欲深き蔵
え、そいつ――やる気満載なの。
Fase1
あなた――何を持ってるの。
下校途中にいきなりそう声を掛けられた僕は、大層面食らったものだ。
なにしろその日は、毎週見ている「瑞祥!お宝鑑定団」の再放送がある日だったからだ。
絵画が出てくると、大抵贋作なんだよな――そんな事を考えている時だったものだから、完全に不意打ちだ。
何って――
声を掛けてきた相手をようやくまともに認識する。
見慣れぬ制服だから――他校の生徒だろう。
どこの学校なのか、というか女子生徒の制服の違いは、僕から見るとさっぱり判らない。
長い黒髪を靡かせながら――その少女は睨むようにこちらを見ていた。
何か知らんが、怒ってるの、かなぁ――
心当たりがないものだから、胡乱な感想してか出てこない。
あなた、それで――何をしているの。
どれくらいの数の――
みさきー、先に行くよぉー
その子の後ろの方から、同じ制服の女子生徒が呼びかけてきた。
わかったぁ、今行くから――
その子は振り向いて高いトーンの声でそう応えると――
再び僕の方を一瞬だけ睨んだ。
そしてそのまま――友達の待つ方へと駆けていった。
長い黒髪を風に靡かせながら去って行くその子の背中を見ながら、僕は――
気持ちわるっ、と呟いた。
Fase2
綺麗な女子高生に気持ちわるっ、て言う神経がわからんわ――
撮影用のウェアラブルカメラを胸元に付けながら、桜木さんはそうぼやいた。
この人のコメントも大概気持ち悪い。
綺麗な、の部分は桜木さんの付け足しでしょうに。
ごく普通の子でしたよ、幻想持ちすぎっすよ、女子高生に。
それに、いきなり話しかけてきますかね、そんな内容を――
そらお前、気になったから話しかけてきたんだろよ。
前にもあったろ、占い師の婆さん――
そういえば、以前2人で歩いているところに話しかけられたことがあった。
おやまあ、随分と――斬れそうなモノを持ってらっしゃるねえ――
その時も怖くって足早に素通りしたのだが――
桜木さんは下ネタかと思ったそうだ。
阿呆だ。
正直なところ、僕は桜木さんが視えている、というのを完全に信じているわけでは無い。
全部この天然パーマの――妄想に付き合わされている可能性だって考えたわけじゃ無い。
しかし、たまにそうやって――占い師のお婆さんや、いきなり話しかけ女が出てくるので――何かしらはあるのだろう、と納得することにしている。
実際に斬る時は――天然パーマの怖がり方につられて僕も必死なのだが。
よおっし、機材の準備もできたし――ほれ、伊庭、お前の獲物だ。
そう言って桜木さんから、自転車のグリップを無理矢理取り付けられた鎌を渡された。
が――何か、付いている。
桜木さん、これ――この、リングみたいなの、なんすか――
鎌の持ち手のすぐ上――人差し指がかかるあたりに、水道管か何かを固定するための金属製のリングパーツが取り付けられている。
鎌の持ち手を挟み込むようにして螺子で固定してあるが――前はこんなの付いてなかった。
ああ、それ、いいだろ、俺が考えたんだ――桜木さんはにやりと笑う。
いや考えたのはいいんすけど、なんすかコレ――トリガーガードみたいな――
おお、知ってんじゃねぇか伊庭、そうだよトリガーガードだよ、これがあるとな、その、モノを斬った後に――ガンスピンみたいにできてかっこいいだろ。
僕は――阿呆かこの人は、と溜息を吐いた。
Fase3
にしても大きな蔵ですねえ、お宝鑑定団に、依頼品出せそうじゃないですか。
あれな、前フリが長いんだよな。
これ、一つでも毀したりしたら――怒られますかね。
いや、価値はご家族も判らんそうだ、ただ祖父さんが守ってたみたいでな、手放さなかったらしいんだ。
守ってた――ってことは、蒐集はしてなかったんですか、その、亡くなられた祖父は。
らしいぜ、それどころかあんまり興味も無さそうだったらしいんだ。
おかしくないっすかそれ、興味ないのに、こんな大きな蔵をずっと手つかずにしてたんすか。
俺が知るか、とにかく依頼者はな、処分したいんだと、これを全部。
それで僕らに依頼ってことは、何かあったんすか、その、不吉めいたことが。
中に――何か居る、と仰ってる。
じゃ、居るんでしょうね――斬るんすか、やっぱり。
斬らなきゃいけないなら、斬るしかないよな、穏便にすむなら、それに越したことないけど。
斬るっつっても、うわ危な――周り骨董品だらけすよ、禄に切り結べないすよ――
この、足下の壺だか瓶だかが、すげえ邪魔だな、あと棚の――なんだコレ掛け軸か。
