おまけ話「日曜日」
コーヒーの芳ばしい香りが漂って来た。
補助器具で集中して文字を追っていたから目元も頭もお疲れ気味。
しおりを挟んで本を閉じ、雪代は部屋を出てキッチンへ行く。
事務所用の造りなので、読書部屋や水回りを別にすると広い1Rぽい。
だから雪代はドアや柱を気にせず、壁伝いに移動し易い。
「コーヒー淹れたん?」
「おう。牛乳も温めたしカフェオレするワ。座っとき」
でも春真が自分の前にマグカップを置いた時、雪代は顔をしかめる。
「わーめっちゃ酒臭っ。コーヒーの香り台無しや」
「そおなんや~久々吞み過ぎてもたワ。まだちょお残っとお」
「いややなー吞兵衛オトナは。もお今日は何んもせんと寝といたら?」
「濃い~ブラック2,3杯飲んだらヘーキや。
それに今ので牛乳も終わったし。買出し行かな」
「メモ書いてくれたら、オレ行ってくるで。
店員さんも慣れてくれたンで、どの牛乳か判ってくれとおし」
温かくて甘いカフェオレをすすりながら雪代は笑う。
初めてのお遣いの時は。
牛乳ひとつでも○○メーカーの青色で牛のイラスト付きとか。
メモの書き込みギッシリだったけれど。
今では白杖付いて雪代がスーパーに入ると、店員の方から来てくれる。
牛乳はコレやったよね。
野菜ジュースと区別するんで、テープ重ねて貼って凸凹着けとくね。
なんて話し掛けながら、エコバッグにしっかり収めてくれる。
そして「ご利用ありがとうございました」と誘導して貰うと。
雪代も素直に「助かりました。ありがとおございます」とお礼が言えてしまう。
それが営業マニュアル通りだとしても。
たかが子供のお遣いレベルだとしても。
自分ひとりで社会の流れに乗るコトが出来たカンジで嬉しかった。
おまけに事務所ビルのエレベーターを降りたら。
その真ん前で、春真が雪代の帰宅を待ってたりするから。
溢れそうなキモチのまま抱き着いてしまった。
「あかーん、ヒトリで行かせへんで。
週末手ぇつないで買物ン行くんをオレは1週間楽しみにしとったんや」
「酒臭い奴と手ぇつなぎたぁナイし。二日酔い運転なんて怖いワ」
「あ~それなあ~」
バイクの後ろに乗せて貰って、解放感たっぷりの風を感じながらツーリングと買物。
それは週末の小さなお楽しみのひとつ。
でも春真の声や口調からすると二日酔いは酷そうだし。諦めるしか無さそう。
「わかったっ。
今からもお一寝入りするワ。
そんで起きたら、里山ン方ぐるっと回って夕焼けツーリングと買物ンや」
「オレには朝焼けでも夕焼けでもカンケー無いやん」
「そおでもナイで。陽の温さとか風の冷たさとか。また一味ちゃうモンや」
「ソレ寒なるだけやんか」
「せやから身体くっつけて。コイビトカイロや~」
いきなり春真は雪代を抱き上げると、そのまま自分のソファベッドに倒れ込む。
「わっ!」
状況が視えない雪代からすれば。
急に身体が浮き上がり、春真の体温を感じながら急降下。
慌てて春真のスウェットを掴むしかない。
「ちょ、ちょおっもおっ何すんねんっ!」
「一緒に二度寝しよおや」
「オレ眠たないっ」
「ほんなら添い寝」
そのまま乱暴なキスで反論は塞がれて、ずしりと大きな身体が重なる。
苦いコーヒーとアルコール臭が混じった息が絡んでくるし。
骨ばった指が雪代のセーターに潜り込んで来たから。
雪代はじたばたと、春真の下で藻掻く。
そしてアチコチ触れられて舐められてキスされて。
やっと春真も少し落ち着くと、ただぎゅーっと雪代を抱き締めた。
「ほんまにもお~何ンなん?
