第五章
「もう王太子様はエスコートもしてくれないし、言葉も交わすこともなくなってしまったわね」
「私たちみたいにならないようにしてほしいですわ」
「ドミニク王子とセレスティア様はお似合いですからねえ」
そうかしら。
よく考えてみれば昔からよく王子様兄弟と私は遊んでいたのだけれど、いつもドミニクは冷たくて意地悪をしてきたような気がする。
そんな嫌なやつとどうしてあんなに何度も遊んだのだろう。
よく考えてみればドミニクには兄がいて、その男の子は私とドミニクより2歳年上だったはずである。
そういえば昔の記憶ではドミニクに泣かされてしまった私を慰めてくれた優しい男の子は兄王子だったような気がする。
けれども,7歳の魔力測定の時にドミニク王子に勇者認定が見出されて王太子になった後、隣国にある魔法学院に留学していまだに帰ってきていない。
そうか。ドミニクって最初から私のことは好きじゃなかったかも。
勇者のドミニクを支えなきゃと思った私は必死で努力してきたけれど、そこには愛はなかったかもしれない。
今になってこんなことに気がつきたくなかったなあ。
「大丈夫よ。王妃様は私のことを実の娘のように仰っていらっしゃいますから」
「何かあれば私たちも非力ですけれど、ぜひご助力したいと思いますわ」
♢
二年生の課程が終わり、期末の試験が終わるとバカンスの季節である。
リンデン公爵は魔獣の問題があるということで王都の近くのリンデン領の領都であるネオサイラルに1週間滞在することになった。
両親は領主代理をしている叔父上にご挨拶して、他の領主たちのご挨拶を受ける夜会を開催するのが常である。
私も夜会に参加することになっている。
兄のルイスも珍しく王宮から領都に来ることになった。
両親と私から2日遅れて領都にやってきたルイスお兄様はちょっと機嫌が悪そうだった。
晩餐後にお父様と私のいるリビングで「王太子はお前がマージーを虐待したと言って大層お冠だぞ。一体何をやったんだ」
「何をって私は彼女を初級の地下迷宮から中級の地下迷宮に連れて行って経験を積ませて白魔術、神聖魔術の技能を上げただけですわ」
「はあ?それは虐待と言わないだろう。単に修行させただけじゃないか」
「彼ら勇者パーティは中級地下迷宮に挑戦できる実力をつけたのでしょうか?マージーはいつまで経っても自分の白魔術の技能が上がらないので私に泣きついてきたのですよ」
「あまり王太子を馬鹿にするものではない。勇者パーティもやっと初級の地下迷宮は踏破できるようになったらしい」
「私たちはもう上級地下迷宮に挑戦できますわ」
「上級地下迷宮って最上級生が卒業間際にやっと踏破できるレベルだぞ」
「マージーも『浄化の技』を身につければ挑戦できたでしょうね」
「ああ、王太子はもう彼女を神殿にもやらずに囲い込んでしまったな」
「実際のところを言えばマージーは熱心に学ぶ娘でした。怠け者なら私にはついてこられなかったでしょう」
リンデン公爵が話に加わってきた。
「あの勇者パーティはその聖女を持ち上げ過ぎで少し問題があるのではないか」
「さあ、私にはわかりかねます」
「そりゃ危なすぎですよ。なにしろ騎士団長の息子殿も魔術師団長の息子殿も宰相閣下の息子殿も皆聖女様に操を立てるために婚約者との婚約を白紙撤回されましたからね」
「その噂は聞いていたけれど本当だったのだな」
「その元婚約者たちは皆学院の私の同級生でお茶会でよく話をしますよ。もう新しい恋を探すんだって頑張っていらっしゃいますね」
「なんと。王太子は大丈夫なのか?」
「さあ、お兄様もおっしゃいましたようにマージーを囲い込んで神殿にも出さなくなりましたからね」
「兄として妹に忠告すると王太子が聖女様と『真実の愛』に目覚める可能性は低くはないよ」
