1.see
狭山春真はウンザリ顔でキツイ襟元を引っ張る。もう何度も何度も。
母親が用意したワイシャツとセーター。地味濃紺は全然趣味じゃない。
ゴアテックスのオーバージャケットを羽織ってるのは、そんな服を隠すためと。
何んとなく言い成りなのがオモロクナイから。
でもボタ雪が落ちて来たから防水ジャケットで助かった、と思う。
この辺りで雪が降るのは珍しくて。どうせすぐ雨になる。
(天気予報は何ん言うとったっけ?傘持って出るべきやったなあ)
そして重い曇り空を見上げながら少し視線を流す。
さっきからバス停のベンチに座って居るコが気になっていて。
そのコは春真が来た時から居る。
バス停は日除け屋根しか無いから、吹きさらしで寒いしボタ雪で濡れるはず。
それにとにかく見た目が気になる。
ハデ振袖をリメイクしたらしい鮮やかな紅色の半纏に。
Gパンとスニーカーの足元が寒々しくてアンバランス。
そして真っ黒サラサラショートヘアに、大きい瞳と白い肌はまるで日本人形。
(めっちゃカワエエけど。
なーんか子供の忘れモンみたいで、暗っつーか寂し気つーか…)
もし傘があれば、一声掛けたり出来たかも知れないけれど。
(いや無いワ。
声掛けるとか傘貸すとかキャラや無いし。オレみたいなん怖いやろしな)
そう思考を終らせようとしたら。
目の前を、焦った様子で走り抜ける学生ひとり。
その外見にも春真はまたまたギクリとしてしまう。
カッチリした制服は、この辺りでは有名なカトリック私立校のもの。
でもその生徒は褐色肌に宝石みたいな青灰色の瞳で。
そのままアラビアンナイトのアラジンとか演じそうな美形。
(うおっ!ビビったあ~。
留学生か?こんな田舎でもワールドワイドになって来よるンやろか)
そのアラジンくんは、春真の前を通り過ぎて。
バス停の日本人形くんに声を掛けながら、傘を広げる。
「ごめんユキくん、遅くなって。寒かったでしょう?早く店に戻ろう」
「いや別に。オレが勝手に外出て来たンやし。
今日は絵本の日やから。子供多いて、店ぎゅうぎゅうやしな」
「そうだった。違う場所で待ち合わせすれば良かったね。ごめん」
「ちょおどエエ時間や。これから店戻ったら、いつも通り静かやろ」
「うん。温かい飲み物買って行こう」
そんな話をしながら2人は、春真の前を通り過ぎて商店街の方へ歩いて行く。
ぴたりと身体を寄せて腕を組んで。
(ほえ~あのコ男か、ゲイカップルなんか。こんな田舎にも居るんやなあ。
それにしてもアラジンくんは日本語上手いな)
そんな野次馬目線だった春真は、ん?と気付く。
2人は腕を組んでるのでは無くて。
日本人形くんはアラジンくんの肘少し上に手を添えて。
歩調を合わせ、頭は真っすぐ動かさない。
(こいつ目ぇ悪いンか…?)
この辺りは歩き慣れているらしく、危な気無い足取り。
やわらかな笑顔で会話しながら2人は駅前通りを進んで行く。
ボタ雪チラつく中、不思議な組み合わせの背中を春真はぼんやり見送った。
と、春真のポケットでスマホが揺れる。
「はい」
「すまん。待たせて貰うたなあ。今事務所開けたんで来てくれや」
「あー…はい。行きます」
通話を切って春真は重いタメ息。
待ち合わせ遅刻状況はさっきの2人と似てるけれど。その表情は全く逆な暗さ。
もう一度厚い雪雲を仰ぎ見てノロノロと春真は歩き出した。
春真は子供の頃から剣道場に通っていて。
時代劇のチャンバラシーンに憧れて、アクション俳優目指して京都へ。
剣道場では自己流の攻撃技で目立ったりして運動神経は抜群だけれど。
演技となると。
殺陣師の指示からはみ出てしまったり。
勝手な動きで何度も仕事仲間と衝突したり。
しかも最近は時代劇の新規製作は少なくて、CGとかに出番を奪われている。
そんなこんなで色々行き詰っていたトコに母親から電話が入った。
「義武さんトコで事務仕事しとお前田さんがな。
出産で暫く仕事休むンやて。
丁度ええ機会やから、アンタ何んとか義武さんの事業に入り込み。
あのヒト勝手に土地転がしてヒトリ儲けとるンやで。
元は狭山家代々の土地やのに、私らぁには金入って来おへん。
アンタ内側入ってちょお情報集めて来てや」
「知らんワそんなん。
何ンでオレがスパイみたいなマネせんならんねん。断る」
「せやかて義武さん独り者やし。今んとこ親戚内で後継者候補無いしな。
アンタが仕事覚えて、義武さんに気に入って貰えてみ?
とんでもない資産を引き継げるンか知れんで?
どーせチャンバラごっこで、この先食べて行ける訳無いンやしな」
「うっさいワっ!!」
その時は頭が沸騰したけれど。
実際生活はギリギリ。それにその時の春真は自信を全く無くしていた。
どんな僅かな出番だとしても。完璧な剣技を美しく見せようと頑張っても。
目立ち過ぎ・出しゃばり過ぎ・誰も見て無いのに余計なコトするな!の連発。
悪ガキだった頃から、オトナに怒られ慣れているけれど。
それが余りに続くと。
その場の演技だけでなく、自分の中の想いまでも否定されてる気がして。
この場に居るのが間違いな気がして。
いつの間にか全部ドーデモイイ気分になっていた。
それで結局、実家へ戻って。用意されたワイシャツとか着て。
義武叔父が経営する不動産管理会社へ向かってるトコロなのだ。
「うわ何ン?いつまで中二病引きずっとるん?」
事務所の入口に現れた春真を見て、事務員の前田は悲鳴をあげる。
そんな声になるのも当然で。
とりあえず母親の指示のままに来たものの、反抗心たっぷりの春真。
ピアスはそのまま、ツーブロックぽく刈り上げた黒髪と立たせた金髪のコンビ。
そして前髪も短く額丸出し。額の真ん中には三日月形の古傷がデン。
子供の頃チャンバラごっこで付けてしまったモノで。
前髪やファンデで隠してた頃もあったけれど、今日は敢えてさらけ出す。
この仕事を自分から断る度胸も理由も見つからないせいで。
いっそ義武叔父の方から断って欲しいキモチが心の片隅に有って。
ショーモナイ見栄っ張りの現れ。
でも当の義武叔父は、春真の身なりは気にしてないカンジ。
昔からの大らかな雰囲気は変わらないし。いつだって多少のことでは動じない。
剣道では教士の資格を持ち、今でも地元の剣道場で指導者を務めているし。
事業では代々続く大地主狭山家の跡を継ぎ、駅前一帯の土地と建物を管理して。
とにかく人間的にも資産的にも篤く、信頼や人望を担い続けている人徳者。
春真も子供の頃から剣道指導を受けていて、義武叔父の人柄を判っているからこそ。
今の中途半端な自分を見られるのが恥ずかしくて、余計に素直になれない。
「おう。寒い中待たせて悪かったなあ。
この辺は4年ぶりやんな。結構変わっとったやろ。迷わんかったか?
