20 ネーミング会議
「今日はバスが沈んだところからこっち側をあちこち見て回ったんだ」
慎ましい食事をあっという間に済ませた。
魚は大事をとって何人かは食べていない。
俺は食べた方で、なにも味付けがしていない焼き魚だから、うまいともまずいともない味だった。塩を振るか余程空腹だと美味いのかな。
そんな夕食の後、上原の報告をみんなで聞くことにしたのだ。
「特に緑色の怪物たちが生活してるような痕跡はなかったと思うよ。食べられそうな木の実とかは下の村に近い方にいくつかあったようだな。他にないようだったら行ってみてくれ。まあ今日わかったのは怪物たちが近くで暮らしてる形跡はなかったというくらいだな」
「じゃあもうちょっと遠くまで探しに行けるね。今日は近くを見ただけだから」
但馬が言った。
「いや、絶対いないとは限らんぞ。移動はするみたいだし」
杉浦が腕組みして言った。
「化け物たちってどこか決まったところで生活してるものなの?」
清水が眉をひそめた。
「さあなあ。今のところそういうところは見ていない。放浪しているのかもしれないな」
「近くにいないなら向こうで火を焚いてもいいかもしれないね」
マモルが言った。向こうとは草地のことだ。
「そうだな。明日からはそうするか」
「俺からは以上だ。明日は山の方に行ってみるよ」
「わかった。よろしく頼む。じゃあ他になにかないか、なんでもいい」
杉浦が腕組みを解いて膝に手を当てみんなを見回す。
「あのぅ」
小さな声で言ったのは宮野葵だ。ちょっと顔が赤く見えるのは炎のせいだけじゃないようだ。
「洗濯物を干すのに男子から見えるのがちょっと……」
あー、そうだよね。
「ん? どういうことだ?」
杉浦は鈍チンだった。もしくはわざとか?
「鈍いわね! 下着を男子の変態じみたいやらしい目で見られると虫唾が走るって宮野さんは言ってるのよ!」
清水がまくし立てる。そこまでは言ってないと思うぞ。
「そうなのか?」
杉浦が宮野に聞いた。
「だいたいそんな感じです……」
そうなんだ!
「具体的にどうすればいいんだ?」
「目隠しを作ってもらえたら……」
ざわっと男子に動揺が走る。
「そ、そんな……」
「我々は協力できない!」
「日当たりが悪くなるんじゃない?」
最後は長澤だ。
「んー、今そういうことに手を割くのはなぁ」
杉浦は顎に手をやって宙を見る。
「棒を立てるくらいはしてあげてもいいんじゃない? きっとまだチャンスはあるよ」
マモルがにこにこしながら言って、みんなは驚いてマモルを見た。チャンスってなに、マモル?
「んー、まあそうだな。それ以降は女子たちでやってくれ」
杉浦は平常運転だった。女子は頷く。
「他には?」
「いいかな」
マモルのライバル、高木直人が手のひらを杉浦に向ける。
「ん」
「名前が必要だと思うんだ」
「名前って地名とかか?」
はてな顔の杉浦に変わってトラが聞いた。
「うん、地名や怪物たちの名前。そういうのがないといろいろ不便だろ? どこかに行くにしてもなにかを見たって報告するにも」
「面白そうだな!」
トラが目を輝かせる。
「いや、面白いとかじゃなく――」
「なにからにする? ここか? いや、最初からか?」
「トラの墓」
上原が言った。
「ふざけんな!」
「あそこって池なの? 沼なの? 湿地なの?」
丸川が言った。
「草原だよ」
俺が言った。
「草原かぁ」
「じゃあ、はじまりの草原、かな」
マモルが言った。なんか聞いたことあるような。
「それだ! はじまりの草原、いただき!」
「次は?」
「秋葉たちが落ちてた穴」
「ああ、あそこは隼人の穴って決まってるの」
トラが言った。いつの間に!
