15 火熾し
「じゃあ火の熾し方を説明するけど、まあみんな知ってるよね」
焚き木を拾って河原に集まったみんなは、まず石を並べて囲いを作った。かまどだ。Cの字型。
近くに焚き木を積み上げている。
「はい!」
丸川が勢いよく手をあげる。学校じゃないんだから。
「木の棒を錐のように使って火を点けます!」
手のひらを擦り合わせて錐を回す真似をしてみせる。
「ハエか?」
トラの言葉にちょっと笑いが起こる。丸川がガッと近くの石を掴んだ。
「ウソです! すみません!」
とっさに変な言い訳をして、トラは丸川を拝んだ。
「そうだね。一番オーソドックスな方法だけど――」
マモルがトラのことはスルーして焚き木の山を調べる。
「――手頃な木がないなあ」
錐の方のことだろう。
「あ、じゃあさ、もう今日はこれで点けちゃえば」
ヤンキーっぽい桐原茜がポケットから出した物を掲げる。
みんなの注目を集めたそれは、ライターだった。ピンク色の透明なプラスチックで出来た安っぽいやつ。
少数が、おー、と感心の声を上げ、大多数は息を飲んだ。
高校生がライターを持っているのはなぜか。それは大人がライターを持っているのと同じ理由――。
それをクラスメイトの前で自ら暴露するのはいかがなものかと。
まあ、先生も補導員もいないんだけどね。
「――お前、それ、なんだよ!」
けんか腰の横田が強い口調で言った。
「ああ?」
桐原も横田の言い方にかちんときたのか、眉を器用に段違いにさせて睨みつける。
そこで初めてみんなの雰囲気に気がついたように、左右に目を走らせると顔を歪めた。やっぱり眉は段違いだ。
「お前、タバコ吸ってんだな」
「うっせーな、カンケーねーだろ」
「なんて乱暴な言葉遣い」
別の女子が声を上げる。
君崎夏美。どこかのお嬢様と思わせるような雰囲気を持った色白で長い黒髪の醤油顔美人だが、勝気でわがままなところもある。そこもお嬢様らしいといえばらしいが実際お嬢様かどうかは不明。俺は怪しいとにらんでいる。だって俺らと同じ高校に通ってるもの。
その君崎が一重で切れ長の目に冷たい光を湛えて桐原を見ている。
「あなたみたいな不良がクラスメイトだなんて恥ずかしい」
「なんだと!」
桐原が二重の大きな目で君崎を睨みつける。眉毛はV字だ。
「ちょ、ちょっと、ナツ、やめなよ」
君崎の隣で青い顔でなだめるのは宮野葵だ。
君崎と仲がいいようだが性格はおとなしく控えめで、ふたりがいるとまるでお嬢様と召使いのような印象を受ける。緩い三つ編みと大きな眼鏡が一部では人気がある。
「いいのよ。タバコなんて吸うクラスメイトなんか。あんな健康に悪くて臭いもの、迷惑以外の何物でもない。電車の中でタバコ臭いおっさ――男の人が近くに来ると吐き気がするのよ。人の迷惑を考えないあなたらしいわ」
「まったくな。周りのことも自分の将来のこともなにも考えてないんだろうよ。おまけに自然の中で火を熾そうってのにライターなんか持ち出しやがって。空気読めないっつーか、頭の中、なにが詰まってんだか」
横田が言うが、本人こそ空気読めてるが疑問だ。
「じゃあ横田、お前がライターを使わずにやってみろ」
低い声が響き渡った。みんなが声の主に目をやる。杉浦だ。
口元にはうっすらと笑みを浮かべているが、目付きは厳しい。
「な、なんで俺が――」
「なんだよ、出来ないのか?」
杉浦が笑みを浮かべたまま睨みつける。
一瞬怯んだ横田だったが元来気が強い男だ。負けじと睨み返し、周囲の空気に緊張が張り詰める。
体格は圧倒的に杉浦がデカいが、もしケンカになったらなにが起こるかわからない。場所は河原だ。石がごろごろ転がっている。
まさかケンカに石を使いはしないだろうと思うが、横田にはなにをしでかすかわからない危うさがある。
なにかあったら横田を押さえようとこっそり体に力を込めた。
「じゃあ横田くんにやってもらおうか」
マモルがいつもと変わらないのんびりした口調でいった。
横田がちょっと目を大きくしてマモルを見た。その目がわずかに険しくなった。
「だからなんで――」
「どうせ誰かにやってもらわないとならないんだ。頼むよ」
マモルが笑みを浮かべたまま横田を見る。横田はちょっと戸惑うような顔になった。
「やれよ、横田」
腹話術のような声で誰かが言った。腹話術の人形のような顔になっているトラの方から聞こえた気がする。
