神の子と喧嘩屋
一人暮らしをしている俺の家に願望者を呼び(なぜか享楽もセットでついてきた)、試しに彼の足を切り落としてやった。痛覚は正常なはずなので常人なら悶絶するところだが、良い感じかもとはしゃいでいるこいつは生粋のMなのだろう。若干引いた。
「おい、享楽。キャリーケースに入れろ」
そう言って願望者のずっしりと質量のある足を投げると、彼女はヨタヨタとしながらも受け取って丁寧に詰めた。おそらく願望者は出血死するだろうが、大事なのはそこではない。いつも蒸発するようにして回復するこの男の体が、完全に切り離した状態だと戻るのに「どのくらいの時間を要するのか」ということを調べるために、こんな面倒くさい手間をかけているのである。リビングにある時計がチコチコと部屋に響いていた。享楽は死にかけの願望者に寄り添って「もう少しよ」「きっと楽になれるわ」と声をかけている。この女も大概壊れているなと再確認した。彼女の微笑みは慈愛に満ちていて、この家で見ると思わず姉の姿が脳裏に浮かんだ。リビングの机には姉との写真が飾ってある。2人には見えないように予め伏せて置いたので姉の顔を見られることはないだろうが、無性に写真を手に取りたいような気持ちになった。10分後には願望者は死体になっていた。足は切り取られたままである。事件から時が経ち、せっかく血が薄れたフローリングに再びシミができていく様は、どこか落ち着かない気持ちにさせた。姉が動かなくなった姿、あの男の振り上げる拳、あいつらに突き立てた包丁が順番に思い出されていく。大きく深呼吸すると、気持ちを落ち着かせようと電気ポットに水を入れてセットした。コーヒーでも飲もう。
「死体の横でお茶でも飲もうって発想が、沈黙君ぽくて私好きよ」
享楽が動かない願望者を抱きしめたままケラケラと笑い声を上げた。私ももらえる?と尋ねてくるのでコーヒーの粉を見せる。コーヒーでも良いらしい。
「願望者ちゃんはコーヒー飲めないのよ」
どうでもいい願望者の情報を彼女はペラペラと話した。席について飲み始めても、チラチラと彼の姿を確認する。
「あ、足が戻ってきてる気がするわ。今何分かしら」
「30分」
「今でだいたい10センチ回復って感じね」
頬を赤く染めて話すので、今何を話しているのかわからなくなりそうになる。彼女は本当に恋する乙女だった。
そのままコーヒーを啜って、止まらない享楽の話を聞き流した。願望者の足と時計とで目をあっちこっち動かしていると、30分を皮切りに時間が進めば進むほど回復するスピードも上がっていることに気づく。実に珍妙な体だ。
「それで中学の時にね、願望者ちゃんってばバレンタインのチョコを段ボールいっぱいにもらったらしくて、どうしたら良いかわからないと泣きついてきて可愛かったのよ〜!高校に上がってからは少し落ち着いたのかした、でも去年も結構貰ってたわ。さすがって感じね!!」
ここから今年のバレンタインは何を作ろうかと相談されるが、俺はお菓子の作り方など一つも知らない。昔の記憶を掘り起こして、姉が一度作ってくれたチョコレートプリンを思い出した。適当にそれを伝えてみると、返事があると思っていなかったのか彼女は一瞬ポカンとして、またすぐに破顔する。
「良いわね!作ったことなかったわ。今年はそれにする」
「…それまでに願望者が死ぬかもしれないとは思わないのか」
ふと、疑問に思ったので口にする。彼女の表情が僅かに凍ったのが分かった。
「そうね、そうね、そういうこともあるわね…。やだわ私ったら先のことばかり」
「あいつが死んだら、お前はどうするんだ」
「…どうしようかしらね。正直、いまいち想像ができないの」
