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今まで総てのパーティーは、レイナードにエスコートされて会場に入った事しかない。
メリッサは、その緊張と共に学園の大広間に足を踏み込んだ。柔らかな生地の、琥珀色に揺れる布が、どこか心許ない。自分のドレスなのに他人のものに感じる。レイナードは自分の為にこのドレスを設えたのか、それとも『婚約者』の為なのか。
考えても詮無いこと。
すべての気持ちを吸う息と共に飲み込む。
会場に踏み込めば、一気に濃厚なベリーの様な甘さと、スパイスの独特な薫りに包まれる。最近王国と取り引きを始めた南国のインセンス。効果的になるように手配をしたが、生徒達は気付くだろうか。
燻るような薫りに、メリッサの気が引き締まる。
クリーム色の壁に大理石の床と柱で形成されている大広間は、星夜祭に相応しい夜空をイメージしたサテンの紺色で出来た布が、天井から柱まで全てを装飾していた。そこに星を模したイミテーションの宝石を散りばめられ、その間を浮遊するのは魔導灯。全てが幻想的に演出されている。
今一番人気のある音楽隊を呼んだだけあって、一流の音楽は学園中集まった生徒達に負けない気品をもって響いていた。
貴族の子女向けの学園なので当たり前ではあるが、次の王位に着くレイナードが最高学年であり権力を誇示しているのだとメリッサには理解できた。
入ると同時にメリッサを避ける様に人並みが左右に分かれる。
彼女には当たり前の光景で。特に感慨もなくホールの前方へ進んでいく。
エスコートは断ったものの、一番にレイナードに挨拶をしないと礼儀として宜しくないとメリッサは理解していた。
「メリッサ待っていたよ。僕のお姫様の機嫌は直ったのかな?」
相変わらず特に瞳を輝かせる事はなく、口元だけ嬉しいかの様な笑みを作りながらレイナードは嘯いた。
胸の痛みを感じながら、メリッサは応える。
「まさか我が君に不機嫌になるなんて…生徒会の仕事で今宵は遅くなり申し訳ありません。皆様お揃いの様で何よりですわ」
レイナードの側近達も勢揃いの中、婚約者として儀礼的なやり取りを始めた。
いつもより少しレイナードの眼が鋭い気がするのは、わたくしの期待からなのかもしれない。
少しでも…ほんの少しでも心を傾けてくれたら。
そんな事は叶わないと知っていても、それでも願わずにはいられないのが悩ましい。
星夜祭は願いが叶うと言うけれど、わたくしの願いはなぜ届かない。
「皆様!!」
突然ホールの中心で切り裂くような女性の甲高い声が響いた。
さざなみの様に人が引いていき、円を描く。その円の中心に淡い桃色に彩られたドレスに、ストロベリーブロンドをたなびかせてマリルが立っていた。周囲には彼女が常に侍らせている貴族の子息達が囲む。
そのままメリッサを目掛けて彼女達は歩みを進めた。
むせ返る様な、甘さとスパイスの薫りが立ち込める。インセンスは煙と共に。どこか不思議な香りをメリッサは深呼吸と共に取り込んだ。
「レイナード様はずっと嫌だったのにメリッサ様と一緒に居たのですよね。お辛いですよね…みんな知っていて…でも助けられなくて。どうしてなんだろうって。私の癒やしの力でも助けられないなんて辛くて…」
周囲から嘲笑やどよめきが始まる。
それは常に味方の居ない、メリッサに向けての敵意なのだと、空気感でメリッサには伝わった。
「私、レイナード様を助けたいんです!だって好きでもない人と一生居るなんて悲しすぎる。私なら…白魔術もあってレイナード様の癒やしにもなれます。無理に冷たいメリッサ様と一緒にならなくても私ならレイナード様の隣に相応しい女性になれます!」
マリルは恍惚とした表情でレイナードを見た。
「あぁ、いつも優しく微笑んでくれているのは私を愛してくれているからですよね、レイナード様。私…マリルは貴方の味方です。見て、みんなもこんなに祝福してくれていて」