「横田、やれ!」
可愛い声が響いた。姿を隠しているが馬場くるみに違いない。
「ちぇ、しょうがねえなあ」
横田がため息をつく。場の緊張が緩んだ。
「あ、じゃあ説明するね。まず――」
「いいよ。摩擦熱で火を起こすだけだろ」
横田は焚き木の山に行くと、適当な木を選ぼうと乱暴にひっくり返した。
「おい、ちゃんと聞いてからやれよ」
「ほっとけよ。悪い見本を見せてもらおうぜ」
外野から声が上がった。
横田はちょっと曲がったやや細い棒状の木と、太い木を取り上げると、かまどのそばに行ってあぐらをかいた。
河原の石に錐用の木の先を擦り付ける。尖らせようというのだろう。
「うん、回転させる方の木は最初は尖らせた方がやりやすいね。でもちょっと太くない?」
マモルがそれを見て言ったが、
「いいんだよ」
横田は変な意地を張っているようだ。
そこそこ先端が尖ると、太い木を河原の石に、半ば埋めるようにぐりぐりと押し付け固定した。
少し窪みがあるようで、そこに錐用の棒を押し当て、両手のひらで挟んだ。手のひらを擦り合わせるようにして錐用の棒を回転させる。
錐用の棒が丸太から外れて滑り落ちた。手から外れて転がる。
「くそっ」
横田は棒を拾い上げると再び同じように棒を回す。
「それで棒に火がつくの?」
女子の声が上がった。単純な疑問のようだ。
「棒に火がつくわけじゃないんだ。擦り合わせていくと、木の粉が出てそれが赤くくすぶるんだけど、それを火口に受けるんだよ」
マモルが言った。
「ほくち?」
「うん、燃えやすい細い草や乾燥した葉っぱを揉みほぐしたりしたものだね。こんなの」
マモルはかまどの横に置いてあった枯れた細い草や茎を、両手ですくうように持ち上げた。いつの間に集めたんだろう。
「これを真ん中をへこますようにして、その中に火種を落とすんだ」
マモルは右手の親指で草の真ん中を押さえる。そしてその草を折りたたむように押さえる。
「そして草で包んで酸素を送り込むと――」
マモルはふうふうと息を吹きかける。
「――ぼっ。炎が燃え上がるのさ」
おおう、とまるでホントに火がついたような声が上がった。
「それで、火種の方はいつになるんだ?」
男子が言った。
「うるせえな、ちょっと待ってろ」
横田の額には汗の玉が浮かんでいる。なんだかんだ言って頑張っていることは否定できない。
棒と丸太はお互いに磨り減ってずれることはなくなっていた。ただ、あまり細くない曲がった棒では摩擦の効率が悪いようだ。
みんなは近くの者とささやき声でおしゃべりを始めた。
俺も桐原に小さい声で言った。
「災難だったな」
「いや、あたしもうっかりしちゃったよ。失敗だった」
桐原が顔をしかめた。
なんの気なしにライターを出してしまって、タバコのことをみんなに知られてしまったことを後悔しているのだろう。
しかし、意外だった。ヤンキーっぽいとは思われているが、そんなことに手を染めているとは思わなかった。なんとなくだが一本筋の通った不良のように思っていたのだ。
まあ不良というほど問題を起こすわけでもないんだが。
もうタバコは手に入らないし、そのことには触れないでおこう。
「しかし、石がごろごろしていて尻が痛えや。椅子になるものでもありゃいいのに」
河原にあぐらをかいている桐原が体を揺すった。制服のままだ。
スカートから伸びた白い脚を意識してしまってちょっとどきどきする。
桐原の言葉を聞いて何人かが体をもぞもぞ動かした。お尻の痛みに気づいてしまったのだろう。
「普通は丸太なんかに腰かけてるよな」
俺は首を伸ばして河原を見渡すが、そんなものは転がっていない。
そろそろ薄暗くなってきた。
「お、煙が出てきたぞ」
声に振り向くと、錐用の棒と丸太の間から薄く煙が上がっている。ついに点くのか。
「もうひと頑張りだよ」
マモルが横田に声をかけた。横田が回転を早くする。マモルが丸太の横に草の塊を置いた。煙が多くなる。
「がんばれ!」
丸川が声をかけた。
「もうちょっとだ」
今度はトラ。棒の先にちらりと赤いものが見えた気がした。
「そうっと棒を外して」
そうっとマモルが言った。横田が言う通りにする。
「軽く息を吹きかけて、この草に赤いところを落とし込んで」
横田が丸太を持ち上げながら、丸太に空いた小さな穴に優しく息を吹きかける。赤い点が輝きを増した。
