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しぃーそぉし~ん  作者: おきついたち


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3/6

3.seen

ピピっと計測時間を知らせる電子音が鳴って、春真はムスっとした顔で言う。

「38度やて。コレて結構な発熱ちゃうん?」

「そんなん訊くな~」

「いやオレ熱とか滅多に出さンでよお判らん。シンドイんか?」

「しんどいけど。時々こおなるから慣れとお、へーき。

ええから小鉄は事務所行って」

「そお言われてもなあ…」

「して欲しいコトあったら電話するし」

「今は?」

「無い。アスピリン飲んだし、寝たい」

「雪代」

「もおエエから」

「好きやで。弱っとおのンも、何ンかカワエエわ」

「うっさいワ」

骨ばった硬い指が、雪代のサラサラ黒髪を撫でる。

共同生活が始まってから、春真は1日1回必ずコレを言う。

そしていつもなら額を押し付けて来てキス。

でも雪代としては今の熱ぽくて乾いた唇を、春真に知られたく無い。

ぐるんと壁の方へ寝返りを打ち、布団を頭からかぶる。

「そしたら昼休みに様子見に戻るな。よお寝とき」

「ん。いってらっしゃい」

それからドアが閉まって鍵の掛かる音を待って。雪代は布団から頭を出す。

「ふうぅ」

寒気や風邪の気配は無いけれど、頭の奥から痛みが響くカンジ。

春真にも説明した通り、この感覚には慣れていて。疲れが溜まるとこうなってしまう。

(しゃあないやん。毎日新しいコトばっかで楽しいンやもん)

言訳みたいに呟いて、眠ろうとしてみると。ここ最近の色んなコトが頭を巡る。



例えば、総菜屋さんへの買い物。

夕飯はいつも春真が2人分の弁当を買って帰って来るけれど。

商談で遅くなる日に買い物を頼まれた。

「顔馴染みの総菜屋さんやし。もお注文して金も払うといた。

学校帰りに受取りだけしてくれや」

「…ん。わかった」

「そんでなコロッケ6個頼ンどいたから」

「へ?何ンでそんなようけ」

商店街を歩くなら白杖は必須。片松葉杖に買物の荷物どうやって持とお?

真面目に考えているのに、春真は笑って雪代の髪をくしゃっと混ぜる。

「ガッコの友達に手伝うて貰い。

そんでみんなでコロッケ齧ったらエエやん。揚げ立てめっちゃ旨いでー」

「そんなコト頼めへん」

「何ンで?たかが『そんなコト』やで?」

「せやけど迷惑掛けてまうやん」

春真は雪代の頬をぎゅむっと包み込んで額をコッツンコ。

「あほやなー。

コロッケ奢って貰うて、迷惑なんて言う食べ盛りが居るワケないやろ。

へーきへーき。ガッコ帰りの買い食いは宿題のヒトツや」

「何ンやそれ」

言葉ではやり返しつつも。

(フツーの友達付き合いもせえて言いたいんかな)そんな春真の意図を感じて。

よく一緒に下校するクラスメイトに声を掛けてみたら。

「えー!行く行く行く!

あそこのコロッケ気になっとったンや。夕方やといっつも売切れやって」

「え?何ン?木森にお供したらコロッケ貰えるン?

鬼退治でも何ンでも付いて行くワー」

そんな軽いノリでゾロゾロ行くことになって。

総菜屋さんのお姉さんにはケラケラ笑われて。

めちゃ旨ーっ!と盛り上がってたら、唐揚げのカケラをサービスして貰って。

事務所ビル入口までワイワイ喋りながら荷物を持って貰った。

「今度はチーズ味のん喰いたいワー。また行こな」

「行こ行こまた行こ。コロッケやったら食べ易いしな」

「木森、いっつも昼は箸使わんでおにぎりだけやん?