明日から車で来るんやったら駐車場も案内しとかんとな」
「え…明日?」
これでも一応、履歴書を内ポケットに入れていて。まだ取り出してもナイ。
戸惑う春真の前に、前田がずいっと重そうな身体を突き出す。
「当たり前やろ。
再来週から産前休暇やのに。社長が全然引継ぎの準備せんから。
全然時間足りんワ。ほらさっさとそこ座り。PC使えるん?」
「え、えと…」
「超超超特急でそのハデ頭に教え込むからな!付いてきいや!」
前田は分厚い黒縁メガネを掛けていて。そのレンズがギラリと光る。
「ほんなら俺はコーヒー淹れて来るわぁ」
引き攣り顔の春真を置いて、義武叔父はゆうるりと奥のキッチンへ行ってしまった。
何杯コーヒーをお替りしたか思い出せ無いけれど。
頭から湯気立ち昇らせた春真が、とうとう書類の山に突っ伏したトコで。
やっと初出勤が終了。
「もおこんな時間や。今日は私が夕食係やったワ、急いで帰らんと」
「旦那さんまだ店居るんやったら、誘って4人で食事行こか?
春真の歓迎会にもなるしな」
ぎゃあぎゃあヒートアップしていた2人から距離を置いて。
義武叔父は静かにひとりソファで書類を眺め、時々電話応対していたけれど。
ひと段落したタイミングで声を掛けて来た。
「結構です。どーせ脂質たっぷり高タンパクな食事やろし。妊婦には有難迷惑や。
旦那とお腹の赤ちゃんと3人仲睦まじく健康的な夕飯にしますンで。
ほんならお先に失礼します」
きっぱりはっきり言い切ると、前田は手際よく机を片付けて退社した。
残された2人は顔を見合わせる。
「どないする?」
「いや、あの。今日はエエです…早よ帰って頭冷やしたいンで」
「そおか。
ほんなら今度、前田さんも食べてくれそおな店探して、改めて歓迎会しよか。
春真は今実家に居るんやろ?次の電車は40分後や。早よ片付けし。
そや、鍵も渡さんとな。ビル裏口とこの部屋と。
俺は午前中稽古やし。前田さんは体調次第で出勤時間変わるンで。
いつでも春真がココ使えるよおにしとかんとな」
そして義武叔父は、ずらりとファイルが並ぶ棚を開けてごそごそ探る。
あまりにもサラリと言われて。
春真の方がモヤモヤと不信感いっぱい。
「あの、ホンマにオレをココで仕事させる気ぃなんですか?
ウチのおかんとか親戚連中が何考えとおか、叔父さん判っとるでしょお?」
義武叔父の表情はずっと穏やかだけど。
却って本心が判らなくて。春真は乱暴な言葉をぶつけてしまう。
でも義武叔父はハハっと声を出して笑いながら、鍵2本とICカードを春真の手に置く。
「春真はまだ不動産査定書の読み方も決算書の意味も理解出来んのに。
情報の持ち出しなんて無理やろ。
こっちが用心せんならん程、頭回るよおになってから。そおいう台詞言いや」
柔らかな笑顔で厳しい正論を返されてしまうと。
春真はぐっと言葉に詰まり。バサバサと乱暴に机を片付けるしか出来なかった。
疲労困憊な春真がビルの外に出ると、かなり冷え込んでいた。
事務所ビルは駅前のメイン通りから奥まった場所なので、静かで人通りも無い。
でも通りは清潔に整備されて街灯も明るい。
ボタ雪で濡れた路面に明かりが反射して幻想的で。ついぼんやり佇んでしまう。
でも安物ローファーがじんわり湿って行く現実に、春真は我に返った。
「あーっくっそ疲れたっ!!もお知らんっ。二度と行くかっ」
あの場では言えなかった不満が一気に噴き出す。
口をキツクへの字に曲げて、さっきまで居た部屋の窓を見上げるとまだ明るい。
春真を帰してから、義武叔父は重要書類を広げてるのかも知れない。
今日はただ眺めるだけだったけれど。
ファイル資料もPCデータも、普段見るコトも無い桁数の金額が散らばっていたし。
この駅前通りも義武叔父が大金をつぎ込んで大改修したと聞いているし。
事務員だけのちんまりした一室からは想像出来ない、大きな事業なのは間違いない。
春真は、はああ~っと深いタメ息をついて。ガシガシと黒髪コンビの金髪を掻く。
(不動産管理とか経理とか。
フツーやったら授業料払うて勉強するモンや。それをタダで教えて貰うて。
言うか給料まで貰えるンやしな。
叔父さんの事業とか全然興味沸かんけど。
実家出て1人暮らしする金貯めるまでは、我慢するしかナイやンなあ)
頭ではそう解っているけれど。とにかく今は自分を労いたいキブン。
気分転換に、安く一杯呑める店を検索しようとスマホを取り出そうとしたら。
渡された鍵までジャラっとポケットから落ちてしまった。
「ちっ」
舌打ちしながら春真が鍵を拾うために屈むと。
1本隣の通り沿いに置かれたショップボードが視界に入った。
『本と雑貨』の言葉の下には『お手頃革製品色々』と写真が貼ってあって。
その中にはキーリングが付いたパスケースもある。
(一応預かりモンの鍵やしな。ICカードとか他のんと混ざってまいそおやし。
キーケースとかでまとめとく方がエエかもな)
電車の時間まで10分以上有るし。寒さしのぎに店で時間を潰すかと。
春真は狭い幅の木製扉を押し開いてみた。
(あれ?ココ本屋やんな?)