そんな呑み過ぎるくらい飲み会面白ろかったん?」
こんな春真は珍しい。
キスやスキンシップはいつだって優しくて。触ってもええ?と確認するくらい。
唐突な行為で視えない雪代を怖がらせない。それが春真のポリシーだから。
さすがに雪代も、いつもと様子がちゃうなあと気付く。
「んーオモロかった言うか。
しみじみと今シアワセやなあて思うた」
全然ふざけてない春真の口調に、雪代がびっくりしてしまう。
「うわあ春真が壊れたあ」
「はははっそおかも知れん。壊れたつーか壊して貰うたンかもなあ」
「壊したかったん?」
「そお言うつもりは無かってんけど。
まだまだ自分ん中に固あて偏っとおトコ有ったんやなて気付いた」
春真はサラサラな雪代の髪に顔を寄せて何度もなでる。
「前居ったアクション事務所のメンバーがロケでこっち来て、呑んだんやけど。
あの頃のオレと同んなじよーな愚痴や悩み持っとって。
そんでもやっぱ、やりたいコトやっとる眩しートコもあって。
何ンか色々思い出して貰うたけど。
遅おにココ帰って来て。
雪代の寝顔見とったら、何んや同んなじやて気付いてな」
「同んなじ?」
「求めるモンがあって。ソレを満たしたあて藻掻いて。
そんで時々小っこい手応え手に入れられると嬉しいて。
そおやって、ずっとエンドにならんハッピーを追いかけるんは同じや。
でも前と違うンはな。
1人や無うて2人や。
追いかけるんや無うて、作って行くんや。
雪代が隣で笑うてくれたり、凹む時は背中どついて気合入れてくれるし。
そおするとな、いっそハッピーはエンドにならんで延々続いてくれ思うんや」
「…しゃあないやろ。春真が居らんと色々不自由なんやから」
いつもの憎まれ口調だけど、雪代は春真の背中に腕を伸ばして抱き締め返す。
春真の胸元に頭を埋めて隠しているけれど、顔は火照ってる。
「それはたぶんオレも同んなじや」
「はははっ良かったワ~」
静かでやわらかい時間が流れて。春真が少し緊張が混じった声になる。
「もうひとつだけ聞いてくれ。
茨城ん方に視えんでも勉強出来る大学あって、推薦のハナシあるんやろ?
遠慮せんと受けてみ。チャンス有るんやったら色々挑戦してみよおや」
「何ンでそんなコト知っとるん?」
びっくりして雪代が顔を上げると。
大きい黒い瞳が水面のように滑らかで、目の前の春真を視えなくても映し出す。
「雪映いう優秀なスパイが居るんでな。
大事なコトだけは確実に教えてくれるんや~」
「ゆ・き・えぇぇ」
「そん時はオレも一緒に行くし」
「はあ?何ん言うとおねん!仕事あるやろ。
こんなに狭山社長さんにお世話になっとっるし。せっかく仕事の勉強もしとるのに」
その問題は想定内と、春真はにまっと笑う。
「その頃には直子さんも完全復帰や。事務所にベビーサークルも置く言うてたし。
義武叔父さんからも、よお言われとる。
オレは社会経験が足りんからヨソでも働いて見聞広めて来いて。
叔父さんは事業だけや無うて、剣道協会のつながりが日本中あるからな。
頼んでみるつもりや。
オレはまだ半人前やから、ヨソ行って真面目にやれんか疑われそーやけど。
雪代と一緒やて言うたら絶対信用して貰えるしな。
雪代と居るためなら、オレはちゃんとやる。それだけは確かやからな」
「何ンやそれ」
コドモみたいな真っ直ぐ宣言に、雪代の口元にぷぷと笑いが漏れると。
言いたいコトだけ言い切ってスッキリした春真も笑って。
ぎゅむっと雪代を抱え込み脚まで絡めて、ほぼ抱き枕。互いの体温が心地良い。
「二日酔いでそんな台詞言われても。全然ちゃんとしてへんやん」
「いやでも昨日はしゃあない。
呑み屋でな、里山ン方で造っとおクラフトビール出して貰うてな。
初めて呑んだんやけど、めっちゃ旨かってん。つい吞み過ぎてもて。
そんで何本か買うて帰って、雪代の寝顔見ながらまた呑んでもてなあ。
ほんまお薦めやから。雪代が二十歳ンなったら一緒に呑もな」
「苦いン好きちゃうし」
「酒の味は奥深いンやでー。甘さとかフルーティーさとかなあ。
呑み易いんも色々有るし。
なあ、これからやで。
まだ知らんコトや新しいコト。良えコトばっかちゃうかも知れんけど。
一緒なら大丈夫や。何処でも何ンでも…」
そのまま春真の言葉が寝息に変って行く。
「えー?ちょお、こんな動けん状態のまんま寝んなやあ」
雪代は身体を解こうとするけれど。
春真はびくともしないし。平和そーな寝息はかなり深い。
「ほんまにもー」
諦めて雪代も目を瞑る。
(この調子やと、夕焼けツーリングどころか夜空になりそおや。
まあでも暗あなって出掛けるンて、あんましたこと無いしな。
それもエエかもな)そんなことをぼんやり思う。
春真と一緒なら。
「やってみよおや」
そう言って、雪代の視えない真っ暗な道さえ照らしてくれる。




