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1 奇妙な草原

 貸切バスの中は騒々しかった。

 クラス三十七人が、大声で話したり、笑ったり、歌ったり、食べたり飲んだり眠ったり――そして俺のように、ぼんやり外を眺めたり。

 とはいえ、バスはいま高速道路のトンネルを走っていて、オレンジ色に照らされた壁と窓ガラスに、映った俺の顔が交互に見えるだけだ。

 席は左の窓際、ほぼ中央あたり。


 県立丸葉津(まるばつ)高校二年生の俺たちは、二泊三日の宿泊研修で、山奥にあるなんとか自然の家というところに移動する途中だ。

 正直に言おう。ちょっとワクワクしている。

 怖い話やまくら投げとかするんだろうな。ひょっとしたら女子と親密になったりして。

 でも、俺が親密になりたいと思っている女子は、ここにはいない。


 このバスには二年二組の生徒たちが乗っていて、後ろから来ているもうひとつのバスに、一組のその女子は乗っているのだ。一年の時は同じクラスだったのに。


 俺の後ろで窓ガラスに映る生徒たちは、制服姿だ。男子は半袖シャツにネクタイ、深緑色のズボン、女子は半袖シャツにリボン、チェック柄のプリーツスカートの丈は総じて短い。

 移動時には制服で、向こうに着いたら体操着に着替えて活動するとのことだ。


「食べる?」


 声に振り向くと、隣に座るマモルが、チョコレート菓子の箱を差し出していた。

 石坂いしざかまもる。クラスで最も仲のいい友達だ。親友といっても過言ではない。


「ありがと」


 俺はチョコプレッツェルを数本抜き取ると、口にくわえてポキンと折った。うまい。


「みんな元気だよねぇ」


 マモルもチョコプレッツェルをポキンとやり、バスのなかを見回して笑った。

 マモルは男子にしては背が小さいが、成績が抜群にいい。かといって勉強一筋ってわけでもない。いつ勉強してるんだろう? 変な知識も山ほどマッシュルームっぽい頭に詰め込んでいる。その髪型と、楕円形の眼鏡がトレードマークだ。


 マモルが言うとおり、出発して二時間は経つのに、相変わらず車内の一部は大騒ぎだ。

 俺も最初はちょっとテンションが上がったが、もう疲れてしまった。向こうに着いてからのエネルギーを取っておかないと。

 最初はうるさく注意していた担任の百合子ゆりこ先生も、いまはもう諦めモードになっているようだ。


「本当にな」

隼人はやとはもう力尽きちゃったね。ひょっとして、楽しみでゆうべ眠れなかった?」


 なぜ知っている? いやいや、ちょっとは寝たぞ。

 俺は、ははは、と笑ってごまかし、背筋を伸ばして前方の美人先生の様子をうかがった。

 二十六歳、独身。いつも野暮やぼったい服を着ているが、その下がナイスバディなのはお見通しだ。キレると怖いが普段は優しく、俺以外にもファンは多い。

 百合子先生は、窓ガラスに頭をあずけて眠っているようだ。


 前方に目を向けたので、バスのでかいフロントガラス越しに、トンネルの出口が見えた。

 トンネルの暗さに慣れたのか、出口は白く輝いていて様子がわからない――いや、バスの中は電灯が灯っているし、暗闇に慣れるということがあるのか? 外の様子がわからないってこともないだろう。おかしい――。


 バスはどんどん出口に――白い光に近づいて、目の眩むような輝きの中に突っ込んでいく。

 強烈な真っ白い光に包まれて、なにも見えなくなった。



  ◇◇◇◇


 次の瞬間、視覚が戻ってバスのスピードががくんと落ちた。大きく揺れる。


「きゃっ」

「うわっ、なんだよ!」


 バスはうねりながら、後部を左右に振る。タイヤがスリップしているようだ。

 俺は慌てて前の座席の背もたれにしがみついた。あちこちから、お菓子やドリンクなどが床に落ちる音がする。

 通路に立ってふざけていた女子が派手に転ぶのが、目の端に映った。


 道路の先で事故でも起こっているのかと、揺れる車内で首を伸ばす。フロントガラスに目をやると、草原が見えた――草原?


「な、なんだこれ!?」


 横の窓を見ても同じく草原だ。

 近くを見ようと窓ガラスに額をつける。勢い余ってごつんと頭をぶつけたが、痛みは感じなかった。

 すぐそばまで緑の草だ。アスファルトが見えない。もう一度フロントガラスに目をやると、やっぱり緑色の草地しかない。

 バスは草原を走っている。なぜだ?


