23 雨の日に
翌朝の空は黒い雲で覆われていた。
温い空気が重く湿り気を帯びている。
今にも雨が落ちてきそうだ。
衣類を入れているバッグは雨から守りたい。
男女それぞれのシェルターのひとつをバッグ用にすることにした。
床となる地面に焚き木を敷く。水が入ってきた時に濡れないようにだ。その上にバッグを積み上げる。これで雨漏りさえしなかったらバッグが濡れることはないだろう。
藤井も女子のシェルターに運び込み、榊もそこで休んでもらうことにする。
問題は男子のシェルターだ。
女子用に三つ、男子用にふたつのシェルターがあるが、ひとつは荷物用にするのだ。残りのひとつでは男子全員入れない。
もうひとつ必要だった。
シェルター班は大急ぎで作業を進めた。
トラたち漁猟班は雨で川が増水して罠が流れてはいけないし、火が使えないと焼けないので今日の作業は中止だ。シェルター作りを手伝ってもらうことになった。
罠は川から引き上げてホームベースの端に転がしてある。
焼けないのはツノウサギを捕まえる長澤たちも同じだ。
上原も正樹も今日は同じくシェルター作りだ。
採集班は、その集めるものが今日唯一の食べ物になるので早いうちから森へ入っていった。
早川は採集班についていったはずだ。
草を貼り終わるまでにあとちょっとというところでぽつんときた。昼になる少し前だ。
「ヤバい、急げ!」
空も夕方のように暗い。もうすぐ本降りになりそうだ。雨粒がちょっとずつ、しかし確実に増えていく。ぱらぱらと雨が落ちてくる中、外側の草を貼り終えた。
「あれ、天井は?」
最上部を覆う草だ。みんなお互いに顔を見合わせる。作ってないのだ。
「適当に作って被せろ!」
トラが叫ぶ。草の束をいくつも縛って大きな束にする。
「うひゃあ、降ってきたぁ!」
見ると首をすくめて森から女子が出てくる。採集班も戻ってきたようだ。
「これでいいや。乗せるぞ!」
三つの棒で持ち上げる。
なんとか乗せると雨足が強くなる。
新しいシェルターに逃げ込もうとした時に、小滝が早川をおんぶして森から出てきたのに気づいた。
またなにかあったのだろうか。
「おい、早く入れよ!」
後ろからせっつかれてシェルターに入った。まぁ女子に任せて大丈夫だろう。
薄暗いシェルターに六人があぐらをかく。草のにおいと汗の臭い、風呂にも入っていないが川で水浴びをよくするので体臭はそうキツくない。
今のところは雨漏りもない。
雨が外壁の草を叩く音も思ったより静かだ。
「意外と快適じゃん」
「どうかなー、そのうち漏れてくるんじゃね」
「この中で焚き火とか出来るのかな?」
「木を燃やすのは無理かな。炭なら大丈夫だよ、きっと」
「こんな狭い部屋で炭とか使ったら一酸化炭素が――」
「隙間だらけだって」
雨足が強まってくる。音も大きくなった。
「ここまで降られると心配だなぁ」
身を縮こませていると、出入り口を影が覆った。顔を覗かせたのは但馬琴子だ。
「はい、プチリンゴ。今日は多分これだけだから」
山盛りのカゴが差し出される。もっとも小さなカゴだが。
「雨の中悪いな」
「あ、傘持ってるから」
「傘!?」
「折り畳み傘。備えあれば憂いなし、ってね」
そういえば母さんも持ってけって言ってたっけ。言うこと聞いとけばよかったなぁ。
あ、それより。
「早川、どうしたんだ?」
俺は気になっていたことを聞いた。
「ああ、段差があるとこがあってね、そこから落ちちゃったみたいなの」
「え、大丈夫なのか?」
「ひどい怪我はしていないみたいだけど、念のため小滝さんがおぶって帰ったの」
「そうか――」
森の中での段差ならそれほどの高さでもないのだろう。
「じゃあ行くね。プチリンゴ、ちゃんと雨で洗ってるから」
但馬は去っていった。そういうのを、ちゃんとって言うの?