一階には――どうすか、居ませんか、視えないっすか。
居ねえなぁ、これ二階に居るとなると面倒くせえぞ、階段は――ああ、ここ、か。
窓全開でこの暗さですからねえ、あでも、桜木さんが視えるのは明るさ関係ないんすか。
関係なくもないわな、あと単純に物が多くて動き辛えってだけで――っしょ、と。
足元――気を付けてくださいよ、踏み外したら終わりっすよ、お宝が。
俺じゃねえのかよ――埃がすげえな、広さ的には一階よりマシだが、棚も多いぞこれ。
うわすげえ、前に動画で見たことありますよ、プラモをこんなふうに積んでる人。
ほんとかよ、作る気あんのかそれ、ああいや、目的は集めることで――
どうしました、桜木さん。
居るわ。
視えましたか、どこにいるんすか、飛び回る系の奴ですか。
いや――飛び回りも――うぅん――
どしたんすか教えてくださいよ、僕、わりかし怖いんすよ視えない分。
いやそもそも――動いてねえわ。
あれじゃないすか、こないだみたいに目ぇ合わすと絡んでくる――
目はな、さっきっからずっと合ってんだよ――なんかよお、心配そうに見てるんだよ。
心配そうって――何を見てんすか。
だから、俺達だよ――
なんすかそれ、なんで僕達が心配されなくっちゃ――
――後ろに誰かの気配がした。
Fase4
蔵の中に居たのは――やはりこの間、街で見かけた少年と――天然パーマの男だった。
少年の持つ鎌からは――気圧されるほどの殲気が立ち上のぼっている。
これに気づかないということは――おそらく視えるのは天然パーマのほうだ。
あ、こないだの――少年の方は、私に気づいたようだ。
え、この娘かよ、お前がこないだ会ったっていう女の子――全然アレじゃねえか、気持ち悪くないじゃないか。
き、きもちわる――
いや、違うんすよ桜木さん、街で急にだと、また印象変わりますよ。
そういうもんかねえ。
なんでこいつら、こんなに呑気なの――
頭に血が上るが、今はそれどころではない。
そこを退きなさい、そこに――座ってるのが視えるでしょう。
先生から預かったスマートフォンの画面越しに、ぼんやりと黒い影が視える。
蔵の奥、広がった空間の先に――蹲まっている。
いや待てお嬢さん、どうもな、アレは――
桜木と呼ばれた男が言いかけたが、私は有無を言わさず手にした銃を向けた。
うお、と少年の方は声をあげたが――
桜木は少し眉を上げた――だけだった。
すげえなそれ、そんな形のもあるのか――でもそれ――生きてるモノには効かんだろ。
え、そうなんすか、じゃあ――この鎌と同じじゃないすか。
私は――歯軋りするしかなかった。
この男の――桜木の言うとおりだ。
人間に対しては――この銃も脅し以上の使い道はない。
落ち着けよ、あそこに座ってるじいさんな、ありゃ多分――放っといても還るよ。
それより気づかねえか――多分、鎌に銃にと――よろしくないものが二つも入ってきたせいで――
桜木は蔵の天井を見上げる。
そういえば、スマートフォンの画面も――蹲っているモノが、というより――画面全体が暗くなり始めている。
これは――この蔵は。
気をつけろよ伊庭ぁ、この蔵――本命はこっちだ。
少年は――伊庭は鎌を、私は銃を構える。
そして桜木は――何故か後ずさりを始めたようだった。
え、貴方は戦わないの――先ほどまでの威圧感とのあまりの落差に――
私の苛立ちは、ほんの少しだけ削がれてしまった。
Fase5
骨董品に囲まれた蔵の中で、僕は鎌を握り直した。
さっきの桜木さんの言葉――明瞭と理解したわけじゃない。
けれど奥に視えるという老人に敵意がないのなら、おそらく――
斬るべきなのは、この蔵そのものだ。
桜木さんも、この娘も――ええと――
君、名前なんての――
今聞かなくてもいいだろという気もするが、一応聞いてみる。
老久保――
老久保美咲よ――
あのさ老久保さん、その、桜木さんも君も――上を気にしてるみたいだけどさ、何、その、上に――なんかいるの、え、そいつ――やる気満載なの。
あなた――ほんとに視えないのね。
スマートフォンを見ながら、老久保は呆れたように言った。
いや、お前もそれ無しだと視えんのだろがと突っ込みかけたが、今はそれどころではない。
形は――今は判らない。
というより――形を成している途中みたい。
蔵の中の――蔵に擬態していたモノが――
あのじいさんの先代か、それよりもっと前の人か――集めすぎた、っつうか欲しがりすぎたみてえだな、欲望が凝り固まって、この蔵自体が――うーわ怖ぇえっ!
