第十話:光を遺した者たちへ
砂の大地を、夜の帳が覆う。
熱を帯びた風が高台を過ぎていく。遠くに広がる戦の爪痕は闇に溶け、焼け焦げた神殿の残骸だけが、おぼろげに夜空を突いていた。
ラミナはひとり、星の少ない空を仰いでいた。その目に映るのは、帝国の空とは違う、厳しくも清冽な砂漠の星辰。
静寂の中。
背後から、砂を踏む音がゆっくりと近づいてきた。
「……将軍」
呼びかけに、ラミナは振り返った。
月明かりに照らされたイェシムに、つややかな笑みを投げかける。
「ようやく終わりましたな、殿下」
「その呼び名はやめてください。……今は、ただの傭兵です」
ラミナの目元が和らぐ。
その眼差しには、どこか懐かしさを含んだ優しさがあった。
「そう仰るところは、昔と少しも変わられない。ですが、あの剣の振るい方を見る限り——ただの傭兵というには、いささか説得力に欠けますな」
「……昔の剣は、あまりにも守れないものが多過ぎました。今は、それでも誰かを守れる剣でありたいと、そう願っています」
ラドロを討ったあと、心に訪れる虚無を覚悟した。だが、実際に残ったものは、あの子が生きているという確かな希望だった。
ふっと、会話が途切れた。
遠くで風にあおられた帆布の音が、かすかに耳朶を打つ。流れる風が、まるで時間の重みをはかるかのように、砂の匂いを運んでいく。
「グランツ将軍」
「何です?」
「改めて、心から感謝申し上げます。……リンファを、助けてくださって」
「何を仰います。礼を言わねばならぬのは私のほうだ。あの子を……リンファを護ってくださり、本当にありがとうございます」
初めてリンファを見たとき、すぐに懐かしい面影を感じた。
だが同時に、それを思い出すことは、己の過ちを背負い直すことでもあった。
「罪を犯したのは私です。あの子の母を……デアを、私は拒んだ。だからこそ、あの子をこれ以上ひとりにしてはならぬと思いました」
「あの子は、あなたを見たとき、怖がってなどいませんでした。きっと、愛する誰かに似ていると感じたんでしょう」
ラミナは、そっと目を伏せた。
月影がその目元の陰影をより際立たせ、長く背負った悔悟と手にした希望を、静かに分かつ。
「今さら許されることではありませんが……それでも私はできる限りを尽くすつもりです。あの子にとって、最後の盾となるために」
「頼もしいですね。……俺よりもずっと堅牢だ」
イェシムの口元に、わずかな笑みが灯る。
ようやく過去を清算した達成感と、リンファの未来が確かな手に委ねられた安堵に、瞳を閉じた。
「此度の制圧は、我が国への脅威を取り除くための責務。そして、今は亡き同盟国への弔い。……貴殿の協力は、同盟の血縁が遺した最後の望みでした」
軍人として、また、旧友として語られたラミナの言葉に、イェシムは深く頷いた。
「ありがとうございます、将軍。……ですが、平和は剣を納めた先に生まれるものではない。たゆまず前を向き歩き続ける者たちが、地道に織り上げていくものです」
「そうですね。命を燃やして護った者たちのためにも歩き続けなければ。……生き残った我々は」
すっかり冷えた風が、ふたりのあいだを吹き抜けていく。夜の深まりとともに、頭上の星々が謳い、瞬く。
長い時間の、そして、命の重みを背に、それぞれの道がまた動き出そうとしていた。
砂漠の果て。
一握の砂上に、けっして消えることのない光を遺して。




