9 覚悟
「な、なにがあった?」
打ちひしがれて戻ってきた俺たちを見て、居残りしていた秋葉が驚いた。
「みんなを集めて説明しよう」
さすがの杉浦も意気消沈していた。
榊や藤井から近いところでみんなに村でのことを話した。居残り組もうつむく。
「一体ここはどうなってるの」
女子のひとりがつぶやく。
「あたしが言った通り日本じゃないのは確実ね。日本語じゃなかったし」
清水がいつもケンカ腰の横田を見て得意そうに口の端を上げた。
「ふん」
腕組みをした横田がそっぽを向く。
「日本じゃないって、じゃあ一体どこだっていうね」
トラが変な言い回しで言った。
「多分ここは――」
マモルの言葉に視線が集まる。
「――パラレルワールド」
ごくりと唾を飲む音が聞こえた。しんと静まり返る。
「パラソルワールド?」
小滝が緊張を緩和してくれる。
「パラレルワールド。日本語で言うと並行世界。僕らが暮らす世界とはちょっとズレた世界のことだよ」
「ちょっとどころじゃないけどねー」
小滝が笑う。笑うところか?
「あれ、ホントだね」
マモルが笑う。笑うところだったのかもしれない。
「とにかく僕らが暮らしていたところとは違う世界だと思う」
「なぜこんなところに俺たちはいるんだ?」
「帰れないの? ウチに帰りたい!」
「わからない。なぜ来たのか、どうやったら帰れるのか」
押し殺した泣き声が漏れてくる。
「いつか方法がわかって帰れるかもしれないけど、それがいつかはわからないし、もう二度と元の世界に帰れないかもしれない」
ざわめきが広がる。泣き声が増える。
「だから僕らは覚悟を決めなきゃならない」
ざわめきと泣き声がぴたりと止んだ。
「覚悟を決めて、みんなで協力してこの世界で――」
マモルの目から涙が一粒こぼれ落ちた。
「――生きていくんだ」
「みんな思い切り泣け」
杉浦が大きく言った。目が赤い。
「だが泣くのは今日が最後だ」
一拍の間を置いて、みんなの泣き声が森に響き渡った。
ひとしきり泣いたあと、これからどうするか話し合う。
「拠点をどこかに作らなきゃならないな」
上原が言った。
「拠点って?」
女子が言う。
「雨風をしのぐ家や、作業場などだな」
「ここじゃダメなの?」
別の女子が言う。
「ここはなんか気に入らないんだよね」
「うん、湿気が多すぎるし水もよくない。怪物も近くにいたし」
上原の言葉を受けてマモルが言った。
「水場の近くか」
杉浦が低く太い声で言った。
「そうだね。いろいろ希望はあるけど水は外せないな。湧き水かきれいな川」
「ほかはどんなところがいいんだ?」
上原がマモルを真剣な顔で見つめる。
「うーん、乾いた場所、ちょっと高いところがいいかな、雨の時に水がたまらないように。広い空き地みたいなところがあればいいんだけど。あとは木の実とか近いといいけど、ま、あまり贅沢は言えないね」
「ふむ」
上原は真面目な顔のままうなずいた。
「俺たちで家とか作れるのかよ?」
男子から声が上がる。
「最初は簡単なものしかできないだろうね。草葺きのテントみたいな。竪穴式住居はすぐにはどうかな」
「縄文時代か」
ちょっと笑いが漏れる。
「もっと前かもね。誰かナイフとか持ってる?」
誰もなにも言わない。
「石器時代からだね」
マモルが寂しそうな顔で笑みを浮かべる。みんなの顔から表情が消えた。
「マンモスか……」
小滝が真面目な顔でつぶやいた。なにを考えた?
「もうー、日菜子ったら」
隣の女子が思わず笑みを漏らして体を小滝にぶつける。
「え、あ、いや」
笑い声が上がった。思いがけずみんなの緊張を解いた小滝が慌てている。
「よし。じゃあ俺、ちょっとその場所を探してくるよ」
上原が立ち上がった。
「えっ」
「いまからか?」
「まだ陽はあるしな。早い方がいいだろう」
時間は三時ちょっと過ぎだ。二時間は探せるだろうか。
「一緒に行こうか?」
杉浦が腰を浮かせる。
「いや、俺ひとりのほうが早い。なにかから逃げるにしてもひとりのほうが楽だし」
「そうか」
杉浦は腰を戻した。
上原は自分のバッグまで歩いていき、ファスナーを開けて手を入れると、
「お前らは藤井と榊を運ぶ方法を考えていてくれ。たぶん二時間くらい運ぶことになる」
二時間おんぶというのは運ぶほうも運ばれるほうも大変だ。担架みたいなのを作るべきか。
ん? 二時間?