店内に足を踏み入れたものの。春真は立ち止まってしまう。
レジがあって店員が居て、本棚には本がずらりと並んでてて。それが本屋のはず。
でもそんな予想とは随分違っていて。
まるでカフェみたいに小さなテーブルセットがぽつぽつ置かれ。
奥にはローテーブルにクッションがあるスペース。
そして壁全面本棚ではあるけれど。
正方形に区切られた枠内に並ぶ本はタイトルもジャンルも装丁もバラバラ。
リボンやぬいぐるみで飾られてたり。手作り雑貨を置いてるスペースもあるし。
本を買うより、読むところな感じ。
実際どのテーブルでも、客は静かにページをめくっている。
場違いさを感じて春真が戸惑っていると。肩をトントンと弾かれた。
「中入らんのですか?」
「や、えっと。すんませんオレ邪魔しとるワ」
いつの間にか春真の後ろには男性が立っていて。
慌てて振り向いた春真と顔を見合わせ、2人とも目を丸くする。
「え?マジ?優気なん?」
「おー小鉄かあ!めっちゃ久しぶりやあ!何ンやその髪、阪神ファン主張かあ」
「あほ。そーゆーセットや。
ダサダサ思考は相変わらずやな。それにもお小鉄とか、誰も知らんワ」
久し振りの再会に思わず声が跳ね上がってしまって。
他の客からの冷たい視線で、2人は慌てて声を落とす。
「まあ、とにかく奥行こ。ソコのんが話し易いんでな」
「オレ電車の時間あるんや」
「へーきへーき車で来とおから、ついでに送ったる」
優気に背中を押され、春真はそのまま突き当りまで入るしかない。
突き当りのスペースは段差があってラグが敷いてあった。靴を脱いで上がる。
そこで大きなテーブルで肩寄せ合って本を広げている2人を見て。
春真はまた目を丸くする。数時間前に見掛けた日本人形とアラジンだった。
アラジンくんは顔をあげて、宝石みたいな瞳をキラキラさせる。
「優気、遅かったね。忙しかった?」
「おう。輝さんが帰っとるから稽古盛り上がってもて。
そおや小鉄、せっかくコッチ居るんやったら道場来んか?」
「オレもお竹刀振ってへんし」
「そんなんすぐ思い出すて。ただ覗くだけでもエエやんか。
最近はなあ、社会人なってから始めるとか。侍マンガ読んで竹刀振ってみたいとか。
体験稽古みたいなコトもやっとって、ゆるーい時間帯も有るんや。
狭山先生から話聞いてへんか?」
「義武叔父さんとは剣道の話はイッコもしてへん」
じっとタイミングを待っていたアラジンくんが、待ち切れずに口を挟む。
「優気、そちらの方は剣道場のお知り合い?」
「そおや、すまんすまん。つい昔の調子でダベってもた。
学校は違うトコやったけど、高校までずっと一緒に稽古しとった狭山春真や。
こいつの叔父さん、道場の狭山さんなんやで」
優気はカラっと大らかな笑い顔で、アラジンくんの艶やかな黒髪に触れる。
それを見て、優気は全然変わらんなあと春真は思ってしまう。
子供の頃、毎日一緒に稽古していた優気は。
いつも体育ジャージか道着で洒落っ気ゼロ。
でも、ぺかーっと明るく笑ってて。あほっぽくてダサイのに。
竹刀を振る姿だけは完璧で美しくて。
優気が一本獲る時は、審判3人とも揃って有功打突の旗を挙げる。
それくらい文句無しの綺麗な型。
(オレとは真逆なタイプやったよなあ)しみじみと春真は思い出す。
派手に決めたくて。こっそり必殺技とか考えてた自分とは大違い。
「春真、紹介すんな。
こっちの鈴が丘の制服なんがエリオで。そっちが雪くん。
雪くんて名前ナンやったけ?」
「うわーひでー名前も覚えて貰うてへんのかオレ。
どーせ優気さんは何ンでも『エリオのついで』やもんな」
さっきは日本人形みたいだと思っていた雪くんとやらは。
意外と口が悪く遠慮無しで。むうっと優気を睨みつけて唇を尖らす。
「雪くんの名前の『雪代』ってキレイな言葉だよね。
雪解け水って辞書に載ってたよ」
「母さんが豪雪地帯の出身やからな。オレ誕生日も冬やし」
そんな会話は春真の耳を素通り。
それよりも「変わらない」と思っていた優気の「変りっぷり」が妙に目に付く。
やたらとエリオばかり見てるし。その視線には熱があるし。
嬉しさと幸せさが滲んでゆるみっ放しの顔。
(さっき、このエリオっつーのとユキシロがカップルなんか思うたけど。
もしかして…)
レンアイカンジョウなんて1mgも持って無いと思ってた優気が、まさか。
信じきれない春真が苦い顔になっていると。
雪代が春真の方へ向き直って、訊いて来た。
「何ンで小鉄なん?」
不躾なくらい真正面から大きくて黒い瞳が向けられて。春真の方が戸惑う。
「別にガキん頃のあだ名やし…」
でも優気は雪代の手を取ると、そのまま春真の額に触れさせた。
「ココんとこ古傷あるやろ。三日月形のン。せやから小鉄なんや」
「三日月?」
そう言ってエリオの灰青瞳まで覗き込んで来るから。
(うわ!キラキラのんが近っ)春真はぶわっと真っ赤になってしまう。
「あははは照れとお。今一瞬肌の温度上がったでー」
笑いながら雪代の繊細な白い指が、春真の額の古傷をなぞる。
視る代わりの仕草だと判っているけれど。
やわらかな感触が一筆書きのように肌を探るから。
(ちょちょちょちょおっ!!)