伊庭、そこ――そこの角んとこに――集まりはじめたぞ――
僕と老久保は、桜木さんの指さした先に向かって身構えたが――僕の方は相変わらずの及び腰だ。
老久保の方がまだ堂に入っている。
老久保は――眉を顰めてスマートフォンの画面を見ている。
何――この――黒い――なに――
中途半端に伝わるせいで、余計怖い。
なんだよぉ、もっと判るように――
そう言いかけたとき。
伊庭ぁ、突っ込んでくるぞぉっ!!
桜木さんの声で、僕は反射的に――前方を薙いだ。
鎌が棚にぶつかり、骨董品がガチャガチャと鳴り喚く。
おそらく――外した。
老久保がスマートフォンを上へと向け――そのまま壁伝いに銃口を彷徨わせる。
ソレが天井や壁にはりつきながら動く様を想像して――僕は鳥肌が立った。
うわきっしょ!
こーれは気色悪いわあ!
気をつけろ伊庭、こいつな、動き速ぇよ、それにでかいしさ、アレだ、違う種類の怖さだよ、虫的な感じっつうの、生理的にくるなあコレやだなあコレ――
何だよもぉ、こんなことになんの、物欲だけでこんなの生まれんのかよやってられねえよもう、モノなんか集めるもんじゃねえや、使ってこそだろがよ、だからこんなことになんだよ、お前もそう思うだろ伊庭よぉ――
あなた――伊庭くん!
あの人――桜木さんだっけ!?
――黙らせられないの!?
老久保の言うことはもっともだ。
だがそれができるなら苦労しない。
桜木さんの仕事は視ることと、――騒ぐことだ。
いやそれができるなら僕もとっくにやって――
そう言った時だった。
ばきん、と――
厭な音が響いた。
音のした方をおそるおそる見ると――
桜木さんが床板を踏み抜いていた。
右足の太ももあたりまで床に埋もれさせたまま――
桜木さんは照れたように――半笑いになった。
笑ってる場合か――
何笑ってるのよ――
僕と老久保の声は――この時は綺麗に揃っていた。
Fase6
ええとな、伊庭、悪い、お前が今向いてる方向しか――はっきり視えねえわ。
姿勢を大きく崩した桜木さんはそう言った。
最悪だ。
やはり物理的な遮蔽物があると――視えが悪くなるのか。
足埋まり半笑い野郎は――もうあんまり当てにできない。
そっちの方角はあの人に任せる。
こっちは私が――見ることができる。
老久保は、銃を構えた左手首にスマートフォンを持った右手を添えてそう言った。
こう言っちゃ何だが――海外の映画やドラマで、警官がライトで照らしながら銃を構えるポーズに似ていて――少しかっこいい。
いてて、駄目だこれ無理に抜くと怪我するわ、おおい伊庭、今な――逆っ側の角に居るわ。
ひええ動き気持ちわりい――
それに比べて天然パーマはアレだ、スタイリッシュさが全然ない。
動き気持ちわりいじゃねえよ、人の形はしてるんでしょ――
そう言うと、桜木さんはどっちかというと蜘蛛に似てるわ、と叫んだ。
聞かなきゃ良かった。
知らず、僕と老久保は互いに背中を預けたまま視えないモノを追っていた。
動きが――速いわ。
スマートフォンを動かす老久保も焦っているようだ。
だからどんな奴だよ、気持ち悪い形なのか。
判らない――このスマートフォンには、明瞭とは写らないの。
靄のような、黒い影としてしか――
余計怖いなそれ。
無いよりマシよ。
蜘蛛に似てる、と桜木さんは言った。
ソレのでかいのが周りを駆け巡っているのだから――気色悪いどころの話じゃない。
一瞬でも止まれば、撃ち込んでやれるんだけど――
老久保の声にも焦燥が混じる。
視える二人がこれだと――視えない僕には如何にもできない。
動きが速い。
撃てない。
視えない。
詰みじゃないか。
このままだと、ここに居る全員――
背中を冷たいモノが走る。
こんなバイト、やるんじゃなかった――
その時――
しょうがねえなぁ、依頼料をフイにしちまうかもだが――命には換えられねえしなぁ。
桜木さんの声だ――
振り返ると、天然パーマはようやく足を床板から抜いたところだった。
どれ、ひとつ――叩っ毀すとするか。
桜木さんが、手近にあった掛け軸の入った細長い箱を手にすると――
老久保のスマートフォンを動かす手が止まった。
あの人を――桜木を、見てる――?
視えない化け物と桜木さんの間に――僕達二人は挟まれた格好だ。
俺を狙って来るはずだからよぉ――
二人ともよく狙えよ――
そう言って桜木さんが、床に置いてある大きな壺を割るために箱を振りかぶると――
あの人目がけて――来る、こっちに来る!