 バスは徐々に速度を落としていき、やや唐突に止まって俺の体ががくんと揺れた。

 みんな黙りこくって、動きを止めている。

 やがて、安堵のため息があちこちから漏れ、ざわめきが車内に満ちていった。何人かが立ち上がって、窓から外を覗く。

 隣のマモルはやや青ざめてはいるが、冷静な表情でバスの外を見回していた。


 俺も、前の背もたれにしがみついたまま、あらためて車外に目をやる。

 草原の向こう、百メートルほど先には背の高い樹木がいくつも生い茂っている。反対側の窓やフロントガラス越しに見ても、同じようなものだ。

 森の中にぽっかりと空いた草原の中に、俺たちの乗るバスは止まっているようだった。

 なぜこんなところにいるんだ?


「トンネルがない!」


 悲鳴のような声が後ろから上がった。

 どきりとして振り返ると、後ろの窓から見える光景は、ほかと変わりがない。草原とその先に森だ。

 草原の途中から、タイヤの跡がバスに向かって続いている。

 後ろにはトンネルの出口があると思っていた。いや、トンネルから出たと思ったら草原だったのだ。当然トンネルがあるはずだ。

 しかし、高速道路のトンネルから出たら草原というのもあり得ない。タイヤの跡が途中からというのも変だ。

 一体なにが起こったのか。俺の心臓は激しく脈打っていた。


 後続のバスも見えない。すぐ後ろを走っていた一組の、あの女子が乗るバスはどこへ行った?

 俺が掴んでいた前の背もたれが、ぎゅっと音を立てた。知らず力が入っていたらしい。


「どういうことですか!?」


 バスの前方から、大きな声が上がった。目を向けると、立ちあがった百合子先生が、運転手さんに詰め寄っている。


「なぜこんなところに!?」


 運転手さんはただ頭をふるふると振っている。さもありなん。


 生徒の注目を集めていることに気づいた百合子先生は、はっと顔を上げると運転席の隣でこちらに体を向けた。青ざめた顔もまた麗しい。


「みみみみなさん、おお落ち着いてくださいっ!」


 あんたが落ち着け、と心のなかでツッ込んだのは俺だけじゃないはず。百合子先生が慌てるのをみて、なんだか俺は落ち着いてきた。


「こ、これは事故です! 運転手さんが運転を誤って、道路から飛び出したんです!」


 運転手さんが素早く百合子先生に目を向けた。驚いた顔をしている。


「必ず救助が来ます! それまで落ち着いて行動してください!」


 百合子先生は事故だと言うが、とてもそうとは思えない。道を飛び出すなんてほどの衝撃はなかった。

 仮に飛び出したとして、どうやったらこんなだだっ広いところの真んなかに出るのか。

 周りの景色もなにか変だ。よくわからないが違和感を覚える。とんでもないことが起きているに違いない。

 それは百合子先生もわかっているはず。だからあんなに動揺しているのだ。


 不意にバスが揺れた。わずかに浮遊するような感覚。


「きゃっ、なに!?」

「うわ」


 車内にざわめきが広がる。


「沈んでいってるんじゃない?」


 マモルが落ち着いた声で言った。意外と肝が座っているのだ。


「外に出よう!」


 誰かが叫んだ。何人かが立ち上がる。


「え、ちょっと待ちな――」


 百合子先生がみんなを落ち着かせようと両手を広げたとたんに、またバスが揺れた。百合子先生の顔にさらに緊張が走る。

 やや時間を置いて運転手さんに顔を向けた百合子先生がうなずくと、バスの昇降口のドアがプシューと音を立てて開いた。


「ゆっくり慌てず順番に降りなさい!」


 そんなに早口で慌てて言うのは逆効果じゃない? と思いきや、生徒たちは、はーい、とのんびりした調子で行儀よく前の席から降りていく。慌てる人を見ると落ち着く効果?

 俺もちょっとした小物が入ったワンショルダーの肩掛けバッグを手に、マモルとバスの通路に出る。

 ゆっくり急いでバスを降りた。


 草原に足を下ろすと、なんだかふかふかしている。普通の地面じゃない。

 歩きながら足元を見ると、足首あたりまでの草で覆われている。


「沈んでる!」


 声がして振り返ると、バスのタイヤが草地にめり込んで、底の部分がもうすぐ草に触れそうになっている。見ているうちにも、少しずつ沈んでいくようだ。


「荷物が!」


 誰かが叫んだ。

 荷物――宿泊研修用の着替えなどを詰めたバッグは、バスの下部にある収納スペースに入れてある。バスが草地に沈んでしまうなら、その前に取り出しておきたい。

 何人かが収納スペースの扉に取り付いた。俺も駆け寄っていく。

 ぱしゃりと水音がした。見るとバスの近くの草地は水浸しだ。

 さっきは水なんてなかった。地面から水が染み出しているのか?