よく判らない感情でコーティングされてしまって、春真は声も出ない。
「はーん。じゃりン子チエの小鉄か」
「お、さすが雪くん。知っとるな」
「え?何?」
「古い大阪下町の日常マンガ。三日月傷持っとお猫が登場すんねん」
「怪我してる猫?」
「ははは。さすがにエリオは知らんよな」
固まったままの春真をヨソに3人は盛り上がってて。
(何ンなんや、こいつら~)春真ひとり無言でプンスカしていた。
結局ネタにされただけで。キーケースの買い物なんてすっかり忘れて。
春真達は優気の車に乗り込んで他愛無いお喋りが続く。
一番始めに送り届けたのは雪代。
車から降りる時にエリオが手を貸していたから、視力に問題があるのは確か。
でもどう尋ねてイイのか判らず、車内が3人になってから春真はやっと口に出す。
「なあ、ユキシロて。その、目ぇ悪いんやんな?」
「そおやで。
けど真っ暗言うワケや無いンやて。周りが少し見えるんで。
慣れとおトコは白杖無しでも歩けるんや。今日はエリオが一緒やったしな。
なあエリオ、雪くんの病名何んやったっけ?」
センシティブな内容だし、応えるのを戸惑っていたエリオだけど。
優気に話を振られると口を開く。
初対面の春真はまだよく知らないけど。優気の友達なら信用出来る。
「レーベル症です。遺伝性で難病指定されていて今は治療法も無いんです。
ほんとに急な発症で、あっと言う間に視えなくなって。
1年前までいつも一緒に本を読んでたし。
ユキくんが教えてくれたから、ぼくは日本語の表現とか言い回しが解るようになって…」
後部席の春真からは見えないけれど。
助手席のエリオの声が震えて来たからギクリとする。自分が泣かせたみたいだ。
そんなエリオの黒髪をふわりと撫でながら、優気はいつもの明るい調子。
「今でも毎日一緒に読んどるやん。変わっとらん。
奥のスペースは2人の指定席やもんな。千夜と一夜が言うとったで。
若様と王子様が並んどおのを眺めたあて、本屋来るお客さんも居るて。
確かにあの本屋、お客増えたもんなあ」
「そ、そおや。あの本屋。あれホンマに本売っとるんか?」
自分のせいで沈んでしまった雰囲気を変えたくて、春真は強引に話を変える。
「何ンや春真。都会で仕事しとったんに知らんのか?シェア型本屋て増えとるやん」
「知らんそんなん。本屋なんて用無いしな」
「せやったら何ンで店入ったんや?」
「あ」
キーケースのこととか。慣れない事務仕事の引継ぎとか。
急に現実を思い出して、春真は応えに詰まってしまう。
「道場でちょお話聞いたけど。狭山先生の事務所でバイトするんやろ?
125ccスクーターで使うてへんヤツ1台有るで。良かったら通勤に使い。
じいちゃんに言うとくんで、いつでも取りに来たらエエわ」
そんな言葉と共に実家の前で降ろして貰って、走り去る優気達を見送ると。
春真は何んとなく夜空を仰ぎ見る。もう雪雲は無く、星明りがきらめいていた。
広々した庭付き戸建てが並ぶ住宅街だから。
夜のスペースは広く深く星だらけ。
吐く息は白くて冷えるけれど、久しぶりの夜空をぐるうりと眺める。
京都の安アパートで暮らしてた頃には無かった夜空。
(はああ…何んや色々あって。疲れたワ~)
キーケースも通勤手段も、細々と考えないとイケナイコトだらけ。
いやそもそも、あんな小難しい仕事を続けられるンやろか?
パサついた脱色キンパツを掻きながら、春真はタメ息ついて家へ入った。
またまた山のような書類に埋もれながら午前が終わり、13時から昼休み。
義武叔父が稽古から戻る時間に合わせて、昼休みも遅いらしい。
(ランチタイムは店混雑するし。ズレとお方がエエわ)
今日は普段着のセーターとGパンで、ぶらぶらと通りを歩く。
駅反対側は役所や公共施設があるから、昼休中の職員ぽい制服姿が結構居る。
そんな客層に合わせたランチメニューは今の春真にはちょっとお高い。
(義武叔父さんが淹れてくれるコーヒー旨いよなあ。
弁当でも買うて戻って、事務所でゆっくり喰うかあ)
事務所のミニキッチンは自由に使っていいと言われているし。
普段はインスタントコーヒーだから、豆を挽くとか面白そうだし。
春真は方向転換。メイン通りより商店街の方が、弁当や総菜を売ってるはず。
予想通り総菜屋の前には弁当を買う列。
揚げ物の芳ばしい香りに誘われて春真も並ぶ。
どんなメニューがあるのかとちょい背伸び。と、前の男性に触れてしまって。
その人は手にしていた文庫本を落としてしまう。
「うわっ、すんません」
「あ、いえー…うん大丈夫や。汚れンでよかった」
今時文庫本かいなと思いつつも。春真は軽く頭を下げて謝って。
ほぼ同じ身長の男性とばちっと目が合う。
「あれえ?もしかしてハルマくん?狭山社長さんトコの?」
「え?」
「あはははは!ほんまに虎髪の旗本退屈男やあ」
「はあ?」
見知らぬ男に名指しで笑われて。しかも旗本退屈男とは。
時代劇ファンが多い前の仕事では、そのネタで散々笑われて来たのに。
ココでもまたかと春真はイラつく。
「直ちゃんが言うとった通りやあ。絶対見間違えへんなあキミ」
春真から立ち昇るムカつきオーラに気付いて、その男は慌てて補足。
「あ、ごめんごめん。突然笑うたりしてもて。
オレ旦那やねん。奥さんの直ちゃんは、狭山さんトコで働いとる」
「え」
春真の吊り上がった眉が少し落ち着く。
へらっと笑う目の前の男が、口調も指導もキツイ前田さんの旦那?
(分厚いメガネだけはお揃いや…)
一応社会人のマナーとして言うべき言葉を、春真は頭の中で探す。
「あえーと。オセワニナッテオリマス。
その、前田さんには色々教えて貰うとおトコで」
「うん。こちらこそ、ありがとおなあ。
直ちゃんちょおキツイやろ。挫けンと一緒に仕事してくれるん嬉しいわあ。
忙しいやろけど、引継ぎ頑張ってな。
あ、弁当何買うん?今日のメニューやったら三色カツがお薦めやで。
よかったら一緒に店で喰お。インスタントやけど味噌汁もあるし」
「はあ」
とりあえず誘われるままに同じ弁当を買って。
春真は前田旦那に付いて行った。
そして昨日と同じ丸テーブルで弁当を広げてる自分に、心の中で呟く。
(デジャヴ…)
「このトンカツな。
3切それぞれ大葉チーズとネギ味噌にトマト煮込みが挟んであってな。
そんで三色やねん。めっちゃ手間掛かる特別メニューで滅多に出んのに。
春真くん、運良えなあ」
インスタント味噌汁をすすりつつ前田旦那は嬉しそうにパクつく。
春真も付け合わせのポテサラを食べながら、こそっと尋ねる。
「あの~ココ本屋やんな?ええんですか?メシ喰って」
「うん。臭いがキョーレツとか迷惑ならんヤツならな。
あっちの読書テーブルは飲み物だけやけど。
こっちは未就学児がおやつ食べながら絵本見たりもするし。
まあ当たり前のコトとして。本汚さんよおに気ぃつけながらな」
「へえ」
「今はもお本買うならネットやん?
