おまけ話「木曜日」
年季の入った冠木門の前で、春真は渋い顔でウロウロ。
抱えている段ボールを早く降ろしたいけど、門をくぐる決心が付かない。
「邪魔やねんけど」
「うえっ!」
トスっと背中を突かれて春真は跳び上がる。
正確には背中の感触と言うより。その聞き覚えのある声にビビって。
「ひ輝さん」
「進むか戻るか早よおしい」
竹刀袋を持つ、すらりと背が高く艶やかで長い黒髪の女性は小林輝。
この剣道場の舘主は輝の母親で。
輝自身は現役剣士として大阪府警の剣道部に所属している。
そして春真が剣道少年だった頃には泣きたくなる程しごかれた先輩。
キリっと濃いまつ毛に縁取られた奥二重の鋭い瞳を向けられると。
春真の脳裏には過去の稽古風景が渦巻いて、顔が引き攣ってしまう。
「すんませんっ!帰りま・・・」
反射的に回れ右する春真の背中を、義武叔父の声が引き戻す。
「はるまーっコッチや。ちょお手伝おてくれ」
「あっち呼ばれとおで」
「はいいっ」
輝先輩にアッチムイテホイと言われたら、もう指される方しか向けないので。
諦め顔で春真は門をくぐり剣道場の裏手へ向かう。
そして。
別に呼ばれてもナイのに輝が自分の後ろに付いて来るから。
逃げるワケにも行かず。いっそ義武叔父に助けて欲しくて速足になる。
敷地内には剣道場と小林宅が並び建っていて。
その間には生徒達が使う更衣室や剣道具を保管する平屋がある。
学校の部活棟なんかより、よっぽど設備も充実してるし掃除も行き届いて清潔。
稽古が終わった後、いつまでも残ってみんなと剣道話で盛り上がっていた場所。
さすがに春真も久しぶりの場所に、懐かしいキモチが湧いたけれど。
そのしんみんりした空気にドスの効いた鳴き声が響き渡って。
思わず眉間にシワが寄る。
「うわあ、えらい迫力やなあ」
春真の後ろから輝が興味津々の顔を覗かせると。
キャリーを持った義武叔父が奥から出て来た。
「輝ちゃんも居ったんか。おかえり」
「おかあさんが言うとった迷い猫て、このコ?」
「そおや。仔猫3匹は風邪っぴきなんで実果さんが看てくれとお」
「3匹も居るん?何色?」
「サバトラと茶トラや」
「きゃーエエなあ♪見に行こお。母猫の具合はどおなん?」
さっきまでの冷たい物言いは何処へやら。
輝は楽しそうにキャリーを覗いて、手を出し掛けたけれど。
「ぐぅるるるううう」
キャリーの奥から、恨みと怒りと不満をたっぷり含む唸り声と剥き出しの牙。
さすがに手を引っ込める。
「皮膚のカンジ結構悪いなあ。入院した方が良かったんちゃう?」
「見た目はヒドイんやけどな。
なかなか辛抱強い猫なんや。注射も点滴もちゃんと我慢してなあ。
栄養摂って時間掛ければ心配要らんそおや。
この機嫌悪いンは、たぶん仔猫と離しとるからやろ」
「そらあ、仔猫ンこと気になるわなあ。
せやけど疥癬は伝染ってまうからな。
治るまでは別々に暮らさんと仕方無いワ」
輝はしゃがみ込んで目線を合わせると静かに語り掛ける。
「なあ私らぁを信用してくれるか?