「それなら『真実の愛』に目覚めた王太子様に捨てられた私は外国に逃げてしまいましょうか。新しい場所で新しい生活をするのも悪くはありませんね」
「ま、待ってくれ。セレスティア、お前は王妃様のお気に入りだ。お前が外国に逃げられては王妃様が軍隊を出して連れ戻しに行きかねない。なんとか国内にいてくれないか」
「まあ、それでは旧都にある昔、お祖母様が住んでいらした別荘はいかがですか?」
「旧都なら王都からは遠いのですぐに連れ戻されるってことはないんじゃないか?僕もセレスも小さい頃よくお祖母様の所に遊びに行ったよね」
「ではお父様、今度の夜会が終わったら旧都の別荘に行って住みやすい様に手入れをしに行ってよろしいでしょうか。執事のマシューとメイド長のマーサはまだ元気にやっているでしょうか」
「あ、ああ。私は一応王妃様と陛下に打ち合わせておくよ」
♢
エオーラとノーラは我が家の夜会に参加してくれていたので一緒に旧都の祖母の別荘に向かうことにした。別荘と言っても我が家がまだ伯爵だった頃の領主館である。王都との交通の利便性を考えて交通の便の良い新都に移転したのは私の生まれる前で30年くらい前のことである。
新都には王都から馬車で半日ほどの距離であるが、旧都にはそこからさらに馬車で3日ほどかかる。
領地の奥の方には魔の森が広がっているのでそこから魔獣が暴れ出さないように抑えているのは我がリンデン公爵領の誇るリンデン騎士団である。
エオーラはリンデン騎士団の第一騎士隊長の娘で、学院を卒業したら騎士としてリンデン騎士団に入隊することが決まっている。
私とエオーラとノーラ、そしてメイドのサラの4人は馬車に乗ってお父様が付けてくれた数人のリンデン騎士団の騎士たちに守られて旧都に向かうことになった。
騎士たちは陽気な若者たちで、スムーズに馬車の護衛を務めてくれた。
「僕たちの仕事は街道の見回りなので馬車の護衛も同じことですよ」と気軽に言ってくれる。
馬車の旅程に従って村々が配置されているので夜には宿屋で安心して泊まれるので特に大きな問題もなく3日間の旅程を終えることができた。
旧都の警護は第二騎士隊の管轄なので第一騎士隊の面々とはここでお別れである。
交代した第二騎士隊の騎士たちも朗らかな若者たちで、安全に別荘まで送り届けてくれた。
別荘には第二騎士隊の隊長もいて、滞在中は別荘を警護してくれるらしい。
「何、お嬢様に日頃の訓練の成果をお示しできるのですから光栄です」と隊長も爽やかに答えてくれた。
別荘には記憶より少し年老いたマシューとマーサがいた。彼らは夫婦でこの別荘を維持管理してくれている。
「お久しぶり!」と挨拶するとマシューが「お嬢様、大きくなられましたね。見違えました」とやってきた。すぐ後ろにいたマーサも「お嬢様が来られるということでお部屋もきちんと用意していますよ」という。
エオーラはすでにうずうずしていたみたいで「第二騎士隊の連中と手合わせしてくる」とすっ飛んでいってしまった。
私とノーラはとりあえずお部屋で一休みしましょうと昔滞在していた部屋に入ってくつろぐと、サラはすぐにお茶を入れてくれた。
「相変わらずサラの入れた紅茶は美味しいわね」
「お褒めに預かり光栄ですが、茶葉は王都のタウンハウスでお出ししているものと同じですからね」
お茶菓子も用意してくれていたので何だか小さなお茶会になってしまった。
お茶を飲みながら部屋を見回すとじゅうたんはやや古いもののまだ使えそうだったが、カーテンはちょっと綻びも目立つし日焼けして色が褪せていた。
「まずはカーテンだけは新しくした方が良さそうね」
「生徒会長がここを使うことにならない方がいいのですけれどね」
ノーラは私のことをセレス様ということもあるし生徒会長ということもある。
