110 塩作り5
翌日からも塩作りだ。最低でもひとりがかまどの番をし、他は食料や焚き木を集めていく。
塩は思ったよりたくさん採れた。この分だと一週間ほどで三人のバッグは塩でいっぱいになるだろう。
そんな風に過ごしていた塩作りを始めて四日目の夜、眠っていた俺を誰かが揺すった。
「隼人くん、起きて」
小滝だ。うっすら目を開けると真っ暗で、焚き火は消えてしまっている。
「なんだ……?」
体を起こし、暗闇の中で目をこすった。小滝は俺の背中に手を触れたままだ。
「なにかいる」
小滝の緊張したささやき声に、俺の眠気は一気に消し飛んだ。
「どこに?」
洞窟の外に目をやるが、ほとんど見えない。おぼろげに岩の輪郭が浮かび上がるのは星の光だろうか。
「洞窟の奥」
俺は振り向いたが真っ暗でなにも見えない。
洞窟の奥は行き止まりだったが、小さな生き物なら入れるような穴があるかもしれない。
「秋葉、秋葉」
俺は手探りで秋葉を探した。
「いないみたい」
小滝が言う。秋葉がヘンなことをしてるんじゃないか?
「明かりを点けよう。秋葉! 聞こえたか!」
俺はライトストーンをポケットから出すと手探りで石を探し、叩きつけた。ライトストーンが輝く。
立ち上がって高く掲げた。小滝も立ち上がる。
洞窟の奥にあるものが、なんなのかわからなかった。
黒い巨大な塊だ。何本ものタイヤ? 変な溝が掘られている。菱形の溝。
タイヤというよりは、でかいホース?
ライトストーンの光を浴びてぬらぬらと輝いている。なにこれ?
「ひゃあああああ!」
突然小滝が叫んで尻もちをついた。がくがく震えている。わななく手で洞窟の奥を指差したまま口をぱくぱくさせているが、言葉は出ない。
「どうした?」
「へ、へ、蛇だ!」
蛇。俺は黒いものに視線を戻した。
心のどこかでは認識していたのかもしれない。認めたくなかったのだ。
しかし気づいてしまった。これは巨大な蛇だ。
そして、その蛇の右側から横になった秋葉の白くなった顔が見えた。白目を剥いている。
「うおおおおお!」
俺は地面に膝をつくと、荷物を置いてある場所にものすごい勢いで這っていった。長剣を鞘から抜く。立ち上がって身構えた。
「小滝! しっかりしろ!」
小滝は地面に座ったままだ。
「へ、蛇はダメだよ……」
小滝にも苦手なものはあったらしい。
「秋葉が捕まってるぞ! 助けるんだ!」
「うぐっ」
俺の声を聞くと、小滝は這って荷物のところに行ってウォーハンマーを掴んだ。しかし、
「た、立てない!」
どうやら腰が抜けたようだ。
小滝の腰が入るのを待っている暇はない。俺は大蛇に近づいた。
頭は見えない。取りあえず秋葉に巻きついている胴体を切ろうと長剣を振り上げた時に、ずるりと巨大が動いて胴体の向こうから大きな頭が持ち上がった。
俺の胴体くらいの頭は、人間を飲み込むのはたやすいだろう。
大蛇は口を開けて俺を威嚇したが、構わず胴体に長剣を叩きつけた。
鱗は硬く、わずかに刃がめり込んだだけだ。
しかし大蛇は痛かったのか、ずるりと巨大が動いた。棒が折れたような音がした。大蛇が秋葉を締め上げたのだ。
これはやばい。胴体を傷つければ秋葉を締め付けて、秋葉の体はばらばらに砕ける。
と考える間もなく、大蛇が俺に噛みつこうと首を伸ばしてきた。咄嗟にしゃがんだが躱しきれず、顎で肩を突かれて俺は後ろに吹っ飛んだ。
大きな石の上に倒れ込んで左の肩甲骨の下に激痛が走った。
「あぐう!」
痛みに身をよじらせつつ、地面を転がった。追撃が来ると思ったからだ。
しかし大蛇は次の攻撃をしてはこなかった。
痛みにライトストーンを落としてしまったので、下からの光に大蛇の顔がぼんやり浮かび上がった。
大蛇は俺を見据え、ちろちろとふたつに割れた舌を出し入れするばかりだ。
どうやら秋葉を獲物と決めて、邪魔しなかったら俺を襲う気はないようだ。
しかし秋葉を見殺しにはできない。仰向けになったまま無意識に長剣の切っ先を大蛇の頭に向けていた俺は、大きく息を吸い込んだ。やっと息ができるようになったのだ。
その時、俺の手首に腕輪が現れているのに気がついた。まただ。これはいったいなにを意味するのか。
だが秋葉がやばい。俺は体を起こすとゆっくり膝立ちになった。
大蛇が口を開けた。俺は動きを止める。大蛇は口を閉じた。
ライトストーンを拾っている暇はないか。
「小滝! 腰まだっ!?」
俺は大蛇の無表情な縦長の瞳孔を見つめたまま叫んだ。
「ぬあああ!」
よくわからない返事が返ってきた。俺が大蛇を倒すしかないようだ。
俺はゆっくり立ち上がると、左に移動しながら大蛇に近づいていった。大蛇が口を開く。大蛇の目だけを見て移動する。やつが飛びかかってきた瞬間が勝負だ。くる!
