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生まれてきてごめんなさい定食

作者: 村崎羯諦

 近所の行きつけの定食屋に、『生まれてきてごめんなさい定食』というメニューが追加されていた。これってどんな定食なんですかって店員さんに聞いたら、言葉通り生まれてきたことを申し訳なく思ってる定食なんですと教えてくれた。そんな定食注文する人いるんですかと私がさらに尋ねると、今ではうちの看板メニューですよと店員さんが笑って答える。


「みんな心のどこかでは生まれてきて申し訳ないって思いながら生きていますからね。きっと共感する部分が多いんだと思います」


 なるほどと私は笑って、その定食を注文する。しばらくして運ばれてきたその定食は、生まれてきたことにもっと自信を持っていいのに、って思うくらいには美味しい定食だった。


 生まれてきてごめんなさい。そんな言葉を私は口にしたことはないけれど、そんな言葉を口にしちゃう気持ちはちょっとだけわかる。生まれてきたことを心から喜べるほど何かを成し遂げたわけでもないし、生きているだけで嫌なことはひっきりなしにやってくるってことを私は身をもって体験しているから。


 私は今までたくさん恥をかいて、辛いことも経験してきたけど、それはこれからの人生でもきっと変わらない。人生で死ぬほど恥ずかしかったことランキングは毎年のように更新されていくし、たまに訪れるささやかな楽しみ程度でチャラになるほど簡単なものではない。それでも私は臆病で卑怯者だから、今日も生きるためにご飯を食べるし、健康に気を使ってエスカレーターではなく階段を登る。長生きしたいわけでもないのに、変なの。自分で自分にツッコミを入れながら、私は今日も恥をかく。


 神様は一体どんな気持ちで私たち人間を作ったんだろう。百歩譲って世界全体のことを考えてはいるのかもしれないけど、少なくとも私の個人的な気持ちなんてものは考えてもいないんだと思う。そんなもやもやした気持ちを抱えていた時、いつもお便りを出しているラジオ番組にお悩み相談という形で電話出演することになったから、ちょっとだけ舞い上がった私はそんな気持ちを公共の電波に垂れ流してしまう。


「人生で何かを成し遂げたわけでもないですし、誰かのために役に立っているというわけでもないんですよね。だからと言って、悲劇の主人公みたいにみんなから同情されるくらいにひどい目にあっているわけでもなくて、お笑い番組を見てゲラゲラ笑ったり、週末にはお酒を飲んで楽しい気分にはなってます。でも、それだけで本当にいいんだろうかって思ってる私もいるわけですよ。適度に幸せで、適度に不幸せで、贅沢だなーって思われるの覚悟で言っちゃうと、人生の意味を強烈に感じられるほどの人生を送れてないと思ってるんです」


 お茶漬け大魔神さんの気持ちはすごくわかるよ。ラジオパーソナリティのタレントが私のラジオネームを呟きながら、相槌を打つ。私はベッドの上で寝返りを打つ。二週間以上洗ってない枕カバーの匂いを確認しながら、私は言葉を続けた。


「生まれてきて良かったって心から思えないのは、やっぱり()()()なことなんですかね?」


 高校の頃、同じクラスにアイドル並みに顔が可愛い女の子がいた。かっこいい軽音楽部の先輩と付き合ってて、成績もよくて、いつだって友達に囲まれている。私は彼女の姿をクラスの端っこから観察するのが好きで、幸せそうな人生だなーとか、一日でいいから入れ替わりたいなーっていつも思ってた。だけど、大学進学後にたまたま仲良くなったその女の子の従姉妹から、その子が幼いときに、鬱病だった母親が父親の腹を包丁で刺したことがあるという話を聞いた。


 なんか、ごめんなさい。私は何とも言えない気持ちになって、話を聞かせてくれた従姉妹に謝った。私に謝ることじゃないでしょと、その子の従姉妹は呆れた口調で言葉を返す。


「どんなに努力しても幸せになれないなんてことはたくさんあるのに、不幸になるのはお米を研ぐより簡単。人間自体がさ、そもそも不幸になるように設計されてるとしか思えないよね」


