喧嘩屋と英雄
英雄は家中に響く父の怒鳴り声で目を覚ました。かすかに兄の声も聞こえたので、また喧嘩しているのだろうか。この家ではよくある光景だ。しかし、時間を考えて欲しいものであると頭を振って眠気を誤魔化す。
英雄の兄は地元では有名な不良だった。人と違った白い肌や髪、身内であることを差し引いてもハンサムな男で、日光に弱いためいつも番傘(普通の日傘はダサいらしい)を持ち歩いていた。穏やかな笑顔や話し方のわりに、危険なことや殴り合いが好きという突出した凶暴性を持っていた。小さい頃から変にから回る正義感を持っていた英雄がいじめられてもどこからか兄がやってきて、全員を殴り飛ばしていた。本人はただ絶好の喧嘩の機会を逃したくなかっただけなのだろうが、英雄にとって兄はヒーローのように見えていた。
中学生になった頃から兄は目に見えて荒れるようになった。帰宅も遅く、シャツに血がついていることも多くなった。母が心配そうに尋ねても、他所行きの笑顔を浮かべるだけで、父が怒鳴っても飄々とした態度であしらった。英雄に関しては視界にも入っていないようで、無視されるか鬱陶しそうにため息を吐かれるばかり。彼女は仲が良かった頃を思い出しては、昔のぶっきらぼうだが優しい兄に戻って欲しいと願っていた。
「近所迷惑だよ」
未だ喧嘩している(といっても父が一方的に怒鳴っているだけだが)2人を止めるように声を張ると、父はチラリと時計を見て押し黙った。英雄は兄の姿を見て思わずギョッと目を見開く。シャツや拳は血まみれ、顔にも大きな痣ができていて、口の端は切れているようだった。兄がこれほどまでに怪我している姿を見るのは初めてだった。
「お兄ちゃん、喧嘩はだめだって…」
「お前の学校にさ、背が低くて黒髪の目つき悪い男っていない?」
「…それだけだと分からないよ」
この日は珍しく兄から英雄に話しかけてきた。爛々と光る目にはまだ微かに興奮の色が残っている。気押されながらも返事をすると、すぐに興味をなくしたように「あっそ」と呟いて部屋に戻っていった。兄をあそこまで怪我させた不良がうちの高校にいるのか?と英雄は眉根を寄せる。風紀委員として活動しているが、兄のいる工業高校に比べると比較的大人しい生徒が多く、ヤンチャといっても授業時間中に無許可でプールに潜って帰ってこない人見知りな大男と、どこかれ構わず寝ている癖毛のマイペース1年しか思い浮かばない。黒髪で背が小さく、目つきが悪い生徒などいただろうか。しばらく記憶を掘り返しても思いつかなかったため、諦めて寝ることにした。
それから数週間が経ったある日、英雄は風紀委員の活動で廊下をパロトールしていた。いつものように猫耳を模した段ボールをかぶって歩くと、好奇の目線が向けられる。彼女の被り物は、背が小さく小心者の彼女にとっての鎧のようなものだった。どれだけ見られて「おかしい」と指さされようと、これは彼女にとって欠かせないアイテムなのだ。自分と同じ2年のクラスが並ぶ階に到着すると、とある男子生徒に目が止まる。黒い髪、比較的低い身長、そしてー…すこぶる目つきが悪かった。彼を見た途端、英雄の頭には兄の姿がチラついた。間違いない、兄が聞いてきた男は彼だ!思わず英雄は彼の前に立ちはだかった。
「貴様!人殺しのような顔をしている!悪い奴に違いない」
喧嘩屋は、小さな町工場の経営をする父と、気弱だが子供思いな母の間にアルビノとして生まれた。幼い頃から日光を避けるように帽子を被り、夏場でも長袖を着るといった気をつけることが多かったが、めんどくさがらずどちらもそれなりに愛情を注いでくれた。彼には年子の妹が1人おり、小心者の癖に妙に正義感だけ強く、周囲から鬱陶しがられていた。彼にとっては1人の妹な上に、自分の後ろを着いてまわるため放ってもおけずよく手助けをしてやった。要領よく初めてのことでもある程度上手くできる彼からすると、妹は鈍臭く頑固で、これは将来かなり苦労するだろうなと密かに思っていたくらいである。
