第九話。‐VS‐
「……! チャイムが。いっけね」
学園で見つけた喫煙スポットにて昼休みの終了を告げるチャイムを耳にする。今日も午後の授業は担任のイルザ先生とのマンツーマンの鬼ごっこと評した戦闘訓練なので遅刻する訳にはいかず、まだ半分も吸ってはいない煙草を一気に吸い上げてから全速力で待ち合わせの【虚空の森】へと向かう。
「……ん? 先生?」
と、森へ入る手前の木に訓練用に愛用しているらしいタンクトップにいつものぶかぶかコートを羽織っている姿でもたれ掛かっているイルザ先生を見つけて急ぎ彼女の元に駆け寄る。
――初見の時はあのタンクトップ姿に股間をやられたがもう大丈夫……あ、ちょっと走る速度を落としんしょ……。
「来たか」
「はい。珍しいですね? いつもならこんな所で待たずに私が森のある程度奥に入った段階で奇襲してくるのに」
鬼ごっこ以前の戦闘訓練ならこうやって先生が待っていた事はしばしばあったが、”やっぱり戦闘訓練より実際に戦闘した方が手っ取り早い”と、ルール無用のバーリトゥード形式の鬼ごっこになってからは奇襲される事が当たり前になっていた。
「用意させていた物が昼に届いたからな。お前が昼間何処に居るか知らないからこうして待っていたって訳だ。……ほらよ」
「! っと……ん? 学園の制服じゃないですか?」
投げ渡された布を広げると今着ている学園の制服一式だった。その事をイルザ先生に言うと先生は自分の胸元を叩き、私は先生の意図を察して制服の胸元を確認した。
「ん? 校章じゃなくてこの国の紋章……って事はこれは”魔装”?」
と、恐る恐るイルザ先生に問うと先生はその首を縦に振った。
”魔装”――それは神々に愛され、その中の極一部の者達が扱える神の兵装”神装”と同等の代物を人間の手で自ら造ろうと人類随一の技術者達が集まって開発されたパワード・スーツ。
魔装はその魔術運用補助、防御力、機動力は非常に高い究極の補助兵器で特に防御機能は突出して優れており、魔装が魔力を吸い続ける限りは【戦闘継続】などによってあらゆる攻撃に対処でき、守りの極致たる奥の手【絶対防衛】でありとあらゆる即死級の攻撃だろうが着用者の命を守る。この魔装の完成のお陰で人間は戦闘で武器と魔術の同時使用を可能にした。
――が、一見完璧に思える”魔装”であっても永遠の課題が三つある。
まず一つ目。自国を含める各国の最新世代の魔装であろうと外部魔力が無い状態で【絶対防衛】が発動すると成人魔術師一生分の魔力を一気に魔装に持っていかれてしまい、”生命魔力”と言う寿命に等しい魔力が使われてしまう事。最悪全てを【絶対防衛】で使い果たしてしまい結果的に戦場で比較的綺麗な死体が残る。
二つ目。次世代魔装の開発が困難だという事。魔装が登場したのは人間と魔族がこのクロード大陸の覇権を掛けた戦争であり、200年経った今でようやく一般公開されたのが第四世代。しかもその第四世代も問題点の改善が終えていない為にここ三十年間、第五世代の魔装の開発に着手出来ないらしい。その為、第一騎士団の総長、幹部が使用している魔装第四世代フェーズ5が一般公開されている最新の魔装。
三つ目。量産が絶望的に出来ないという事。魔装のコアであるグリモア・ドライブの量産が不向きだとか、魔装一着の製作費用が高額すぎるだとか憶測の理由は様々。残念ながら理由はブラックボックスで定かではない。
以上の点を踏まえてもう一度受け取った魔装が施された学園の制服と、それを渡してきたイルザ先生を見た。
「やる。今日からそれ着て戦闘訓練な? その魔装は魔術運用補助を省いたステゴロ特化仕様の第四世代フェーズ2だから今まで以上に戦闘能力が上がる筈だ」
「待って」
思わず敬語を忘れ去る。だってそれ程に今のイルザ先生の発言が常軌を逸していたから。
「今、この魔装を第四世代と言いましたか? しかもステゴロ特化仕様だって……つまりこの子は最新世代のオーダーメイドって事ですか?」
「そうだが? オーダーメイドでなければステゴロ特化仕様なんて馬鹿げた代物は造れん。リッター時代に私に支給された”魔装”だが、軍服から学園の制服に仕立て直し採寸もお前に合わせてある。直接採寸したわけじゃないから少し大きめに仕立ててあるが問題は無いだろう。着ていれば慣れるだろうしお前は成長中だしな」
「…………いや待って。本当に待って」
本当に待って? なんかものごっつ軽く言ってくれてるけど一般人にガンダム渡す様な物だからね!
