第三十三話 嵐
第三十三話 嵐
不快なものが蠢いている。いつも俺の腸に潜んでいたもの。それが俺の体をあたかも自分のものだと主張するかのように体中を走って回る。随分昔、同じ感覚に襲われたが、その時はそれに完全に負けてしまった。だがな、今は違うぞ。少しの間、お前に体を明け渡してやる。だが忘れるな。俺の体は俺だけのもの。何者にも渡しはしない。
「ハァ……」
リシルは小さく息を吐いた。直後、リシルの右腕が急激に膨張し、やがて白い体毛が生えていく。体毛は右腕を白に染め上げ、手の形さえも変貌させた。爪は鋭く生えそろい、指が扇のように広がっていく。人の腕とは到底呼べない、獣に近い腕を持ったリシルの顔は歪んでいる。
「リシル……?」
よく知っている顔のはずだ。だが、苦痛に歪んだその顔から少しだけ笑みがこぼれている。本来なら相容れない感情が混ざり合っている、そんな気味の悪さがリシルを包んでいる。
「…………」
リシルが歩き出すと、二体のロボットがリシルに飛び掛かった。二体のロボットの振り上げた腕がリシル目掛けて振り下ろされる寸前、リシルは右腕を真横に広げた。そよ風が部屋に流れた瞬間、リシルの右腕はロボットの腕を根元から千切り取っていた。ロボットはそのことを理解する間もなく、胴体は右腕から放たれた鎌風によって両断された。橙色の粘液に浸りながら機能を停止したロボットを踏みつけながら、リシルは大きく息を吐いた。
「ツギ」
リシルの言葉を皮切りにロボットが次々とリシルに襲い掛かる。銃弾を放つ個体や肉弾戦を仕掛ける個体もいたが、リシルはそれを淡々と処理していく。近付いてくる個体は頭部を紙くずを丸めるように握りつぶされ、それを射撃する個体に投げつけて外殻を打ち抜く。粘液に塗れながら地に伏す仲間を見ても表情一つ変えず、リシルに群がるロボットたちは一撃も与えることなく切り裂かれていく。リシルの周囲には橙色の渦が巻き起こり、暗闇に塗りつぶされた部屋は飛び散るロボットの粘液に染められていく。鉄が潰される音と粘液の生臭さ、橙色の部屋はそれらに支配されていた。その元凶は部屋の中心で橙色の風に包まれながらロボットを無造作に屠って回る。その渦中には俺の知っている男はどこにも見当たらない。
「あれが……リシル……?」
いつの間にか後退りしていた。無意識の行動、それだけのはずだ。なのに、俺の心臓は揺さぶられたかのように鼓動を速めている。
「怖いってのか……あいつが……」
気がつけば足元には渦から切り離されたロボットの頭部が転がっている。渦の中で複数のロボットとぶつかったのか、外殻は擦り傷だらけになっている。しかし、首の断面は一寸のズレもなく両断されていた。
「何ぼさっとしてんだ!もっと離れるぞ!」
後ろで傍観していたアラマスが俺の肩を揺さぶった。その声もどこか震えており、額には脂汗まで掻いている。
「待てよ!まだあいつ戦って――」
「だからこそだ!今の俺たちじゃどうやってもあいつの助けになれない!ここに居ればあいつの邪魔になる!」
「それは……」
言い返そうとしたが言葉が出ない。俺のアルテリアは底を尽きつつある。今まで戦闘続きだったアラマスやルカはもっと消耗しているだろう。満身創痍の俺たちではあいつの邪魔になる。そんなことは分かってるさ。だけど、だけど……
「……怖いんだろ」
「何?なんか言ったか?」
「目の前で我を忘れて暴れるリシルの手がいつ自分に向けられるか分からない。だからそうならないよう遠く離れたい。あんたは本当はそう言いたい。違うか?」
「何をわけのわからんことを……!!」
「あんたは怖いんだ。リシルが今のままロボットを殲滅したら、次の標的は俺たちになる、あんたはそれを本気で信じている」
