沈黙と喧嘩屋
月に一度の委員会活動の日だった。図書委員に所属しているため、ホームルーム終了後に早足で図書室に向かう。とにかく面倒臭い奴らがくる前に辿り着かねば。しかし、こちらの願いも虚しく目の前に大きな壁が出現した。
「あ、沈黙〜最近見ないから心配し…え、どどどどどどどうしたのその顔!?」
意気揚々と話しかけてきた願望者だったが、俺の頬に貼られた大きなガーゼや充血の残る目を見るなり青ざめる。
「先に死なれたら困るよ!!」
どこまでも自己中心的な男だな、と思わずため息が漏れる。口の端にある傷がズキズキと傷んだ。
「もしかして喧嘩?まさか負けたとか?」
心配です!と文字が見えそうなほど狼狽しながら尋ねてくる自己中男の言葉に思わずムッとした。2日前の夜を思い出しながら、思わず顔が歪む。
「負けてはない…勝ってもないが」
その夜はやけにむしゃくしゃしていた。最近姉の夢を見るのと、確実にストーカーのような願望者のせいだった。まだ冷える夜の街に出ると、少し頭がクリアになる。不本意なことに小柄で童顔なため堂々と道を歩けず、こそこそと路地を散歩していた。手っ取り早く絡んできた不良を殴り飛ばし、スッキリとした気持ちで足蹴にしていた時だった。背後から場にそぐわない拍手が鳴り響いた。振り返ると、番傘を肩にかけた白い男がニコニコと笑っている。どことなく笑顔の種類がここ最近絡んでくる面倒臭い奴らに似ていて、寒気がした。
「うーん、面白いね。いいねいいね!」
爽やかな好青年っといった声の調子で男は番傘を手に取った。俺は縁切り神社に足を運んだほうがいいかもしれない。男の声に反応した足元の不良がうわずった声で騒ぎ出した。
「せ、先輩!こいつ何とかしてくださいよぉ!」
どうやら先輩らしい。よく見ると近隣の工業高校の制服である。所属がわかる服装で夜間に歩くとは、勇気だけは勝ってやろう。蛍光灯に照らされてうっすらと見える紫がかった瞳が、不良を捉えた。
「所属が同じだからって、俺の庇護下にでも入ってると勘違いしてるわけ?」
「で、でも」
「いいからとっとと失せろよ」
不良たちは震えながら走っていった。走れる元気があったのか、火事場の馬鹿力というものなのかはわからないが、何より目の前の男をどうするか考えねばならない。このままサヨナラとはいかないだろう。
「ごめんね、あいつら馬鹿だから絡む相手選ばないんだよね」
男は困ったように笑う。番傘の先がコンクリートの地面にあたりコツコツと音が響いていた。
「普段歩かない道も歩いてみるもんだね。君はどこの誰なのか、とても興味がある」
じっと黙っていると、男は「ダンマリが好きなのかな?」と小首を傾げた後、思いついたように小さく声を上げた。
「一応確認しておくけど、〇〇教のガキじゃないよね」
「〇〇教?」
聞き覚えがある固有名詞に思わず聞き返す。確か、学校近くに本拠地を構えている宗教団体だ。下校中に勧誘のチラシを配っていたはず。
「違うならいいんだ。ほら、あいつらやばいからさ」
男は「困っちゃうよねー」と他人事のように言った後、目をギラつかせる。
「俺が勝ったらどこの誰か教えてくれる?」
「…こっちが勝ったら?」
「お、会話してくれた。そうだね…君のこと探ったりしないよ、多分」
確約しろよ。思わず叫びそうになったがグッと堪える。とにかくこの場を凌がないといけない。
「かなり恥ずかしいけど、俺は喧嘩屋って呼ばれてるよ。君が勝ったら名前教えてあげる」
一息吐いた直後、自分の拳に男がぶつかる感触と、頬から鈍い音が鳴っていた。
心なしか頬が熱を帯びてきたような気がした。ピーピーと願望者がうるさいからだろうか。とっとと委員会に行かねばならないのはこいつも同じはずなのだが。懲りずに話しかけてくる願望者を無視して図書室へと急いだ。扉を開くと、もうほぼ全員が集合している。こちらに気づいた後輩がひらひらと手を振った。
「センパーイ、遅いですよー」
見渡すとどうも後輩の横以外に席がないようだったので、仕方なく腰掛ける。後輩は本を三つ重ねて枕にしているようだった。
「相変わらずだな…よだれ垂らすなよ」
「垂らさないですよー」
この後輩はかなりの変わり者で、どう言うわけか委員会に入ってから自分に懐いていた。曰く「昔お世話になった人によく似てる」かららしい。確実に俺ではないのは確かなのに、それだけで懐いて大丈夫なのだろうか。委員長が図書館のルールを無視した大声で話し始めるが、遊惰な後輩はうだうだと柔らかな癖毛をかき回していた。重い二重が眠そうにパチパチと瞬きを繰り返している。
「そういえば、先輩の頬どうしたんですか?」
伸びてきた指を思わず掴む。睨みつけるが「わぁ怖い」と全く応えていない様子だった。男の割に細い指が、うっかり折られるとは思わないのだろうか。怪我のせいであっちこっちに聞かれてイライラが募る。あの白い男もとい喧嘩屋に決着がつかなかった場合どうする気か聞いておけばよかったと今更ながらに後悔していた。
もう2度と会いたくないと思いながら疲労の残る体に鞭を打って校門を抜けると、赤色の番傘が目に映る。持ち主はこちらを捉えると、番傘でできた日陰の中から包帯を巻いた手を振ってきた。思わず頬が引き攣ったのは言うまでもない。
【喧嘩屋】
沈黙達の高校に近い工業高校の3年。176センチの爽やかメンズ。いわゆるアルビノであるため日光に弱く、皮膚や髪が白い。瞳は紫がかっている。「カッコいいから」という理由で持ち歩いている番傘は丈夫な上に雨傘兼日傘で、日中はこれがないと出歩けない。夜はそれで人をボコボコに殴っている。ギリギリの展開に興奮するアドレナリンジャンキーで喧嘩が大好き。沈黙は喧嘩強いから好き。多分願望者とは反りが合わないと思う。仲は良くないが1歳下の妹がいる。
【遊惰】
沈黙の通う高校の1年生。168センチ。くるくる天然パーマで眉毛は太め。同じ図書委員だが基本ずっと寝ている。好きなことを好きな時にする自由人。昔仲良くしてくれた人にそっくりだから沈黙に懐いた。沈黙もなんだかんだこの後輩とはちゃんと会話してる。花道家元の一人息子だったりする。
【〇〇教】
沈黙達が住む街を本拠地にしている宗教団体。よく勧誘のチラシを町で配っている。喧嘩屋曰く「頭おかしいやばいところ」らしい。団体の建物内にはよく子供が出入りしているとかなんとか。