ラーメンとかタコ焼きやと食べにくうてアカンかなーて思おとったけど」

「なぁこーゆーパクつけるモンやったら、誘うてもエエ?」

みんながどんな顔で言ってくれているのかは判らないし。

それ以上に、自分は今どんな顔してるンやろ?と雪代は思う。

だって。

嬉しくて照れくさくて。これまで一線引いてしまっていた自分が恥ずかしくて。

エレベーターに乗り込むと、ちょっと照れ臭かったけれど。ブンブン手を振った。

「今日はありがとおな。

荷物持ってくれて助かったー。また行こな」

「おーう」

「ばーいばーい」

その後、駅に向かうクラスメイトの会話を雪代は知らないけれど。

木森めっちゃ笑うとったなー、またみんなで誘おなーと盛り上がっていたから。

雪代以上にみんなも楽しんでいたのは間違い無かった。


それから。

春真と2人で居ると、いくらでも喋りが尽きないのも不思議。

ただ洗濯物を片付けているだけなのに喋りまくり。

これまで春真は部屋の片隅に服を積み上げてたらしく。

「せやかて、どーせまた着るやん?イチイチ畳んで仕舞うとかせんワ」

だから同居生活が始まってからは、煩いくらい雪代に確認する。

「なーなーTシャツは3番目の棚やんな?濃い色のンは?同んなじ棚でエエん?」

「適当でエエで。着る時にコレ何色て訊くし」

「ちゃうワ。オレん為に確認しとるんや。

整理とか片付ける言う習慣無いんでな。ココはひとつ人として学習しとくンや」

「人として?小学生レベルやんか」

「ダイジョウブや。ガキの成長は早い。すぐ大人レベルや」

「オトナが何度も質問してくんなー」

「そっちこそ教えるンをケチるなー」


雪代が気にせんでエエと応えたところで、話は終わらない。

春真はいつも自分が納得するまでグイグイ押して来て引き下がらないから。

始めの頃は甘え過ぎないようにと、ちょっとは遠慮も有ったけれど。

今はラリーのように延々ツッコミが続き、そして唐突に終わる。

「何ンか腹減ったなー。

そおや、こないだ事務所宛にようけ煎餅貰うたんや。ちょお持って来るワ」

「そんな勝手したらアカンやろ」

「義武叔父さんは酒好きで、煎餅とか食べへん。早お食べンと湿気てまうワ」

言葉全部言い終わる前にバタバタバタンと春真は走って行ってしまう。

その間に、雪代が棚を確認してみると。

タグが切ってある白Tシャツは棚3番目に収まっていて。

タグが長いままの色柄物のTシャツは右側に寄せてある。

「なーんや。ちゃんと出来とおやん」

心の中で、おりこおさんと呟くと。ほわんとしたキモチになって来る。



春真との共同生活は、気遣いや遠慮をしてる場合じゃなくて。

2人であーだこーだと言い合って、やり方を造り上げて行く毎日。

そしてそれが、こんなに楽しいとは思ってなかった。


(視えんよおになってもうたから、もお誰かをスキとか出来へんて思うてた。

自分のコトで精一杯でそんな余裕無いし。

それに。

こんな自分を好きになってくれるンが居るて思えんかった。

それがなあ…春真みたいのに出会うなんてなあ。

ほんまにオレでええんかなて思うこともあるけど。

相変わらず1日1回毎日好きて言うてくるし。ヘンな奴)

だからこの間。

「よお毎日スキスキ言うなあ?そろそろスキな所なんて無うなったんちゃう?」

とツッコんでみたら。はははと笑い返された。

「あほやなースキなトコなんて毎日増えるワ。一緒に居る時間が増えるだけ増えるワ」

「ポジ過ぎやろ」

「せやかて、昔の時間ン中に今から入り込むコトは出来ひんのやから。

これから先の時間はとにかく、オレのコトでいっぱいにして貰わんと」

「えー鬱陶しー」

とりあえず、そう応えるけれど。


それは確かに寂しい事実。

キスして貰って、春真の薄い唇を知っても。

触らせて貰って、細い顎とか目尻とか。ピアス穴いっぱいの耳とか確認出来ても。

どんな顔で笑うのかボケるのかツッコミするのか判らない。

これから先どれだけ近く長く一緒に居たとしても、春真の表情を知ることは無くて。

そのことを思う時だけ、すごくすごく雪代の胸は苦しくなった。





音量控え目にコソコソ話しながら、春真は静かにドアを開ける。

「午前中は一度も電話無かったンで。まだ寝とお思うけど」

「お邪魔します」

「おーキレイにしとるやん」

春真の後ろからはエリオと優気が続いて部屋へ入って来る。

「せやで。前田店長にアドバイス貰うたからな。

散らかさん・元んトコ戻す・口に出して確認。そしたら雪代も暮らし易いて。

最近はすっかりフツーに出来るよお成ったで」

「へええすごいやん。雪くんのお陰で、春真も成長したンやな」

「まあなー」

そんな低レベル会話をしながら優気と春真はミニキッチンへ。

エリオは、眠る雪代をそっと覗き込むとほっとした顔になる。

事務所用の部屋だからキッチンは狭くて、優気と春真が並ぶとぎゅうぎゅう。

「インスタントコーヒーしか無いワ」

「いやエエよ。土産渡したかっただけやし。昼休みも終わってまうしな」

「ユキくんが元気になったら、また会いに来ます。

もう呼吸も落ち着いてますし。大丈夫そうで良かったです。

それに以前より少し顔が、ええと…」

エリオが適切な表現を探すためにちょっと言い淀むと。優気は笑う。

「ははは。丸うなったとか?太ったとか?