「開かない!」

「なんでだ!」


 収納スペースの扉にある取っ手を引っ張るやつらが声を上げる。

 俺は、まだ何人かが降りてくる昇降口に駆けていった。


「ロックを外してください!」


 降りてくる者たちで姿がよく見えない運転手さんに、俺は叫んだ。


「開いた!」


 運転手さんがなにかを操作したのだろう。バスの側面が上にスライドしていく。

 わっとみんなが殺到しそうになるのを、低いがよく通る大声が制した。


「近寄るな! 大勢が来ると危ない!」


 杉浦すぎうら一樹かずきだ。野球部。二年生ながら、エースで四番。

 次期主将間違いなしといわれる身長百九十センチにちょい足らない大男のひと声は、みんなを固めた。


「バケツリレーだ! 水のないところまで運ぼう!」


 誰かが叫んだ。

 ちょっとの間を置いて理解したみんなは、すったもんだしながら列を作った。

 列に加わろうとした俺の靴に、ざぶりと水が入ってくる。水深がさっきより深くなっているのだ。

 バスを中心に、浅いすり鉢状に地面が下がっているようだ。

 なんだここは!?


 何人かが収納スペースに入って、荷物を外にいる者に手渡していく。列の横に次々に手渡しながら、バスから離れた水のないところに下ろしていった。

 五メートルも離れれば水は全くないようだ。

 俺もバッグをリレーする。運び出す間にもバスは――地面は少しずつ沈んでいく。


「これでラスト!」


 トランクルームが水に浸かる直前に、最後のバッグが運び出された。

 俺は膝下まで水に浸かっていた場所から、バッグが置かれた方へざぶざぶと移動していく。バスから遠ざかるにつれ、水深は浅くなっていった。


「バスのなかに荷物置いてきた!」


 バッグを全て運び終えると、ひとりの女子が水しぶきをあげながら、バスのなかに駆け込んでいった。ほかに何人かの女子が続く。

 エース杉浦が声をかけた。


「急げよ!」

「わかってるって!」


 昇降口のステップまで水に浸かったバスを、俺たちは遠巻きに眺めた。

 おいおい、大丈夫なのか。いつ沈むかもしれないバスに戻るとは勇気あるなあ。


 バスがぐらりと傾いた。昇降口側が沈み込んだのだ。

 斜めになったバスを見て、見守る者たちから悲鳴が上がった。バスのなかからも。

 何人かがバスに駆け寄った。俺も走っていったが、あまり多くが近づくと傾きが大きくなるかもしれない。

 今はまだそれほど傾いていない。七十度ほどだろうか。

 靴が水を打ったところで俺は足を止めた。


 昇降口からひとり飛び出してきた。水に足を取られ、水しぶきを上げて膝をつく。すぐに起きあがってバスから離れていった。

 次々とバスから飛び出していく。やはりバスから離れていって、もう出てくる者はいない。

 いや、最初に入っていった女子は出てきたか――? と思っていると、


「まだすずちゃんが!」


 周りから女子の叫び声が上がった。

 やっぱり丸川まるかわ鈴――最初にバスに入った女子が出てきていない。

 特別に仲がいいわけではないが、冗談を言い合うような、ショートカットで背の低いクラスメイト。割と可愛い。


「なにやってるんだ、丸川は!」


 エースで四番が怒鳴る。


「荷物が見つからないって――」

「あっ!」


 バスが大きく傾いて、ついに昇降口の上までが水没した。ほぼ四十五度の角度で止まっている。まだ車内全部が水浸しではないだろう。

 だが、いつまでもつか――。


 俺は水たまりを大きく回って、昇降口の反対を目指した。そちらからなら窓に取り着けるだろう。

 同じように考えたやつらが何人か走っていく。

 バスのフロント側を通り過ぎようとした時、窓からいくつかの小さなバッグや巾着袋を掴んだ腕が飛び出した。ひょっこりと丸川の顔が覗く。自力で脱出してきたのだ。

 窓の枠に足を置いて立ち上がり、全身が見えた。

 ほっと胸をなでおろし窓の下に早足で向かおうとすると、なにを思ったか、丸川はバスの傾いた側面をフロントの方へ走り始める。

 あっと思った時にはジャンプして宙を舞っていた。縞々(しましま)