せやったらリアル本屋は、買う以外のモン売らんとな」
「はあ」
「て狭山社長が言うたんや」
「え?ココ義武叔父さんの店なん?」
「一応オレが店長任されとおけど」
「はああ」
まだ温かい手作りトンカツは確かに旨い。ザクザク衣もイイ感じ。
口いっぱい頬張りながら春真は店内をぐるりと見渡す。
昨日はバラバラで雑に感じた棚は、改めて見ると1枠ごとにまとまっていて。
『毎日のお弁当作りに悩む方へ』とポップが付いた枠には料理の本。
『初めての手作りならやっぱマフラー』の枠には編み物本。
かと思えば。
中古のマンガぎっしりだったり。高価そうな装丁の哲学書や法律書とか。
『どれでも1冊100円』もあれば『非売品。キレイに読んでな』もあって。
(ヘンな本屋やなあ)
そんな言葉を、青菜の混ぜご飯と一緒に飲み込む。
きいっと扉が開く音がして。
春真と前田旦那の視線が入口へ向く。
モスグリーンのフード付コートに、斜め掛けカバンの学生が立っていて。
(あれ?昨日のコか?ユキシロやったっけ)
そう春真が記憶を探ってる間に、前田旦那はさっと立ち上がって迎えに行く。
「こんちは。前田さん」
「ヒトリなん?」
「クラスのみんなタコ焼き喰いに行く言うんで。ソコで別れた」
「先客居るけど。奥行こ」
「エエの?」
「一緒に昼飯食べとったんや。雪くんも昼ご飯これからやろ」
そんな会話しながら2人歩く姿は、昨日のエリオと雪代そのままで。
(またデジャヴ…)
どう行動すればイイのか判らず、座ってるだけの自分が何んとなく恥ずかしい。
「春真くん、ちょおスペース開けたって」
「あ、そおか。そおやな」
「ハルマ?昨日の小鉄?」
「え?小鉄て何?」
「いや、そン話はもおエエからっ」
つい唸るような声になりながら。春真は広げていた弁当を端に寄せる。
(あーオレカッコ悪っ。何んやずうっと気ぃ利かん奴やんか)
そんな居心地の悪さを感じて、ガサガサと雑な行動の春真とは違って。
前田旦那は、雪代からコートを預かって、静かに誘導する。
「雪くんも味噌汁飲むやろ?作ってくるワ」
「うん。ありがとお」
そして雪代はテーブルの上に手を滑らせて空間を確認して。
カバンから小さな包みを取り出して置く。その包みを開くとおにぎり2つ。
雪代の仕草は流れるようにスムーズでしなやかで。
箸を手にしたまま春真はぼーっと見つめてしまう。
その細い指先を見ていると、昨日自分の額に触れた感触が蘇ってしまって。
心臓がどきどきしてしまう。
(たぶん…
オレやったらテーブルに物が無いのん視えとるから。ぽんて弁当置くけど…)
雪代の仕草は丁寧で。指先に意識が集中していて。
視覚ではナイ感覚が雪代の周りできらめいていて。
伏せ気味なまつ毛が、大き過ぎる瞳を落ち着かせていて。
さらさらの黒髪がぱらりと白い輪郭から離れると、春真の視線は追ってしまう。
(何んや、めっちゃキレイや…)
いつの間にか息を止めて、春真は魅入ってしまっていた。
でも。
その静寂を憎たらしい舌打ちがブっ千切った。
「ちっ。
ええ加減にせえよ小鉄。気にし過ぎや。視覚障碍者がそおんなに珍しいんか」
「えっ!や、そおや無うてっ。珍しい言うンや無うて、その何ン言うかキレ…」
「切れー?オレの言い方がキレとお言うんか」
視てないくせに。いや視えてナイからなのか。
眉間に皺を寄せ、ぎろりと睨めつける表情は恐れるモン無の迫力がある。
でも春真も、火を向けられると習性的に強火へスイッチしてしまうから。
「ああ?ヒトの話を最後まで聞かンで。そっちこそケンカ売っとるんかあ?」
ついずいっと肩を入れ込んでしまったけれど。
間近になった雪代の黒い瞳があまりに艶めいて。自分が映り込んでしまいそうで。
よく判らない唾を春真はごくりと飲み込んだ。
「ちょお。お二人さん静かになあ。本屋やでココは」
苦笑いの前田旦那が2人の間に湯気立ち昇る大きなマグカップを置く。
そしてカップを少し動かして、雪代の手にちょんと当てて。
「雪くんココな。スプーンはカップに入っとおから」
「うん。ありがと前田さん」
さっきまでの舌打ち顔は何処へやら。
にこっと前田旦那に向けられる雪代の笑顔は素直で柔らかい。
白い肌が室内の空気で温められてほんわり紅くて。はっきり言って可愛い。
そしてくるっと春真の方へ向き直ると。頬より紅い舌を出して「べーっ」。
あまりの態度の違いに、春真は一瞬頭が沸騰したけれど。
がふっとトンカツにかぶりついて気持ちを誤魔化す。
(日本人形みたいな顔しとるクセに。性格サイアクやないかっ。
オレが小鉄や言うンやったら。そっちはじゃりン子チエやっ!)
前田旦那と雪代は書籍の話で盛り上がってるけれど。
春真は読書なんて興味も無いし。黙って箸を動かすだけ。
でも隣に座ってるから、自然と気付いてしまう。
雪代は片手でおにぎりを持ちながら、もう片手はずっと包みに触れていて。
(もう1個のメシがドコにあるか見失わンよーにしとるんか…。
ん?視てへんのに見失うてヘンか。
あれ?「失う」とセットになっとるンが「見える」てヘンやんな。
視えンでも、ソコにメシ在るやんな??