エリオと一夜はそおやったよな。

ばあちゃんの味付けに慣れて来たら、よおけ食べるよう成ったもんなあ。

成長期やねんから、それで丁度エエんや。

何ンでもええから吸収しとけば、丈夫ン成れるし強お成れる」

「毎日総菜屋の弁当やねんけど栄養足りとるンやろか。

けど確かに以前より食べる量増えたかも知れんな。

始めン頃は、鳥のエサか思う程小食やったからなあ」

「一緒に食べとるンやろ?一緒に居る空気も栄養や」

「はあ?何ン?その優気理論よお判らんワ」


少々噛み合わない会話をしながら、優気は紙袋から品物を出して並べる。

「イギリス土産定番のぉ紅茶やろジャムやろ。

エリオ、これ何ンやったっけ?菓子?」

「ショートブレッドです。お菓子だけどバターの塩味で食べ応えあります」

「何んか色々とありがとおなあ。後で雪代と食べるワ。

で。エリオの試験の結果ていつ判るん?」

優気の隣にぴたりと並ぶエリオに、春真は声を掛ける。

「来月です。でもそこからまた作文提出が何種類かあってクラスが決まります」

「へえええ。大変やなあ」

「オレはラクチンやけどなー。

連盟からの派遣言う形やから、ビザとか面倒な手続きも任せっきりやし。

住むトコも用意されとるし。今回手続き兼ねて部屋見せて貰うたけど。

ははは、ココより狭あてボロかったワ」

「それは日本語で『趣がある』って言うんですよね」

ちょっと苦笑しながら優気をつつくエリオは。

これまで春真が見たコトない可愛らしい表情で。

「お~い。こんなトコでイチャつくなやー」

ついつい毒づいてしまう。

けれど優気はお構いなしにニヤニヤ緩みっ放し。

「いやーせやかて。

スキな剣道続けるコト出来て。エリオと一緒に暮らせるんやし。

もおオレずっと浮かれっ放しなんやあ」

「ほんまいっつも正直な奴やなー」

春真も最早タメ息しか出て来ない。


一時期、優気は進む先に迷っていたけれど。

海外剣道場のアシスタントとして働く機会を得られたし。

エリオも留学して付いて行くことになっていた。

親の都合で、居場所や在り方が翻弄されていたエリオの過去も。

今となっては見聞を広めるきっかけとして活きているようで。

それに何より優気と一緒に居られるなら他の選択肢なんて無いと言う雰囲気。

そんな2人を見ていると。

(オレも早う一人前に仕事出来るよおなって。

雪代に可愛い顔で甘えて貰いたいワー)なんて春真は羨ましくなる。




ぐっすり眠って目を覚ます気配ゼロの雪代を、もう一度覗き込んで。

優気とエリオは帰り支度。

玄関でもう一度振り返って優気と春真はグータッチ。

「剣道場の土地は狭山先生も関係しとるし。

春真もしっかり学ばせて貰うて、この場所しっかり面倒見てくれな。

オレらみたいなんがいつでも帰って来れるよおに頼むワ。

大変かも知れんけど。

雪くんみたいな良え子に好いて貰うとおンやから。ヤル気出るやんな」

「おう。そっちこそな」

そして見送ってドアを閉めて。春真は無言で座り込む。

(ちょお待て。オレ、雪代から好きて言うて貰うたコトあったっけ??)

眠っている雪代に合わせて温かめに暖房されてる部屋が。

急にヒンヤリ感じられてしまった。




雪代の骨折は経過良好。

今は重いギプスは外れて軽量装具で安定させてる状態。

負荷を掛けるのも許可が出たので、通学通院以外にも春真と散歩に行ったり。

「雪代。今日は映画デートしよおや」

「はあ?」

休日遅めの朝食後、雪代が慎重に皿洗いをしてるのに。

春真のその一言で手が滑ってプレートが落ちる。

セラミックなので割れなかったけれど、雪代は吠えてしまう。

「あほかーっ!そんなん一番無意味な出掛け先やんかっ」

「そんなコト無いで。

映画館て音響もエエやん。映像観えんでも、迫力だけは伝わるやん。

どおせ病気ンなってから行ってへんのやろ?試しに行ってみよーや」

「いやや。周りからヘンな視線浴びるだけや」

「せやったら。

誘うんや無うて、お願いや。一緒に行ってくださいっ。な?」

「はああ?何企んどおねん」

いつの間にか春真は雪代を背中から包みこんで頬をすり寄せる。

「ピアス当たって痛いっつーの」

「映画付き合うてくれるまで、ずっとグリグリしたるぅ」

「やめええっ」



そんなワケで。梅田まで出掛けて映画館のイスに座ってる2人。

視えないのに映画観に来とお?そんな視線を浴びたくなくて。

雪代は白杖は持たず春真にしがみついてココまで歩いて来た。

腕組デートやあ~と春真ヒトリご機嫌で、雪代は人混みにゲッソリ。

ふかふか座席に座って、やっとほっとする。後は映画終了までただ我慢。

(目ぇつむっとるンと同じやし。寝とこかな)