彼女はコップの中の黒い液体に視線を落とした。彼女は願望者に心底惚れている。彼の願いを叶えてやりたいと奔走しているし、それに人生を捧げているような印象があった。根っからの享楽主義の彼女は道徳心などどうでもよく、己の快楽にしたがって願望者を殺そうとしているが、彼が死ぬということは彼女の快楽も失われるわけである。僅かな期間しか面識を持っていない俺から見ても、享楽がそれに耐えられるとは思えなかった。しばらくリビングには静かな空気が漂っていた。時計を見ると、願望者の足を切ってから1時間13分が経過していた。足の状態を見ようとそのまま彼に顔を向ける。阿呆そうに緩んだ顔が見えた。
「あれ、コーヒー飲んでる?」
テノールの落ち着いた声が鼓膜を揺らすと、椅子を飛ばさん勢いで立ち上がった享楽は彼に抱きついた。
キャリーケースの中からは、一滴の血も残らず足が消えていた。普段の願望者の回復スピードを知っている人間が見れば、1時間戻らないだけでも死を信じ込ませるには十分だろうとひとまず胸を撫で下ろした。ここがうまくいかなければ全てが頓挫してしまう。
「本番はどこを切るの?」
しがみつく享楽を不思議そうに眺めて撫でてやっている彼が首を傾げて俺を見た。
「首を落とす」
「へぇ、何を使って」
「喧嘩屋からチェンソーを借りる」
「…喧嘩屋ってだぁれ???」
願望者と享楽が顔を見合わせて尋ねてきたが、その表情があまりにそっくりでおかしかった。説明するのも面倒くさいが、英雄の兄とだけ伝える。
「英雄ちゃんって確かに妹っぽいよね!」
「段ボール被ってるあの小さい子かな」
「そうそう、あの嵐みたいな子。沈黙君仲良いよね」
享楽が同意を求めてきたので「仲良いわけないだろ」と舌打ちする。話しているうちに先日の喧嘩屋との会話を思い出したので、願望者に一応伝えておいた。
「お前に恨みがあるらしいから出会ったら即殴られるぞ」
「え!?面識ないと思うけど」
なんかしたのかな、と不思議そうな彼を尻目にコーヒーを飲み干す。〇〇教関連だろうが詳しくは知らないので放っておいた。本日の目的は達成したので家から追い出そうとしたところ、インターフォンが鳴った。郵便だろうか、覚えがないがとモニターを覗き込むと白い頭髪がデカデカと写っていた。噂をすれば影、という言葉を思い出して頬が引き攣る。なかなか家主が出てこないことに痺れを切らしたのか、彼はドンドンと戸を殴り始めた。近所の注目を集めてはたまらないので諦めて玄関へ向かう。
「うるせぇぞ」
「あ!沈黙君ってばなかなか出てこないからさぁ。せっかくこれ持ってきたのに」
喧嘩屋は休日だからか知らないが、なぜか紫色の作業着を着ていた。いつもの赤い番傘を右手に、左手には刃渡り40センチほどのチェンソーが握られていた。彼はチェンソーをブンブンと横に振りながら「人の首くらいなら簡単だぜ」と商品PRを始める。
「なんで俺の家を知ってる」
「えー、友達だから?言ったじゃん、友達のことは良く知りたいタイプなんだって」
「は…」
心底気持ちが悪い。背筋がゾッとした。目の前でニコニコと笑うこの男は俺のストーカーだと確信する。玄関の騒がしさに気づいたのか、願望者たちがリビングから出てきた。
「あれ、お客さん?」
真っ白な喧嘩屋を興味深そうに見ている願望者と異なり、彼の姿を見た途端に喧嘩屋の動きが止まった。にこやかだった表情が鳴りを潜め、瞳孔が急激に開くのが近くにいる俺にはよく観察できた。急いで離れると、喧嘩屋は畳んだ番傘と、持ってきたチェンソーを置いて「こいつさ…」と俺に確認してきた。人の家で暴れないでほしいと願い、誤魔化すように視線を外したが彼はほぼ相手が誰か理解しているようだった。ズンズンと願望者に近づいたかと思えば、鈍い打撃音が願望者の頬から発せられた。吹っ飛んだ彼は壁に頭を強打したのもあり気絶した。
「が、願望者ちゃーん!!」
享楽が悲鳴をあげて彼に駆け寄る。喧嘩屋は荒い息のまま意識のない願望者の胸ぐらを掴んで何度か繰り返して顔面を殴った。
「お前だろ?お前だよなぁ、神の子ってのはよぉ…!」
