第十話。‐VS2‐
「……そろそろかな」
イルザ先生に渡された制服に着替えて森に入り、足元の雪解けの水溜まりの中で一際大きい水溜まりを見ながら背筋に感じる寒気に絞めた警戒を一層強く保つ。この背筋の寒気が蛇が這う様な悪寒に変わった瞬間が授業開始の合図だ。
「――っん」
来るか!? と、足元の水溜まりに視線を向けると、森の景色を写していた水溜まりは薄っすらと波打ち、虫の知らせと言わんばかりに水面に写した森の風景をぐちゃぐちゃにした。
――そして、蛇が私の背筋を蠢く――。
「!? ッ――!」
自分の直感に従いがむしゃらに横へ飛んで地面を滑る。
「滅茶苦茶飛んだな。小型の魔獣かお前は」
「まぁはい。先生がくれた魔装のお陰で精神と共に獣並みの様です」
初めて体験する魔装の性能に内心驚きながら三歩以上離れたイルザ先生を見上げる。全身泥だらけ枯れ葉まみれ状態だった先生は、面白い物を見た風な笑みを零しながら身体中に付いた枯れ葉や泥などの汚れを叩き落とした。
「えっ」
”コーティング”が今までの訓練の比じゃない!? と、先生を見上げた瞬間先生から感じる威圧感で全身が研ぎ澄まされる。
”コーティング”とは、自身の魔力を直接身体強化に繋げる事を指す。その分、魔術回路に魔力を回せなくなり魔術の使用が一切出来なくなるが、先生の様に魔術師ではない限りはデメリットには成りえない。
ちなみにこの”コーティング”は学園で基礎実技の課程を終え、実践実技の課程に移った生徒達が真っ先に教わる必須実技であり、”コーティング”の持続時間によってその者が魔術師適正が有るのか無いのかが決まる。
――さて。
と、警戒しながら一回深呼吸して呼吸と感情を整える。
「まさか汚れを気にせずに地面に倒れて枯れ葉等でカモフラージュしていたとは思いませんでした。いつもならド派手に奇襲してくるのに」
立ち上がらず、膝立ちで待機する。気持ち的にこっちの体勢の方が次の回避行動が取りやすいと判断した。
「予測できる奇襲は奇襲じゃない。予測出来ていたのに防げない阿呆は例え幸運を超越した神の祝福が有ろうと絶対に死ぬ。それが殺しあいのある戦場の掟だ。――んで? いつまでそのままでいるつもりだ?」
身体中の枯れ葉を叩き落とし、遅くはない速度で近づいてくる。そんな先生に一言「お気になさらず」と言って後ろに回しておいた手に一杯の枯れ葉や土を握りしめた。
「急に動いて脚を痛めた訳ではない、とっ」
「なんっ――!? おらっ」
地面を蹴って予測以上の速度で急速に接近してくるイルザ先生に驚きながらも避けきれないタイミングを見計い先生の顔面目掛けて握りしめた枯れ葉や土を投げつける。
が、読まれていたらしく、投げた直後には先生はプロ野球選手並みのスライディングを行って地面を抉り、私が投げた以上の土、小石、枯葉、雑草と言った諸々で粉砕。勢い増す諸々は先生の目の前、直線上にいた私に襲い掛かった。
「ッ――あ」
左手を胴体に、右手で襲い掛かる諸々から目を守る。嵐のように襲い掛かる諸々に耐える事一秒未満、それは余震の後の大地震の如く訪れた。
「死」
利き目の右を閉じ、犠牲覚悟で開き続けた左目に映ったのは狙いを定めるスナイパーの様な鋭い眼孔と撃った銃弾かと思えた拳。
銃弾が心臓付近に当たれば死ぬ。と、突然の死を前に思考は停電した電子機器の様にパッと消沈した。
「ヴェッ!?」
と、前世なら絶対に出す事がなかっただろう人と思えぬ断末魔が吹き出す。そして先の自分から跳んだ距離よりも飛んで地面を転がった。
「アグッ……ンッ……ンィッ……ヴァェッ……」
苦しいッ!? 痛いッ! 全身から悲鳴が上がっている! 特に拳が当たった左腕、これは折れたなんて非じゃない! 骨が粉々だこれはッ!? その証拠に袖が吹き飛び露わになった左腕の拳を受けた箇所の色がおかしい……青色系統のグラデーションが施された痣ってなんだよッ!!??