そんなコトを考えていると。雪代の膝に食欲そそる香りが置かれる。

「テッパンポップコーンは塩バターとキャラメルな」

「でかっ」

「何ンか食べとったら、起きてられるやろ」

「寝よ思うとったのに」

「ラスト20分くらいまで起きとって貰わんと」

「何んで?」

「ソコ一瞬しかオレ登場せえへんから」

「えっ?」

春真はポップコーンを摘まみ上げて、雪代の口に放り込む。

「この映画な、イケメン浪人が事件解決する小説の映画化でな。

今売り出し中のアイドルを主人公に起用しとるんや。せやから女性客多いやろ」

そう言われると確かに、観客席は若い女性の声でザワついている。

「ラスト悪役退治の立ち回りシーンでの切られ雑魚役が、オレの最後の仕事や。

せっかくやから自分でも観とこかなーって」

「もおその仕事に戻らへんの?」

「今は義武叔父さんトコの仕事のンがオモロくなったからな。

まぁまだ大して役に立ててへんけど」

「ふうん。しゃあないなあ。そーゆーコトやったら一緒に見届けたるワ」

「ははっ切られ役やで。誰の目にも留まらんワ」

「そおやろか?音響良えンやろ」


そうして映画が始まると。

アイドル起用と言う割には、時代考証やベテラン役者の脇固めがしっかりしていて。

本好きで歴史小説もよく読んでいた雪代には、視えなくても結構楽しめて。

ラスト。主人公が派手な大立ち回りでバッサバサと首謀者の手下を斬るシーン。

雪代は身を乗り出して、耳を澄ます。

でも主人公を観て来ているファンからの歓声が混ざるし。

派手な効果音と切られ役の悲鳴に加えて、主人公の決め台詞が響いて。

あっと言う間に殺陣シーンは終わってしまった。

後はお決まりの続編を匂わせる、ほのぼの平和シーンが続く。

でも。

雪代はぐいっと春真を引っ張りピアス耳に口を寄せる。興奮を抑えてヒソヒソ声。

「なあなあっ判ったでっ。

主人公が「無駄な足掻きを」言うて刀抜いたやろ。

そんで次に「この数相手に何をほざく」て1人目が切りかかって。

それから3番目に「うおおっこの野郎」て声。あれが春真やろ?」

「え…」

「絶対間違えへん。すぐ判ったで。オレ春真の声スキやもん。

すごいやん、切られ役やのに台詞まで有っ…」

まだ感想途中なのに、雪代の唇は塞がれてしまう。

春真が雪代を抱き寄せてキスしているから。

まだ場内は暗いけれど、そろそろエンドロールが流れて観客の集中も切れる頃。

必死で雪代は抵抗して春真から身体を剥がす。

他の観客に気付かれたかもと思うと、恥ずかしくて汗が噴き出るのに。

春真はもう一度雪代の頬に小さくキスする。

「雪代ありがとおな。オレんこと視つけてくれて」

その声が少し震えてる気もしたけれど。

それより問題なのは座席周りに散らばったポップコーン。

春真が雪代を抱き寄せた時に、容器が潰れて。雪代もポップコーンまみれ。

「もおおっ掃除道具借りてきっ」

頬が真っ赤なのはポップコーンが原因と言うことにして。

雪代は、春真の背中をぐうっと押した。




それからやっと雪代の足首は装具を外してリハビリ開始になる。

でもまだ普段の生活ではがっちりサポーターが必須。

しかも事前説明の通り、このリハビリは手強かった。めちゃくちゃ痛い。

週2回病院のリハビリルームに通うのだけれど。

終わった頃にはもうぐったりで。春真に抱き抱えられて車に乗せて貰うほど。

「よお頑張ったなあ」

「むっちゃ疲れたあ」

「療法士さんも言うとったけど、あんまり焦んなや。

家でも負荷掛け過ぎなのバレとるで。ぼちぼちやらんと、また筋を傷めてまうて」

涙が滲む痛さだけれど。

視力の問題と違って、治る・元に戻せる。そう思うとつい雪代は焦ってしまう。


そして最近もうひとつ雪代を焦らせるコトがあって。


両親には毎日経過報告のラインをしてるし。時々家に顔も出している。

その度に心配の声で「いつ戻って来るん?」と訊かれてしまうから。