「こちとらとんでもない被害を受けたんだぜ」「ヘラヘラしやがってムカつく野郎だ」と言葉を重ねながら青筋を立てて殴り続ける様は異様だった。この執念深い男が長年願望者を恨んでいたのなら、一発どころか百発殴っても気は収るまい。面倒臭さに一瞬天井を仰いで、喧嘩屋を蹴り飛ばした。
「おい、俺の家だぞ」
「いてて…ごめんって、顔見たら一気にムカついてさ」
「外でやれよ」
「うん。じゃあこいつ連れて出るね」
顔を腫らした願望者を視界に入れるとどこか爽快な気分だが、先程実験した内容も伝えたいしここで頭のネジを飛ばされても困る。ひとまず後にするよう伝えて引き剥がした。享楽が願望者の顔を懸命に撫でる様を見て、少し冷静になったのか喧嘩屋は汗を拭いながら息を吐いた。血のついた拳を拭こうとしたのだろうか、そちらを見て怪訝そうに眉根を寄せる。
「…血が消えてる」
彼はそのまま願望者の顔を覗き込んだ。享楽が肩を震わせるが「君に恨みはないから安心しな」と背を叩く。直前まで想い人を殴り続けた男の言葉など信用もできないだろうが、享楽は必死に願望者を抱きしめていた。喧嘩屋は彫刻のように整った顔をしげしげと観察して、盛大に舌打ちする。
「なるほどね、これが神の子か。こうなれると思ってるなら、そりゃあ気も狂うな」
興が削がれたように落ち着いた喧嘩屋は「俺の手だけ疲れちゃったよ」とヘラりと笑いチェンソーを勝手にリビングへ運んだ。
喧嘩屋がコーヒー飲みたいとうるさいので、粉を渡して電気ポットを指さすと自分でやり始めた。彼は器用にもお湯を沸かし直しながら、チェンソーの使い方を説明した。勉強熱心なのは本当なのかもしれない。非常にわかりやすく、一度で頭に入った。彼が勝手に食器棚を漁って取り出したカップにコーヒーを注ぎ始めたあたりで願望者と享楽が戻ってきた。
「喧嘩屋君、だよね絶対に。さっき沈黙から君のこと聞いたんだ」
「え、沈黙君が!俺のこと話したの!!」
さっきまで一方的に殴ったやつと殴られていた奴とは思えないほど彼らは親しそうに話し始めた。というよりも、喧嘩屋の意識が俺に移ったことで殴る気が消えているだけだろう。
「チェンソー貸してくれる人だって言ってた。ありがとう」
「当然だよなんだって貸すよ!沈黙君と俺は友達だからね!!」
胸を張る喧嘩屋に机の上にあった鉛筆を投げた。
「友達じゃねぇよ」
「「照れてる」」
口を揃えて微笑ましいものを見つかのごとく見つめてくる2人に青筋が立つ。「ぶっ殺すぞお前ら」と脅してもまた言ってるわとばかりに温かい視線を送られて苛立ちが募っただけだった。
「まぁまぁ…私たちはそろそろ帰ったほうがいいかしらね」
享楽が時計を見ながらそう口にしたので、願望者も椅子にかけていたコートを手に取りながら同意した。ようやくうるさい奴らが消えると思うと胸が晴れやかである。このまま喧嘩屋にも帰宅を願いたい。
「君は神の子の彼女なの?」
喧嘩屋が思いついたように享楽に言葉を投げかけた。猫舌なのかコーヒーに何度も息をかけている。
「美人だな」
サラリと彼の口から出た言葉に、享楽は少し頬を染めた。柔らかい表情で礼を述べる彼女は確かに整った顔立ちをしている。中身が壊れていることを良く知っているので魅力的には感じないが。そんな彼女に喧嘩屋も微笑み返したが、享楽の顔を隠すように願望者が手を振った。
「この子はダメだよ」
眉を下げて困ったように笑うのは、彼にしては珍しい表情だった。享楽は願望者の言葉をゆっくりと自分の中で噛み砕いていたのか、数秒たってから湯気が出そうなほど赤面した。
「素直な感想を言っただけだ。人の彼女を取る趣味はないぜ。お前にはもう用はないんでな、また殴られたくなきゃ早く帰れよ」
喧嘩屋は揶揄うようにそう言って2人を追い出した。
「俺としてはお前にも帰って欲しいんだがな」
睨みつけるが、相変わらず効果はない。
「初めて沈黙君の家に遊びに来れたからさぁ、いいじゃん少しくらい。チェンソー持ってきたんだから許して?」
