもう部屋を出て行ってしまっただろうか。

 そろりと顔を上げようとしたところで、ぼそりと、耳が良くなければ聞き逃してしまいそうなほどに小さな声が聞こえた。


「……様はいらねェ」


「……え、」


 ぱっと顔を上げた時には、カゲはもう部屋から出ていくところだった。揺れる大きな尾が閉じられていく扉の隙間から見えて、ぽかんと口を開けたままそれを見送る。

 ぱたん、と扉が閉じられて静寂が訪れ、けれどどうしてだか胸がそわそわとして落ち着かない。ちいさな両手を胸元で握りしめて、モモは先程の声を思い返していた。


 ……意地悪だし口は悪いし、何を考えているのか全然分からないけれど、でも。


「……悪い人じゃ、ないのかしら……」


 ぽつりと呟いてから、はっと我に返ったモモは慌ててぶんぶんと首を横に振った。ひとりぼっちで異世界に来て心細いから、少しの厚意も大袈裟に受け取っているに違いない。


 ──そうよ、わたしはそう簡単に心を許したりしないんだから!


 ぐっと拳を握りしめたところで、ふと床でキラリと何かが反射したことに気が付いて、モモは目を瞬いた。よく見れば、黒っぽい破片のような何かがぽつぽつと落ちている。もしかしてあの高そうな家具の部品だろうかと、モモは慌てて近付きしゃがみ込んだ。


「……え、これ、」


 指先でつまみあげた小さなそれが、陽の光を反射してきらりと光る。灰色で艶やかなそれは、酷く見覚えのあるものだった。


「あのひとの、鱗……?」


 それも一つではなく、よく見ればあちこちに転がっている。モモの翼も生え変わるけれど、それでも少しの間だけでこんなに羽根が落ちたりはしない。


 ──異世界の種族のことはよく分からないけれど、こういうものなのかしら。


 鱗単体で見れば宝石のようでなかなか綺麗だけれど、毎回こうだと掃除も大変そうだ。処分はどうしているのだろう、と何気なく考えたところで、部屋の扉がすごい音を立てて開かれた。

 モモがぴっと悲鳴を上げて振り向けば、泣きながら赤髪の三人が雪崩のように押し入ってくる。


「モモ様ァ〜〜〜!! いらっしゃって本当によかったですワワワ〜〜〜!!!」


「お世話に参りましたらお部屋にいらっしゃらなくて、アテクシ達は生きた心地がしませんでしたのヨヨヨ〜〜〜ッッ!!」


「お伝えした時のご主人の激昂ときたら……この程度の被害で済んだのはキセキなんですからネネネ〜〜〜ッッッ!!」


 三人に囲まれおいおいと泣かれ、必死に謝罪し宥めればまた昨夜のように有無を言わさず世話を焼かれ。


 ──そうしてやっと解放された時には、ぐったりとしたモモの頭から鱗のことはすっかり抜け落ちていたのだった。


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