「物事は最悪を想定していた方がいいわ」
「夕方にはエオーラも帰ってくることでしょうから明日には街の方に行ってお店でいろいろと調達しましょう」
クローゼットを見ると部屋着やそのほかのドレスも掛かっていたが、やはりお祖母様の時代から残っていたものなので流行遅れになっているのは否めない。
お茶のセットはアンティークの高級なものが揃っているけれど、普段使いの物も必要だろう。
お茶会の後は他の部屋も見て回って必要なもののリストを作成することができた。
夕方になるとエオーラも帰ってきた。
「もう第二騎士隊の連中を叩きのめしてきてやりましたよ」とご満悦の様子である。
そういえば、第二騎士隊の衛士の人たちは朝に比べて少し遠巻きにしているように思う。
夕食は正餐が出された。
執事のマシューは料理長のハンスも久しぶりに腕を振るったみたいで喜んでいますよと教えてくれた。
晩餐の料理はフルコースで土地の産物である野菜や近くの湖で取れる魚などが豊富に使われていて三人とも満足することができた。
夕食後にはリビングでマシューやマーサと一緒に雑談タイムを楽しんだのである。
旧都であるサイラルでは今は野菜の栽培や湖での漁が盛んだという。野菜は王都に出荷されているけれど、魚は鮮度が落ちるから近辺で消費するしかないというような話をしていると、マーサがもし第9月まで滞在するのならば月と水の祭りがありますよと教えてくれた。
新都では月祭りがあることを言うと、マーサは新都には湖がありませんからねとやや自慢げに言う。
新都の月祭りは第9月の満月の日に行う大きなお祭りで王都や他の領地からも見物人が来る。
花火がたくさん打ち上げられてたくさんの屋台が出るのでときどきは王族もお忍びで参加したりするという噂もあるくらいである。
「ここの月と水の祭りは新都ほど大掛かりじゃありませんけれどね」
マーサは言う。
「けれども。新都の月祭りはここの月と水の祭りが元々なんですよ。こちらには湖がありますけれど向こうには水がないので月祭りだけになっちゃったんですよ」
マシューが言うには「あの湖は魔法の湖ですからね。月と湖の魔法が重なると古代の都が浮かび上がるって言う伝説もあるくらいです。まあ、私も実際には見たことがありませんけれども」ということである。
「湖の浜辺で古代の都が浮かび上がるのを見た恋人たちは幸せに結ばれると言う話ですよ」
婚約者と別れた時にこちらに来る予定のセレスティアとそもそも婚約者のいないエオーラとノーラは非常に微妙な雰囲気になってしまった。
「ま、まあ、私たちの友情が固く結ばれるってことかもしれないわね」
セレスティアは空気を変えるように言って、リビングでの話を終えてみんなはおやすみの挨拶をしたのだった。
翌日は朝から三人とサラ、そして二人の護衛騎士を連れて街の方に向かうことになった。別荘の外側には小さな礼拝堂がある。
お祖母様が暮らしていた時には街の神殿から神官が派遣されていたようだけれど今は使われていない。
その鍵を開けてみるとちょっと埃っぽいけれども瀟洒な礼拝堂があった。
ポーションや魔道具を作成したり保管できる部屋も別に作られている。
騎士団の隊長も私たちが街の神殿に行くよりもこちらの方が警護しやすいということなのでこちらの礼拝堂を活用することにした。
街に行くといくつかの商店がある商業地区に向かうことにした。布地を扱っているマダム・トレスの店に行き、取り替えるカーテン注文をした後に部屋着や普段使いのドレスの注文を行った。
マダム・トレスは久々の大量注文にホクホク顔を隠せない様子で「うちの娘はアウトで店を出しておりますので最新モードも対応できるのですよ」と言って在庫をありったけ出してきてくれたので色や布地を選ぶのは結構大変だった。
