11 杖を持つ者
俺とマモルは草むらに身を隠し、空気を求めて喘いでいた。
かなり怪物とは距離を取れたはずだ。
このあたりは細長い草が固まって生えている場所が多い。草むらから少しだけ顔を出し様子を窺う。
怪物の姿はない。
左手――川があるほうに移動しながら様子を見ていけば、火の玉の正体がわかるかも知れない。
草むらから草むらに素早く移動し、気配を窺った。
何度か繰り返すとひとりの女子がしゃがんで草むらに身を隠しているのが見えた。
こっちに後ろ姿を見せている。制服だ。
茶色い髪と後ろ姿――特にお尻の感じから相手が誰かわかった。
五メートルほど後ろの草むらまで移動して声をかけた。
「桐原」
茶色い頭が上がってこっちを振り向いた。思った通り桐原茜だ。
ヤンキーだともっぱらの噂で格好も言動もそれっぽい。時々問題を起こし、ちょっと近寄りがたい雰囲気はあるがそれほど悪いやつではない。スタイルも悪くなく、ちょっと派手目だが整った顔立ちをしている。声がちょっとハスキーだ。
桐原は長い睫毛に縁取られた大きな目で俺を見ると、しゅたっと右手を上げた。
俺とマモルは桐原の隠れている草むらに移動した。
「おっす、隼人、マモル」
桐原がハスキーボイスで言う。
「大丈夫か」
「うん、一生分走って逃げてきた。それより見たかあの――なんでバッグふたつも持ってんの?」
興奮したようになにか言いかけた桐原が、俺のふたつのバッグに目を落として不思議そうな顔をする。
「早川のだ」
「あー、そうなんだ。早川、痩せっぽちなのにデカいバッグ持ってたから心配してたんだけど。隼人は優しいねえ」
にやにやしてマモルと同じことを言った。
「お、俺は優しくて有名なんだぞ」
「そうなんだ。あたしは優しくされたことがないから気づかなかったなあ」
桐原のにやにやは止まらない。
「――バッグ、持とうか?」
「あはは、冗談だよ」
桐原が俺の肩をばんばん叩く。
「あ、それより」
急に真顔になって、
「見たか、あの火の玉?」
「見たけどあれはなんなんだ?」
「やつらのなかにはな――」
桐原が声を落とす。
「――超能力者がいる」
真顔だ。
「は?」
「超能力だよ。テレパシーとか念動力とか。あ、念動力ってテレキネシスとかサイコキネシスとも言われるんだけどな。知らねえの?」
「あ、いや、知らないことはないけど――」
ウソ。知らない。
「やつらが使うのはパイロキネシスだな。火を発生させることができる超能力だ」
真顔だ。
「――桐原、超能力信じてるの?」
「信じてるって、さっき見ただろう! あ、なに笑ってんだ、隼人!」
超能力信じてる桐原ってなんか可愛い。しかし、そんなことを言っている場合じゃない。
「その超能力使うところは見たのか?」
「見た」
桐原が大きくうなずく。
「ど、どんなやつだった!?」
「緑色のやつ」
なんだと! あいつらが火の玉をぶつけてくるのか!
「あ、でもねー、ちょっと違ってたかな」
桐原が小首を傾げる。
「違ってたってどんな風に!?」
「あいつらって裸じゃん? フルチンじゃん?」
年頃の女の子がフルチンとか言うな!