なんで何んでも「見る」こと前提なんやろ…)
蹴つまづいて初めて道端の小石に気付くみたいに。
妙な違和感が生まれてしまうと、春真の内側がもぞもぞしてしまう。
(あーくっそ。ユキシロが近くに居ると、何ンや調子狂うワ)
ちっと音にならない舌打ちをする。
ホントは少し解っているから。
自分の中のアタリマエとかソレガフツウとかは、実は薄っぺらで。
そこに収まらないリアルは、実は根深くたくさん存在していて。
それに気付いてしまっても。自分はどーしたらイイのか判らない。
さり気なく、でも大切な友人のために気配り出来るエリオや前田旦那を見ると。
狼狽えてる自分の無知を余計感じてしまって。
(ユキシロには「気にし過ぎ」言われたけど。
気になってまうンは、ユキシロや無うて。カッコ悪い自分自身や)
春真は、ぬるくなってしまった味噌汁をタメ息と一緒に飲み込んだ。
「前田さん。エリオが来るまでココ使わせて貰うてエエ?」
「ええでーゆっくり使うて。
春真くん、そこに置いてある箱取ってくれるか?ちょお重いで」
「あ、はい」
前田旦那が差す方向に行って、春真は黒い箱を持ち上げる。確かにズシっと重い。
箱には、据置型拡大読書器とラベルが貼ってあった。
受け取った前田旦那が、雪代の前にてきぱきと機器を並べると。
モニター付きの不思議なセットが出来上がるり。
瞬きするのも忘れて春真はじーっと見つめてしまう。
ラベルから、何んとなく読書用の補助器具だとは予想したけれど。
「はあ。すご」
思わずぽつっと声が漏れる。
「やろお?
コレめっちゃエエヤツなんやで。値段もな。自分ではよお買えんけど。
ココに置いてくれたンで、本読むのん助かっとるんや」
にこおっと雪代は満面の笑みを向けて来るから。
春真の心臓が跳ねた。
(うわ。めっちゃ可愛ええ顔すんな)さすがにその言葉は飲み込む。
(さっきまでの憎たらしー顔と全然ちゃうやんか。何んやねん)
そんなモヤモヤ顔の春真の存在なんて、雪代はもう全然気にしてない。
カバンから本を取り出すと、読み取り台の上に置いて。
イヤホンもセット。朗読機能もあるらしい。
栞が挟んであったページを開くと、大きな瞳をキラキラさせてモニターを見つめる。
モニター画面は、文字が大き過ぎてヘンな位置にあって。春真には不自然に感じるけれど。
昨日の優気の話を思い返す。
(真っ暗や無うて、見える部分もある言うてたしな。
そういう隙間から文字を視とるんやろか…)
普段自分が見るモノと言えば動画くらい。どんどん流れて行く情報だけ。
一文字ひと単語ひとつの物語を、真剣なまなざしで追っている雪代の姿は。
バス停にぽつんと置き忘れられた人形じゃなくて。
顔を輝かせて読書を楽しんでいる高校生。
只今行先不明でフラつき中の春真には、眩しくて羨ましくて。
ぐっと口を締めると。弁当の後片付けをして春真はそっと席を立った。
空っぽになった雪代のカップも一緒に下げる。
今の自分に出来るンはコレくらいやと思いながら。
そんな時間を過ごせたせいか。
午後からの仕事引継ぎはちょっと真剣になれて。
前田からも「何ンや。やれば出来るやんか」なんて言って貰えたり。
追加で社用車とガレージの鍵まで預かってしまって。
(そおや、キーケース買うんやった…)
デスクの上にじゃらっと並ぶ鍵を見て、春真はあの本屋の奥スペースを思った。
(ドリンクやったら持ち込んでエエ言うとったしな。余ったら自分で飲むし)
そんなコトをごにょごにょ自分に言い訳しながら。
春真はコンビニで温かいカフェオレとミルクティーを買って。
そして昼休みから再びとなる本屋のドアをそっと押した。
昨日と同じように仕事帰り風の客がミニテーブルで読書していて。
突き当りのスペースにエリオが見えた。
すらりと姿勢良くページに視線を落としている横顔は、彫像みたいに整っていて。
お客の中にはチラ見してる人もいるほど。
でも春真には、エリオの膝元にある派手紅の塊が気になる。
(アレ確かバス停で雪代が着とった半纏やんな)
もう少し奥へ進んで覗き込むと。やっぱりソレはエリオの隣で眠る雪代だった。
「こんばんは。春真さん」
キレイな微笑みと日本語でエリオが声を掛けて来た。
「お、おう」
「連日来店されるなんて、春真さんも読書好きですか?」
「あ、や。小物買お思うて。そーゆーのんも売っとるんやろ?」
「そこの柱の後ろにある棚に、色々置いてあります」
「ふうん」
そう応えて移動しようとして。コンビニ袋を持て余す。
(このまンま冷めたなるンもなー…)
「あー良かったら飲む?まだ温いし」
「え?」
「あーその。昼ココでメシ喰わせて貰うて。
そしたら雪代が来て、アンタと待ち合わせしとおみたいやったから。
何ンつーか差入れつーか…」
歯切れ悪く春真は言葉をつなげるけれど。エリオはにこっと微笑みで応える。
「ありがとうございます。いただきます。
ユキくんはカフェオレが好きだから、起きたら渡します」
「本屋で居眠りなんか」
コンビニ袋をエリオに渡しながら、雪代の寝顔を覗き込むと。
枕替わりのカバンに頬が潰れて唇がとんがって。何んとも無防備で。
春真の胸はむずむず。
(くっそーホンマ何んやねん。顔だけやったら好みド真ん中やで)
気になるコとは性別気にせず付き合って来た春真だけど。
さすがにこの取り扱い注意な存在には、安易に手は出せないと感じている。
春真はそんな複雑我慢顔だけど。
エリオは慈愛の笑みで、雪代の髪をなでる。
「文字を追うのって、補助器具を使ってもかなり疲れるみたいです。
以前は頭痛がするって、目元を冷やしたりアスピリン飲んでました。
最近は疲れが溜まる前にこうやって休みます」
「あー…そおなんや」
丸まってた雪代がもぞりと動く。
「ん、優気さん来たん?」
「まだだよ。今日も遅くなるって。来たら起こすから」
「さーんきゅ…」
そのまま言葉は寝息に変って。紅い半纏が少しズレ落ちる。
春真は手を伸ばして半纏を雪代に掛け直した。
「こんなエエもんまで有るんか。本屋なんに」
「綺麗な柄でしょう。古い着物のリメイクです。ぼくの妹が作ったんです」
「へ?」
「そこの珈琲豆のお店で、洋裁と編み物を習ってます」
「こーゆー日本風なんも?」
不可解な春真の表情が意味するトコロを、エリオはすぐ解って補足する。
「妹が2人いて、ぼく達はアラブ系のフランス人です。
今は田村さんのお家でお世話になってます。
とても良くして貰って、日本の生活もすっかり慣れました」
「優気のじいちゃんトコか。そんで優気が迎え来とるンか」
「優気は関東の大学だから、本当は茨城で下宿生活してます。
今だけで…来週にはまた茨城に戻ります」
すうっと寂しさがエリオの顔を過ったことに、春真は気付いてしまう。
「まあエエ奴ではあるけどぉ…」
(あんなダサオが、こおんなべっぴんと付き合うとはなあ)
羨まし過ぎて僻みが混じった口調になったせいか。
エリオがむっとした顔で言い返して来た。
「優気はすごく良い人です。でもそれだけじゃないです!
