おまけ話「月曜日」
換気扇の擦れるような音が小さく響く浴室を、雪代は手探りで歩く。
「エライ広い風呂場やなあ」
「やろぉ。義武叔父さんが仮眠に使うとった部屋やけど。
稽古から戻って、仕事する前にひとっ風呂浴びるンにリフォームしたんやて。
叔父さん、オレと同じくらい身長あるしなあ。浴槽もデカイわ」
「床も変った素材なんやな。冷たぁ無い」
「やなぁ。滑りにくいし丁度エエやん」
「ちょうどええ?」
春真は、雪代の手を取り腰に腕を回してくるりと回転。
そしてコツンと額を合わせる。
「2人で一緒に風呂入れるやーん」
「あほかっ風呂くらいヒトリで入れるワっ」
「せやけど、ギプス濡らすワケにいかんやろ」
「う…」
「ギプス濡らすとなあ、なかなか乾かんから固定力落ちるし蒸れるし。
夏やと、めっちゃ臭うンやで~地獄や」
「えらい詳しいな」
春真は雪代を抱き上げて、乾いた浴槽に座らせる。
「湯入れるンこの辺にして。何ンか台置こ、台の上に脚乗せたら濡れへんやろ。
ギプスにはラップ巻いてビニール袋で包むんやけど。これが滑るンや。
オレ、ガキん頃は捻挫とか骨折とかよおケガしたからな。
風呂の面倒さは判っとる」
「骨折て剣道で?」
「いや。稽古中は防具着けとぉから怪我なんかせん。
大抵は放課後遊んどって、鉄棒の上から落ちるとかなあ」
「上?」
「せんかった?空中歩行~言うて鉄棒の上をダダダって走るん」
「せんワーそんなん落ちるに決まっとるやん。あほやなあ」
浴室いっぱいに雪代の爆笑が響くから。春真も楽しくなる。
先日、義武叔父から鍵を渡された時。春真はガッチリ釘を刺された。
「おまえ、木森さんの息子さんと仲良えみたいやけどな。
相手はまだ高校生で、そんでおまえは半人前や。
しかもすぐ近くに居って、事故回避出来ひんかったんやからな。
判っとる思うけど。面倒見たるとか、偉そうに出来る立場や無いで。
相手のこと尊重して。しっかり対話しながら、やって行くンやで」
「仲良え言うか。オレ、雪代に惚れとおし」
いつも何事にも動じない義武叔父の顔が、一瞬強張る。
「…そンなら余計に気ぃ付けえ。
2人切りで逃げ場の無い状態で、追い詰めたりするンや無いで。
もし、おまえがあの子に」
「せやからっ。
オレは雪代に嫌われたあナイんや。絶対手ぇ出したりせん」
いつもなら義武叔父の圧に押し戻されてしまう、春真の言葉だけど。
今回だけは真正面からぶつけて、怯むことなく押し切る。
「そおか」
ふううっと深く息を吐くと。義武叔父は珍しく小さく微笑む。
「惚れた相手言うンはなあ。
ただ笑うて楽しそうにしてくれとぉだけで、こっちまで幸せになれるもんや。
自分が笑えるために、相手を笑わせたるんやで」
「斬られ役より、お笑い芸人なる訓練しとけば良かったンかな」
ちょっと照れ臭くて。春真はボケたつもりだったけれど。
義武叔父は静かな笑みのまま、仕事の続きに取り掛かる。
もう春真に言い聞かせるというよりは、独り言みたいに。
「大勢を笑わせんでもエエ。たったひとり笑うてくれたらエエんや」
だから。
骨折治療で自宅からの通学が不便だから、が理由ではあるけれど。
雪代との共同生活つまり同棲、新婚さん。
確かにちょっとは、そんな単語に浮かれたけれど。
義武叔父に言われるまでも無く、春真は強く心に決めていた。
(ホンキで惚れとぉて、まずは解って貰うんや)
自分で言うのも何ンだけども。
これまで春真は、付き合う相手に不自由することは無くて。
大抵その関係は、お互い様とか利害一致なカンジばかりで。
家賃や炊事の便利さとか性欲解消とか。何かしら割り切れる理由があったけれど。
今回ばかりは、春真自身どうして雪代なのかが解らない。
フツーに考えて、軽々しく選べる相手じゃない。なのに。
ちょっと「気になった」から、いつの間にか「隣に居たい」になってしまった。
カワイイ顔してビシバシつっこむ喋りは楽しいし。
バイクの後ろに乗せて、ぎゅうっと抱き着かれるとアドレナリン爆発だし。
風を切って走るンめちゃ気持ちええ~なんて、ワハっと笑顔を向けられると。
春真の心臓と呼吸は止まってしまう。
そこにはもう、付き合うことの得とか損とか。何かの理由なんて要らなかった。
もし雪代に「隣に居てもエエ奴」認定して貰えたら。
それこそ鉄棒の上を永遠に走って行けそうだし。
名も無い斬られ役が覆面主人公だと、スポットライトが当たる奇跡かも。
これまで何をやっても中途半端で。
ぼんやりと、自分にもよく視えなかった自分が。
狭山春真と言う唯一の存在に成れるような気がしている。
浴室のシャワーの位置や、シャンプーとトリートメントの区別印とか。
雪代は腕を伸ばして色々確認しながら、ぼそっと声を出す。
「春真」
「あ、え。何ン?」
「ぼーっとしてからに。
風呂場いうシチュエーションで、どーせスケベなこと考えとったんやろー?
こないだ自分が言うたコト覚えとおやろな?」
「何ん言うたっけ?」
「ギプスん間は何もせん、て」
口調こそ、いつもみたいにツッケンドンだけど。
雪代は真っ赤な頬で強がりながら、困ったように目を逸らしている。
それはどんなキモチからなのか、まだ春真には確信が持てないけれど。
胸の奥がくすぐったい。
(叔父さんが言うとった「対話せえ」て、こーゆーコトなんかな)
「キスはしてもええか?」
「あほっ今更訊くなっ。いっつも勝手にしとっ…」
ちゅと軽いキスとして、春真は雪代の頬をなでる。
「雪代がエエ言うまでは何ンもせん。
まずはな、雪代の隣に居るンがアタリマエな存在に成るんが目標や」
「オレの審査基準は高いで」
「はははっ!そんなら審査中もずーーーっと長ぁに隣居れるなあ!」
愛おしい、そんな言葉が春真の頭を過る。
ただただ雪代をぎゅうっと抱きしめる。
そして春真の背中に、雪代の腕も回って来たから。多分、望みは十分。
おまけに。
「そろそろ浴槽から出してくれや」
春真に抱き着く理由を、そんな風にわざわざ口にする雪代の火照った顔は。
やっぱりすごく可愛くて。
春真はキスせずには居られなくなってしまう。