 丸川は着地と同時にくるっと前回りして、片膝立ちになった。やるなぁ。

 丸川が着地した時には、足元がわずかに揺れた。それほど地面は柔らかいのだ。


「もう、なにやってんの」


 丸川の元に駆け寄った女子たちのひとりが、呆れた口調で言った。


「あはは、濡れたくなかったから」

「見えちゃうでしょ」

「大丈夫だよ、スパッツ履いてるし」

「履いてなかったよ」

「え!」


 丸川がすごい勢いでこっちを向いたが、俺はすぐにバッグの山のそばにいるマモルに顔を向け、そのまま歩いた。こういうのはスルーしてやるのがマナーだ。

 視界の端で丸川がこっちを見ているのがわかるが、ガン無視する。


「隼人!」


 マモルが俺を呼んだ。武田たけだ隼人が俺のフルネーム。

 マモルは足元に置いた、青いスポーツバッグを指差す。俺のバッグだ。

 ストラップから下がる、小さな手縫いの男子高校生のマスコット――モデルは俺らしい――が目印。作ってくれたのは一組の気になる女子だ。


「おー、ありがと」


 俺はマモルの隣に行ってバッグを肩にかけると、半分沈んだバスに目をやった。さっきよりちょっと沈んでいるようだ。


「あれ、どうなってんだろうな」

「たぶん、ここは湿地帯、もしかしたら池なのかも」

「どういうこと?」


 マモルの言葉に俺は首をかしげた。周りはどう見たって草原だ。池には見えない。


「水の上に、根や茎をはる植物が積み重なって、地面みたいになってるんだよ」


 俺は草地に視線を落とし、よくわからなかったのでしゃがみこんだ。手で草を倒す。

 土は見えず、細い茎のようなものがぎっしり絡み合っている。


「周りに木があれだけ生えてるのに、この草原にはないでしょ。地盤がないから大きく育たないんだよ」

「なるほどなぁ」


 俺は立ち上がると、草を触った手を払った。

 つまり、水が溜まったところにスポンジみたいな植物があって、人くらいでは沈まないが、バスのような重い物が乗ったらスポンジが沈んでその分、水が姿を現すのだ。

 マモルが言うのはそういうことだろう。

 草原は真っ平らで、岩などもない。


「じゃあ木のあるところは地面があるってことか」


 俺は草原を囲む森に向かって、ゆっくりと歩いていった。

 森と草原の境目には、背の低い草や細い木が藪になって生えている。森のなかは薄暗いのできっとまた違った植生なんだろうが、ここからじゃよくわからない。

 草むらのところで明らかに地面の様子が変わった。固い。ここが池の終わりということか。


 俺は振り返ると改めて草原を見渡した。

 ほぼ円形。向こう側の端までは二百メートルくらいか。きれいな緑色だ。

 よく見ると、ところどころに細い木が立っている。きっと大きくなれずに倒れてしまうんだろう。

 その中央にバスが傾いて半分沈んでいる。シュールだ。

 草原の周りは、たくさんの背の高い木。ちょっと濃い緑色の葉が、もこもこと切れ目なく、こんもりと繁っている。


 バス後方の森の向こうは、すぐそこと言えるほど近くに山がそびえている。それほど高くはない。

 山は高さを変えながら、直線状に山脈をなしているように見える。

 それほど高い山じゃなく、見えるところで一番高い頂は左手にあって、ここからなら高低差六百メートルくらいだろうか。見た目で山の高さはよくわからないので自信はない。

 ところどころ岩場がむき出しになっているが、ほとんどは樹木に覆われているようだ。人工物のようなものは一切見えない――違和感の正体はこれか。

 道路も電線も建物も鉄塔も、なにもない。

 いや、ここからは見えないだけだ。そうに決まっている――本当に?


 俺はなんだか心細くなって、草原のクラスメイトに視線を戻した。

 それぞれ自分のバッグを見つけ、いくつかのグループに分かれて集まっている。言葉は少ない。


「どうなっちゃうんだろうなぁ」


 バスのまわりのクラスメイトのところに戻りながら、俺はつぶやいた。

 隣にいるマモルに言ったものかは、自分でもわからない。

 マモルはなにも言わなかった。

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