老久保の叫び声が聞こえた。
と、同時に――
たんたんっ、という破裂音が立て続けに鳴った。
老久保が――発砲したのだ。
鉄砲ってこんな音するの、等と一瞬如何でもいい事を思う間もなく――
全弾命中――
スマートフォンの画面を見ながら、老久保が言った。
動きが――止まったわ!
同時に、桜木さんも大声を上げる。
踏み込め伊庭ぁっ!
老久保と桜木さんの声が重なる。
足元の壺をひとつ、蹴倒しながら――僕は低い姿勢のまま床を蹴った。
空中で鎌を逆手に持ち変える。
集め過ぎなんだよ――
吐き出せこの野郎
渾身の力でそいつが居るであろう空間を袈裟懸けに薙ぎ払うと――
一瞬の間の後、桜木さんと老久保の大きな嘆息が蔵の中に響いた。
がしゃん、と骨董品を揺らしながら僕は無事に着地する。
床を踏み抜かなかったのが――奇跡だ。
肩で息をしながら、ふと手にした鎌のリングに気づく。
僕はひゅんひゅんと鎌をスピンさせ――最後に空中を斬り結んで呟いた。
蒐集の続きは――向こうでやりなよ。
わりと格好よさげに決めたつもりなのだが――
意外とかっこ悪いなそれ――
掛け軸の箱を僕の方に向けて、桜木さんはそう言った。
いやお前がやれっつったんだろが。
Fase7
うーむ、いや、微妙だなコレ、最初っからこれくらいの罅入ってましたよって言っておくか、それで問題ねえだろ。
僕が蹴倒した壺を目の前に、桜木さんはそう言いながら壺の罅をなぞっている。
いや桜木さん、それよりもですね、じいさんのほうは――
鎌を掲げたままそう言うと、桜木さんは――
ああ、あのじいさんならもういいよ、還っちまったよ――しれっとそう言った。
還ったって――じゃ、もういないんすか、斬らなくて――いいんすか。
いないもんは斬れないだろ、よかったじゃねえか、斬らずに済んでよ。
あの化け物を斬ったおかげで――やっと解放されたんだろな。
解放された――
ただ祖父さんが守ってたみたいでな、手放さなかったらしいんだ――
桜木さんの言葉を思い出す。
ということは、そのおじいさんも――この蔵に取り憑かれてたってことすか。
興味も無い骨董品を守り続けたのは、この蔵が齎す災いを押さえるため――
もっと早く――斬ってやりゃあよかったよ。
桜木さんは立ち上がりながらそう言った。
なあ、あんたもそう思うだろ――
後ろに立つ老久保に、桜木さんはそう問いかけたが――
もう、彼女の姿は何処にも無かった。
なあ伊庭――
桜木さんは、いつになく真剣な目で誰もいない空間を見つめていた。
お前、あの子――老久保さんと言ったか、あの子がごく普通の子だと言ったよな――
はぁ、言いましたけど――どうか、した、んすか――
射るような目をしたまま、桜木さんはゆっくりと僕の方を向いた。
お前、ストライクゾーン狭すぎだろ――
僕は再び――阿呆かこの人は、と溜息を吐いた。
Fase8
先生と通話しながら、私は夕暮れの中を足早に歩いて行く。
ええ、私は無事です――あの二人も。
はい――はい、磐筒女で――いえ、五発全てです。
それでも、足止め程度にしかならなかった相手を――
一薙ぎで。
先生、あれはやはり――元は蟲遣いに使われた散鋼です、しかも磐筒女の弾丸とは――純度が桁違いです。
あれをこのままにしておくと――いずれ変容します、今すぐにでも――
はあ、――はい、はい――分かりました、先生がそう仰るのであれば――
もう少しだけ――様子を見ることにします。
そうして、私は先生との通話を終えた。
全然アレじゃねえか、気持ち悪くないじゃないか――
違うんすよ桜木さん、街で急にだと、また印象変わりますよ――
動き気持ちわりいじゃねえよ、人の形はしてるんでしょ――
意外とかっこ悪いなそれ――
間抜けなやり取りを思い出して、余計に苛立ちが募る。
私は舌打ちをして――再び夕暮れの街を歩きはじめた。
Fase9
お宝鑑定団に出てきた依頼品が、あの日蹴倒した壺そっくりだったので肝を冷やした。
あの蔵の中身は全て古物商が引き取り作業中だというが――
まさか、とんでもない価値のモノじゃないだろうな――
一応、天然パーマに連絡しておこうか、そう思いながらスマホを手に取った時――鑑定額が表示された。
五千円――
一人しか居ないリビングで、僕はわりと大きめの独り言を言った。
安っすいなあおい――