「ンギッ!?」
涙の域を超え、泡となった涎を垂れ流しながら無慈悲に襲い掛かってきた先生の攻撃を、目で追って受け流しタイミングを見計らって大きく飛び退ける。
「――は?」
と、今の攻防に違和感を覚えてしまい腰から力が抜けて片膝を地面に着けてしまう。
何故? こんなにも頭と身体が動く? 痛みで全てがグチャグチャになったっておかしくないレベルだった筈だ。
「そのもろに顔に出てる違和感の正体を教えてやる。――何故、許容範囲以上の痛みで思考がシュートしないのか? それは魔装の【戦闘継続】が仕事してるからだ」
「え? でも痛みは……! ま、まさ……か……?」
身に余る痛みを素面で受け入れられた今だからこそ自分の勘違いに気づいてしまった。
痛みは依然として変わらない。変わっているのは物事を受け入れる能力――つまり収容能力だ。
「その驚きよう……まさか魔装の【戦闘継続】がダメージを負った傍から治癒していく回復コンテンツだと思っていたのか? バーカ。魔装の【戦闘継続】はありとあらゆる苦痛や痛覚の許容範囲を限界まで底上げし、そこに更に新しく追加して上乗せさせる耐久コンテンツだ。しかも素晴らしい事に苦痛に鈍感になる事は無い。慣れるのではなく馴染むでもない」
「――理解……ですか?」
ふと出た言葉が異様にしっくりし、理解の言葉と同時に一番の震えが起こり、そして脳が納得したと同時に全身の震えが収まってしまう。
「正解。理解が早くて先生は嬉しい。ちなみにお前に渡した第四世代の初期型はな? 子供が着て1~224、大人が着て1~527、熟練騎士が着て1~1230まで数字を数えたそうだぞ? ――全身、火だるまに焼かれながらな? ただまぁ魔装と言えど着用者は人間だ。底上げできる人間の苦痛と痛覚の許容範囲には限界がある。先の事例を出せば熟練の騎士でさえ外部魔力を使い切る前に精神が壊れてしまったとかなんとか。(トントン)」
と、自分の手首同士を叩き合わせるイルザ先生の無言のメッセージを受け取り震え出した両腕を上げて手首を見る。すると手首を這うように線が輪を描いて浮かび上がり、右の手首に浮かび上がった輪だけが少し減っていた。
「着用者にしか見えない仕様だから私にはわからないがそんなに減ってないだろ? 外部魔力を指し示すパラメーターは」
「……えぇ……雀の涙も多く聞こえる程に」
「? それはつまり――」
音も無く、地面に振動を伝えず、予備動作無しで急速接近。
「泣く程嬉しいって事か?」
雀の涙とは真逆の分類の言葉と共に膝蹴りが繰り出され、私はそれを遭えて受けた。
そして、空中浮遊する最中にライセンスの〈ゲームクリエイティブ〉を意識しながら忌々しい過去に頼る為の合言葉を唱える。
「unity」
と、何度モニターを割ってやろうと思ったか分からないゲームエンジンの画面が頭の中に映し出され――、
「cr01_animation」
ライセンスの〈思考保存〉からキャラクター込みのアニメーションデータを頭の中のunityに読み込む。
「ホント、小型の魔獣みたいな奴だなお前は? 人間が出来る身軽さに思えんな」
数回地面を使って跳ね上がり、空中で姿勢整え地面を滑って止まる。そんな奇天烈な動きを見たイルザ先生は呆れながらもハッキリと笑みを浮かべた。
「えぇまぁ……血が滲まぬ程度の研鑽と、うれしくない贈り物があればこそですが」
「あっそ。男は野獣らしいが、今のドゥになら傷つけられても不快な気持ちにはならんな」
「んっ」
そう言ったイルザ先生の表情に不気味な陰が落ち、先生から伝わってくる夏の風がドライアイスの冷気を吸っているような錯覚に陥る。
「そですか」
動物、人間、その両方の防衛本能を不能とし仮面に手を置き深呼吸。逆立っていた全身の毛を修めて死を受け入れる準備を済ませる。そして帰国してから一度も使用をしていなかったIXを起動させ、両手のグローブの感触を確かめながらブーツで地面を数回叩いた。