「折り畳み傘かぁ。思いもつかなかったな」
「俺、持ってるよ」
「マジかよ」
「携帯型のレインコートを持ってるひともいるかもね」
「用意がいいなぁ」
「なかったら作ればいいんだよ」
「レインコートなんか無理だろ」
「昔のレインコートをなんというでしょう?」
「――蓑!?」
「じゃあ笠も作らないとな。あ、頭に被る方ね」
「それなら雨が降っても作業が出来るな」
夢は膨らむ。
そんなことを話しながらプチリンゴを嚙る。
ひとり四個はあるだろうか。みんな分なら百個を超える。この調子じゃこの辺りの木の実はすぐ無くなってしまいそうだ。
原始の人々が移動生活をしてたっていうのはこういうわけか。
農耕によって定住と安定的な食糧供給を手に入れたんだな。農業って偉大。
「うわ、冷た!」
とりとめのないことを考えていると、シェルターの真ん中にいた俺の首筋に水滴が落ちてきた。雨漏りだ。
やっぱり適当に作った天井では防水性がイマイチなのだろう。
「ちょっと避けてよ」
俺は外側に身を寄せた。
真ん中を開けて輪になって座る。そこへ時折、ぽとり、と水滴が落ちてきて、地面に染みを作った。
「おい、折り畳み傘出せよ」
「なにするの?」
「上に被せる」
「ヤだよ! 穴が空くだろう!」
「しょうがないだろ、緊急事態だ」
「穴が空いたら雨漏りするけどね」
「あ、そうか」
そんなことを言っているうちに天井からの雨漏りが酷くなってきた。もうぼたぼたとひっきりなしに滴ってくる。地面の濡れ染みが大きくなっていく。
「うわー、こりゃひどい」
「傘がいるな」
「中で使うなら持ってくる」
「シェルターの中で傘が必要なのか」
自嘲気味な笑い声が上がる。
傘を持っているという安本がシェルターを出た。しかし、傘を差しても全員は入れないだろう。
「俺は木の下でいいや」
俺はそう言うと、シェルターから雨の中へ飛び出した。
「付き合うよ」
マモルもあとを追ってくる。
俺たちはホームベースとした草地にいくつか立つ木の下に走り込んだ。一番近いやつだ。
結構太く、枝が大きく張り出しているが背は低い。
その木の幹にもたれかかる。
葉はたくさん繁っているが水滴はそこそこ落ちてくる。直に雨に打たれるよりだいぶマシだが、いくらもしないうちにずぶ濡れになってしまうだろう。
「雨が降っただけでこの大騒ぎだ。これから大丈夫かな」
俺はずるずると腰を下ろした。
地面はすでに水を吸っていたがどうせ濡れるんだ。かまうもんか。
「まだシェルターもきちんと出来ていないんだ。大丈夫。やっていけるよ」
マモルも俺のそばに腰を下ろした。
そうだな、きっとよくなる。雨が気を滅入らせているだけなんだ。
俺は木の枝を見上げた。暗く見える葉から水滴が落ちてきて、俺は目を眇めた。
「うっひゃあー」
すっとんきょうな声がして目を向けると、小滝日菜子が雨の中を頭を庇いながら駆けてきて、俺たちが雨宿りする木の下に入った。
「ど、どうしたんだ?」
「ん、見えたから来てみた」
雨の雫を払いながら小滝が言った。
「なんで?」
「楽しそうだったから」
雨を避けて木の陰で背中を丸めるのが楽しいのだろうか?