「要らんです。スラムのゴミがこんな高価な代物を持ってるとばれたら貴族の人達になんて言われるか……面倒事は勘弁です!」
中古とはいえ侯爵レベルの貴族ですら手に入れるのは困難な最新の第四世代の魔装。しかもそれのオーダーメイドときた。
その事実に冷や汗と身震いが止まりません。
「殺されますねぇ……一般生徒や貴族の生徒様方に殺される。あー下手をすれば第一騎士団の騎士に殺されるんじゃないかなぁ?」
しかもだ。もしバレたら普通に殺されるなんて未来は絶対にない。戦場での命の価値を知っている騎士団や嫉妬深い貴族の生徒様によって惨たらしい最期が待っているに違いない。
震える手を必死に動かして魔装が施された学園の制服を畳み直してイルザ先生に返却しようとした。――が、次のイルザ先生の言葉で”前門の虎、後門の狼”と言う言葉通りの境地に落とされた。
「着ろ。従え、さもないと……そうさな? ……虫? 確かお前、靴に虫がひっついていた時に滅茶苦茶大げさに蹴り上げてひっついていた虫を弾き飛ばしていたよな? じゃ、とりあえず虫のなんかで……最悪虫風呂だな」
「――……ア、ハイ」
SAN値チェックは問答無用でクリティカル。心が殺され片言でリョナラー界隈で真っ黒に輝き始めた死兆星に返答する。
あっは!死人ですら発狂しそうな拷問なんて絶対に嫌。なら割った爪を引っこ抜かれた方がマシ。……マシ?
「良い反応だな? 若干そそる。……じゃあ私は先に森に入ってる。……と、二十分程したら入ってこい」
「? 着替え程度なら二十分もいりませんけど? 近くに物置があるのでそこで着替えますし……ッ!?」
不思議に思いながらイルザ先生を視線を向けると、背筋に流れていた冷や汗が凍ってしまう程の薄ら笑みを向けられた。良く見ないと笑っていると解らない笑みだったのに、だ。
「準備運動……本気でやるならそれなりに身体を温めないといけないだろ? 悲しい事に年単位で額に汗どころか手に汗すら握れていないんだ。滅茶苦茶身体が鈍ってる。だから身体に熱が滾る程思いっきり身体を動かしたい。幸いにも私が多少本気になっても倒れない奴が運良く私の生徒としてお手頃にいる。……うん? おいおいそんな泣きそうな顔するなよ? さっきも言ったが本気と言っても多少だ、過剰じゃない。……まぁここ最近変な奴に付き纏われてストレスが溜まっているせいで加減を過多で間違えるかもしれんがそうなった場合の為の魔装だ」
「……あ」
脳裏を過った全身包帯巻の姿に全身の体温が氷点下まで下がった様な気がした。きっと未来の私は全身複雑骨折で入院しているのだろう。
――うん。煙草の為に最悪顎の骨だけは全力で死守してやる。
「あっと、言い忘れてたが今日の頑張り次第で今持ってる例のご褒美を全部やる」
そう言って先生は全てが真っ黒い煙草が入ったケース取り出して私の前にチラつかせた。
「んっ」
口の中に衝撃が駆け巡り唾液腺が決壊して水風船が弾けた様に唾液が唐突に溢れ出る。
私がこんな肉体言語のみの授業に足を運び続ける理由があれ。イルザ先生が魔境大陸エルサドバドルから持ち帰ってきた全てが真っ黒い異様な煙草。
あの煙草には味が無い。香りも無い。もしかしたら依存症を引き起こすニコチンすらないのかもしれない。それでもあの真っ黒い煙草に私は魅了された。
”懐かしい”。それがあの真っ黒い煙草が唯一持っている中毒成分。しかも仲の良い友人達と思い出話をした後に一人静かにベットの上で過去の栄光と微睡に浸る様な心地の良すぎる感覚。並みの人間では抗えず、並み以下の負け犬精神の私では抗う事すら許されない。
「分かりました」
視線は先生に、しかし意中は先生がチラつかせている煙草に向けながら何処かに消えていた血液が一気に戻り活力が身体の底から湧き上がる。
アレのせいで……いや! アレの為に毎回必ずボコボコにされると解っていても欠かさずに足を運んできた!!
うん。今回ばかりは喰われるだけの兎ではいられない。勝てなくとも同じ肉食獣である狐となって抵抗しながら逃げ回ってやる。
「おうおうしたたかで逞しいねぇ一気に勝ち奪る側に行きやがった。まぁやる気になったのならそれでいい。知恵を使え? 人間と魔獣畜生の違いは理性に従うか魂に従うかなのだからな」
先程の薄い笑みではなくハッキリと闘志を高ぶらせた笑みを浮かべながらも教師らしくアドバイスの一つを告げてイルザ先生は一人森の奥へと進んでいった。