ブレーメンの謝肉祭
「たいへんだ! ブー」
「どうしたんだい? コケコー」
「ぼっちゃんが、のらネコを拾ってきた!」
「え、また拾ってきたのか。」
「そうだよ。だから、また、おれらの誰かが肉にされるかもしれない!」
「モー。……モー。」
「モーや、だいじょうぶだよ。まだ前の肉が残っているはずだから。」
「ばか! なんてことを言うんだ!」
「え? しまった!」
「モー。前回、のら犬を拾ってきたときに、おれの兄貴が肉にされた。」
「その前の犬のときは、おれの伯父さんだった。」
「その前は、おれの親父が、のらネコの餌にされた。」
「ぼっちゃんは、なんだって、いつも、のら犬やネコを保護してくるんだ。」
「はじめは、たまたま、やぶに捨てられていた子ネコをかわいそうだといって拾ってきたのが始まりさ。ほら、あの梁に寝転がっている、あのタマが、それさ。」
「あのタマめ! おれに時々悪さをするんだ。」
「その次が、犬小屋で、いつも寝そべっているポチだ。」
「あいつは、番犬なのか?」
「そう、ぼっちゃんが、番犬になるからって、親父さんに飼うことを許してもらったんだ。」
「何が番犬だ。あいつは人を見れば誰に対してもシッポを振るぞ! エサをくれると思ってるんだ。そのくせ、おれを見ると、いつも吠えやがる。」
「それで、癖になったみたいだ。かわいそうなネコ・犬を助けてやるというのが、自分の存在価値であると思ってしまったみたいだ。ところが親父さんが飼うことを許さない。俺たち、牛・豚・鶏、そして犬・ネコを飼うのは、とても大変だからと言って。」
「そうだ。ぼっちゃんなんか俺たちの世話なんかぜんぜんしてくれない。」
「俺たちだけじゃない。タマもポチも、小さい頃はかわいがっていたけど、大きくなったらポチを散歩にも連れていきゃしない。」
「だけど、ぼっちゃんにとっては、生きがいになってしまったから、ネコ・犬の保護をしたい。そこで、ほかの飼い主を必ず見つけるから、それまでの間だけ保護したいといって、認めてもらったんだ。」
「親父さんは、ぼっちゃんに甘いからな。」
「チェッ、ネコや犬はいいよな。ペットとしてかわいがれて、おいしいエサをあたえられて。クソ、そのエサに俺たちはなるんだぜ! 不公平じゃないか。」
「人間は自分たちが地上で一番エライと思っているんだろう。だから、自分が、かわいいいと思っているペットは大切にするけど、そうでないものには興味を示さない。」
「まあ、ただ『のら』については、人間に責任があるからな。特にネコは、本来、日本にいなかったのだから、のらネコになるのは人間の無責任性ゆえだから。のら犬だって大差はない。人間の責任だ。だから責任を取るのは、当然といえるかもな。」
「そうだよ。ネコや犬だけじゃない。アライグマだって、かわいいと思って飼ってみたら、かなり性格が荒いから、捨ててしまったんだろう。だから異常な繁殖をしてしまった。同じような環境にいる、おとなしいタヌキはかわいそうだ。ワニガメだって、そうだ。動物を飼うということは命を預かるってことだろう。無責任すぎる。」
「まあ、人間は金もうけのためなら、なんでもするからな。その結果について責任を負おうなんて思っていない。ブラックバスやブルーギルだって金もうけのために、日本に持ち込んだんだろう。ウシガエルと、そのエサであるアメリカザリガニだって、結局、金をもうけたいから導入したのだろう。」
「人為的行いをする時には、常にリスクがあるものだし、そのリスクに対して最後まで責任を負うべきだ。不自然なことは、問題があるんだ。」
「自然は公平だろう。人の命も、犬の命も、ネコの命も、牛の命も、豚の命も、鶏の命も、みんな同じ命で、大切なものじゃないのか!」
「そうだよ。のらネコが、のたれ死にすれば、ウジ虫などが生まれる。その死骸によってたくさんの命が育まれる。たとえ、小さなウジ虫だって地上に生まれた命で、犬の命とウジ虫の命と、どちらが大切な命かなどと決められるものじゃない。」
「キリスト教の聖書には、人間は神に似せて創られ、他の動物の支配者みたいに書かれている。いわゆる万物の霊長みたいな考え方だ。その影響で人間は自分たちがエライと思い込んでしまっているのかも知れない。」
「でも、仏教では、『草木にも仏性あり』と、言ってないかい。草木でも仏様になるかもしれないってことだろう。輪廻によって命あるものは、生まれ変わるから、生まれ変わって将来、仏様になるかもしれないということだろう。もしかしたら、のらネコの死骸にわいたウジ虫だって、生まれ変わって仏様になるかもしれない。さらにさ、もしかしたら、そのウジ虫は、死んだ父や母の生まれ変わりかも、愛した人の生まれ変わりかも。と、考えたら踏みつぶすことなどできないよな。」
「宗教は信じる人も、信じない人もいるから、なんとも言えないけど。ただ、一人の人間は、過去にも、未来にも、二人といない、永遠に唯一無二の存在だ。それは、我々も、ネコも、犬も、牛も、豚も、鶏も、そして、小さなウジ虫も、今生きている命は、唯一無二の存在だということは、まぎれもない事実だ。それは、地上に生命が生まれて35億年の長い時間、命をつないできた結果なのだ。その間に、考えることができないほどの数の命が、命をつなぐことができずに死んでいった。かりに、ハエが100個の卵を産んだとして、ウジ虫になって、親になって、再び卵を産めるようになれるのは、オス・メス一匹ずつぐらいじゃないのか。あとの98匹は命をつなぐことができず、他のものの命を育むためのエサになる。だから、生まれた命は、35億年の長い年月をつなぎ、つなぎ続ける大切なものなのだ。もしかしたら、地上の生命が絶滅のしそうになったとき、一匹のハエの子孫が唯一生き残った生物で、その生き物によって、再び命の繁栄が始まるかもしれない。可能性はゼロではないだろう。」
「地上は、人間だけのものではない。すべての命を公平に大切にしてほしい。モー。」
「そうだよ。ブー。」
「ほんとうに! コケー。」