3 子爵夫人の策略
そんな幸せもある日突然崩れてしまう。
マリアが馬車の事故で急逝したのだ。
ミュリエルが10歳の時である。
「マリア、マリア!」
滅多に泣かないミュリエルが、青い顔をして取り縋ろうとしても、使用人の手によって残酷に引き離されてしまう。
マリアは自身の子供たちの元で手厚く葬られたが、ミュリエルにはすぐに理解できない。
一人ぼっちの離れで涙を流していると、使用人が呼びに来た。
「旦那様がお呼びですよ。急いで。ご機嫌が悪くなってしまうわ。」
本邸に呼ばれることは滅多にない。呼ばれても良い話を聞かされることはないとわかっている。
それでもこの時、乳母のマリアを無くしたミュリエルをかわいそうに思って、本邸で暮らせるようになるのかもしれない、と微かな希望を抱いてしまったことは否定しない。
持っている中で一番シミの少ない服を選んで、ミュリエルは慌てて本邸へ向かった。
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「今日から働け。使用人としてならここへおいてやる。嫌ならどこへでも出て行け。」
カイウスはミュリエルに言い放った。
「まあ、お父様。お優しいのね。こんな気味の悪い子を置いてあげるなんて。」
ジュリエッタは目を輝かせてミュリエルを見ている。
新しい世話係を雇うことを面倒に思った子爵は、働かせることを思いついたのだ。自分に似ていないミュリエルを使用人にしてしまえば、この気味の悪い長女などはじめからいなかったように暮らせるだろう。
悪くない考えだ。
長年の厄介事が解決したと、ほくそ笑む子爵の横で、子爵夫人のレスティアは忌々しそうに目を細めていた。
ああ、思うようにならない。
乳母と一緒に死んでくれるはずだったのに。
どうしてこの子が助かるのー
そう、馬車の事故は仕組まれたものだった。
「あの子に新しい服など買ってやってちょうだいな。」
レスティアの優しい言葉を信じた乳母は、夫人の気が変わらぬうちにと、急いで街へ出かけたところ、細工をされた馬車で呆気なく命を落としたのだ。
夫人の目論見は外れて、ミュリエルだけが生き残ったのだ。
ああ悔しい。この子がいなければ、ジュリエッタは堂々と家を継げるのに。憎々しげにミュリエルを見つめる夫人に気が付かず、当のミュリエルは呆然としていた。
働く? 私が。
だけどこの家を出るなんて考えられない。
離れの部屋が世界の全てだったミュリエルにとって屋敷の外は見知らぬ国と同じ。乳母に聞かされる話で、お店や学校というものがあることは知っていたけれど、実際に行ってみようとも思わなかった。
結局ミュリエルはこの日を境にカーマイン家の使用人として扱われることになった。