「楽しくはないかな」
「木に登ればきっと楽しくなるよ」
小滝が木を見上げる。鼻の穴が丸見えだ。
「ふたりは木登り出来る? あたしは得意だよ」
木登りなんて子供の時以来していない。
「僕はちょっと無理だなぁ」
「じゃあ手伝うよ。ほら、ふたりとも立って」
小滝が俺たちの腕をとって引っ張る。
立ち上がると、それほど高くないところに太い枝がある。手を伸ばせば届きそうだ。
「じゃあマモルくんからいってみよう」
マモルをふたりで手伝い、俺がなんとか自力で登ると小滝はするすると木に登り、枝のちょっと先で横に座った。
俺とマモルもおっかなびっくり木に腰かける。
落ちても大怪我はしなさそうな高さだ。だが、妙に気分が高揚してくる。
風景が多少変わって見えるからだろうか。猿だった時のDNAがそうさせるのだろうか。
「あんたたちなにやってんだー?」
ハスキーな女子の声が響く。
バランスを崩さないよう慎重に振り返る。桐原茜が木の下に走り込んだ。
「おー! 面白そうじゃん! 隼人も変なこと考えるね! あはは!」
いや、俺の考えじゃないんだけど。
「あたしもまぜろよ」
桐原もなんとか登った。
「うあ、結構雨が落ちてくるな。でも楽しいからいいか!」
桐原の先祖も猿のようだ。
「あ、そうだ、小滝。早川は大丈夫なのか?」
「うん、ちょっとぶつけたみたいだけど骨折とか捻挫とかはないよ」
「でも、おんぶしてたじゃないか」
「うん、早川さん、軽いし」
そういう話じゃない。
「まあ大事をとって運んだだけだよ」
桐原が笑う。桐原が言うなら大丈夫だな。
その後、しばらく雑談を続ける。
「木の上に住んでみてえな」
不意に桐原が言った。
「家を作ってそこに住むんだよ。いいと思わねえ?」
木材を上げるのが大変だろうと思うが桐原はロマンチストだった。
「いいねえ!」
小滝が弾んだ声を上げる。
「うん、いつか作ろう」
マモルが言った。
マジかよ。
木材だって頑丈なものを使わないとならないだろうし、そうなると重くなるだろうし、重くなると持ち上げるのだって一苦労だ。毛虫も出るかも。
そうまでして木の上に家を作るメリットはあるのだろうか。
怪物や獰猛な獣に襲われにくくなる? その分登り降りだって大変だ。今はいいが年をとったらどうするのだ。
しかし、この雰囲気でそんなことを言うのも不粋ではないか。
眺めがいいよね、くらいは言うべきだろうか。
いや、それでは木の上に家を作ることの本質を捉えていないだろう。二階建ての家と同じような高さだろうが、両者には決定的な違いがあるのだ。
それはなにか。わからない。
ただこの場でそういうことも言えないだろう。ここはみんなに合わせるべきだ。ならば――。
「木のう――」
「あー、こんなとこで楽しそうなことしてる!」
すぐ下から声がして目を向けると丸川が木の幹に両手をついている。
「登っておいでよ!」
小滝が言った。
「登れないよ!」
丸川が言うと小滝は体を後ろに倒し、空中でくるっと回って足から地面に着地した。すげえ。
「手伝ってあげるよ」
「ありがと!」
小滝が下から押し上げ、俺が上から引っ張り上げて丸川を枝の上に上げる。
丸川の手は小さくて柔らかかった。
「うほっ、なんか楽しいね、ここ!」
「でしょー」
するすると登って来た小滝が笑った。
「なんだなんだ、面白そうだな!」
トラと長澤がやってきた。
「ちょっとー、あたしも誘ってよぅ」
可愛い声の馬場と、
「わたしを上に上げなさいよ!」
清水蛍がやってきた。
あとからあとから人がやってきて、どんどん人が増えていく。
俺たち先に来ていた四人は木から降りて他のやつらが登るのを手伝う。
「俺が登っても折れないか?」
杉浦までやって来た。
ちょんちょんと背中をつつかれて振り向くと、マモルがちゃんとした男子のシェルターを指差す。
俺はにやりと笑って小滝と桐原の肩をつつくと人差し指を自分の口に当て、もう一方に指でシェルターを指差した。
ふたりがいたずらっぽく笑って、俺たち四人はこっそり木を離れた。
雨に出ると走り、シェルターに入る。誰もいない。貸し切りだ。雨漏りもほとんどない。
俺たちは乾いた地面に腰をおろし、水を払う。
「雨の日に木に登るなんて頭ヘンだよね」
小滝がそう言って俺たちは笑った。




