おまけ話「土曜日」
スマホの着信を見て、春真は思い切り苦い顔になってしまう。
相手は母親。不快な話に違いない。
実家を出て暮らし始めると。
この裏切りモン!とばかりに、探りを入れる連絡が増えてウンザリ。
パーテーションの向こう側では義武叔父が書類を広げているし。
余計な会話を聞かせたく無くて、春真はスマホを持って廊下へ出る。
と、ドアを開けた目の前に育児休職中の直子が立っていた。
その腕にはピンク色のおくるみ。
春真の目の高さから見下ろすと、ほやほやの赤ん坊が寝息を立てている。
「ぉわっ」
つい驚きの声が出てしまうけれど、直子に脛を蹴られた。
「ぐっ」
直子は人差指を立てて、しぃっと春真を睨みつける。
その意味を察して慌てて春真はパクパク口を動かし「すんません」。
優先すべきは目の前のコト。
春真は着信通知を切って、ドアを押さえ直子と赤ん坊を事務所へ通す。
「狭山社長、連れて来ましたよお」
直子が来るのは予定事項だったらしく、義武叔父は笑顔で迎える。
「おーよお来てくれたなあ。ソファんトコ使おてくれ」
「はい。ありがとございます。
旦那が荷物持って来るんで、ちょお手伝うて来ます」
「いや母親は赤ん坊のそばに居らんと。
春真、下降りて聖也くん手伝うて来てくれ」
「はい」
事務所ビルの駐車場へ行くと、旦那の聖也が車から荷物を降ろしていた。
「前田さん、手伝い来ました」
「あー春真くん、ありがとお」
度の強い眼鏡を掛けたおっとり顔の聖也の笑顔はいつも優しいけれど。
今日は特にニコニコ度が高い気がする。
(はあ~まあ何ンつーか。
さぞかし毎日良えパパやっとるンやろなあ。幸せいっぱい顔や)
釣られて春真まで口元が緩んでしまう。
もう母親からの着信なんてすっかり忘れて、大きな袋に手を伸ばす。
「コレ運べばええンですか?」
「あーそれもやけど。すまんけどコッチ持ってくれるやろか?
毎日抱っこばっかしとったらちょお腰痛めてもて。
重い物持ち上げるんキツイんや、ごめんな」
「いや全然ヘーキなンで」
大きな袋は紙オムツだから軽いけれど。
指差されたのは安定性抜群の木製ベビーチェアでかなり重い。
でも春真にとっては重さよりも、違うコトが引っ掛かる。
(これ…直子さん事務所で子育てすンやろか???)
たくさんの荷物を抱えて春真と聖也が事務所へ戻ると。
すっかり直子は仕事モードに戻って、不在中のPCデータを遡って眺めている。
そして春真を見てにやりと笑う。
「まあまあ仕事の方は整うとるやんか。安心したワ。
荷物そっちの小部屋に置いて。来週にはベビーベッドも届くし。
あんたにはオムツ交換や離乳食作りも教えたるから、仕事も育児もしっかりな」
そうマイペースを貫く直子に、春真は呆気に取られて言葉も出て来ないし。
旦那の聖也も諦め顔で苦笑い。
義武叔父はいつも通り穏やかな雰囲気で、直子が煎れたお茶を飲んでいる。
「ほお。初めて飲んだけど黒豆茶て芳ばしいンやなあ」
「私、母乳よお出るんですよ。
せやから飲み物はノンカフェインやし、食べ物も結構気ぃつこうて。
大事なことやて判っとるつもりやけど。
あんまり何ンもかも育児の為て思考や生活が狭ぁなってまうと、息苦しいて。
外の空気吸うて、育児以外のことも考えたぁなってしまいました。
すみません、時短勤務とか勝手言うてもて。
でも幸いウチの子は健康やから外出も問題無さそおなんで」
「まあ無理だけはせんよおになあ。
赤ん坊の気持ちは、オトナの尺度では判らん。様子見ながらにしぃや」
「ありがとございます、そおします。
今んとこ車移動は平気みたいやし、今日も機嫌良えけど。
いつもそおとは限らんし。迷惑も掛けると思います」
「そんなん気にせんで良え。その為に春真が居るんや。
今はこの上の仮眠室で暮らしとるから時間も融通利くしなあ?」
「はあ、まあ」
いきなり2人の会話に引っ張り出されて春真は苦い顔。
おまけに直子が大真面目な顔で付け足すし。
「ええ?実家有るくせに、このビルで暮らしとおの?