手元のコーヒー顔面に掛けてやろうか。一瞬指を動かしたが、チェンソーを持ってきてくれたのは本当なので溜め息一つで我慢した。誰も自宅に来いなど言っていないが。
「しかしよくあいつが神の子だって分かったな」
「顔は当然初めて見たけどさ、俺が〇〇教に関心を持たれたってことは俺と同じアルビノか、極端に色素が薄いやつなんだろうとは思ってたんだよ。あと良くわからないが世界から切り離されたような、変な雰囲気の奴だったじゃん。見た瞬間コイツだってピンと来た」
「世界から切り離された雰囲気ね…尤もだな」
喧嘩屋が評したように、願望者はどこか浮世離れした男である。学校でも彼が歩いている空間だけ小説や絵の中の出来事のようで、神の子というのもあながち本当なのではと思ったことがあるくらいだ。
「怪我が治っていくとは驚きだったけどね。まさか本当に人じゃないとは思わなかった。あれならもうちょっと殴ってもよかったかもな…いや、彼女ちゃんの前でやるのは酷か」
改めて拳を見直しながら喧嘩屋がコーヒーを啜る。まだ熱かったのかすぐに口をカップから離して舌を出した。
「いやぁ、美人だったなあの子。全体的に華やかだし、うちのアホに爪の垢煎じて飲ませたい」
「お前の妹とあいつはクラスメートだぞ」
「え??マジで?月とスッポンじゃん」
よく妹のことをここまで酷評できるものだと呆れる。彼の妹こと英雄は全体的に薄い顔立ちをしていて、享楽のような華やかさはない。しかし目は丸くて大きいし、高くないが低すぎもしない鼻や上下で揃った太さの唇などパーツごとのバランスはさすが喧嘩屋の妹なだけあって良いものだった。
「見方によってはそこまでブスじゃない」
あまりの言われように不憫な女だと思ったので口を挟むと、喧嘩屋は意外そうに目を丸くして呆けた。たっぷりと間を開けてから反応を返してきた。
「………いや、沈黙君が弟になると思えば」
「別にタイプじゃない」
「大丈夫、俺的には得だ」
「だからタイプじゃない」
「アホだけど愛嬌と思って許してやってな」
「だからタイプな訳じゃない」
この問答は5分ほど続いた。
【沈黙】
今までにない来客数で、この夜はげっそりしていたらしい。願望者の足をバッサリと鉈で切断した。やると決めたら一切の躊躇がない男。喧嘩屋の絡みが本当にウザい。本当に英雄は五月蝿いからタイプではない。ただ実の兄に酷評される様に同情しただけ。沈黙自身がシスコンなので、他所の家も兄妹中は良い方が気分がいいらしい。
【願望者】
念願叶って沈黙に1キルしてもらった。足飛ばされて一応痛かったらしい。喧嘩屋に急に殴り飛ばされて視界がチカチカしたが、すぐに「さっき沈黙が言ってた人だ!」と理解した。なぜ恨みを買っていたのか結局わからないまま帰宅した。喧嘩屋が享楽をストレートに褒めて、彼女が照れたので少しモヤッとしたがなぜかは分かってない。
【享楽】
死なない人が死ぬって面白い!の一心で行動してきたけど、願望者が死んだら楽しみがなくなってしまうことに気づいてしまった。突然悲しさに見舞われる。華やかな顔立ちで身長も高いため目立つ。好きなのは願望者だが、曲がりなりにもハンサムな喧嘩屋に直球で褒められて照れた可愛い女。さらに願望者が少し嫉妬して独占欲を出しているような素振りを見せてめちゃめちゃに照れた。
【喧嘩屋】
お友達のお家は事前に調べて()いたので自宅から迷わず真っ直ぐ来れた。沈黙の家だと思うとテンションが上がったらしい。チェンソーデリバリーした。願望者のことは初見で見抜いたし、一発じゃ収まらなかった。享楽の顔立ちは綺麗だと思ったのでそのまま言った。タイプは物理的にも心理的にも強い女なので、華奢な享楽に惹かれたとかではない。沈黙が弟になる妄想が加速したので妹には頑張って欲しい。
喧嘩屋君と願望者が初顔合わせしました。この2人は個別で見ると全然違うが、見た目の雰囲気がどことなく似ているイメージです。