「知ったような口を聞くな!!俺が恐れているのはここで一人残らず全滅することだ!!この場で起きたことは他のやつらに伝えなければならない!今のリシルに俺たちを敵だと認識しないと本気で思ってるのか?あいつがあの状態から戻る確証は?それがわからないなら今は離れるべきだ!!」
「あんたはどうなんだよルカさん。あんたも同意見か?」
黙りこくったルカは唇の端を強く嚙み締めながら地面に流れる粘液を睨みつけている。
「……私は離れるべきだと思う。アラマスの言う通り、今のリシルに理性が残っているとは到底……」
ルカは小さく、そして力強く呟いた。しかし、ルカの表情はその言葉を否定するかのように苦痛に満ちている。
「そうかい、ルカさんも同意見ってことかよ」
「不満なら後で幾らでも吐け!今は逃げることだけを――」
「そんなに逃げたきゃ逃げればいい」
確かにアラマスの言葉は正しい。徹頭徹尾、正論の塊と言っていいだろう。だけど、正しいだけじゃダメなんだ。
「俺は残る」
「な……!?残ってどうする!?何もできないんだぞ!」
「そうさ。だからこそ、あいつが動けなくなった時、俺はあいつを守らないといけない」
「自分が死ぬことになってもか?」
「俺が死んでも大して痛手じゃない。あんたが恐れてるのは全滅だ。俺以外が生き残っていれば何も問題はない。だから早く行きなよ」
「……分かった」
アラマスの足音が背中から徐々に離れていく。しかし、ルカの足音はいつまで経っても聞こえてこない。
「逃げなくていいのか?」
「……気が変わったのよ」
「噓つけ、俺が残ろうが残らまいが最初からこうする気だっただろ。俺に逃げるよう言いたくもない事まで言ってさ」
「何のことかしらね。三歩歩いたら忘れちゃった」
「一歩も歩いてないくせに」
鼻を鳴らしたルカを横目に、渦の中にいるリシルを見つめた。渦巻く風は赤黒い光が次々と吞み込んでいく。まさしく嵐。それを自覚するたび、俺の鼓動はますます早まっていく。
「黙れ」
自分の胸を拳で強く叩きつけた。あいつを化け物を見るかのように狼狽える、そんな無礼は許されない。仲間を理性の無い獣と一瞬でも思ってみろ。俺は俺の頭をたたき割ってやる。あいつは俺たちを救うためにあの姿になった。俺に介錯を頼むほどだ、理性を保てる保証もないのだろう。そんな覚悟を持った仲間を見捨てて逃げる?俺にはそんな恐ろしいことできやしない。あいつも分かっているはずだ。俺たちが決してお前を置いて逃げたりしないと。なら、俺たちのやることは一つ。
「戻ってこい……リシル!!」
元に戻ったあいつをぶん殴ってやる。
「離れろ……!俺の体から……!」
沈んだ意識の中、俺の体は白い毛に包まれていた。首元にまで生えそろった毛は俺の頭さえも支配しようと這い上がってくる。
「やめろ……!上ってくるな!!」
かろうじて動く左腕で首元の毛をむしり取ろうとしても、残った右腕がそれを押さえつける。放せと右腕に命令してもそれが届くことはない。必死の抵抗をしている間にも白い毛は俺の顎にまで達していた。
「クソォォォ……!」
甘かった。幼かったとは言え、一度は俺の体を完全に乗っ取っているのだ。右腕だけに集約できるはずがなかった。この衝動に免疫がないことなど、とうの昔に知っていたはずなのに。俺はあいつらをただ助けたかっただけなんだ。どうしてわかってくれないんだ。お前だって俺の一部なんだろ?それぐらい許せよ。頼むから。頼むから俺を化け物にしないでくれ。
「ダ メ ダ」
白い毛に包まれた口が言い放った。ただの一言。だが、俺の心を折るのには十分だった。俺はやはり許されないのだ。仲間を救うことも、平穏に暮らすことも。この衝動はいつも俺の邪魔をする。そんなのわかりきっていた。なのに、なぜオまえはこコにきたンダ?おマエはシヌためにこのホシにキタンダロウ?ナラオノゾミドオリニシテヤルヨ。ダ カ ラ オ ヤ ス ミ




