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有幻人形奇譚  作者: 宮丹桂
子羊たちの行方(前)
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特別調査室にて




「どうだった」


 翌日、調査室にはめずらしく雪が先に来ていた。昨日も己が先に帰ったから、もしかすると昨日からずっとここにいるのかもしれない。雪が帰るところをいまだかつて見たことがなかった。上司は己の席に座って、どうやら昨日の回答を聞きたがっているらしい。それほどまでに母に会いたいとは本当に好奇心旺盛なひとである。


 己は努めて残念な調子で「家族以外面会はむずかしいそうで、すみません、お雪さん」とコートを着たまま肩をすくめた。上司の席に座るのも気が引けたからそのまま入り口で立っていた。雪は己の席から動く気配はない。しばし考え込んだ様子で険しい表情を浮かべていたが、それもすぐに消えた。


「そうだろうと思ったよ。きっと良くなってほしいものだね」

とやわらかく慰めてくる。

「本当に」

「なんならしばらく暇を出してもいいんだよ。やることはあるがいつまでだって先延ばしはできるからね。ここは時間だけはある」

「そのうえ昼なのか夜なのか分からなくなりますからね」

「曇りの日は一日が長いね?」


 天窓からの光は、今日はすくなかった。銀色の空が窓の形に切り取られている。朝から晩まで暗いと、時計があったところで一体いつなのか分からない。


「ここには永遠があるのかもしれない」とつまらなそうに雪は言った。上司はひとのデスクに足を載せて、腕を組んでいる。

「人間には縁遠い」

「君はもうすこしロマンチストだと思っていたけれど」

「そんなものはないのに簡単に錯覚する。明日が今日と同じようにやってくると思う。そんなことはないのに」

「どうしたって日常に生きているのだから仕方がない。非日常だって毎日続けば日常だ。慣れとは厭なものだね。いなくなっても慣れてしまう」

「失う前に戻れないのなら、ひとりに慣れるのは悪いことでもないでしょう」

「そればかりはどうしても受け入れにくいひともいるだろう? 喪失は耐え難い。友人、家族、恋人、愛猫に愛犬、君は母親。人間に永遠は縁遠いが、死ばかりは永遠だ。私は君が心配だよ。近いひとの死をただ待つのはつらいだろう」


 雪は机に載った足を組み替えて己を見ずに言う。それはどことなく読み上げただけのような調子に聞こえた。あるいは、雪の尋ね人を思っているのかもしれなかった。


「考えはしますがどうにも実感がわきませんね。まだ生きてこそいますが」

「死なれてもよく分からないものだよ。自分が死ぬ番になってようやく分かるのかな。死んでしまえば分かるのだろうが、死んでしまったらおしまいだからね。考えても答えは出ないが、考える以外にすることがない」

「仕方のないことでしょう、こればかりは」

「仕方がなくともつらいものはつらいものさ」

「どうしようもないですよ」

「そんなことはない。その手段を君はひとつだけ知っている」


 雪は極めて真剣だった。


「……オートマトン」


 忘れてはいなかったが忘れていた。己がその手段を取るとは思えなかった。ゼンマイで動く等身大の人形。それはこの〈東京〉でも特に謎めいていた。オートマトンと呼ばれたその人形はひとの孤独を癒やすと謳われていたが、実際のところ手を伸ばしている者は多くない。だがあるいは、思うより多くいるのかもしれないが、背中にゼンマイを巻く巻き鍵の穴がある以外、見た目では人間と変わらない。言われなければ分からないし、下手をすると言われても分からない。もしかすると雪もまた人形かもしれないのだ。その背中を覗かない限りは。


「驚いているように見えるね? 君の方が詳しいのに」

「すっかり……そんな、自分がそれを使うなど考えたこともありませんでした」

「いざ自分のこととなると、というやつかな。君が人形のゼンマイを巻くところは想像がつかないが」雪は手でオルゴールかなにかのゼンマイを巻く仕草をする。

「君は馴染みの店があると言っていただろう、相談してみてもいいんじゃないか」


 馴染みという表現が適当かはともかくとして、一軒だけ知っているオートマトンの店はたしかにあった。だが客になったことはなかった。母の死を待つのがつらいから人形を貸してくれ、とでも言えばいいのか。


「考えておきます」とだけ言って、その考えを押し入れの中に入れるように奥へと押しやる。「もちろん私だっていつでも話は聞くよ。なんならいまから飲みに行ったっていいんだ。どんよりした日はパーッと飲むに限る」


「お雪さんが行きたいだけですね」

「否定はしないが。まあオートマトンの件は考えておいておくれよ。君はそうひとに頼らないだろう。人形くらいになら吐き出せるんじゃないかい。それがよいことなのか私にはさっぱりだけど」


 雪はそう言って、己は曖昧に頷いた。それは遠回しに、君は自分にはなにも頼らないだろう、と言っていた。


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