いつも何んでも笑って受け止めてくれて。
だからぼく達は落ち着くことが出来て。孤独を感じることが無くなったし。
優気と一緒になら、ぼくは何処でもいつだって幸せになれるんです」
思わず春真はのけぞる。
エリオの話し方や内容は、如何にも学習した日本語と言う正確さが在って。
これまでも判り易くまっすぐ伝わって来たけれど。
今回は痛いくらい突き刺さってしまった。
(うおおおマジやマジ過ぎるっ。マジ恋か~)
「ひゃあ照れるわあ」
いつの間にか到着していた優気は、みっとも無く崩れた顔で立っていて。
そのままエリオをぎゅうっと抱きしめる。
「いや~店ン中や無かったらキスしとおトコやわ」
「優気…」
褐色の肌では照れる様子は判りにくいかと思いきや。
潤んだ灰青色の瞳はさざ波立つ水面みたいに揺らいで美しくて。
もう目の前の優気しか映っていないし。
春真はツッコむことも出来ず背景の一部になるしかナイ。
そして。
「近っ!キスしとるンと一緒やろソレ!視えんでも判るワ。
起きるタイミングに困るコトせんといてくれ~」
エリオの膝元で、雪代がうううっと唸り声をあげた。
次の休日、春真は田村家の広いガレージに居た。
「XSRか~シっブイな~」
「父さんまた海外在留が決まってもてなあ。バイク放置状態や。
こーゆーンは乗ってやらんと、乗り味硬ぁなってまうからなあ」
「優気は乗らんの?」
「エリオが苦手なんでな。振動とかエンジン音が怖いみたいなんや」
「ほおおお」
ノロケかいと春真はツッコもうかと思ったけれど。何故か優気は暗い表情。
「オレもよお知らんかったけど。
ヨーロッパて移民問題が根深いらしいてなあ。
エリオ達が育ったンは結構過激な抗議活動する環境やって。
何ンつーか大声とか主張の渦ん中で暮らしとったんや。
一夜と千夜の父親が日本人で、こっち連れ帰ったんやけど。
父さんと同じ派遣の医者やから、また海外行ってもて。
今は子供だけで留守番や」
「母親は?」
「理想と理念の為やて、フランス戻って貰うた」
「えええ?」
あの物静かなエリオから想像出来ない生育歴に、春真は驚き過ぎて顔が歪む。
でも優気は淡々と話しを続けて。
「こーんなへーわな地方で暮らしとると、知らんで済むコトやし。
紛争や衝突のニュースも遠ぉて関係無いて思うてまうけど。
ちょこおっとの波紋でも。繋がっとってココまで届いたりするんやで。
知ってまうと、もお知らん顔は出来んし。
けどな。ソレならそれで。
隣に居る大切な人を、安全で幸せにしたいて願おたら。
それがぐるっと繋がって地球1周せんのかなて思うんやけどなー。
なかなか世の中上手く行かんモンや」
はははは、と空っぽな方を向いて優気は笑う。
それは春真が知らない優気で。
生真面目過ぎでダサイのは変らないのに。まっすぐにエリオを想ってて。
「優気、変ったンやなあ」
つい本音が漏れる。
「そらあそおや。何よりも大切な人が出来たからなあ」
そのまっすぐ過ぎる応えに。はははと今度は春真が干乾びた笑いを返す。
「せやからな。
知って貰うて、気になって貰うて。無関係やナイて思うた時は。
春真も動いたってな」
「え?」
「ヘルメット2個のオマケ付きや。
雪くんはチャリ通やったから、バイクのケツ乗るん平気やろ。
時間合う時は送ったり。
バス停から家まで歩くと、雪くんは信号機の無いトコ2ヶ所渡らんならん。
何度か車と接触しそおなってケガしとるけど。親には言うてへんらしい。
エリオが気付いたんで、なるべく一緒に帰っとったンや。
せやけど来週にはオレ大学戻るし。エリオと雪くんのバスはルート逆やし」
どきん、と春真の胸が痛む。
雪代が舌打ちしたり憎たらしいコト言う場面がいくつ積み重なっても。
一番初めに見た、置き忘れの人形みたいに凍えた姿はどうしても。
春真の記憶から消えなかった。その理由が判ってしまったから。
気になったのに。気になったまま、気にしないフリをしたから。
ずっと引きずっている。
春真は強くヘルメットを握った。
「そおやな。それくらいやったら…出来るかもな」
「おう頼むワ。エリオも安心出来るしな」
それからの春真は。
昼休みになると弁当を買って、前田旦那と食べて。色々話を聞かせて貰う。
仕事が終わるとその辺で食事を済ませて、また本屋。
その時間帯にはもう雪代もエリオも居なくて。
奥のスペースには紅い半纏と読書補助器具が置いてあるだけ。
そこで缶コーヒーを飲みながら、春真は不動産知識の入門書とかをめくる。
(高校ン時でも、こんな真面目に教科書読んだりせんかったで…)
頭が沸騰しそーになると、前田旦那の世間話で気分転換。
大改修される前の駅前の様子とか。
シャッター通りになりかけたトコロを、義武叔父達が建て直した話とか。
ただ教科書を読むだけでは解りにくいモノや資金の流れをリアルに感じて。
(もっとベンキョーせんとあかんな)つくづくそう思った。
そうこうしてると前田は産休に入ってしまって。
今日からは、事務所を開けると春真はひとり雑用を始める。
簡単に掃除をして来客用飲み物在庫を確認、そして郵便物の整理。
まだまだ出来るコトなんてほとんど無くて。
剣道場の稽古が終わって義武叔父が来るまでの間、留守番するだけ。
別にスマホをいじってても構わないのだけど。
