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2 怪物の襲撃


「ホントに助けが来るんですか!?」


 左手から大きな声がした。

 目を向けると、長い髪をゆるく三つ編みにした女子、清水しみずほたるが百合子先生の前で腰に手を当てて立っている。

 キツい顔つきそのままのキツい性格女子だ。

 顔立ちは可愛いのだが、思ったことをズバズバ言うので苦手とする生徒は多い。反面、気に入った者には非常に甘い。一種の派閥のリーダー格で、いまも気に入られた取り巻きが清水の後ろに控えている。

 百合子先生はなんとかなだめようとしているが、分が悪そうだ。


「き、来ますよ! きっと来ますからそれまでは――」

「信じられません! こんな変なところ! スマホも繋がらないし!」


 あ。そうか、スマホがあったな。

 俺はズボンのポケットからスマートフォンを取り出した。思うことはみんな同じのようで、半数以上の生徒がポケットをごそごそやり始めた。圏外。

 マモルはどうかと見ると、黙って首を横に振る。ほかのみんなも暗い顔で画面を見ている。


「大体ここはどこなんですか、運転手さん!」


 所在なさげに百合子先生のそばに突っ立っていた運転手さんが、驚いたように飛び上がった。びっくりしたのだろう。

 明るい青色の制服を着たおじさんで、五十歳くらいだろうか。俺の親父よりも年上に見える。

 知人のひとりもない状態で、よく考えたらなんだか可哀想だな。


「いやぁ、ちょっと心当たりがありませんな」


 山の稜線に目を向け、首をかしげる。山の形に記憶がないということだろうか。


「そんな無責任な! 運転手さんの運転でここにいるんでしょう!?」


 清水の追求は止まない。

 ほとんどの者の視線が清水のやりとりに向いていた。

 そんななか、丸川鈴がバスから持ち出した小さな荷物を持ってこちらにやって来る。


「これ、誰のー?」


 自分のバッグは肩から下げて、ピンク色の布袋を掲げている。自分以外の物も持ち出して来たので、持ち主を探しているのだろう。俺のものではない。

 俺は清水たちに視線を戻した。


「ん?」


 俺は目を細めた。

 清水たちの向こう、左手の一番端っこのグループ、そのさらに奥にある藪から、奇妙なものが姿を現したのだ。

 人? 人の形をしてはいるが、肌が灰色がかった緑色をしている。

 背は低い――が、顔は老人のようだ。とがった鼻、無造作に後ろに撫でつけたような濡れた――脂ぎった髪、がっしりとした手足、そして――裸だ。

 丸く膨れた腹は子供のようで、股間からなにかぶら下がっている。

 そして手に持っているのは――なんだ? 丸太? 棍棒? 取っ手は細く、先は冗談のように太い。

 なんだ――こいつはなんだ?