穴の周りには黒い粉のようなものがかすかに盛り上がっている。
横田は草の塊の上で丸太をゆっくり傾け、息を吹く。逆さまにしても火の点は落ちない。
マモルが木の棒で丸太を、こん、と叩くと火の点が草の中に落ちた。
「草で軽く火の粉を覆って持ち上げて」
横田が両手で草の塊を持ち上げ、ふーふー吹く。煙がもくもくと出てきた。そのまま吹き続けると、ぽっと音がして炎が草の中で踊った。
「うお」
横田が顔を引いて慌てる。ギャラリーからも感嘆の声が上がった。
「かまどの中に、優しく置いて」
手に持っている草が燃えているのだ。横田は急いでかまどの中に草を置いた。はっきり言うと放った。
マモルがその上に、残っていた枯れ草や細い小枝を置いていく。
「火を大きくするには小さい枝とかからくべていって、徐々に大きな木を燃やすようにするよ。焦りは禁物」
炎は順調に小枝に燃え移り、その勢いを大きくする。
「すごいな、本当に木だけで火が熾せるんだ」
「やったな、横田! よく頑張った!」
「うん、すごいすごい!」
拍手が沸き起こった。杉浦も桐原も手をばんばん叩いて横田を讃える。
みんなからの称賛を受けて横田は、
「ふん、たいした事ねえよ」
と多少照れた様子で炎を見つめた。
手のひらの真ん中に豆みたいなのが出来てて、指からちょっと血が出てるけどな。
「でもいつもこんなに時間がかかるなら大変だねえ」
小滝が何気なく言った。
「慣れたら十秒くらいで起こせるらしいよ」
マモルが言って、拍手がぴたりと止んだ。
「なんだよ、ちゃんと聞いてからやればもっと早かったんじゃねえの!?」
「十秒でできることにどれだけ時間かけてんだよ!」
「無駄な頑張りじゃん!」
丸川、それは言い過ぎだ。
「な、なんだよ、初めてなんだからしょうがねえだろ!」
「いーや、ちゃんと聞かないからこんなに時間がかかったんだ」
「待ちくたびれちゃったし」
いきなり責められ始める横田がちょっと不憫だ。
「でも」
君崎夏美のすました声が響いた。
「ライターのような下品なものを使わずに火を点けたんですもの、立派だと思うわ」
視線は桐原に向いている。口元にかすかな笑みを浮かべていた。
「ナツ」
隣の宮野葵が君崎の体操服の裾を引っ張った。
まだ言う気か。そもそもライター自体が下品とか言いがかりもいいところだ。ライター屋さんに謝れ!
「ライターだったら一瞬だったよね」
小滝が笑いながら言った。特に何か考えての発言には見えない。ライターと聞いて思ったことを言っただけなのだ。たぶん。
「でもいつまでも使えるわけじゃないからな。大事に使わないと」
「じゃあ普段は棒を使って火熾ししないとね」
「みんなが出来るようになっておかないとな」
「そうなると個人個人で練習する感じ?」
「マモルくん、もっと詳しいこと教えてよ」
火熾しの話になって君崎は黙ってしまった。
みんなの顔を大きくなった炎がゆらゆらと赤く照らす。
気がつくとあたりはほとんど真っ暗だ。
空を見上げると、光の強い星がふたつ、いや、みっつ輝いている。
この世界の星空は元の世界の星空と違うのだろうか。昼間見える太陽は同じものなのだろうか。ここは地球なのだろうか。
わからない。遠く離れた太陽系と同じような星系なのか、それとも――。
「ここでご飯食べよ」
取り留めのない思考を丸川の言葉が遮った。
ご飯と言ってもスナック類だろう。
丸川が立ち上がってお尻をはたくと草地に向かった。まだかろうじて足元は見える。
「あたしも」
「わたしも」
女子が何人かあとを追う。
「じゃあ俺も」
男子が何人か立ち上がる。
「俺、もうないや」
「じゃあ分けてあげるよ」
そんな会話を聞きながら、俺はなんだか火のそばを離れたくなくて、勢いを増してぱちぱちと音を立てる炎をしばらく眺めた。暖かい。
それでも戻って来た者がぽりぽりやり始めるとぐーとお腹が鳴ったのでマモルと草地へ戻った。
怪我で残して来た榊と藤井のところには数人の女子がいた。早川はまだ目を覚まさないと言う。
あとを頼んで焚き火へ戻る。
これが持ってきた最後の食料だ。明日からはこの世界の物を食べていかなければならない。心配だ。
お菓子を分けたりもらったりしながら食べてしまったあとも、焚き火の周りでしばらく過ごした。
横田がマモルの隣で火熾しについて詳しく話を聞いているのがなんだかおかしかった。




