第十一話。‐VS3‐
獣らしくあれ、しかし決して人間の思考を捨てるな。
人間らしくあれ、しかし獣の直感を最優先しろ。
そして両者の生存本能を駆り立てろ、しかし闘争と逃走欲求は切り捨てろ。
それが此度、全力ではないが本気になったイルザ先生との相対で幾度も私を救った理論であった。
「ウグッ」
イルザ先生の連擊を最低限のダメージに抑えつつなんとか捌き続けたが、下顎に向けられた膝打ちを両腕でガードしてしまい身体が宙に浮く。バンザイ状態で空中を浮遊する私にイルザ先生は容赦ない回転蹴りを繰り出し、両腕の痺れと腕から伝わる衝撃で全身が硬直した為私の腸に繰り出された蹴りをもろに喰らってしまった。
――否。獣の直感で甘んじて受け入れたんだと思う。その証拠に私は空中で姿勢を整え地面を蹴っていた。
「……」
「……」
もはやこの場に会話は無い。そも、今のイルザ先生は――いや、イルザ・リッター・デグレチャフは私の事を生徒ではなく叩き潰す敵か障害に見えているのかもしれない。乱れた呼吸を空かさず整えているのが良い証拠だ。
「……ッ(ビクッ)」
と、先生から十分に離れられて安心したのか蹴りを受けた腸を中心に身体が悲鳴をあげる。
この腸から伝わってくる痛みで痛感する。魔装がなければ今のあの蹴り一発で動けなくなるだろうと。地面に落っこちた燕の雛のように無様に痙攣して動けなくなると――。
「……(ズサッ)」
と、地面を蹴って出た音以上の加速で急接近するイルザ先生。
大型トラックに負けず劣らずの迫力を前に私は肺を使って意識を切り替える。
「スゥ……フ……」
深く吸って浅く吐き、気付けば余計に力みの入った全身の筋肉を解きほぐす。
そして、イルザ先生が攻撃モーションに入る前に全力で地面を蹴り先生の顔を捉える。その際、視界がIXの出力過多のアラートで赤く染まったが、御構い無しにイルザ先生の顔面を掴もうと全身で飛び掛った。
――が、
「なっ!?」
「面では無くて動を狙え」
と、完全な不意であったにも関わらずイルザ先生は頬を掠める程度で難なく攻撃を受け流し、イルザ先生はゆっくりと頬から顎に滴る血を指で掬う。
「なんだ……血は赤のまま、か。……ハッ」
指に着けた自身の血を見下ろしながら小声で何かを呟き、唐突に嘲笑う表情でその血をふるい落とした。
「予定変更。すまんが手早く済ませる。もし防げたらお前の勝ちだ」
「んっ」
ゆっくり近づくイルザ先生から発せられる冷気の質がガラリと変わった。今までが機械的な冷たさなら、今は真冬の夜に降り注ぐ土砂降りの雨だ。
つまり攻撃的。その証拠に今までずっと感情を表に出さなかった先生の表情からは薄っすらとだが苛立ちを感じ取れる。
「?」
三歩手前の位置で歩みを止め、突如として『タンッ……タッ、タンッ』とプロのタップダンサーのように軽快なステップを踏むイルザ先生。
この状況、そしてあの苛立ち抱えたままでタップダンス――? と、一層警戒心を張り巡らせながら手の甲を浮かして指だけ地面に取り残す。
――と、イルザ先生の言葉が続く。
「――初見殺しだ。そのままだと確実に逝くぞ?」
そう警告し、『タッ……ズサッ』と、右足で地面を掻いたかと思えば勢い着け滑って三歩差の距離を縮めてきた。
――刹那、私の決まっていた敗北が今此処に決定ス。
「ッ……!? え……なに、がぁ……」
先生が一歩前に踏み込んだ瞬間、地面に触れていた両手両足に風船が割れた時と似た衝撃が走り私の手と足は得体の知れない感覚に襲われた。
引きずり込まれながら這い上がってくる。そんな矛盾に私の全てがグチャグチャに蹂躙され、内に宿した獣は地に伏せ思考が現実を中途半端に歪ませる。
「――っ……ん……?」
気づけば時間が飛んでいた。
キング・クリ○ゾン! 時間を消し飛ばす!! と、まさか前世の人気漫画のラスバスの特殊能力を体験するとは思わなかった。
「あ」
そして気づく。結果はと――!