そんな、ある日のことだった。
彼が小学6年生の頃である。下校中、いつも持ち歩く赤色の日傘をくるくると回しながら歩いていると、妹をいじめて喧嘩屋に負かされた少年が兄を連れてやってきた。どうやら中学生らしく、ひとまわり体の出来が違う。金色に染められた髪は肩につくほど伸ばされており、ジャラジャラとピアスをつけていた。喧嘩屋は、自分の心臓が耳のすぐ内側にあるかのように波打つ鼓動が大きく聞けた。少年は「あいつだよ兄ちゃん」と言ったように思う。なるほど、あいつも弟を守ろうと来たわけだと理解すると、わざわざ中学からお出ましになった彼の兄弟愛を感じた。真っ白な喧嘩屋を珍しそうに見た後、大きな拳が彼めがけて振り下ろされる。咄嗟に、持っていた傘で妨害した。すぐに傘を閉じて、怯んでいる相手の喉に向けて思いきり先を突き上げた。妙に柔らかく弾力のあるものに衝突した感触がして、中学生の彼が「グッ」だが「ヒグッ」だか分からない声をあげて倒れ込む。少年がたまらず「兄ちゃん!」と叫んで駆け寄るが、傘を手にしたまま立つ喧嘩屋に怯えたように兄にしがみつく。問題の喧嘩屋はというと、妙な高揚感に襲われていた。自分より強いかもしれない相手に拳を向けられて、とてつもなく興奮していた。その相手を延したこともまた、優越感を与えていた。
「もうおしまいなの?」
まだしたい、もう一度掴みかかって欲しいし、もう一度攻撃させて欲しい。今までこれほどやりたいことがあっただろうか。いつの間にか倒れたままの兄と、擦り寄る弟に足が進んでいた。傘を振り上げた時、見知らぬ誰かに腕を掴まれる。
「こらこら、危ないでしょう」
振り返ると、ニコニコと笑顔を貼り付ける白装束の男が立っていた。兄弟はここぞとばかりに逃げていく。喧嘩屋は心の底から失望した上、邪魔をした男に言いようのない腹立ちを感じていた。睨みつけるが、相手は変わらない笑顔を貼り付けたままであった。男はマジマジと喧嘩屋を見ると「あの方に似ている」と呟く。細められた瞳の奥にギラギラと光る凶暴性が垣間見え、喧嘩屋は握っていた傘を男の目に向けて突き上げたが、意外にも俊敏な動きで避けられる。
「うん、素晴らしい!ぜひうちの教団においで」
「離せよ!」
「大丈夫!すぐそこだし、君を神が守ってくれるよ」
「はぁ?」
喧嘩屋もこのときは所詮子供だった。ずるずると連れて行かれた場所には、これまた白い壁の四角い箱のような建物が建っていた。案内された部屋は講堂のような空間で、数人の子供と3人の大人がいた。全員真っ白な服を着ていることが余計不気味さを漂わせている。違う点といえば、子供達の服だけ不自然に赤い斑点が着いているところだろうか。
「〇〇様、その子は?」
1人の女が首を傾げなが近づいてきた。喧嘩屋としては今すぐ帰りたいところで、周囲を睨め付けていた。
「あの方に似ているでしょう。もしかしたら、神の子かもしれません」
「確かに、人とは違う容姿ですね」
先ほどから何度か出てきている「あの方」とは誰だろう。神の子というのもよくわからなかった。確かに少し違った容姿をしているが、それ以外のことは普通の子供と同じである。
「あなたは今まで大きな怪我をしたことはありますか」
女が喧嘩屋の視点まで屈んで、目的のわからない質問をする。喧嘩屋は一度だけ骨を折ったことがあった。確か木を登っていたら枝が折れ真っ逆さまに落ちたのだ。痛みより号泣する妹の泣き声の方が鼓膜を破りそうで酷かった覚えがある。