娘さんの店はマダム・ケンドールの店といって我が公爵家の御用達の店である。
うちがあの店を御用達にしているのはこういうご縁があったのねと感心しながら選んでいると、さすがにマダム・ケンドールのお母さんである。センスの良い部屋着やドレスのスケッチを見せられて何点かを注文することになったのである。
そうしてやっと店を出るともうお昼である。
護衛の騎士に「どこかおすすめの店はある?」と聞いてみると若い騎士は頭をかきながら「我々が行くのはステーキハウスが多いのでお嬢様方の方に合うかどうかは…」と口ごもりながらいうとエオーラは「ステーキ!肉!」とよだれを垂らしそうな勢いである。
ノーラは「そうですね。ここにステーキファンがあるようですからそこに行ってみましょう」ということでみんなでその店に行くことにした。
一応はお忍びではあったのだけれど護衛の騎士が一言言うとすぐにオーナーシェフが出てきて「私どもの店においでいただきありがとうございます」とお辞儀をしてくれて奥の特別席に通してくれた。
オーナーが「この店の今日のおすすめは鹿肉のステーキでございます」と教えてくれたので私とノーラはそれを頼んだが、騎士たちとエオーラはゴル牛のTボーンステーキなんてものを頼んでいた。
騎士たちによると彼らがいつも頼んでいるおすすめらしい。
私は鹿肉のステーキを食べきれなかったのでサラと分けて食べたがエオーラはもう肉の塊と言うべき分厚いステーキ肉を他の騎士たちに負けないくらいに豪快に頬張っていた。
食事の後は冒険者ギルドで登録である。
サイラルの側には黒の森が広がっているので魔獣退治をすることがあり得る。森の中でいきなりダンジョンが出現することもあり、その場合そこから魔物が大量出現して街に向かってくることもあるかもしれない。
そういう場合には冒険者の身分で魔獣や魔物に対峙することになるかもしれない。
そういうわけで私とエオーラ、ノーラは冒険者ギルドで登録を済ませた。
冒険者ギルドには荒くれ者もいるだろうけれど騎士団の騎士が二人も守っているのだからわざわざ手を出してくるバカはいない。
ギルドではポーションの原料の薬草を売っているということだったので少し買ってギルドを出ることにした。
商店街には薬草を売っている店もあったのでそこでも薬草を買ったが、結構ギルドと価格を合わせている様子だった。在庫はギルドよりも豊富だったので多めに買うことができたのは幸いである。
最後には食器屋に寄って普段使いのお茶セットや水差しその他の陶器を買ったのである。
さすがに疲れたので、騎士たちがお勧めするカフェで一休みすることにした。もう日差しは随分陰ってきている。
私はララの実とイチジクの炭酸水を選んでみた。どちらもこの地域で取れる名産の果物である。
イチジクの甘みとララの実の酸味が結構マッチして疲れが取れるような気分である。
別荘に戻った後は疲れもあってすぐに眠ることができた。
そのあと一週間くらいの間にカーテンやドレスなどが次々に運ばれてきた。
部屋のカーテンを変えると雰囲気も一変してさっぱりした好みの部屋になってきた。
礼拝堂ではポーションを作成してみたが、特に問題なくポーションが作成できた。
何本かのポーションは生傷の絶えない騎士たちやエオーラに試しに使ってもらったが、無事に効果を発揮したようである。
余ったポーションは地下の保管庫に保管しておくことにした。
とにかく保管庫にポーションを一杯にして厳重に鍵をかけ、余ったものは騎士団にプレゼントすることにした。騎士隊長もポーションのプレゼントには喜んだみたいである。
そうして新都に戻った私たちは両親やお兄様と一緒に月祭りに参加したあと王都に戻ったのである。