デスクにどん!と入門書を積み上げてみる。
(オレはふつーに文字が視えるンやから。きっと、たぶん。読めるはずや。
理解は出来んでも、まずは読んでみるしかナイわ)
そうでもしないと。
いつまで経っても雪代に声を掛けられない気がしていた。
午後になって出勤して来た義武叔父がじっと春真を見たので。
春真はちょっと大きめの声を出す。
「おつかれです」
「ん。今日からひとりやな。よろしくな。黒いンも似合うやないか」
「まあいちおう…気合入れ直そおか思うて…」
そう。脱色キンパツを黒く染め直しピアスも外した。
服装はラフなGパンのままだけど。それはまあ他の服を持ってないからで。
(前のカッコやと、学生服の雪代に絡んどるて勘違いされそおやもんな)
今日こそは雪代を送って行こうと決めていた。
終業時間になると。
「おさきにっ」
ヘルメット2つ持って春真は事務所を飛び出した。
でも本屋を覗いても奥スペースは空っぽ。
「前田さん、今日は雪代来てへんの?」
「雪くんやったら、ついさっき帰ったで」
「ちっ、スレ違いか。そおや、あの半纏借りてエエか?」
「え?」
「バイクのケツ寒いンや。もし雪代に会えんかったら返しに戻るンで!」
そう言って手に取った半纏はまだ体温が残っていて。
きっとすぐそこで雪代に会えそうな気がする。
春真は急いでバス停に向かった。
バス停は結構待ち列が出来ていた。
ママ友達でお茶していたらしく、ベビーカーを押す女性達がお喋り中。
高いトーンの笑い声と子供の大きな声でにぎやか。
そんな中、バス停の日除け柱に隠れるように雪代が立っていた。
白杖を持っているけど、お喋り中の客は気付いてない。
雪代の表情は強張っていて、動くに動けない様子。
この状況だと到着案内のアナウンスは聞き取れないし。
ベビーカーの存在が中途半端に場所を占めていて、いつもみたいに歩けない。
そんな困惑が感じられて。
まだ離れた場所に居るのに、春真は大きな声を出してしまった。
「ゆきっ雪代っ!すぐソコ行くンで待っとれ!」
びくっと身体を震わせて。声がした方に顔を向けた雪代の唇が少し動いた。
それを春真は確かに視た。
こてつ?そう小さく唇が動いていた。
(ああ!そおやオレや!)そう思い切り喚いて周りのヒトを押し退けたいキブン。
それでも理性を持ち直して、春真は待ち列を回り込んで。
雪代の手をぐっと握って歩き出す。
「よかった~間に合わんか思うたワ」
「何ンがええねんっ恥ずいヤツやな。こんなトコで名前大声で呼ぶなやっ」
「まあエエ。あっち行こおや」
「あほ。オレ、バス待っとるんや」
「送ってったる。コレ優気から預かっとるんや」
「なん…?」
「ヘルメットや。バイク言うても原付やしな、ゆっくり走るし」
「ばいく?」
春真が握っていた雪代の手にヘルメットを触れさせると。
怒ったような戸惑ったような雪代の表情が、ぱあっと明るくなる。
「バイク?ほんまに乗れるん?チャリにも二度と乗れん思うとったのに」
ふざけ合う友達みたいに、春真は雪代の肩を抱き込んで顔を寄せた。
「この季節バイク寒いでー。オレの背中温めてくれや」
「何ンやそれ。オレの背中寒いやんか」
「前田さんトコでこれ借りて来たし」
紅い半纏でコートごと雪代をくるむと、白い肌と黒い髪が際立って。
いつもの可愛くて生意気な顔が間近になって。
必死でキスしたい気持ちを抑え付けて、春真は頬を寄せる。
「ぎゃー!何すんねんっ痴漢!変態!どスケベ野郎っ」
「雪代の顔めっちゃオレ好みなんや。仲良おなろや」
「知らんワっそんなん!自分の顔なんてもお忘れたワっ!
そもそもオレ小鉄んコト何んも知らん。
顔視たコトも無いし。これからも視ること無いし…」
雪代の足はその場に止まってしまって、苦い表情で顔を背ける。
「エエやん。
知らんでも、在るモンは在るんやから。
視えんでも、新しいオトモダチとかバイクとか増やして行こおや」
春真は雪代の手を取って、自分の三日月傷跡に触れさせる。
「な、とりあえずコレでオレなんは判ったやろ?コレでええやん」
事務所併設の駐車場は他に誰も居ない。
春真は雪代にヘルメットをかぶせ、分厚い手袋を着けさせた。
「同意が有らへんかったら、誘拐やで」
「ほんなら同意してくれ。ツーリングデートや」
「するか、あほ」
「冷たい風受けて走ってなあ。凍えそーになるやろ。
そんでガタガタ震えながら自販機で温いモン一気飲みして帰るンや。
それだけやから10分程の寄り道や。そんくらいならエエやろ?」
「ソレ寒いだけやんか」
「いやそのあほらしさがオモロイんやって。
やってみんと判らんやん。やってみぃたいやろ?」
春真は雪代の頬を両手で包んで、むにっと無理やり口角を上げてみる。
「あほーやめー。
ったく、こんなあほに付き合うてやるン他に居らんやろしな。
しゃあない背中温めたるワ。途中でちゃんと温いモン奢れや」
唇尖らせて憎たらしい言葉並べるけれど。
そのくせ雪代の大きな瞳は興味でキラキラしている。
ページの上でしか広がらなかった世界が、現実に感じられるなんて。
やってみたいに決まってる。
バイクの後部席に座らせて貰うと。
雪代は春真の背中に頬を押しつけて、腕を伸ばしてしっかり抱き着く。
視えなくても知らなくても、確かに特別な体温が感じられた。




