バーボン編 第ニ話
アメリカのビッグアップル、ニューヨーク。
この街が眠ることはなく、いつも世界の中心でい続ける。
そのど真ん中、セントラルパークが旅の出発点であった。
鬼将軍は原動機付自転車、スーパーカブに腰をおろし、バイザー無しのヘルメットをかぶっていた。
もちろんいつもの真っ白な軍服に、ピカピカに磨かれた革長靴。
そして漆黒のマントを背負っている。
「閣下、準備はできましたか?」
「うむ、飛行機でぐっすりと眠ったせいか、ベストコンディションだよ。これならば世界チャンピオン相手に12Rだって闘える」
「それでは参りましょうか」
「うむ、美味いバーボンのために」
「美味いバーボンのために」
キック一発、鬼将軍は風になった。
私もいつものランドクルーザーに乗車。
いつものようにポリタンクに入った燃料を満載している。
ボクシングとプロレスの聖地『マディソン・スクエア・ガーデン』に遠回りしてから、リンカーントンネルをくぐる。
この地下道を用いることによって、かの有名なハドソン川を制覇することができた。
日本の道交法とアメリカの道交法は違う。
しかし鬼将軍は鉄の掟とばかり、時速30kmしか出さない。
私もランドクルーザーを同じ速度で走らせる。
交通戦争に慣れたニューヨーカーにとって、この速度は蝿が止まるような速度であろう。
たちまちチョッパー・タイプのバイクの集団に追い抜かれてしまった。
揃いの革ジャンを羽織っている。
ドクロにヘルメット、そしてクロスソードのマークとチーム名を刺繍していた。
ヘルスエンジェルズ。
ここいら界隈を根城にしているのであろう、バイク・ギャングである。
しかしこのチーム名は、日本語に訳すれば「湘南爆走族」というくらいに、あちこちに存在するチーム名だ。
このチームのメンバーはあと二十年もすれば、「俺の過去に触れないでくれ」と頬を染めることになるだろう。
私はそんな「湘南爆走族」を多数知っている。
彼らは一様に過去を語ろうとしない。
出発は午前八時。
交通法規を遵守しながら、鬼将軍は四時間走った。
走行距離は八十キロほどだ。
もちろん西部の荒野など遥か彼方である。
しかしこの時間ともなれば腹が減った。
「フジオカ隊長、ここいらでランチといかないかね?」
ヘルメットに仕込んだ無線で、鬼将軍の声が届く。
「結構ですな、閣下のお好きな店に入りましょう」
そう言うと鬼将軍は、ちょうど現れたガススタンドに付属したレストランを選んだ。
レストランといっても、ハンバーガーかホットドック、それに冷えたコークが売りというような店だ。
そして鬼将軍がウインカーを点滅させたときに気づいたのだが、チョッパー・タイプのバイクが多数停まっている。
「ヘルスエンジェルズか?」
独り言はマイクが拾わなかった。
その証拠に鬼将軍は、淀みない右折でレストランに入ってゆく。
そう、ワルツでも口ずさむような優雅さでだ。
鬼将軍は躊躇うことなく、チョッパー・タイプのバイクのとなりにスーパーカブを停める。
そしてヘルメットを脱ぐと爽やかな笑顔を見せた。
「フジオカ隊長、さすがアメリカだな。走っても走ってもアメリカだよ」
「その通りですな、閣下。しかしこういう場末のレストランを選ぶのは、いかがなものかと思いますぞ?」
「いいんだよ、フジオカ隊長。こういう店でいいんだ」
ニューヨークを始めとして、基本的に欧米諸国は飯マズというのが普通だ。
とくにニューヨークのハンバーガーなどは、日本人の口に合わないことはなはだしい。
日本人に合うハンバーガーは、やはり大手フランチャイズに限る。
それがビッグアップルで暮らしたことのある私の結論だ。
しかし鬼将軍は、やはり怖気づく様子もなくドアを押した。
オールデイズというクラッシックなロックンロールが、ジュークボックスから大音量で流れている。
そして先ほど追い越しをかけられた、ヘルスエンジェルズの面々が瓶ビールをラッパ飲みで食らっている。
鬼将軍が入店すると、彼らは一様に胡散臭そうな眼差しを向けてきた。
その視線に臆することなく、ヤツは店を横切る。
そしてカウンターのスツールに腰をおろすと、ハンバーガーとコークを注文した。
愚かなことに、ヘルスエンジェルズは鬼将軍を嘲笑った。
コークなんてガキの飲み物だろう! ガキはロリポップでも舐めてお家に帰りな!
下品で、耳障りな笑い声であった。
しかし鬼将軍は白手袋を脱いで、サービスのウェットナプキンで手を拭いた。
バカはさらに笑う。
「見てみろよ! あいつハンバーガー食うのに、ナプキンで手を拭いてるぜ!」
「おい、誰かナイフとフォークを用意してやれよ!」
だが、鬼将軍はそれでも動じない。
まったく普通に料理が出てくるのを待っている。
「おい、アイツ耳が聞こえないのか?」
「もしかしたら米語がわからねぇのかもしれねぇぜ」
メンバーの一人が立ち上がり、鬼将軍に近づいた。
「おい、そこの東洋人! お前耳が聞こえないのか!」
肩を掴んだ。
その途端膝が折れる。
大東流合気柔術の手だ。
「野郎! なにしやがんだ!」
なにしやがんだも何もない。
肩を掴んだのはチンピラ、コケたのもチンピラ。
鬼将軍は何もしていない。
「何かあったかね?」
鬼将軍はスツールを回転させて連中を見た。
世界に挑む、冷ややかな目で。
私も彼らに向き直り、ゆっくりと革ジャンのファスナーをくつろげる。
もちろん鬼将軍の言葉は米語である。
つまり彼らの嘲りはすべて耳い届いていたということだ。
「…………っ! くっ……!」
逆に嘲られていたのは自分たちの方だった、干からびかけた脳細胞でもそれが理解できたのだろう。
リーダー格の男は顔を朱に染めた。
そして頭にはきているが、この得体の知れない東洋人に警戒心を抱いているのだ。
だからすぐには、やっちまえ! と言えないのである。
仕方がない、ここは大人である私が折れてやるとするか……。
「君たち、私たちがランチを楽しむ時間をくれないか? ニューヨークから走り通しで、腹がペコペコなんだ」
「ニューヨークから? ここまで?」
「ボス、覚えてますぜ。こいつらマディソンの前をトロトロ走ってたヤツでさぁ」
「それで? どこまで行くんだい?」
鬼将軍はニヤリと笑った。
「テキサス」
「あのスーパーカブでかい? イカれてるぜ!」
「ボス、こんなファンキーな東洋人、見たことがありませんぜ!」
「東洋人ではない、日本人だ」
「ジャパンかよ! また日本人が何か始めたのかよ!」
店内は爆笑の渦である。
しかし今度の笑い声は、鬼将軍を讃えるものであった。
王冠が外された瓶のコークが出てくる。
最高に冷えていた。
そして日本ではおめにかかれないような、ビッグサイズのハンバーガー。
バンズにはさまれた、肉。
もちろんお味は下の下である。
しかし合衆国の青空の下、通りがかりの安っぽいレストランでかぶりつくハンバーガーは、高級ホテルのステーキよりも美味い。
乗り物を運転しない方であれば、ぜひともビールも御賞味あれ。
きっと年代物のワインよりも、はるかに旨さを感じるだろう。