まだ高校生だし。家族の元で生活するのはアタリマエ。

そもそも骨折するまでは、自立なんて考えてもいなかったけれど。

春真と2人で暮らしてみて。

手助けして貰いながらでも、自分でも出来ると思えると。

あの厚過ぎる優しさを少し窮屈に思えてしまって。

心配や気遣いの中に沈みたくないと感じてしまって。

両親や周りの大人達に、早く大丈夫な姿を見せて認めて貰いたくなっていた。

それはもちろん春真と2人セットで。



「なあ雪代」

「えっ?な何ん?」

春真と2人なんて考えてたトコで名前を呼ばれて。雪代の心臓が跳ねる。

運転しながら、春真は少し困り顔。

「急やねんけどな。部屋にな同居人が増えることなったンや。

いや、どーしても気が合わんかったら断るけど。

とりあえずこの後会うてみてくれるか?」

「え…」

「言うてもヒトちゃうけどな。同居猫やねん」

「猫?」

雪代の家ではペットを飼ったことが無いから、初めての猫。

それは予想してなかった何よりも新鮮な出来事。

どんな猫やろ?仲良おなれるやろか?

視えない自分でも、猫と一緒に暮らせるンやろか?

不安と期待でドキドキしながら雪代は、春真と一緒に部屋へ入る。

いつもよりキツく春真のシャツを握りながら。

「ブンギャアアアアア」

「わっ」

怒りたっぷりの唸り声に出迎えられて、雪代は春真にしがみつく。

「え?何が居るん…」

「ははは。むっちゃ怒っとおなあ。まだ落ち着かんかぁ」

猫の鳴き声とは思えなくて、雪代は立ち竦むけれど。

春真は雪代の手を取って、唸り声が漏れるキャリーバッグに触れさせた。

「義武叔父さんから預かってなあ、野良猫やねん。

剣道場に親子の迷い猫が入って来てンて。

仔猫3匹は風邪っぴきやから、館主さん家が面倒見てくれとるンやけど。

親猫がなあ疥癬なっとって、治るまでは他の猫から離しとかなアカン。

館主さんとこ飼い猫が何匹か居るんや。

昼間は事務所連れて行くけど、夜だけでもココ置いてくれへんかて」

「カイセンて皮膚の病気やっけ?」

「そお。病院で強めの薬皮下注射したんで、後は栄養摂れば治るンやけどな。

とにかくキツイ性格でなー。ずうっと怒っとお」

「でも…。

仔猫と別々んされて。痛い注射されたンやろ?

親猫としては怒るやろし、怖いンは当然ちゃう?」

「えーまあ、そお言うたらそおやけど」

攻撃的な唸り声の中に怯えを感じる。

それは雪代も知っている感情な気がして、じわりと親近感が生まれて来た。

「どんな猫?」

「それがなあ、じゃりン子チエの小鉄そっくりや。

ハチワレで眼つき悪うて。皮膚病でところどころハゲとおし。迫力あるで」

「へえ。ほんならこのコの名前こそ小鉄やな」

「えっ小鉄だらけで紛らわしーやん。それに母猫やで」

「そんなら鉄子ちゃん」

「そんなら代わりに。そろそろオレんこと名前で呼んでくれん?」

春真がこつんと額を当てて来た。そしてそのまま体温が近くなって。

ええよ…そんな雪代の返事はキスの中に溶けてしまった。




そうして始まった3人の生活。

鉄子はすごく頭の良い猫で、たぶん飼い猫だった過去がある。


生活環境が変わるとストレスだからと、結局部屋にケージを置くことになると。

すぐに落ち着いて、ケージの中からじーっと春真と雪代を見ていた。

2人が喋るのも笑うのも、時に言い合いになっても。鉄子は欠伸して眺めているし。

キスしてると、眼を瞑ってくれてシッポだけゆらゆらさせたり。

そして雪代の視力に問題があることも理解出来て。

雪代からの呼び掛けには必ず返事をするし。

足元まで来ると、驚かせないように前脚でちょいと触れてから擦り寄る。

この間いつものように雪代が部屋を横切ろうとすると、いきなり大声で鳴いた。

雪代の足元には、片付け忘れていたレジ袋が残っていて。

もし踏ん付けたら滑って転倒したかも知れない。

「鉄子ちゃん、めっちゃ賢い!