「いや、それはちょっと――」
「次は村か」
スルーかよ。
「うーん」
俺たちを入れてくれなかった村の名前はなかなか決まらなかった。色々な意見が出るが、どれもピンとこないのだ。
「難航するなぁ」
長澤が笑う。
「難航……ナンコウ村は?」
秋葉が言った。
「お、なるほど、交渉も難航したしな」
「漢字なの?」
但馬が言った。
「いや、カタカナだな。書けないし」
トラが言うと、但馬は哀れむような目でトラを見た。
「次は拠点だな。そこの空き地というか広場というか」
「基地って英語でなんて言うんだっけ?」
「ベース?」
「じゃあホームベースだ」
小滝が静かに言った。
「野球か!」
トラがツッコむ。よく分からないが。
「それもあるけど、みんなのウチになるからね。ホームなの。帰って来るところ」
小滝が言って穏やかな顔で炎を見つめる。
みんな黙って小滝を見る。
小滝は眠いのかもしれない。
「いいんじゃない?」
やがてマモルが言った。
「うん、いいね」
「よし、拠点はホームベースだ!」
トラが言った。
ホームになるベースか。単純だけど不思議といい名前のような気がする。
「次は河原だ!」
「河原は河原でいいんじゃね?」
「そうなの?」
「他じゃかえってわかりにくいよ」
「あとは思いついたら考えればいいさ」
「じゃあ怪物だな。緑色だから――」
「あれはゴブリンだよ」
高木がトラを遮った。
「ごぶりん?」
丸川が首を傾げる。
「海外のファンタジー小説なんかによく似た怪物が出てくるんだ。だいたいは弱いやられ役だけどね」
「全然弱くないじゃん!」
丸川が大きな声を出す。仲の良かった友人をあいつらに倒されたのだ。それを思い出したのだろう。
「でも外見の様子はそっくりだよ。まあ全裸じゃないけどね」
「じゃあゴブリンでいいか。なんかゴブリンって感じだし」
トラが適当なことを言った。
「火の玉を投げてくるやつは?」
「ゴブリンで魔法を使うやつはゴブリンシャーマンって言われてるね」
「あれは魔法じゃないし。超能力だし」
桐原が口を尖らせた。どっちもそう変わらないんじゃないの?
「じゃあゴブリンシャーマンだな。火の玉にも名前があるのか?」
「ファイヤーボールかな」
「英語にしただけじゃん!」
「そんなこと俺に言われても」
高木は苦笑する。
「隼人が見た人型の水も出てくるのか?」
「水の精霊が似てるかなぁ」
丸川が隣の坂下桃子に小声で、
「せいれいってなに?」
と聞いて、坂下はふるふると首を振った。
「精霊はなんというか、妖精みたいなものかな」
丸川の声が聞こえたらしい高木が自信なさげに言った。
「名前はあるのか?」
「ウンディーネかな」
「あー、それはぴんと来ないなぁ。他の名前にしようぜ」
トラの基準がよくわからない。
「ウォーター……うーん」
「水って他になにかなかったっけ、外国語で」
「アクア?」
「それだ。アクア――うーん」
「隼人は幽霊だって言ってたよ」
と桐原が笑う。しつこい。
「幽霊……ゴースト」
「アクアゴースト?」
「お、なんかそれっぽくね?」
「よし、それに決まり! アクアゴースト!」
釈然としないが雰囲気は出てる。
「あとは――」
「隼人の穴にいたヤツ」
「それ、見てないんだよねー」
「写真撮ったんだろ?」
「藤井と高木が撮ったな」
俺が言った。
「見せてみろよ」
高木がバッグにスマートフォンを取りに行って、戻ってくる。元の場所に座ると何人かがスマートフォンを覗き込んだ。
「これなんだけど――あっ!」
高木が驚いた声を上げると、周りで見ていた者から爆笑が上がった。お腹を抱えて転げ回るやつもいる。地下のあいつらを見て大笑いするはずはない。一体なにが写っているのだ。
「は、隼人、み、見てみろ」
笑いすぎて息も絶え絶えのトラが言った。
俺は腰を上げて高木の横にいき、スマートフォンを覗きこんだ。
「あっ!」
そこには、蔓に掴まった人物を上から撮った写真があった。
その人物はなんとも情けない泣き顔を、大きな口を開けてこちらに向けている。まるで泣き叫んでいるようだ。
その人物とは――俺だった。
「い、いや、上からフラッシュを当てればやつらが逃げるかと思って――」
うん、高木は親切でしてくれたことなのだ。なにも悪くない。
そもそも俺はあの時、泣き叫んだりはしていない。上から土が落ちてくるので目を開けられなかったのだ。それでなにか叫んだので、あんな顔になってしまったのである。
ふん、今のうちに笑っておくがいいさ。そのうちバッテリーが切れて、もう二度と見ることは出来ないのだ。
俺は元の場所に戻ると腕を組んで座った。
「あー、笑った笑った。じゃあそろそろ怪物の写真を見せろよ」
トラが涙を拭いながら言った。笑い過ぎだ。
「うわ、なんだこれ、気持ち悪!」
高木がスマートフォンの画面を何度かスワイプすると、トラが大げさに顔を歪めた。
「これは――なんだ?」
「さあ、こんなのは俺も知らないな」
トラの質問に高木は首をひねった。
「モグラかな? 地底モグラっていうのはどうだ?」
トラが言う。
「モグラはたいてい地底にいるけどね」
但馬が言った。
「あ、そうか」
「モグラーマンでいいじゃん」
丸川が言った。なんで伸ばすの?