「でも超能力使うやつは服着てた」
「服を着たやつ――」
これで対策が立てられる――どっちにしろ逃げるだけか。
「服って言ってもぼろぼろの着物みたいなやつで、帯とかしてないからやっぱりフルチンなの」
だから――。
「あと、木の棒持ってた。杖かな。足腰弱いのかもね、超能力者だけに」
超能力と足腰がどう関係するのかはわからないが、服を着て杖を持ったやつが火の玉を使うのか。
「火の玉はそいつの仕業か。注意だな」
あとでみんなに伝えないと。
ごうん、と遠くで音がした。
思わず草むらから頭を出すと、森を通して赤い炎が見えた。オレンジ色、黄色と色を変え、やがて消える。
「隼人、逃げよう」
マモルの声がして、俺の体操服の袖が引っ張られる。
やつらの姿は見えない。俺は頭を引っ込めた。
「よし、川を目指して見つからないように行こう」
やつらを目的地まで連れて行くわけにはいかない。見つからないように、大きく引き離すのだ。
わかった、と桐原が言い、うん、とマモルが頷いた。
姿勢を低くしながら草むらから草むらに移動する。
低い体勢での移動は意外ときつい。
しばらく行くと女子の悲鳴が割と近くから聞こえた。右のほうだ。
顔を出すと、女子がふたり、お互いに支え合うようにして走っている。両方とも疲れ切っているようで、その足は遅い。
川を目指しているようだ。俺たちと並行して移動している。
その斜め後ろ、俺たちからは遠いほうから灰緑色の怪物が女子たちに駆けていく。
裸だ。
思ったより近くにいたのだ。
怪物の足は速くないが、いまの女子たちでは追いつかれてしまうだろう。
どうする、俺!
「あんにゃろう」
声に目を向けると、桐原が地面から石を拾い上げた。
止める間もなく怪物に向かって石を投げる。
驚いたことに女の子投げだ。
大きな放物線を描いて飛んでいった石は怪物の足元に落ちた。
それでも怪物は足を止め、あたりを見回す。
「こっちだ!」
ちょっと、桐原さん!
怪物はこちらに顔を向けた。不気味な目に力がこもる。
桐原が女の子投げでふたつ目の石を放った。
へろへろ球は明後日の方向に飛んでいった。
「逃げろ!」
俺が叫んだのと怪物が甲高い叫び声をあげたのが同時だった。茶色い尖った歯が見えた。
俺たちは振り向いて走った。
「川に向かわないで!」
マモルが叫ぶ。目的地とふたりの女子から怪物を遠ざけるためだろう。
俺は川と平行になるつもりで走った。
怪物から走って逃げるのはそう難しくないが、あまり引き離してふたりの女子に目標が向いてもいけない。
俺は速度を抑えるが、ものすごい恐怖感だ。
本当に怪物の足が遅いとも限らない。瞬間的に速く走ることができるかもしれない。裸でも火を使うことができるかもしれない。
後ろに迫る怪物が、俺のなかでどんどん大きく、凶悪なものになっていく――。
その時、遠くから、長く鳴り響く遠吠えのような、ほら貝でも吹くような音がした。
後ろのほうだ。
新手だろうか。
しかし、かなり遠い感じだった。いまは後ろの怪物から逃げるしかない。
ん? 怪物が追ってくる気配が消えた?
俺は首をひねって後方を見た。
怪物の姿はない。
足を止めて喘ぎながら逃げてきた方向に体を向けると、かなり遠くの草むらと木の間に脂ぎった黒い髪をへばりつかせた後頭部が見え隠する。怪物が遠ざかっていくのだ。
先のほうまで逃げていたマモルと桐原が戻ってきて俺の両隣に立つ。
「あいつら、戻っていくな、どうし、たんだろ」
荒い息の桐原が言う。
「なにか音が、したよね。あれが撤退の、合図だったんじゃ、ないかな」
マモルも呼吸が荒い。切れぎれに言う。
「そんな知恵が、あいつらに、あるのか」
「結構賢いかも、しれないよ」
俺は驚いてマモルを見た。あんな怪物が組織だって俺たちを狙ったらどうなるのだ。
「全然そうは、見えないけどね。それより、どうする」
そうだ。あいつらがいなくなったのなら川に行っても場所が知られることもない。
早川のことも心配だが、怪物が引き返したのなら大丈夫だろう。
俺は自分のバッグを開けるとペットボトルを取り出した。わずかな残りを全部飲む。
「川に行こう」
空のペットボトルは大事にバッグに戻した。