その事に気が付いた時には私の手が服の上から心臓を撫でていた。
「あっ、れ……あ……? あァ……あ……アックッ…………ア"ッ――」
耐え難い苦しみがゆっくりとやってくる。前世を含め、初めて心臓に致命的なダメージを負わされる――しかも瞬時に。
「ングッ」
鼓動を感じぬ心臓から伝わってくる上限見えぬ苦しみに遂に呼吸すら出来なくなる。
「あぐッ――ンイッ……ハギッ」
それでも心臓からではない鼓動が力強く脈打ち呼吸をさせようと促し、無様に涎を垂らし辛うじて息を紡ぎ続けていた。
「――あ? ……あっ!」
と、流す涎に土の風味を感じ始めた頃にようやくイルザ先生の少し気の抜けた声と、続いて出たやっちまった感のある声が耳に入る。
「すまん。流石に魔力を込めた打撃はやりすぎだったな。……あーダメージオーバーで脳がファントムペインを起こしてる」
「っ? ……んっ!?」
視線だけで何とか洒落にならない痛みを訴えると、イルザ先生は着ている服のポケット全てをまさぐりながら周囲を見回す。
「流石に脳の誤認は魔装の【戦闘継続】ではどうしようもない。――! ちょっと待ってろ」
周囲で何かを発見して駆け寄り、「これなら1つで一発だな」となにやら怪しい事を言って雑草らしき草を引っこ抜き、それを持って普通に歩いて戻ってきた。
「仮面、下だけ外すぞ」
「え……なっ!?」
と、勝手知ったると言わんばかりに手早く仮面の下側を外され口元が露出し、何故この画面が上下でも取り外せる事を知っていたのかとゆう点で普通に戸惑う。
――って、前に学園で煙草を吸っている所を見られたんだった。そりゃ知ってますわな。
「噛んで飲め」
「ムグッ!? ……ヴェッ!?!?」
頭を抱えられ露出した口の中に無理矢理雑草の根っこの部分を押し込まれる。渋々先生の言うとおりに口の中の根っこを噛み千切ると、鼻を駆け抜ける激臭と舌が悲鳴を上げる程の苦味に吹き出した。
「はいもっかい」
と、私が吐き出すことを予期していたと言わんばかりに吐き出した雑草の根っこを手で受け止めそれを再度私の口の中に叩き入れる。
「ムーッ!」
雑草の根っこを吐き出させぬよう手で口を塞がれてしまい喉を鳴らして悲鳴を上げる。
根っこの噛み千切った箇所から苦味の汁が止めどなく溢れ、終いには重度の虫歯に苛まれるが如く歯茎までもが悲鳴をあげ始めた。
「今、口に入れたのは"ネムリク氷花"と呼ばれる毒花の根っこだ」
「んっ!?」
顔をグイッと先生の顔に向けさせられ、その直後であり最後の毒花と言うワードに目を見開く。
「落ち着け。毒と言っても今入れた根っこに毒は無い。開花する前の根っこには害虫から根を守る毒があるが、開花してしまえば根っこの毒は役目を果たして人間に都合の良い成分だけが残る。私は医者や学者じゃないが、生き残る為に身に付けた知恵ってやつだ。――信用しろ。お前は私が唯一認める生徒だ。嘘は付かん」
「! ……ぅ、くっ!? ……んっ……」
先生の真剣な表情と最後の照れくさい台詞が脳内の吐き出せと鳴り響く危険アラームを上回る。私は意を決してネムリク氷花の根っこを噛み砕き、溢れ出る唾液で根っこから溢れ出た苦い汁を極限まで薄めて根っこごと飲み込んだ。
「ハッ……ハッ……」
と、お腹に違和感を感じながら浅い呼吸を繰り返す。
――するとどうだ。段々お腹の違和感が薄れ、瞼が段々と重たくなっていくではないか。
「安心しろ。身体の感覚が麻痺しているだろうが一時的な副作用だ。安心して瞼を落として微睡に身を預けろ」
「ぇ……あ……ぁ…………」
頭を抱えられている為か、糸がゆっくりと解されていくように瞼から力が抜け落ちる。そして目を閉じてから聞こえた少し温かみのある「おやすみ」を、最後に私の意識はフワッとした微睡の中に消えていった。
修正‐IXの手袋ではなくIXのグローブ。
今回のタイトルにVS3の付け忘れ。