表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/11

第五話:蛇蝎の蠱毒

 教祖の間は、荘厳な気配と、冷たい野心に満ちていた。

 厚い緞帳が光を遮り、蝋燭の炎が金の祭壇を赤く縁取る。

 思考を濁らせるような甘い香煙。壁に掲げられた尾を咥えたヘビの章旗が、床に不気味な影を落とす。

 高壇に座したラドロは、今しがた受け取った報告書を指先で無造作に弾いた。赤地に金糸を織り込んだ装束は華やかさを誇示するも、その美しさすら、彼の退屈した表情には無味に映った。

 彼の前に跪いた部下が、落ち着いた声で事態を報告する。

「リンファ様の動向がわかりました。傭兵をひとり従え、西方へと移動中です」

「そうか」

 ラドロは報告書を放り投げ、口元に嘲笑を浮かべた。脚を組み直し、頬杖をつく。

「私から逃れられはしないというのに……無駄なことを」

 リンファの逃亡は幹部たちに一時的な混乱をもたらしたが、ラドロにとってはさほど重要ではなかった。もはや婚姻は既定事実。覆る余地などありはしない。

 あの美しさは支配欲をそそる、火種のように。あれは自分のものだ。誰にも渡してなるものか。

 ラドロが高壇に上がるのは、けっして神を讃えるためではない。己の権威を顕示し、支配の悦楽に浸るため。その茶色の目には信仰心など欠片もなく、ただ権威と支配への渇望だけが宿っていた。

「現在、ヤンファン自らが隊を率い、リンファ様のもとへ向かっております」

「ヤンファン……従順な男よ。従順で、堅実で、実に哀れだ」

 ふんっと、鼻の奥で笑う。

 ラドロにとって、ヤンファンはただの道具でしかなかった。〈穢れなき永遠の楽園〉で妻に会えると信じてやまない敬虔な態度。確かに医師として価値があることは事実だが、いずれにせよ、利用するだけの存在に過ぎない。

 嘆かわしい。嘲弄を禁じえないほど。

 ところが、次に部下の口から告げられた事柄に、室内の空気は一変した。

「リンファ様と動きをともにしている傭兵の名は、イェシム。どうやら砂漠で名の知れた——」

「なんだと」

 ラドロの眉が、ぴくりと跳ねた。頬が引き攣り、瞳の奥に粘つく光が差し込む。

 イェシム——それは、実に忌まわしい血筋の残滓を、ラドロに想起させる男の名だった。

「〈ズィブ・ナーバ〉の亡霊が。まだ砂漠をうろついているのか。雑魚どもの一掃は済んだと思っていたが」

 椅子に深く凭れかかり、苦々しげに口角を上げる。

 リンファの逃亡など些末な出来事だ。すぐに戻ってくるのだから。……だが、イェシムの生存は、自身の威光を穢す塵埃(じんあい)だ。徹底的に払拭しなければならない。なんとしても。

 沈黙が一拍落ち、甘い煙がさらに濃くなる。

 ラドロはゆっくりと立ち上がり、凍てついた声音で部下に命じた。

「いいか。リンファは必ず生きて連れ戻せ。……だが、男のほうは肉片ひとつ残さず砂に埋めろ。名を、存在を、この世から完全に消し去るのだ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