2-1
番外編:フランシスの話になります。本編と違ってほのぼの要素はあまりありませんが、それでも良いと思う人はどうぞ。
王宮の庭園の向こうの方で、ジュリアーニ君とアンリエット嬢が仲良さそうに腕を組んで談笑している姿が見えた。
やっとあの二人がくっついた。あれだけ仲が良いのに、一向に関係が進展しないから、心配してしまった。二人とも相手が好き過ぎて遠慮してしまっている。見てられない。
そうしているうちに、ジュリアーニ君の結婚話だ。アンリエット嬢はそれと分かるほどはっきり落ち込んでいたのに、鈍感なジュリアーニ君は全く気づかない。
つい、アンリエット嬢に声をかけてしまった。きっと、彼女が妹に似ていたからだろう。
世の中には光と闇がある。俺は闇の住人だ。一方、ジュリアーニ君もアンリエット嬢も光の世界に住んでいる。彼等にはこのまま裏の世界を知らずに生きてほしい。俺にはできなかった生き方だから。きっとあの二人に俺は、もしもの俺の姿を投影しているのだろう。
そういえばアンリエット嬢に、拗らせた初恋の相手として姫様の話をしたことがある。あれは、お伽噺。庭園で足を挫いた俺を助けてくれて恋に落ちた。そこまでは良い。確かに素敵な人だとは思った。でも、たったそれだけで姫様に忠誠をな訳がない。
この話には続きがある。アンリエット嬢の知らなくていい続きが。
俺の人生が変わったのは15歳の時、盗賊が屋敷に押し入ってからだった。その日は両親は出かけていて、俺は妹と二人で帰りを待っていた。
「ここから先は行かせない!」
俺は妹を背に庇い、剣を手に戦う。屋敷の他の場所でも、使用人たちが盗賊に応戦している音が聞こえる。
「お兄ちゃん!」
バランスを崩すが辛うじて体勢を立て直す。あと、二、三分持ちこたえればば異変を聞き付けた騎士団が来てくれるはず。もう少し。そう思った矢先だった。
「へっ、脇が甘いぞ、若造!」
「きゃあっ!」
盗賊の刀の一振りで、呆気なく妹は殺された。
「どうして、罪もない妹を……」
「ギャーギャー煩くて、邪魔だったからだよ」
人を殺したことになんとも思ってない口調で盗賊が言う。
俺は茫然自失として座り込んでしまった。
「おい、大丈夫か?少年」
助けに駆けつけたらしい、騎士団の人に声を掛けられた。
「妹が……」
「なんと可哀相な……」
妹は4歳の利発な女の子だった。どこに行くにも後ろをついてきて可愛い妹だった。この子がどこかに嫁に行ってしまったら、俺は生きていけるだろうか、そんなことも思ってたのに。こうなるならいっそ、遠い外国でに居てもいいから、幸せに生きてて欲しかった。
「ああ、俺に力があれば良かったのに……」
「へえ、少年。力が欲しいのか」
声のした方を振り返ると、以前庭園で会った女の子だった。正確には、あの時から成長して少女になってたが、緋色の髪と深緑の瞳は変わらなかった。
「力があったら、妹は死ななくて済んだんだ」
「可哀相に。私なら君に力を与えられるぞ」
「何でもいい、強くなりたい」
「だが、こちらの世界に足を踏み入れたら最後、二度と平穏な生活に戻れないぞ。いいのか」
「妹がいないなら、何も要らない」
このとき俺は半ば自暴自棄になっていた。まるで力の代償に生を求める悪魔のような彼女のセリフだったが、俺は頷いた。もう失うものはない。このままどこまでも身を墜してしまいたかった。
「分かった。では、明日ここを訪ねるといい」
彼女は鷹揚に頷くと、一枚の紙を渡した。
そうして俺は闇の世界に足を踏み入れた。彼女が姫だと知ったのはずっと後の事だった。もとはどこかの良いところの貴族の娘だろうが、今は王国の諜報部を取り纏める女ボスを務めている、彼女についてはその位の情報しか得られなかった。ただ、彼女に仕えている人はみな盲目的というほどに、彼女を崇拝していた。
彼女の正体が分かったのは、アンリエット嬢にも言ったとおり姫様の誕生祭だった。その頃には俺は表向きは、文官として王宮に務めるようになっていた。
俺は職場の同僚に付き合って、姫様の誕生祭の様子を覗きに行った。
「へえ、あれがこの国の姫君かぁ。噂通り綺麗だね」
「うーん、美人だけど、アンリの方が可愛いね」
「ジュリアーニ君はアンリエットさんが一番だからな」
「ブラコンだなぁ」
「ジュリアーニ君は、もう手遅れだろ。いやー、それにしても綺麗な姫君だね。彼女の為なら何でもしたくなるな」
この頃もすでにアンリエット嬢が大好きだったジュリアーニ君はさておき、俺も噂の姫様の御姿を拝見したくなった。
「ちょっと、俺にも見せろよ」
そう言って、同僚の肩の後ろから覗き込む。姫様と言われているのは、俺のよく知っている彼女だったのだ。
普段俺たちに指示してるときは、その美しい髪を結い上げまるで男装の麗人の様な格好をしていた。今日は姫様という役割に相応しく、豊かな長い髪をおろし、緋色の髪が引き立つような淡い色のふんわりとしたドレスを身に纏っていた。だが、間違えようがなく姫様が俺の知っている彼女なのだ。
「えっ、嘘だろ……」
彼女はどこかの貴族の娘だろうとは思ったが、まさか姫様だとは思わなかった。どうして王族が、それも年若い女性が、国の暗部を取り纏めているのか。予想外の事態に俺は言葉が出なかった。
「あれ?フランシス君どうしたの?」
同僚の声掛けで我に返る。これぐらいの事で動揺してしまうなんて、情けない。ここまで国の暗部に関わった今、何があっても動じないように、生きていかないといけないのに。
「ああ、あまりにも綺麗な姫様だから、驚きのあまり固まってしまったぜ」
「だろ?フランシス君を虜にするなんてなかなかだな」
「そうだな、あんな綺麗な人、滅多にお目にかかれないよ」
そう言って、笑ってごまかす。
彼女が部下に崇拝されている理由はこれだったのだ。王国の姫君という立場にありながら、そのぬくぬくとした環境に甘んじず自ら国のために汚れ仕事を一手に引き受けているのだから。
恐ろしくもあったが、それよりも敬意が優る。
だから、俺は彼女に会ったときに思わずひれ伏してしまった。
「姫様、今までのご無礼、お許しを。そして叶うのならこれからも、貴女に仕えさせていただきたい」
「なんだ急に。ここでの私は姫じゃない。君たちのボスだ。その呼び方はやめるんだな。まあ、これまで通り私に仕えたいなら勝手にしろ。期待しているぞ」
「はっ、仰せのままに」
男物の服を身を包んだ彼女には、やはりよその姫にあるような甘さは一切ない。ただ、誇り高く、気高い一人の女性が在った。
彼女を綺麗と褒めそやした、人たちは本当の彼女を知らない。でも、知らなくていい。
彼女は俺達のボスに相応しくあろうと、自らを研鑽しそれを休める事はない。彼女が非情な命令を下すたびに苦しみ、儚く散らされた命に対してそっと手を合わせる。そんな彼女の姿は俺達だけが知っている。
彼女が持つのは清濁併せ持つ美しさだ。
このとき俺は姫様に身も心も捧げたいと強く思った。
行き場のない俺に、生き方を身を持って教えてくれたのは彼女だったのだ。
もはや彼女が俺の人生の全てになっていた。