ありがとおなあ。オレに教えてくれたんやあ」

雪代が鉄子を抱きしめると。鉄子もザラザラした舌で頬を舐めてくれる。


治療中の皮膚を覆う服を、エリオの妹に作って貰うと。鉄子は大人しく着てくれた。

しかもそれは雪代の半纏と同じ生地にして貰ったから。

お揃いの紅い半纏を着た雪代の膝の上で、鉄子が喉を鳴らす様子とか。

「うおおおお!すげー!映えるわああ」

春真のスマホは2人の写真で溢れてしまった。



雪代も雪代で。

いつも面倒を見られる側だったのが、初めて世話をする側になって。

色々と気付くことが有った。

(オレいっつも、気の毒とか同情とかされてばっかて思うてたけど。

それって卑屈に成り過ぎてたンかもなあ。

鉄子ちゃんが出来ひんコトとか必要なコトて、自然と手伝えるもんなあ。

カリカリを皿に出したり、トイレ掃除するのはアタリマエやもん。

鉄子が自分で出来ひんで可哀想とか思わへんもん)

そして、いつもの心配そうな両親の声を思い出す。

(とうさんとかあさんが、明るうに笑う声が聞けたらエエな。

今度家に顔出したら「心配せんといて」より「応援して」て言うてみよかな)


鉄子がリラックスして自分の膝の上で甘えてくれるのは、ただただ嬉しいし。

そんな風に肩の力を抜いて、3人で過ごす時間がすっかり気に入っていた。



そうして。

思いがけず増えた同居人が、無くてはならない存在になった頃には。

剣道場で面倒を見ていた仔猫達はそれぞれお迎え先が出来たし。

新しい家族の元で可愛がられている報告を聞かせて貰えたりして。

同じように鉄子もこのまま一緒に暮らして行く雰囲気になっていたのに。



ある日、雪代が学校から戻ると鉄子の姿が無かった。


雪代が呼ぶと、鉄子は必ず返事をしながら足元に来る。

「鉄子?てっこちゃん?どこ居るん?」

壁伝いに雪代が部屋を何周回っても、鉄子からの返事は無いし。

ちょんと触れて来る柔らかい前脚の感触が近づいて来ない。

何んで?どおして?具合が悪くて動けなくて、部屋の隅にでも倒れとるん?

もしそうだとしたら、自分では見つけられない。助けられない。

(どないしよお…)無力さと恐怖で雪代は震えてしまう。

ふと。ベランダの方から風が流れて来ることに気付いた。

手を伸ばすと、少しだけガラス戸が開いていて。

出掛けに、前日の雨で湿ったスニーカーを乾かそうとベランダへ出したのを思い出す。

(ちゃんと閉めてへんかったんや…この隙間から出て行ってもおたん…?)

震える手で雪代はスマホのワンタッチキーで電話を掛ける。

「雪代?どないした?」

すぐに春真の声が返って来る。日中の電話は余程の緊急と判っているから。

「鉄子が…部屋に居らんねん。ベランダ少し開い、とって…どないしよ…」

春真の声が耳に入って来ると、もう堪え切れず雪代の目からは涙が溢れる。

「すぐ部屋行く!そのまんま待っとれ!動くなよ!」

通話を切りながら、春真は事務所を飛び出していた。



春真が階段を駆け上がってドアを開けると。

ケージの前で雪代が身体を丸めてうずくまっていて。

確かにベランダへ出るガラス戸の隙間は、猫なら十分通れる幅だった。

「雪代」

「オレやとアカンねん。鉄子見付けられへん。どこ居るか判らへん」

「何ン言うとおねん。

オレかてよお見付けんワ。猫は液体言うてな、何処でもするりて通ってまう。

雪代が小部屋で勉強しとったら、いつの間にか鉄子は膝の上乗って来たやん。

せやけどな、雪代が呼んだら鉄子は出て来る。

雪代が呼ばな、鉄子は出て来おへん。出て来たらオレがしっかり捕まえたる。

引っ掻かかれても離さへん。オレら2人で探せば大丈夫や」

春真は雪代を抱き起して、そのままぎゅうっと抱きしめる。


なるべく優しく伝えてるつもりだけれど。

雪代の涙は止まらなくて。春真の胸元が涙で湿って行く。

こんな風に不安いっぱいな泣き顔なんて見たくないし、泣くなと言いたい。

きっと雪代は、もし視えていたらこんなコトにはならなかったと自分を責めている。

そんな辛い思いはこれまでだって有ったろうし。

これから先もそんな口惜しさを味わうコトも有るだろうから。

(オレはずっと雪代の隣居る。何ンでも少しでも一緒に背負えるよおになるんや)

