おまけ話「火曜日」
余程のことが無い限り、春真は定時に仕事をあがっている。
春真が事務所を出た後に、義武叔父が色々予定を入れているから仕方無い。
商店街組合の集まりだとか、まだ公に出来ない商談。
それに厄介な相談事や小難しい取引や計算を、独りになってから始めている。
「まあ、こーゆーンは追々な。
今は出来るコトをスムーズに出来るよおになってくれ。
稽古と一緒や。基礎固めが無いと上に何んも積んで行けへんからな」
義武叔父の正当なご意見にはもどかしい気もするけど。
チャンバラごっこの必殺技で、現実仕事が片付くワケ無いのは解っているから。
今は黙って春真はPC画面や書類とにらめっこ。
それでも確かに、電話応対でもワタワタしなくなったし。
地味な事務作業も(お。エエカンジにまとまったやん)とか思う時もあって。
ひとつずつ身に着いて行くのを実感している。
春真が帰り支度をしていると。
義武叔父が冷蔵庫から大きいレジ袋を出して来て、差し出した。
「そおや春真。
これ持って帰ってくれ。雪代くんみたいな若い子ぉやと食べてくれるやろ」
「何ンですか?」
「パスタソースやて。
3丁目のビルに応募してきたイタリアンの店が作ったヤツや。
味見にて置いて行ったンやけど、俺はよお使わへんからなあ。
後で旨かったか感想教えてくれ」
「頂きモンの食品て、いつも剣道場に差入れしとるンでしょお?」
「食材やったら持って行くけどな。
あそこで調理して貰うンが旨いのに。出来合いの持って行く必要無いワ」
春真は、子供の頃通っていた剣道場をぼんやり思い出す。
今でこそ高速インターが近くに出来て、道路も整備されて便利になったけれど。
里山近くにある剣道場の周りには、買い食い出来る店なんて無いから。
館主の奥さんやおばあさんが、お腹の足しになる軽食を振舞ってくれて。
おにぎりやサンドイッチ、冬になると温かいうどんとか。
カロリー補給の炭水化物に、煮卵や蒸し鶏とかタンパク質が具材。
3種類くらい用意してあって、好き嫌いがある子でも何か食べることが出来た。
(あン頃は何んか喰えれば満足やったけど。
栄養とかアレルギーとか色々考えてくれとったンやろなあ。
稽古の後でも、よお面倒見て貰うとったンやなあ)
ついさっきまで睨み合って竹刀を交わせていた生徒達みんな揃って。
輪になって座ってワイワイ盛り上がって。
指に残った米粒を舌先で舐め取ると、ほのかな塩味は格別な旨さだった。
とりあえず義武叔父に礼を言うと、春真は袋を持って事務所を出る。
そして部屋に戻る前に事務所ビルを出て、スーパーへ向かった。
残念ながら部屋には冷凍うどんはあってもパスタは無かったので。
雪代は小部屋にこもって授業の復習中。
視えていた頃の習慣もあって、暗記したいコトや数式は書いて覚える。
書いたとしても、後でノートを視ることが出来るワケじゃないけれど。
手を動かす方が文章や数式がイメージとして残る気がする。
授業の音声をヘッドホンで繰り返し聴いて。
ぶつぶつと呟いて自分の声で言い聞かせて。
グリグリと文字を記して記憶に刻む。
それが今の自分にぴったりな勉強方法。
でも、この方法だと。
よほど静かで雑音が無くて、しかも呟く声が迷惑にならない場所が必要。
学校でも家でも、そういう環境はナカナカ難しかったのに。
この小部屋は条件ぴったり。
二重窓が外の音を遮ってくれるし、机と本棚だけだから何んでもすぐ手が届く。
唯一気になる雑音と言えば。
春真が雪代にチョッカイを掛けてくるコトくらい。
だから最近は。
夕食後はもう諦めて、カフェオレ飲みながら春真の喋りに付き合うコトにして。
その代わり夕食までは春真も雪代の邪魔はしないルール。
あんまり集中し過ぎると頭痛がしてしまうので。このルールは程良いON&OFF。
それに少しずつ、雪代は春真のまっすぐな振る舞いに慣れてきた気がする。
始めの頃は、いくら「スキや」と言って貰っても。
その「スキ」もいつかは無くなるかも知れんやん、と言う不安が消えなかった。
だって、視えない自分なんかより。
フツーに恋愛出来る相手は、春真の周りにたくさん居るのだから。
でも春真は。
人目を気にすることなく、いつもぴたりと隣に居て腕を組むし。
思いついたコトがあると「ちょおちょお雪代っ」と引っ張り回す。
それはきっと、視えていた頃の雪代を知らないから。
今の視えない雪代と比べることが無くて。
ただ自分がしたいように。手を出して声を出してぐいぐいと強引に。
何も映し出さないはずの雪代の視界に入って来て、そして触れて来るから。
その体温で雪代の不安は解けてしまう。
胸の奥がじんわりと温かくなってしまう。
(春真が隣に居ると何ンか温くうて。
温くうなると、キモチとか考え方とか柔らかぁになって。
自分が硬ぁなっとったコトに気付いたり出来て…)
そして何んとなく。
(フツーとはちゃうかも知れんけど。これもレンアイなんかなあ。
オレいつの間にかめっちゃ春真に頼っとるし助けて貰うとおけど。
それ別に弱さとか甘えとかちゃうくて。そーしたいダケで。
多分オレ、春真に隣居って欲しいンよな)
なんてヒトリ顔を真っ赤にしたりしているのだ。
がちゃりと鍵が開く音がして。
「帰ったでー」といつもの春真の声と共に、賑やかで高い笑い声。
「えー!すごー!ちゃんと生活感有るやん」
「ええなあ。私の部屋より広いわあ」
(あの声…雪映?)