 その子の従姉妹は度数の高い日本酒を口に運びながら語った。


「なんでそんな欠陥だらけの設計にしちゃったんだろうね、神様は」

「私はね……神様の悪ふざけ説を提唱するわ」


 その子の従姉妹は大袈裟に拳を振り上げ、もう一度宣言する。


「神様の悪ふざけ説を提唱するわ!」


 話は変わるけど、反出生主義者だった大学の知り合いができちゃった結婚をした。でも、これくらい矛盾だらけの方が、私たちはもっと楽になれる気がする。多分ね。


 楽しいことが起きるよりも嫌なことが起こらない方が私にとってはすごく大事で、それはつまり人生で何も起こらない方がずっとマシだってことになって、突き詰めればそもそも生まれてこない方が良かったね、なんてことになる。自分から進んでこの世界に生まれてきたわけではないのに。そんな子供じみた考えをしている一方で、世界中のどこかでは生きたくても生きられない人がいる。生まれたかったわけではないのに生きている私と、そういう人たちを比べれば、生まれてきてごめんなさいって気持ちにどうしてもなってしまう。


 幼馴染が子供を産んだから、そのお祝いを兼ねて、彼女の家へ遊びに行った。彼女の腕に抱かれた赤ん坊はまんまるの目を私の方へ向けて、それからぷいってそっぽを向いた。そんな可愛らしい子供を見ながら、私は将来この子はどちら側の人間になるのだろうと考える。産んでくれてありがとうと心から言える人間になるのか、生まれてきてごめんなさいと思いながら毎日を生きる人間になるのか。生きる理由を持っている人の方が珍しいこの世界で、この子が将来壁にぶつかった時、一体何を考えるんだろう。そんなことを思いながら私は変顔をして、赤ん坊のご機嫌を伺う。その子は私の十八番の変顔をちらっと見た後で、困惑した表情で母親に助けを求めた。


「ありがとう。遊びに来てくれて」


 幼馴染が赤ん坊をあやしながらぽつりとつぶやいた。


「ここ最近はさ、誰とも話さずにずっと家にこもってたから、気分が滅入っちゃってたの。旦那は仕事が忙しくて全然育児を手伝ってくれなくてさ、赤ちゃんが寝て一息つくお昼時なんかさ、毎日泣いてたの。でも、こうして久しぶりに誰かとお話しできて、嬉しかった。美幸ちゃんがいてくれて……本当によかった」


 ありがとう。幼馴染が私の目を見て、そんな言葉を口にする。私がこの世に生まれてきて良かったね。私が照れ隠しでそう言うと、幼馴染はきょとんした表情を浮かべる。何でもないよと私が返し、変なのと幼馴染が返した。


 脈絡もなくそんなエピソードを挟むなんて、お口直しか何かのつもり? そんな風に思われるかもしれないけど、それもまた人生でしょ。曖昧でどっちつかずで、結局何が言いたいのかわからないのがさ。


 ちなみに数ヶ月ぶりに例の定食屋を訪れたら、生まれてきてごめんなさい定食はなくなっていた。店員さんに聞いてみると、その代わりに新しいメニューができてますよと言って、壁にかけられたメニューを指差した。


『生まれてきたんだから感謝しろ定食』


 どういう定食なんですかと私が尋ねると、店員さんはその言葉通りの意味だと教えてくれた。


「『生まれてきてごめんなさい』の逆ってことですか?」

「ええ、そうです」

「普通に考えたら『産んでくれてありがとう』とかじゃないんですか?」

「そうおっしゃるお客さんも多いんですけど、私個人としてはこっちの方が好きですね」


 なるほどと私は笑って、その定食を注文する。注文を待ちながら、私もそっちの名前の方が好きだなってぼんやりと考えた。生まれてきてごめんなさいじゃあ卑屈すぎるし、産んでくれてありがとうだと綺麗すぎる。生まれてきたんだから感謝しろって戯けるくらいが私にとってはちょうどいい。


 しばらくして運ばれてきた定食を、私はゆっくり味わいながら食べ始める。生まれてきたことへの感謝を押し付けるその定食は、もうちょっと謙虚になった方がいいよ、って思うくらいの美味しさだった。

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