それだけを思って。春真は雪代の額と目元にそっとキスを繰り返した。



かなりの時間が経って、やっと少し雪代が落ち着いたので。

抱いた雪代をゆっくり揺らしながら春真は耳元で話す。

「商店街組合のSNSに鉄子の写真載せてみよ。見掛けたら連絡くれ言うて。

紅い半纏着た猫なんて他に居らんからな。

きっと誰かの目ぇに留まっとる。

鉄子は長く外で生きとったから、ベランダからの懐かしい風に誘われたんや。

そんでつい外出てもて。帰り道判らんなっとるんやろ。

雪代が呼んだったらぴゅうって出て来るワ。2人で迎えに行こ、な」

「ん…」

涙でぐしょぐしょの顔を、雪代はティッシュで拭く。

まだ顔は上げられないけれど、春真のシャツをぎゅっと握る。

「オレだけやと、見付けられん…」

「そおや、オレだけでもアカン。2人で行こ」

「ん。3人で帰ってこよ」

「そおやな」

春真が雪代にキスすると、互いを支え合いながらゆっくり立ち上がった。




半纏猫の目撃情報を元に近所を探し回り。

ポスターも作って貼り出したけれど。鉄子は見つからなかった。


「義武叔父さんが言うとったンやけどな。

鉄子と仔猫は、剣道場の近くにある橋の下が住処やったらしいンや。

鉄子は賢いからなあ。

もしかしたら商店街から出て、用水路の流れ遡って昔の住処目指したンかも。

明日行ってみよか」

近隣は探し尽くした状況になっていたから、休日に春真が提案してみる。

「ん…けど、そんな遠くまで行ったりするやろか…」

相変わらずションボリと元気の無い雪代の黒髪を、春真はぐしゃぐしゃ混ぜる。

「あんなあ。

探しモンする時のコツはなあ。無い無い見付からん、や無うて。

有るはず有るはず見付けたるて思うトコから始めんと」

「…ん。そおやな。会えるはずやて思うて探すワ」

「よっしゃ」

ちょうど雪代もサポーターを着けていれば歩けるようになっていた。




土手の上は舗装されていて、ランニングやウォーキングの人が結構いる。

土手から降りた河川敷も整備されて、遊び場やBBQスペースになっているけれど。

手付かずの草むらにゴロゴロ石だらけの所も残っている。

でもそんな場所なら仔猫を隠して育てるには安全なはず。

2人は河川敷まで降りて流れを遡ることにした。


「足場ケッコウ悪いで。オレに捕まってゆっくり歩きや」

春真は、雪代の腰にふわりと腕を回して。

支える程では無くても、ヨロけたら抱き留められる体勢。

いつもなら、無駄にカッコつけンな~と雪代に腕を払われるところだけど。

石だらけでホントに不安定で、しかも所々泥で滑る。

「ちょお前まで雨が続いとったから川が増水したンやろな。

水位上がった跡あるワ」

河川敷の草むらまで泥がこびり付いている。

「もし鉄子が低い場所に居ったら…」

「そン時は土手上がって避難しとるやろ」

「春真、ごめんな」

「何ンや急に。しおらしーして」

「けどオレもう少し探したい。鉄子の名前呼びたい」

「そんなん気が済むまでやればエエやん。オレも気ぃ済むまで探すで」

「うん。もう少しだけ…」

そろそろ2人とも解っている。

たぶん鉄子にはもう会えない。どれだけ願っても信じても。


会話も途切れてしまって、黙々と足を前に出す。

悲しいけど寂しいけど後悔がいっぱいだけど。進むしかないから。




足元の石がガランと崩れて、雪代の身体がガクンと傾く。

慌てて春真は雪代を抱き抱えた。

「危なぁーこの辺めっちゃグラつくな。ちょお土手上がろ」

「足首痛なってきた…」

「えっソレはあかん。休も。

ちょうど土手んとこに、ボロいベンチあるワ。そこ行こ」

気付けば40分近く歩きっ放し。

想いはまだ未消化だけど、リハビリ中の足首は限界だし。

ずっと不安と後悔でいっぱいの頭も重く疲れて、雪代はぼんやり。

そんな雪代をベンチに座らせると、春真はサラサラの黒髪をわしゃっと混ぜる。

「どっかに自販機くらいあるやろ。飲み物買うて来るワ。

この辺未舗装でデコボコや、じっと座っとってな。すぐ戻る」



ベンチにもたれて雪代はぼーっと自分の手を見る。

視えはしないから、正確には頭の中で思い描いているワケだけど。

自分の手は、鉄子の柔らかい身体をちゃんと覚えている。

滑らかな毛並みと、治療中の皮膚に少し生えてきた短い毛とか。

ごろごろ鳴る喉の揺れや、ちょんと当たる前脚も。

どれも特別で唯一で愛おしい記憶。

「視えんでも、思い出せるもんやなあ」

雪代は、自分の手が覚えている記憶をなぞると。

ついぽろっと涙一粒と一声がこぼれてしまう。

「てっこちゃん、会いたいなあ」



「ブニャア」

「えっ」

その鳴き声に、ベンチから立ち上がって雪代はきょろきょろ頭を巡らす。

探したって視えるはずないのに。視えた。

コッペパンみたいに楕円の顔。眼つき鋭く、むすっと曲がった口元。

黒色多めのハチワレに、紅い着物柄の服まで。

カワイイと言うよりは貫禄たっぷりの姿を初めて視るのに。

雪代はよく知ってる気がした。

そしてしっかりと雪代と視線が絡むと、猫はもう一度鳴いた。

「ニャ」

「鉄子なんや…」

「ブニャ」

雪代の呼び掛けへ返してくれる、いつもの鉄子の声。

嬉しくて嬉しくて雪代は駆け寄ろうとして。躓いてコケてしまった。

辺りは未舗装だから、地面に着いた手と膝は痛いはずなのに。

柔らかくて現実味が無い感触。

(そおか…コレ夢なんや。夢見とおから視えるンや)