慌てて雪代はヘッドホンを外して部屋を出ると。
高いトーンのお喋り声はキッチンの方から聞こえて来る。
「あ、おにい」
「こんにちはー。久しぶりやぁエミやで。覚えとお?」
「うん。エミちゃん覚えとおで、めっちゃ久しぶりや。
雪映と一緒にわざわざ来てくれたン?ありがとお」
突然の訪問過ぎて、雪代は嬉しさと戸惑いがごちゃ混ぜキブン。
少し前までの雪映とのぎこちない空気を思い出すと複雑で。
歓迎する笑顔が出来ているか、ちょっと緊張してしまう。
でも。
春真の体温がくっついて来て、雪代の髪をくしゃりと混ぜるから。
ふっと強張りがほどける。
そんな雪代とは違って、春真はいつものノンキな口調。
「スーパー寄ろ思うたらバッタリ会うてなあ。
買物手伝うて貰うたお礼に、飯誘うたんや」
「バッタリちゃうやん。
私らジェラード食べ取ったのに、遠くから『ゆきえーっ』て呼び捨てやで」
「あははは!そおそお!
もおめっちゃビビってもてジェラード半分落としてもて」
「今週の限定フレーバーやったのにい」
ガサガサとレジ袋を探る音とか、鍋だかフライパンだかを出す音が重なる。
雪映と友達のエミがキッチンで調理を始めたようだった。
雪代ひとり所在無さ気に立っていると。
ガタっとイスを引いて、春真が雪代を座らせる。
「パスタソース貰うたんや。イタリアンのシェフが作った本格的なヤツやで。
4種類も有るし。みんなでちょおっとずつ分けて食べ比べしよおや」
「私サラダ作るな」とエミが買って来た野菜を洗い始めると。
雪映もお湯を沸かしてパスタを茹でる。
「ここン家、全然食器無いやん。もぉフライパンのままでエっかあ」
「あ!タイヘンやっジェラード冷凍庫入れんと」
「うわあ、このジェノベーゼめっちゃエエ香りやあ」
「ほんまや。コレ絶対美味しいヤツやあ」
調理と言っても。
パスタを茹でてソースと和えるだけだし。失敗するワケ無いから。
雪映もエミもオママゴト気分で楽しそう。
そのお喋りと笑い声を聞いてるだけで、雪代にもくすっと笑みが浮かぶ。
「たまには、こーゆー賑やかな食事もエエやんな」
「せやな。雪映とは学校もちゃうし、部活で食事時間もズレとったから。
一緒に食べるン久しぶりや…」
「そらぁ良かったワ。なあ何ンか手伝うコトあるかあ?」
春真が雪映に声を掛けると、即答される。
「要らーん。キッチン狭いし。おにいと春真は後片付け係や。
デザートのジェラード食べる時は、コーヒー淹れてな」
「えー?その方が面倒そおや」
思わず春真は憮然とした顔つきになってしまうけど。
ちょいちょいと雪代につつかれる。
「何ン?」
「その…ありがと。雪映とフツーに過ごせるん嬉しいかも」
気持ちを噛みしめるような、照れ臭さをきゅうっと堪えるような。
滅多にお目に掛かれない表情を雪代が見せてくれるから。
つい。
雪映とエミが背中を向けている隙に、春真は素早くキスをしてしまう。
「ごちそーさん♪」
「どあほっ」
べちん!と春真をはたく音に、雪映とエミが不思議そうに振り返ってしまったけれど。