「当てはあるのか?」
俺が言うと、上原はお菓子の箱が入ったコンビニ袋とペットボトルを持って立ち上がった。
「さっきの村があっただろ。じゃあ水も近くにあるんじゃないかと思ってな。川ならいいなぁ。じゃあ行ってくる」
コンビニ袋にペットボトルを放り込むと、手に持ったまま森の奥に走っていった。あっという間に見えなくなる。
ひとりで大丈夫だろうか。いや、上原ならきっと大丈夫だ。
俺たちは上原の消えた森をしばらく見つめていた。
「よし、怪我人を運ぶ方法を考えよう」
杉浦の言葉にやるべきことを思い出した。みんなで頭を付き合わせて考える。
「榊はバッグを使って、座った状態で運ぶっていうのはどうだろう」
「あー、でも彩香はお尻が大きいからねえ」
「ちょっと!」
「なるほど。横向きに使うか?」
「やめてよ!」
つらい現実を忘れようというように、みんな一生懸命に考えた。
そうでもしないと余計なことを考えてしまう。この状況に押しつぶされそうになる。
あーだこーだとなかなか意見がまとまらない。まるで議論が終わるのを恐れるようだった。
それでも一応のアイディアで決着がついた。
榊の分は、二本の棒の間にバッグをふたつ下げて、その上に榊を座らせようということになった。
バッグふたつなら壊れることもないだろう。持ち手は四人になるから負担も少ない。
榊はちょっと嫌がったが、他にいいアイディアもない。
藤井はバッグを多くした担架型ということになった。
バッグの間から体が落ちないように、蔓でバッグを固定する。
そのままだと重みでふたつの棒が近づこうとするので横向きの木を縛り付ける、などということが決まった。
問題は材料となる棒や蔓だ。
蔓は洞穴から脱出した時のものを持ち帰っていたが、いつまた俺がどこかに落ちるかもしれないので残しておきたい。
棒はある程度の長さと丈夫さ、そしてあまり太くないものがいい。
そんなものがこの近くで手に入るのか。いや、手に入れなければならないのだ。
俺たちは森に入った。
いざとなったらおんぶすればいっか、と俺は思っていた。
蔓はちょっと森の奥に行けば割と簡単に見つかった。
問題は棒のほうだ。
一メートルちょっとのものはいくつか見つかったが担架に使うなら二メートルは欲しいところだ。
いったん戻るとちょうどよさそうなのが三本、三メートル超えが一本持ち帰られていた。
三メートルは長すぎるが、切るにも方法がない。
石器を作るのに適した大きさの石がこのへんにはないのだ。とりあえず長いまま使うしかない。
蔓を結んだり張り渡したり、みんなで試行錯誤しながら運搬具を作っていくと薄暗くなってきた。
上原はまだ戻ってこない。
「いま何時?」
誰にともなく聞くと、
「五時二十分」
と腕時計持ちの男子から声が上がった。
腕時計の電池は何年も持つだろうがいつかは止まる。ソーラー電池や自動巻きの時計ならもっともつだろうがいつかは壊れる。
いつかは正確な時間というものが計れなくなるのだ。
そういえば、一番精確な時計は日時計だという。環状列石って日時計なんじゃね?
「隼人ー、手が止まってるぞー」
そんなたわいもないことを考えていると、トラに注意された。
いかんいかん。上原は大丈夫だ。心配しても始まらない。環状列石はどうでもいい。
俺は作業を続けた。
ほぼ真っ暗になる頃、上原が戻ってきた。
ぎりぎりだ。
もうちょっと遅かったらいくら上原でも戻って来れなかっただろう。森の中でひとりで一泊なんて怖すぎる。
「おかえりー」
女子の声が上がる。
「ただいま」
上原がなんだか照れ臭そうに言った。
「おう、いい場所はあったか」
杉浦が地面に座ったまま言った。
運搬具はあらかた作り終わったので、明日の朝、トラで試して最終調整をする予定だ。
「ああ、説明するからみんな集まってくれ」
上原をみんなで囲む。
「ここからあっちのほう――」
上原が森を指差す。村のあったほうよりやや右寄り、バスが向いていたほうだ。山に近い。
「――にまっすぐ行くと川に突き当たる。俺がいいと思った場所は上流のほうだ。河原があって、そこの大きな岩の上にコンビニ袋を置いてきた。なかに石を入れてきたから動くことはないはずだ」
そういえばコンビニ袋を持っていったはずだが、いまはペットボトルだけだ。透明な水がほぼ満タン状態。
「最短距離で行くと隼人が落ちた穴の近くを通るから、ちょっと遠回りでも迂回したほうがいいだろう。川に突き当たったら上流を目指して進めばコンビニ袋が見つかるはずだ。川からちょっと離れたところが拠点にいいと思う」
なんかいま、変なこと言わなかった?
「どれくらい時間がかかりそう?」
女子が聞く。
「んー、二時間ちょっとはかかるかもな」
上原は俺たちが作った担架もどきを見て言った。
「よし、明日の八時に出発しよう。よく休んでおけよ」
杉浦が言ってお開きになった。
もう太陽はすっかり沈み、あたりは真っ暗だ。
怪物がいるかもしれないと思うと焚き火も出来ないし、火をつける方法もわからない。
スマートフォンはいざという時のライトがわりにバッテリーを節約したい。もう何日かはもつはずだ。
必然的に話す以外にはすることがない。マモルとたわいもない会話を続けるが、すぐに眠気が襲ってきた。
今日はいろいろあって疲労困憊だ。
俺は眠りに落ちた。