 一番近くにいるのはバスから戻った丸川を出迎えたグループだ。

 清水に目を向けて立っていた女子のひとりが気配を感じたのか、振り返る。

 その時には灰緑色のそいつは動いていた。

 棍棒を大きく振りかぶりながら素早く近寄ると、振り返った女子の顔面にその棍棒をすごい勢いで叩きつけた。

 大きな音がした。骨と木がぶつかる音。柔らかいなにかが潰れる音。赤いしぶきが舞った。

 殴られた女子はひと言も発しないまま、体をかばおうともせず棒のように後ろに倒れた。びくん、びくんと手足が痙攣する。


 あちらこちらから悲鳴が上がった。

 絶叫。

 異常な事態に気づいたのだ。

 だが動いた者はわずかしかいない。突然のことに、なにをどうしたらいいのかわからないのだ――俺と同じように。


 灰緑色のそいつは振り返ったもうひとりの女子に飛びついた。

 後ろざまに倒れた女子に馬乗りになり棍棒を振り上げる。

 女子は悲鳴を上げながら両手で頭をかばった。

 その腕に棍棒を叩きつける。二度、三度。骨の折れる音。

 腕が下がった。頭の割れる音。ふたり目の女子も動きを止めた。


「や、やめなさいッ!」


 百合子先生が金切り声で叫びながら、灰緑色の怪物に駆け寄っていく。

 それを見て運転手さんと男女数人があとに続いた。

 そこへ、横手の藪から別の灰緑色の怪物が飛び出した。

 百合子先生の顔面に棍棒が叩きつけられる。走っていく勢いが乗ったカウンターの一撃。

 百合子先生は糸が切れたように仰向けに倒れ、わずかに草地を滑った。片方の脛は太ももの下に敷かれた。ぴくりとも動かない。


 横手から、さらに十匹ほどの新手が現れる。

 棍棒のほかに先の尖った木の棒――槍や剣のような物を持った奴もいる。

 助けに向かった生徒や運転手さんが襲われる。


 生徒たちは叫び声を上げながら逃げ始めた。森のなかへ駆け込む。

 何人かは動かない。いや、動けないのか。気づいた者が、腕を引っ張る。


じゅんちゃん!」


 すぐ近くで声がして振り向くと、丸川鈴が怪物たちに向かって走っていくところだった。


「待て!」


 慌てて前に出て腕を掴んで止める。


「離して! 純ちゃんが!」


 激しく暴れるので腕ごと体を抱きしめる。柔らかい。


「無理だ! 助けられない! 行けば殺されるだけだ!」


 怪物たちのほうを見ると運転手さんが槍で腹を突かれていた。それでも怪物を捕まえて動けないようにしている。

 体を張って俺たちを守ってくれているのだ。

 別の怪物の棍棒が後頭部をとらえ、運転手さんは膝をついた。

 ほかに助けようと向かった者たちも倒されていて動かない。

 怪物の何匹かは逃げた者を追って森に入った。


「純ちゃん――」


 動きを止めた丸川の目から大粒の涙がこぼれた。


「いまは逃げるんだ、さぁ――」


 俺は腕を解くと森のほうへそっと背中を押した。

 丸川はぐいっと腕で涙を拭うと、睨みつけるように潤んだ瞳を俺に向けた。それも一瞬で、次の瞬間には身を翻し、森の中へ走っていく。

 ほっと一息ついてあたりを見回すと、もうひとり怪物に向かって走っていく女子が後ろにいた。

 小滝日菜子こたきひなこ。ソフトボール部の四番ファースト。本人は身長百六十九センチというが実は百七十であることはみんな知っている。

 県内屈指の強打者で、ついたあだ名が〝鬼スイングの日菜子〟。

 アスリート然とした筋肉質な体はカッコいいが顔は童顔で非常にアンバランスだ。胸も大きい。

 ソフトボールの名選手なのだが、ちょっと天然が入っているのは自他共に認めている。

 そんな小滝日菜子が突進してくる。俺に止められるか? いや、止めるしかない!

 体当たりで吹っ飛ばされるのを覚悟して小滝の前に立ちはだかると、両手を広げた。


「ストップ、ストップ!」


 意外なことに、小滝は体をひねって急ブレーキをかけた。

 なんだか見たことがあるような止まり方だと思ったら、サードコーチャーにホームベースへの帰還を止められたランナーのそれだ。

 条件反射か。


「なーに、隼人くん。あたし、助けに行かないと」


 ちょっと舌ったらずなのんびりしたような声で小滝が言った。


「無茶言うな。いくらお前でもかなわないって」

「むー」


 ちょっと頰を膨らます顔は可愛いのだが、その下が逞しいのでなんとも奇妙な感じだ。


「それよりな――」


 言ってから考える。

 俺は振り返った。ちょっとぽっちゃり系の男子、城山しろやま正樹まさきが青い顔をして突っ立っていた。

 身長は小滝より低いが体重はありそうだ。おとなしい控えめな感じのやつで、会話の輪のなかにいてもほとんど喋らず、にこにこして話を聞いている。運動はあまり得意じゃない。


「正樹を連れて逃げてやってくれ」

「え」


 正樹が驚く。


「このままじゃ正樹は殺されてしまう。お前だけが頼りだ。頼む!」

「うん、わかった。そこまで言われちゃ断れないね」


 小滝は大きくうなずいた。


「行こう、城山くん」


 小滝が正樹の背中をぽんと叩いた。


「う、うん」


 正樹が青い顔をちょっとだけ赤くした。


「怪物がいなくなったらまたここに集合な」

「おっけー」


 小滝が答える。

 しかし、戻って来るには正樹がいないと無理なんじゃないかな。確か小滝は方向音痴だ。


 小滝は草むらを無理やり掻き分けて森に入っていった。正樹は灌木と草むらの隙間を見つけ、そこから小滝のあとを追った。


「よし、マモル。俺たちも逃げよう」


 倒れた百合子先生のほうに目を向けたままマモルに言った。

 もう草原にいるのは俺たちだけだ。ほかはみんな逃げたし怪物もほとんどは追跡のため森に入ったのだろう。

 いるのは棍棒を持った、返り血で赤黒く濡れた一匹だけだ。倒れた者のバッグを乱暴に振り回している。

 なかになにか入っているのはわかるのに、開け方がわからない、そんな感じだ。


 そいつがふと顔を上げて、俺を見た。

 知性の感じられない金色の瞳。

 その眼が凶暴な光を帯びた――ように見えた。バッグを放り出し俺たちに向かって足を踏み出す。


「やばい、気づかれ――」


 マモルに視線を向けて、俺は認識違いに気がついた。

 残っているのは俺とマモルだけじゃなかった。

 ちょっと離れたところに絶世の美少女、早川はやかわ愛梨あいりが立っていた。

 クラス一の、いや、校内一の美少女。笑った顔も、真剣な顔も、困った顔も、ぼうっとした顔も全てが美しい。見たことはないが怒った顔も美しいのだろう。

 背は高くも低くもないが、体型はスレンダー――というか痩せすぎだ。痩せているのがキレイと思っているのか、体質か。

 性格は穏やかで、美しさを鼻にかけることなく誰とでも分け隔てなく接する博愛の人だが、そのせいか特に親しい友人というのは思いつかない。

 その市内一の美少女、早川愛梨が真っ青な顔で、いまにもしゃがみ込んでしまいそうなほど震えながら、かろうじて立っている。動けないのだ。

 恐怖におののくその顔もまた美しかった。


 俺は早川に駆け寄ると、その上腕を掴んだ。

 掴んだ手の親指がほかの指に触れてしまいそうなほど細い。


「逃げよう!」


 早川は俺に顔も向けずにただ震えていた。まるで心がどこかへ行ってしまっているようだ。


「いくぞ!」


 マモルに声をかけ、反応がない早川を無理やり引っ張る。

 正樹が通った草むらと灌木の間を抜けて森へ入った。

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