周りを見渡すとマリルに心酔している仲間が頷き返す。
真っ赤なルージュ。人形の様な容姿。琥珀色は意図せず彼女の美貌を際立たせる。
動かないと思ったその美貌からゆっくりと溜め息が漏れた。
「何を仰っていらっしゃるの?戯言かしら。ねぇ、そこの楽隊、貴方達プロよね?なぜ今止めたのかしら?弾きなさい」
凛と張り詰めた空気と共に、冷えた指先に力を込め、メリッサは前に出た。
「……そうね。追走曲…カノンをを選択したのね。良い選択ですこと。今度公爵家主催のパーティーでも呼ばせて頂こうかしら」
大声ではない女性にしては低めの声色。そこに甘い響きはひとつもない。
先程のマリルへの返答として、全く噛み合わない言葉と共にメリッサは微笑んだ。
その微笑みは、まさに貴族として育てられ培養された大輪の薔薇。普段動かない表情を動かすと、人間離れした美しさを更に引き立てた。優しさの残る紅い薔薇ではない。甘さのないその美貌は、更に研ぎ澄まされた黒い薔薇そのもの。
「貴女は何をこの場で仰ったのかしら?まさか…わたくしに対して放った言葉ではないわよね。」
メリッサの微笑みが、マリルの周囲にある緩んだ空気と共に消える。
「生まれた時から、わたくしは全てをレイナード様に捧げて参りました。生徒の皆様はご存知かと思いますが…元々の公爵という爵位に加え、学園で習う様な学業は既に就学前に終えております。語学は勿論…マナーは我が国だけでなく、懇意のある10ヶ国以上のものを身に着けております。一通り修士以上の知識、そして王太子妃に相応しい見た目、と全てを研いて参りました。その上で聞かせていただきますわ。わたくしに並べる方が居ましたら、どうぞ今すぐにこちらにいらして?」
メリッサは淑女らしく一切大声は出さない。ただそこには圧倒的な威圧感がある。
「そして…わたくしがここまで全てを研いてきたのは、ただひとつ。レイナード様の為に。初めて拝見させて頂いた時からお慕いしております。屈託無い笑顔に、柔らかな言葉に、その存在自体がわたくしの宝だと。…確かに政略的な婚約だと知っております。知り過ぎる程に。ただ好きだと言われて婚約出来ていたら、どんなに幸せで嬉しい事でしょう…でも、選んで頂いた事に変わりはありません。隣に立つ努力は誰にも負けていません。我が君の為に一生を捧げるつもりです。」
凛と立つ。絶対に折れない、薔薇の花。
「わたくしに勝てるなら、どなたでもどうぞ?」
誰よりも美しいかんばせから、極上の笑みが溢れる。一切狂いのない最上礼を取る姿は、言葉を裏付ける迫力があった。
「そ、そんなの…分からないじゃないですか!レイナード様が選ぶ事です。それに私の白魔術は他の方は持っていないんですもの。きっとレイナード様に役に立ちます。愛も私のほうがありますし」
「あっははは…」
高座で今まで何も動かなかったレイナードが笑う。いつもの柔らかな微笑みではなく、どこか歪んだ笑みを浮かべてとても楽しそうに。
「僕が一度でもメリッサが好きじゃないなんて言ったかな?言ってないと思うな。だってこんなに大事に大事にしてきたのに」
メリッサは必死に立っているのだろう。少し手が震えていた。ひとりでずっと孤独に耐えていた背中をレイナードは見つめ、そっと近付いて後ろからメリッサを包み込む。耳元で『大丈夫だよ』と囁かれた。
「マリル嬢、今日の星夜祭って君の為じゃないはずなんだけどなぁ。周囲の子達も分かってないなんて残念だよ。学園は平等だから今日の事は学園長に任せようか。卒業してからは僕の管轄だから…分かってるよね。全員顔と名前は覚えてるからね?」
マリルに付いていた子息達は、気まずそうにそっと後退る。事の次第を伺っていた学生達は、一斉にマリル達に冷たい目線を浴びせた。
「わ、私は…」
「これ以上その口から何か言うのは許さないよ?」
レイナードの側近達が、騒動に加担した子息達を連れ立って大広間から去っていく。メリッサは少し潤みそうになる瞳を綴じて、背中の暖かさを感じていた。




