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今日は家を出ていく日。
いつもより早く目が覚めたミュリエルは、あらかじめ用意していた小さなカバンをベッドの下から引っ張り出した。
中には下着を数枚、亡くなったマリアの形見だと思っている絵本、アランからもらったクリスタルのペンダント、それだけだ。
カバンをぎゅっと抱きしめて、決心したように厨房へ行き、裏口の階段の下へカバンを隠した。
それからは、なるべくいつも通りに見えるように過ごす。
ジュリエッタを起こすと、今日はいつもに増して機嫌が悪いようだった。どうやら自分の結婚相手にと目を付けていた伯爵家の次男に、ジュリエッタが二股をかけていたことがバレて散々だったらしい。
夜まで付き合わされた御者が厨房でボヤいていた。
「あの男!私を振るなんて! お父様に言って、あの家の取り引きをめちゃくちゃにしてやる!」
朝から不穏な発言である。
せっかく可愛らしく産まれたのに、性格のキツさと発言の乱暴なところで、台無しだー
と、思っても決して声には出さないが、ジュリエッタは見逃さない
「ちょっと!何笑ってんのよ!」
手にしたティーカップをミュリエルに投げつける。
壁に当たって砕けた破片が飛んで来る。咄嗟に顔を庇ったので、なんとかケガはせずに済んだー と思っていたら、いつのまにか、側まで来ていたジュリエッタに、割れたカップの上へ突き飛ばされてしまう。
「あんたなんか! 呪われっ子のくせに!」
手足を切って血を出しているミュリエルを見て、気が済んだのか、片付けを指示してジュリエッタは部屋を出る。
これも、今日でおしまいだから。そう言い聞かせて立ちあがろうとすると、ズキリと右足に痛みが走る。一番大きな破片が食い込んでしまっていた。痛みをこらえて破片を抜き取ると、傷は深いようだが、キレイに切れており、包帯でもしておけば傷は塞がるように思える。
ミュリエルは持っていたハンカチで傷を強めに縛ると、部屋の片付けを始めた。
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「はぁーーー。」
アランは仕事仲間のディーンの前で盛大にため息をついた。
「おまえ、ほんと嫌。うっとおしいね。」
アランと同じ頃、闇ギルドに売られてきたディーンはアランと正反対の見た目で、キラキラの金髪に紫の瞳、整った顔立ちはきちんと正装すれば王族のフリもできそうだとアランは思っていた。
ここは二人の行きつけの食堂で、予定が合えば月に一度昼を食べる決まりにしている。それでお互いに生きていることを確認し合うのだ。
二人は今いかにも普通の、平民の服装で、同じように昼を食べる労働者たちに溶け込んでいる。
「何で、大金と引き替えに、女の子タラしこんで片付けるんでしょ?うまくやってるんだろ? 何でため息?」
ディーンは今大きな仕事を片付けたばかりで、しばらくフラフラ遊び回るつもりだという。時々アランの様子を見に現れては面白がっている。
誰も頼れない世界の中で、二人はお互いだけが気のおけない関係だった。自分の話をしないアランのことも、ディーンはたいてい理解してしまう。逆にアランもそうだった。
これを親友というのか。 家族もいないアランにはわからなかった。
「あ、わかった。情が湧いたんでしょ。殺しちゃうの、もったいなくなっちゃった?」
重ねてディーンがからかう。
「そんなんじゃ、ない。」
今ミュリエルに対する気持ちはこれまで感じたことのないものだった。
「仕事はする。きっちりやればギルドの長も評価を上げてくれるだろ。時間がかかってるからイラついてるだけだ。」
レスティアからは1年かけて始末するように言われている。急にいなくなって死んだのでは、子爵家が疑われてしまうからだそうだ。
失踪して、時間が経ってから、どこかの海へでも放り込んでほしいなどと言っていた。
「ふーん。、、、じゃあ、まだしばらくおママゴトごっこするわけね。俺、今退屈でさ。なあ、キリがついたら外国でも行こうや?お前行きたいとこあるって言ってたし。」
アランは、偶然会った母親のいた娼館の主に、父親かもしれない人間の情報をもらっていた。
別に会いたいわけではないが、人の情報を売る商売もしている身としては、自分自身の情報を放ったらかしにはできない。
「ああ、片付いたらな。明日から仕事で姿眩ますからな。しばらく会えない。連絡はいつもの方法だけだ。」
「ええー 俺ヒマなのにぃー。」
泣き真似をするディーンに呆れた目を向けて、アランは雑踏に消えて行った。
ミュリエルとの約束は今晩だ。