「その時、怪我はすぐ治った?」
「なんの話してんの」
「すぐ治った?」
一定のトーンで同じことを問う女に背筋が凍るような錯覚を覚えながら、正直に「大体2ヶ月くらいだったと思う」と返事すると大きなため息を吐かれた。
「そう…きっとまだ信仰心がないからだわ」
「そうだね、君もあの方のように素晴らしい力を得られるに違いない」
再び腕を引かれ、部屋の中央部に連れて行かれた。ここまで来ると、部屋にいる子供達の様子がよくわかった。思わず声が出そうになるのをグッと堪える。白地に赤い模様が入っていると思っていたが、それが生々しい血だと気づいてしまったのだ。よく見るとどの子も包帯を巻いたり打撲の跡が見える。頭の回転が速い彼は、先ほど怪我の治りを聞かれたことと子供達の様子から、これから自分に襲いかかるであろう危険を簡単に予測することができた。逃げなくては、ここはおかしい。こいつらはおかしい。手段など選んでいられなかった。ドクドクと心臓が波打ち、アドレナリンが放出される感覚がした。危険な状況に、思わず笑いが漏れる。恐ろしいはずなのに、なぜか「楽しい」と思う自分がいることに彼は戸惑いを感じていた。様子の変わった喧嘩屋を不思議そうに女が覗き込んだ直後、傘の先が彼女の顔面に激突した。子供とはいえ、躊躇のない攻撃は十分効果があったようで女はよろめく。次に男の喉を突き、足を思い切り踏みつけながら自分の腕を掴む手を振り解く。このまま留まって殴りたい気持ちがあったが、体格差があるため大人しく彼は逃げ出した。
家のそばまで逃げると、誰も追ってきていないことを確認してから日傘を開いてしゃがみ込んだ。複数人を殴ったため傘は曲がったようで、一部が凹んだまま開く。呼吸を整えながら、先程の出来事について考えていた。あいつらは確実におかしい。妹が存在を知れば発狂ものだろう。あいつは馬鹿だから何も考えずに突っ込んでいくに違いない。もしその時自分がいなければ、妹はきっとあの子供たちと同じような目に遭うのだろう。自分がそばにいようにも、この容姿は覚えられているだろう。狙われやすくなるだけだ。そう思うと、妹と一緒に行動するのは悪手と言えるだろう。
その日以来、喧嘩屋は英雄を徹底的に避けた。中学に上がると彼の容姿に突っかかってくる人物が増えたため喧嘩三昧となっていた。喧嘩をしていると気が紛れる上、ひたすらに楽しい。いつの間にか妹も近寄らなくなり、守ろうなんてかつての気持ちは薄れていた。
夜の街を歩いていると、最近知り合った黒髪の背の低い男を見つける。声を掛ければ、毎度の如く心底嫌そうに顔を歪められるのだろう。
「おーーーーい、沈黙くーーん!!」
登場人物、設定紹介
【英雄】
からまわる正義感の持ち主。なんだかんだ兄が好きなので、昔のように仲良くしたい。兄の尽力あってヤバい宗教団体とは関わりがないが、そんなことには気づいてすらいない。沈黙を見た時は不良だ!より「お兄ちゃんを殴りやがって!」が前面に出てしまった。頭も運動神経も良くないが自分の心に素直な子なので、相手が強くても悪いと思えば注意しに突っ込んでしまう。
【喧嘩屋】
沈黙や願望者たちはきっかけがあっておかしくなっているが、こいつだけは天性のスリル大好きアドレナリン中毒。高校時にはもう鬱陶しいとしか思わなくなっているが、妹を大事に思っていた時もある。〇〇教にトラウマを植え付けられたので、おそらく願望者と遭遇すると即刻殺戮が始まる。願望者は沈黙ではなくこっちにまとわりついた方が殺してもらえると思う。沈黙君とは喧嘩友達(だと思っている)。頭がよく器用で、実は機械いじりが趣味。英雄の目覚ましを作ったのはこいつ。
今回も胸糞悪くて申し訳ないです。