仔猫んこと任せてくれるか?ちゃんと風邪治して健康にするからな。
それに、あんたの病気も治療受けな治らん状態や。
今回ばかりは、ヒトが手ぇ出すのんも受け入れてくれへんか?」
輝の本意を測るように母猫の唸り声は段々小さくなって。
じーっと輝を見つめると一言だけ声をあげた。
「にゃあ」
「ふふふホンマや。賢いコぉやなあ」
そしてすっと流れるような動きで立ち上がると、輝は春真の肩を叩く。
「ほななら後は頼むで」
「えっ?」
「文句言える立場ちゃうやろ。
何から何まで狭山さんの世話ンなっとって。ヒトツくらい役に立ちや。
ケージやトイレは倉庫に有るんを貸したるし」
「春真、運ぶで。手伝うてくれ」
それまで、ぼけっと2人と1匹のやり取りを聞き流していた春真だけど。
ここまで来てやっと状況を理解する。
(義武叔父がミニバンで来い言うたンは…
そおかコイツを持って帰れ言う意味やったんか)
でも。低い唸り声、皮膚病でハゲだらけ、痩せこけて憎らしい顔つき。
とても人に懐くとは思えないし。
同情のキモチは少々湧いても、可愛げなんて全然感じない。
そんな不満いっぱい顔の春真から、義武叔父は段ボールを受け取って説明する。
「塗薬舐めんようにカラー着けとおから。
キャリーやと窮屈なんや。段ボールに移して運ぶで。
抜け毛が多いし。よお掃除してタオル取り替えて。
住環境は清潔にせんとアカンから、木森くんと協力して面倒見たってくれ。
もしなあ木森くんが無理やて言うンやったら。オレが看るワ」
かなり世話が大変そうな話を聞かされ。
益々不満が浮かび上がる春真に、輝がにやりと笑う。
「木森くんて、小鉄と一緒に暮らしとる子?」
「あ、はい」
「目ぇ悪いて聞いとるけど、あんたより気が利きそおやな」
「えぇ?」
「この母猫の目ぇ見たか?めっちゃ強い目ぇしとる。
野良で病気持ちで仔猫育てて。必死で生き抜いて来たプライドがあるやろに。
もおこれ以上は仔猫の命に関わる思うて、人間を頼って来たんやろ。
ほんまはきっと。
可哀想やな惨めやなて同情の目で見られたあ無いンになあ。
それでも、生きて行く方法を考えて。助けが必要な現実を受け入れたんや。
そんなキモチや強さ、あんたには解らんやろけど。
その子やったら解ってやれるかも知れんな」
「輝さんは…解る言うンですか?」
何んとなく。
雪代が自分と一緒に暮らしているのは生活の為に仕方なく。と聞こえてしまって。
不快さが混じるムスっとした声で、春真は反論してしまう。
けれど真正面から輝のまっすぐな視線を浴びる。
「あほやなあ、解るワケ無いやろ。
私を誰や思おとるんや。
万年2位で、どないしても灯ちゃんを倒せへん頭打ち剣士やで。
それでも未だにジタバタもがいとる、諦め悪いニンゲンや。
自分以外の誰かを理解する余裕なんか全然ナイわ。
現実を認めるとか受け入れる、そー言うンは誰にでも出来るコトちゃう。
せやから、あんたはホンマに良え子と出会たんやで」
灯と輝は姉妹で、全然タイプが違う剣士。
それでも家族とこの剣道場を想うキモチは同じだし。
現女子剣道界のトップ2は決勝戦で何度も竹刀を交えて来た強者同士。
一番の仲良しだからこそ、一番複雑な関係でもあるのは当然のこと。
ちょうど優しい風がそよいで、輝の黒髪をふわりとなでる。
輝はにっこり微笑むと春真に背中を向けた。
「私も、おかあさんと一緒に仔猫と遊んで来るワ。
ウチの先住猫とも上手くやっとるやろかー」
やわらかな声で立ち去って行く輝の後ろ姿は。
剣道場でも何処に居ても見間違えるコトの無い、真っ直ぐで美しい背中。
まだ諦めないと覚悟を持つコトだって、誰にでも出来るコトではない。
それくらい春真にも解っているけど、素直にそうは言えず黙って見送る。
でも義武叔父からは温かい笑い声がこぼれた。
「ははは。輝ちゃんはいっつも綺麗やな」
「…はい」
そう応えながら。
(雪代が歩く時の姿勢もいっつもキレイや)と春真は思い返していた。
そして改めて強く思う。
(ホンマに雪代と出会て良かった。それだけはよお解っとる)
それから春真はもう何も言わずに、義武叔父の指示通り動く。
ケージだの療養食だのミニバンに積みながら、この後を想像してみる。
(雪代は、この猫に会うたらどんな顔するやろ?
オレはこの猫の見た目だけでアレコレ判断して貰うたけど。
雪代やったらそんなコトにはならんやろし。何ンや楽しみになって来たワ)
そして助手席に段ボールを固定すると。
エンジンを掛けながら改めて話し掛ける。
「猫、ええか?一応説明しとくとな。
雪代はオレの恋人や。
カワイイ顔しとるクセに、意地っ張りなクチ利きよるしツンツンや。
せやけどなあ、めっちゃ頑張っとるコなんや。
オレも始めは雪代を手伝おとか頼られたいとか思うとったけどな。
今は逆や。
雪代が居ってくれるンで、オレはちゃんとやれるんや。あんなコ他に居らん。
めちゃめちゃ可愛良えて思うし、カッコ良えとも思うし。
そんで尊敬もしとる。
こんな相手とレンアイ出来るンはマジ一生に一度や」
自分の言葉に段々と春真は想いが強くなってきて、胸が苦しくなる。
(今すぐ雪代を抱き締められたらエエのになあ)
ふうと大きく息を吐き出してキモチを落ち着かせる。
「ははは何んやろ。
話せる相手が居ると、奥の方から色々出てまうンかな。
まあ、雪代に会うたらおまえもきっと好きンなるワ。
そんで隣でくっつきたいなーて思うやろし。
出来るコトあったら何ンかしたりたいて思うで、きっと」
段ボールの中は意外と静かで。
ぱたぱたと脚だかシッポが箱に当たる音だけ。
とりあえず文句が無いのは同意の合図、春真はにっと笑って発車した。