鉄子はじっと雪代を見つめている。

雪代は頑張って笑顔を作る。

「オレらが会いに行けへんから、鉄子ン方から来てくれたんやな。

すごいなホンマに賢いな鉄子は。夢の通り抜けまで出来るンや」

しっかりと鉄子の姿を視て、記憶に残したいのに。

涙で視界がボヤけてくる。

「てっこちゃん。ありがとおな。

大好きやでだいすき。めっちゃ好きや。

ずうっと一緒に居たいンやけど…もお無理なンやろか」

涙が止まらなくなって、言葉と泣き声が混ざってしまう雪代を。

いつの間にか、もう1人分の瞳が見つめていた。

その男はすとんと腰を下ろし、鉄子を抱き上げながら。もう一度雪代を視る。

そして形良いキツネ目を細めてニっと笑った。

すっきり鼻筋が通ったクールな造りの顔なのに。

その表情には悪ガキっぽさが残ってて、キマリ過ぎなくて親しみが感じられて。

額には三日月形の古傷。


雪代は涙も呼吸も止まってしまって。2人見つめ合う。

暫くすると、その男は腕を伸ばして雪代の黒髪をわしゃっと混ぜた。

夢なのにしっかりと感じるその手は、雪代がよく知ってる感覚で。

もう何も疑うコトは無くなる。

「はるま…」

「すぐ戻るンでな」

春真は鉄子を抱いたまま、くるりと背を向けて歩き出してしまう。

「ま、待って」

雪代は立ち上がろうとしたけれど。

ふわふわの地面は不安定でヨロけて追いかけることも出来なくて。

ブニャアーンと遠くなる鉄子の声と、春真の後ろ姿は霞んで視えなくなってしまった。





「ゆきしろ?こんな場所で寝落ちて、疲れ過ぎやろ。

もお帰るで。部屋戻って風呂で温まって足首ほぐそ。さすがに限界や」

心配し過ぎて少し怒ってるような春真の声が、頭の上から降って来て。

雪代は春真に伝えずには居られない。例え夢だとしても。

「さっき…

鉄子が会いに来てくれた。春真の顔も視せてくれた」

「へ?」

唐突過ぎて応えに詰まった春真との間に、一瞬沈黙が流れたけれど。

春真はコツンと額を合わせると、軽いキスをして笑う。

「さっすが鉄子や。粋なコトすんな~はははっ敵わんワ」

「うん。すごい。ホンマに最高の子ぉや」

「よっしゃ。

てつこーっ!後はオレに任せえ。

雪代こっち掴まり。歩くン無理やったら抱っこしたろか」

「いらーん」

そんな返事をしながらも、雪代は春真の腕にぴったり抱き着く。

鉄子と同じ、大切な存在の体温が心地よかった。

そのままゆっくりと来た道を戻る。


「自販機のカフェオレ売切れで、ブラックしか無かったンや」

「そんなんよお飲まん」

「やんなぁ。とりあえずカイロ代わりにポケット入れとけ。

まあ部屋着いたら、めっちゃ甘あて旨いン淹れたるワ。

それにしても。鉄子はオレのどんな姿視せたンや?

寝起きで髪ボサボサとか二日酔いの顔とかやったらサイアクやなあ。

ええか雪代。現実は三割増カッコエエからな」

「ウソっぽー」

「ホンマやって。

オレ雪代んこと好きなってから、自慢出来るくらいエエ男に成長しとるし」

「自分でよお言うワ」

じゃれ合って身体くっつける2人は、土手に1人分の影を作る。

「そのうちにまた夢ン中まで会いに行ったるから。よお視い」

「ほんまやな?オレ待っとおからな。ええ顔見せに来てや」

「おう。何度でも惚れさせたるワ」

春真はいつものように額を合わせるとキスをする。

雪代も腕を回してしっかりと抱き着く。


そのぬくもりと身体と唇は、視えてなくても確かに在って。

2人一緒なら、何があってもだいじょうぶ。そう思える存在。

「だいすきや」

同じ言葉がキスの合間にこぼれて。春真と雪代は笑った。

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