まさかラブホ代わりに使おとるんちゃうやろなあ?
どーゆーコ引っ掛けとるンかまでは口出しせんけど。
社長の名前に泥塗るよーなマネだけは絶対許さへんからなっ」
「ンなことしとらんわっっ!!」
ぐわっと春真は吠えるけれど。
それを上回る泣き声が響き、聖也が赤ん坊を抱いて顔を覗かせた。
「直ちゃーん、話の邪魔してごめん。
聖香ちゃん起きてもたワ。お腹空いとるみたいや」
「あーごめんごめん。そっち行く」
頭のてっぺんから湯気立つ春真を放り出して、直子は赤ん坊のところへ。
残された春真に、義武叔父が面白がるよーな笑みを向けていた。
赤ん坊が落ち着いたところで。
義武叔父は前田家族と一緒に早めのランチに出掛け、春真は留守番。
コーヒーを淹れながら春真は胸のモヤモヤを整理する。
そう。ホントに「ンなことしとらん」が目下一番のモヤモヤなのだ。
これまで春真は、気に入った相手と付き合えるなら性別は関係無だったし。
アクション事務所勤めの時なんか、金銭的事情だったり孤独感とかで
一晩だけの付き合いもよく有った。
だから。
雪代と互いのキモチを確認出来たら、次はアタリマエのようにベッドへ。
と言うつもりだったのに。
雪代は真っ赤な顔で半べそで身体を強張らせて。
「オレずっと男子校やし、付き合うた経験無いし。
何ン言うか、そーゆーコトもお自分には機会無い思うてたし。
せやから何んも知らんままやし、どないしたらエエか判らんし…
そーゆーのするン怖い…」
泣かせてしまった。
ギプスを濡らさない為に入浴を手伝ってる時から、春真は欲情を我慢していた。
雪代は色白でもち肌と言うか、しっとりしたきめ細やかな肌をしていて。
背中を洗いながら、その肌にかぶり付いたい欲との葛藤。
(ここまで来てお預けかいっ!!)と眩暈しそーになったけれど。
雪代の涙の理由を思うと、じわりと愛おしさも湧いて来る、
(オレに合わせたいのに怖いから、出来へんから。泣いとるんよな。
まだ知らん身体のそーゆートコ怖いンはアタリマエや。
怖がっとおまま抱くんは、襲うんと同んなじことや。
そんなコトは絶対したあない)
涙で濡れる雪代の頬に軽くキスしてみる。
「キスもイヤやったんか?」
「…それはへーき」
雪代のさらさらな黒髪を優しくなでる。
「髪とか身体触るンは?」
「もお慣れた」
身体を重ねて抱きしめる。
「温め合いっこすンのは?」
「スキや春真んことは好きや。くっつくとホっとするし気持ちええ。けど…」
「雪代の一番スキなんがオレやったら、それで充分や。
オレがどんな奴か視えへんのに、好きんなってくれたんや。
視えんでも、雪代が何ンも怖あナイて思えるまで待つし。
一番安心出来る相手んなって。何んもかも全部預けて貰えるよーになるからな。
えっちするより、そっちのんが大事や」
また雪代の涙がぽろぽろ零れる。
「ごめ…」
「次謝ったら舌入れてネチネチキスするで」
「すけべ」
「ははははっホンマに大好きやで」
ぐりぐりと額を押し付けて、ぎゅうっと抱きしめ合った。
そんなカッコつけをしてしまった以上、性欲に負けるワケには行かない。
どーにも溜まってしまった時には、深酒で誤魔化したり。
雪代が眠ってから風呂場でヒトリ処理したり。
絶対怖がらせない、受け入れて貰えるまで待つ。その決心は変らないけれど。
(オレの苦労も知らんクセにっ。
やりまくっとぉみたいな言い方すんなっ)
豆増量の苦めコーヒーでもキモチは凹んだままで深いタメ息。
(はあああ~。
日曜は雪代をツーリングに連れて行こかな。
この煩悩は外でほかさんと、溜めとったら自滅するワ)
バイクで風切るんキモチ良えなあ。
そう言って雪代がキラキラの笑顔を見せてくれたら。
それだけが。この情けなくて惨めなモヤモヤを帳消しにしてくれるはずだから。