俺は右へ飛んだ。さっきまで俺がいたところを大蛇の頭が通過する。それは残像だ。
大蛇の姿を捕らえることなくタイミングだけで長剣を振り下ろした。見て振ったのでは間に合わない。
ざく。
長剣の半ばまでしか首に切れ込んでいなかった。鱗硬いし切れ味悪すぎ。
大蛇が身をよじってなにかが折れる音がした。
ごめん、秋葉。助けられなかったよ。頑張ったんだ。許して。
「きょええええええ!」
奇声を上げて小滝が後ろから飛び出ると、太い風切り音とともにウォーハンマーを振り下ろした。
ハンマーが大蛇の頭を捉え、少しめり込んだ。大蛇はそれでも死なず、頭を振ってウォーハンマーを外した。
口を開けて威嚇する。しかし動きは鈍い。俺は長剣を大蛇の首に振り下ろした。やはりあまり切り込めない。
小滝が膝立ちでウォーハンマーを振るう。俺に当たりそうで怖い。
二撃目のウォーハンマーを頭に受けて、大蛇はさすがにぐったりとなった。
「小滝、もういい。やめろ」
小滝が手を止めてから胴体に乗った大蛇の首に何度も剣を叩き込み、やっと頭が落ちた。
「秋葉!」
秋葉に巻きついた大蛇の胴体を外そうとするが力が緩まない。
胴体を切ろうと長剣を叩きつけるともうひとつ大蛇が頭をもたげた。
「うわっ、二匹いるぞ!」
慌てて横薙ぎに払った長剣が、大蛇の首を三分の二ほどまで切り裂いた。最初のものより細いようだ。
それで大蛇はぱったりと力なく崩れ落ちた。秋葉に巻きついた胴体も力が抜ける。
胴体にしがみついて引っ張るが、でかすぎてなにがどうなっているのかわからない。
「小滝、手伝え!」
膝立ちで茫然としている小滝に声をかけると、這い寄ってきた。なかなか触れないようだ。
「小滝!」
「はにゃ!」
もう一度声をかけてやっと大蛇に手をかけた。ふたりで引っ張ったり押したりして秋葉を縛めから解いた時には、秋葉はぐったりして動かなかった。
俺は急いで輪っかを蔓のバッグから取り出すと秋葉の腕にはめた。これで一安心だ。
小滝と向かい合って秋葉をのぞき込む。
「腕輪、小さくならないね」
いつもはすぐに小さくなる腕輪はそのままだった。
「なんでだ? マークが違うのか?」
確認すると両方とも斧のマークで間違いない。
「同じだ」
「ひょ、ひょっとして……死んでるんじゃ……」
小滝が震える声で言って、俺の背中に怖気が駆け上がった。死んでしまったら腕輪の効果は働かないのか。
俺が前もって腕輪をつけさせていたら――いや、腕輪は怪我を和らげたりしない。早く傷を治すだけだ。
どんなに重症でも治すが死者を蘇生させることはできないのだ。きっと俺たちも即死してしまえば助からない。
それでも腕輪をつけさせていたらひょっとして――。
「脈がない」
小滝が秋葉の手首に指を当てていた。
「秋葉っ!」
俺は秋葉の耳元で叫んだ。聞こえるんだろ? 戻ってこい! 秋葉!
俺は秋葉のでかくて力強く温かい手を思い出した。秋葉たちが落ちた穴に落ちた俺を簡単に起こした重機のような――。
「蘇生しないと! 人工呼吸? 心臓マッサージ?」
「そ、そうだ、蘇生だ!」
鼻をつまんで口を開けさせ、息を吹きこむんだ。
ちょっと上を向かせて口を開け、鼻をつまんだ。大きく息を吸い込んで口を合わせる。
「あっ、腕輪が小さくなった!」
息を吹きこむ前に小滝が叫んだ。タイミング!
慌てて口を離すと袖で拭った。なかったことにする。
秋葉の手首とぴったりになった腕輪がやがて、さらに小さくなるように手首に吸い込まれて消えた。楽観はできないが、たぶんこれで秋葉は大丈夫だ。
「よかった!」
にっこり笑った小滝の目から涙が一粒こぼれ落ちた。