「もうそれでいいよ」
但馬が面倒くさそうに言った。
「じゃあ、そうするか。隼人の穴の怪物はモグラーマン。あー、気持ち悪いもの見た。口直しに最初の写真見せて」
トラが再び大笑いする。早くバッテリー無くなれ。
その後、収穫物の名前を決めていった。
「よし、名前は決まったようだな。他に何かあるか?」
杉浦がみんなを見回す。特に思い当たる者はいないようだ。
自然と雑談が始まった。
そのうちトラたち漁猟班が集まって相談しているところに何人かが集まる。魚獲りのアイディアをあれこれ出し合っていく。
みんな口には出さないが空腹なのだ。今日のような食料事情が続くとそのうち倒れてしまうだろう。そうならないようにみんな意見を出し合っている。
食料は死活問題だ。シェルターなんかより優先すべきなんだろうか。
でも、俺たちは文明社会に慣れきってしまっている。いつまでも夜露に濡れて寝起きするのも限界がある。
それとも慣れるのだろうか。雨の日は木陰に隠れてびしょ濡れになることが普通になるのだろうか。
そんなのは嫌だ。俺たちには知識がある。原始の人類が持っていなかったものだ。
車輪や梃子や滑車など、今は無いけれどそのうちそれらを作って効率的に仕事を進められる。今は土台を少しずつ築いていく時だ。
しかし、その知識があるためにここでの生活がひどくつらいものに感じるのも事実だ。
俺たちは嵐にも耐える家を知っている。スイッチひとつで灯りが点くことを知っている。
夕刻になれば美味しいものが食卓に並ぶ。
ふかふかの布団にくるまってぬくぬくと眠る。暑ければエアコンをつける。
遠くに行くには電車に乗る。
しかし、全て失ってしまった。
そういうものを知っているからつらいのだ。
俺たちはなんて恵まれた環境で生活していたのだろう。当たり前だと思っていたことがなんて素晴らしいものだったのか。
そういうものを知らなかった古代の人々が俺のような思いをすることはなかっただろう。あるがままにその生活を受け入れるのだ。
だが、俺たちにそれは出来ない。知っているのだ。もう二度と経験することのない幸せだった日々――。
「なんだよ、ずいぶんブルーじゃんか」
顔をあげるとややシルエットになった桐原の笑顔が目の前にあった。
いつの間にかかまどの反対側にいるトラたちの周りにほとんどの者が移動してしまって、俺はぽつんと焚き火を見ていたようだ。
「そうだよ。隼人くんらしくないよ」
隣から声がしたので顔を向けると炎に照らされてにこにこ笑う小滝がいた。
「行こうぜ、ほら」
桐原が俺の上腕に柔らかい手をかけ、俺を引き起こす。温かい手だ。
「うんうん」
小滝が俺の背中をぽんぽんと叩く。
俺たちはトラを囲む輪の外側に移動する。
「お、隼人。お前もなんか無い知恵絞って考えろ!」
トラが俺に言った。
「無い知恵ってなんだよ」
俺がぼやきながら河原に腰を下ろすと笑い声が上がった。
桐原と小滝が俺の両隣に腰を下ろす。いい匂いが両側から流れてくる。
「縦に置く網も作った方がいいんじゃないの」
桐原が手を伸ばしてコの字型に指を動かし、その拍子に肩が触れ合う。柔らかい。
体を引くと、反対側にいた小滝と肩がぶつかった。柔らかい。
なにを思ったか、小滝はぐいぐいと肩で押してくる。必然的に桐原と肩が当たる。
引くに引けない俺を邪魔に思ったのか、桐原が押し返してくる。
両側から柔らかいもので押されていた。
幸せって結構そこらへんに転がっているものかもしれない。




